044 姫香とのデート(その3)
隣の県という方角は合っていたが……その目的地を見て、由希奈は意外な顔をした。
「美術館、ですか……?」
デートの行き先としては定番寄りだが、芸術方面に興味がなければ、積極的に選ぼうとはしない場所である。しかし、睦月達の目的地はそこで間違いないらしく、二人並んで中へと入って行った。
「そしてこれ見よがしに腕を組んでいく姫香さん……いつもああなんですか?」
「多分私達相手に遊んでるんじゃない? やる時はやるけど、そこまで積極的な方じゃないし」
睦月と姫香を遊び感覚で尾行(少なくとも片方には、確実にばれている)していた由希奈と彩未は、目的地である美術館を遠目に眺めた。いまさら追い掛けるのもどうかとは思うが、ただ突っ立っているだけというのも芸がない。
「とりあえずさぁ~、追っ掛けてみる?」
「そう、ですね……」
財布の中身を確認する。ここ最近は大きく使う用事もなかったので、軍資金は十分にあった。
「……行きましょう」
「よし。そうなると……」
すると、彩未はスマホを一台取り出したかと思えば、数回
「ちょっと待っててね。お休みだから多分、早いと思うけど……お、来た来た」
彩未のスマホが震え出す。
送信されてきた内容を確認した彩未は由希奈を伴い、美術館の入口へと向かって歩き出した。
「優待は無理だったけど、ネット割引はあるみたい」
「どなたかから、何かを頂いたとかですか?」
「ん? ああ……ちょっと、
その言葉通り、彩未が受付でスマホの画面を提示すると、通常よりも安価で済ませられた。支払いを済ませた二人は、そのままゆっくりと、美術館の中にある展示物を見回していく。
「せっかく『
「そうなんですか……」
「そ」
少し意外だと、由希奈は内心で思っていた。
てっきり月偉のような
「だって『復讐したらハイ終わり』なんて、それこそもったいないじゃん」
「そう……ですね」
それが『
そんな由希奈の内心を知ってか知らずか、彩未は得心が行ったかのように、睦月達の方を指差した。
「多分、あれだよ。二人がここをデートの場所に選んだ理由」
「あれ……ですか?」
由希奈が彩未の指差す方に目を向けると、睦月と姫香の二人が並んで立ち、ある展示物を眺めていた。
ただの人間に、過去は変えられない。
よく、人生を否定する意味で使われそうな言葉だった。しかし、変えられないことは何も、悪いことばかりではない。たしかに起きたことは変えられず、その結果は一生付き纏ってくるが……その全てが、自分に対して害を与えるものだけではないのもまた、たしかだった。
努力の成果や、過去の功績……かつての栄光は、決して消え去ることはない。
そればかりに縋るのは悪手だとしても、自己肯定感を高めるのに、変えられない過去を……
「本当……お前はできた奴だよ」
睦月はかつて、由希奈に言ったことがある。
『『いい人』の定義は、『
と。その考えを、睦月は今でも否定する気はない。しかし、他にうまい言葉が浮かばなかった為に『できた奴』だと、姫香には伝えたが……本当はこう伝えたかった。
お前は『良い女』だ、と。
「ちゃんと展示されているみたいで、良かったよ……」
二人が見つめていたのは、かつて睦月が運送した美術品……金でできた貴金属の像だった。今は硬質ガラスのケースの中で、その輝きを入場者達に見せつけている。
睦月がこの美術館に目の前の美術品を運んでから、もう二ヶ月になろうとしている。今日は
だから群衆ごった返す中にある美術品を、睦月達は少し離れた位置から眺めていた。展示期間内に間に合ったこと自体は偶然だが、それもある意味幸運ともとれるだろう。
「それにしても……」
一度美術品から目を離し、睦月は姫香に向き直った。
「……いつも思うが、こっちは姫香が行きたい所でいいんだぞ?」
睦月にそう言われて一度首を傾げた姫香は、右手を挙げると掌を立て、その人差し指で顎を二回叩いた。
「【本当】」
「そう、か……」
睦月は手を上げると一度、姫香の頭を撫でた。
姫香が選ぶデート先は、睦月が仕事で関わった場所であることが多い。
元々、睦月は自己を肯定するのが苦手だった。生来のASD含めて、自分の成功例よりも失敗例を
それを知ってか知らずか、いや……知った上でだろう。
姫香は睦月に、自覚を促していた。仕事の成功実績を実際に見せて、睦月に『自分自身』を認めさせる為の労力を、一切惜しまなかった。
(本当、お前は『良い女』だよ……)
「……そろそろ行こうか」
コクン、と姫香が頷くのを合図に、睦月は次の展示物がある方へと歩き出した。
「これが、その像なんですか?」
「そ、睦月君もその仕事に関わっていたから、美術館での展示が上手くいったとも言えるんだよね」
周囲に聞かれても問題ないよう、ただ『美術品の運送に関わった』とだけ、由希奈に説明する彩未。
(弥生ちゃんが壊そうとしていた、とは言わない方がいいかな……?)
そもそも由希奈は、弥生と面識があるのだろうか?
そのことも踏まえて、彩未はそれ以上言わないようにした。
「ちなみに由希奈ちゃんは、さ……」
「はい?」
ふと、彩未は気になったことを、由希奈に問い掛けてみることにした。
「過去を変えられるとしたら、さ……変えたいと思う?」
「…………」
その問い掛けに、由希奈は黙って考え込んでいる。
所詮は『たられば』の話ではあるものの、何となく気になった彩未からの問いに、由希奈は少しして、考え込んだ結果を返してきた。
「分からない、です…………」
おそらくそれが、由希奈にとっての精一杯の回答なんだろうと、彩未は何も言わず、その続きに耳を傾けた。
「変えたい過去はあります。亡くなった両親や、普通だったはずの高校生活。今でこそ足は治ってきましたけど、この怪我も……できれば全部、なかったことにしたいです」
でも、と由希奈は続けた。
「でも……そんなことがなければ、自分の障害特性を知る機会はずっと先だったと思いますし、少し生き辛いと思っていた前の生活よりも、今の方が結構楽しいんです。何より……」
「何より?」
彩未が促し、由希奈が答える。
「睦月さん達に……出会えたから」
由希奈の過去もまた、悪いことばかりではなかったと、少し知っているだけの彩未ですら、そう思えていた。
今通っている通信制高校に、由希奈を『異物扱い』するような視線はない。
姉だけでなく、彩未達のように自身を理解してくれる人達もいる。
そして何より……今の由希奈には、『憧れている異性』がいるのだから。
「私の人生、悪いこともありましたけど……それでもちゃんと、良いこともあったんです」
「……そっか」
それを聞き、彩未は両腕を上げると、後頭部でそのまま手を組んだ。
「なら良かった。でも大変だよ~、いざとなったら、姫香ちゃんを
「ええと……それだけが、ちょっと怖いですね」
少なくとも、睦月が由希奈を傷付けるようなことはしない。彩未はそう思っているものの、一番予想が付かないのは、姫香の方だったりする。
はたして姫香は、本気の相手に対してどう行動を起こすのだろうか。
どうなるかも分からない心配をしていると、今度は由希奈の方から、彩未に質問が飛んできた。
「でも嫉妬しちゃうのは本当ですし……彩未さんは、姫香さんに嫉妬しないんですか?」
「
即答されたその言葉に、由希奈は目を大きく開いた状態で、彩未を見てくる。
(そんなに驚くことかな……?)
「じゃなきゃ、わざわざ由希奈ちゃんに付き合って睦月君達追っ掛けたりしないって。たしかに暇だったし、誰かに構いたい気持ちはあるけどさ……別に睦月君達
そう言われて、由希奈はようやく気付いたようだった。
彩未にもまた、『女子大生』や『
それこそ、わざわざ睦月達を選ぶ必要なんてない程に。
「睦月君のことは愛していないけどね……ちゃんと好きだし、恋もしているよ」
過去は、変えられない。
彩未が
それでも、彩未は選んだ。
自分の意思で、この現実を受け入れたのだ。だからこそ、向き合おうと決めている。
「人から見れば、ほんの繋ぎにしか見られないかもしれないけどさ。だからって……嫉妬しないわけじゃ、ないんだよ」
ただ……その気持ちは、由希奈が抱いているような嫉妬ではないのかもしれない。
嫉妬の対象は『睦月の傍にいる姫香』なのか、それとも『理想の男性と共にいる女友達』なのか。その違いが、きっとそのまま、『恋』と『愛』の違いなのだろう。
「ただ私にとって……今の睦月君が好きだけど、愛せないってだけ」
(本当、
今の、『運び屋』として生きる睦月が、彩未は好きだった。
けれども、その生き方にまではきっと、ついて行けない。かと言って、もしその生き方を止めた睦月がいたとして、そんな彼を愛せるのだろうか?
おそらくだが、彩未はこう考えている……『運び屋』の生き方を止めた睦月は、自分が好きで求めている睦月ではない、と。
「本当、どこかにいい人いないかな……」
そうすれば、睦月に対する未練も断ち切れるかもしれない。
「…………」
(……あっ、とっと)
少しだけ、自分の気持ちが顔に出ていたのだろう。
言葉のなくなった由希奈に対して、彩未はおどけた顔を見せながら、慌ててその場の空気を掻き壊した。
「まあ大丈夫大丈夫。睦月君のことは好きでも、多分関係的にはセフレ止まりだから」
「それはそれで、何とも言えないんですけれど……」
「あ~…………」
それもそうだ、と彩未は腕を解いた。
「まあまあ、私の方は気にしなくていいから。それだけは覚えておいて」
「は、はぁ……」
こればかりは、たとえ自分が女だとしても、難しいものがあった。
(本当、『女心』って難しい……)
そんなことを思いながら、彩未は由希奈と共に、館内順路に沿っての移動を再開した。
「よう、思ったより遅かったな」
一人は罪悪感で顔を歪め、もう一人は困ったように頬を掻いている。
二人の少女が出てくるのを、睦月は姫香と共に、美術館の出口で待っていたのだ。
「あ~……やっぱりばれてた?」
「『
「さすがに個人的な尾行で使うには、職権乱用が過ぎるからね……」
特に悪びれる様子のない彩未とは違い、由希奈は申し訳なさで目が潤みかけていた。ただ睦月は気にしていないとばかりに、軽く手を振って返すだけに留めた。
「それにしても……人のデートを尾行して、面白いのかよ?」
「いえ……」
睦月にそう問い掛けられても、由希奈は口を噤むだけだった。
「尾行は上手くいきませんでしたけれど、彩未さんとも色々話せましたし……色々と、知ることもできましたから」
「なら、良いけど……」
とはいえ、その内飽きるだろうと思っていた尾行が、ここまで続いてしまっている。さすがにこれ以上は勘弁して欲しいと思い、睦月は由希奈達に声を掛けたのだった。
「じゃあ……
「あ、はい……」
言葉通りに捉える由希奈とは違い、彩未は睦月の発言の意味が分かっているのか、仕方がないと尾行終了を受け入れることにした。
「姫香ちゃんもごめんね~」
「ごめんなさい……」
「…………」
姫香はジッ、と睨み付けた。
せっかくここまでお膳立てし、周到な準備を進めた上でのデートを邪魔されたのだ。時折勝ち誇った顔で煽っていたとしても、許せないものは許せないのだろう。
「……だから中指立てるの止めて」
「こら、姫香」
姫香の頭に軽く手刀を入れてから、睦月は歩き出した。そして少女達は一様に、その背中を追い掛けていく。
「あの……姫香さん、何であんなに攻撃的な性格なんですか?」
「睦月君の真似してたら、自然にああなったんだって」
二人が交わす小声の会話に、姫香が(手振りだけで)混じってくる姦しい状態で。
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