024 荻野睦月という男(その3)

「ふわぁ……、んん…………」

 気が付けば、睦月はソファの上で寝そべっていた。

 少し前の記憶を掘り起こす睦月。意思の力で強引に脳を覚醒させていき、昔馴染みが逮捕されたのを電話越しに聞いた後、そのままソファに寝転がったことをようやく思い出すことができた。

「ああ、そっか。寝てたのか……」

 いつの間にか頭を載せていた姫香の膝から起き上がった睦月は、そのままソファから降り、軽く肩を鳴らしながら解していく。そして膝枕をしてくれていた少女の方を見て、内心げんなりとしてしまう。

 睦月と同じく寝ていてくれればまだ可愛げがあったものの、当の姫香はずっとスマホを弄っていたらしく、今は目頭を軽く揉んでいた。

「今、何時だ……?」

 座卓に載せていた自身のスマホを見ると、彩未からの不在着信の通知と共に、夕方近くの時刻が画面上に表示されている。睦月は溜息を一つ吐いてから、姫香の方を向いた。

「お前……彩未に連絡は?」

 しかし姫香は首を横に振るどころか、スマホごとそっぽを向いてしまう。どうやら完全に無視していたらしい。

「まったく。別にいいけどさ……」

 この後の人生は、彩未自身のものだ。睦月達も敵に回らない限りは、特に何も要求する気はない。それに写真ネタも、これまで積み重ねた人間関係もある。たとえどのような選択肢を取ろうとも、無意味に攻撃してくることだけはないという信頼があった。

「とりあえず、彩未は後でいいとして……他に問題は、」

 睦月は一度、杖を突いていた少女のことを思い浮かべ……振り切るように数度、首を横に振った。

「……いや、今気にしても仕方ないか」

 結局、睦月はスマホを取り上げると、彩未にメッセージアプリを通して連絡を入れた。

『ケリはついたんだろう? 今後どうするかは好きにしてくれ。敵対しない限り写真はばら撒かないし、依頼料の超過分は対応できる範囲なら、希望する方法で支払う』

 そして再びスマホを座卓の上に置いた睦月は、今度は姫香の隣に腰を降ろした。

「なかなか、順風満帆とはいかないな……」

 世の中、上手くいかないことの方が多すぎる。

 時には法に触れざるを得ない家業の子供に生まれ、大なり小なりイカれた周囲に翻弄されつつ、挙句の果てには地元が廃村で親とは勘当。手元に残ったのは中卒までの学歴と親譲りの運転技術に偶々拾っただけの少女姫香

 そして……自らの意思で選んだ、父祖より続く運び屋としての生き方。

「……ま、仕方ないか」

 それを選んだのは自分自身だ。

『辞めたきゃ辞めてもいいぞ。別に続ける理由もないしな~』

 父親である秀吉からの技術指導や、何を勉強すべきかという人生指南はあったものの……生き方までは強要されたことがない。

 それでも、睦月は『運び屋』という職業を、その生き方を選んだ。今のところ、他に興味がないとも言えるが……親の背中を見て育ったから、という要素が大きい。

 ならば気が済むまで進んでみようと、睦月は改めて思うのだった。




 時間を少し、戻して……

「…………あれ?」

 彩未が睦月達の居るマンションに向かう前にコンビニに寄って行こうと、ショッピングモールを出てすぐにある横断歩道を渡った後のことだった。

 その目的であるコンビニの傍で、杖を手にした少女が一人、ガラスの壁を背にしてしゃがみ込んでいる。救急が必要な状況でもなさそうだが……彩未は彼女・・を知っていたので、一先ずは声を掛けることにした。

「ねえ……あなた大丈夫?」

「…………」

 返事はない。聞こえていないのか、もしかしたら知らない人に声を掛けられて、口を堅くしてしまっているのかもしれない。

 だから彩未は、少女の口を開ける為の鍵を取り出すことにした。

「もしも~し……馬込由希奈・・・・・さ~ん、大丈夫~?」

「っ!?」

 蹲っていた少女、由希奈も不意に名前を呼ばれたので、思わず顔を上げざるを得なかったらしい。ようやく視線を合わせてくれた彼女に、彩未はコンビニを指差した。

「ちょっとお茶でもしない? ここカフェスペースあるし」

「…………」

 コクン、と無言の返答を返してくる由希奈が立ち上がるのを手伝い、彩未は彼女を連れてコンビニの中へと入って行く。

 元々、彩未は由希奈の居場所を把握していなかった。

 実行前に睦月に連絡した際に、もしかしたら近くにいて介入してくるかもしれないと言われていたので、警察側に由希奈の情報を流しておいたのだ。一応、最寄りのバス停やタクシーを使った際の降車予想地点、そして今回の標的である姉の菜水から顔写真を提供して貰うことを勧めたので、彩未自身は問題ないと踏んでいた。

 そして結果は彩未の、『ブギーマン』の勝利ではあるものの、由希奈は何故かコンビニの前で蹲っていた。理由は分からないが、下手に放置して何かあるとまずい。

 それに……何だかんだ彩未もまた、睦月に毒されているようだった。

(人を助けたいって自己満足に、お互いの性別は関係ない、か……)

 男女で多少の差はあれど、自己満足な優しさを抱くのに理由はない。特に、心に余裕がある時等は。

(まあ私の場合は、余裕ができた・・・ところなんだけどね……)

 とはいえ、偽物だろうと善行は善行だ。借りを返す・・・・・意味でも、由希奈に優しくしておいて損はないだろうと彩未はカフェスペースの座席を指差し、彼女を椅子に座らせた。

「とりあえず初めまして。私は下平彩未、最初に聞いておきたいんだけど……警察の人とは一緒じゃないの?」

「え、えっと……」

 いきなり捲し立てたことで、由希奈は混乱していると踏んだ彩未は、自らの眼前で慌てて手を振った。

「ああ、ゆっくりでいいから! ごめんごめん、急かしちゃって……」

「あ、いえ……こちらこそ、すみません」

 一呼吸置いて、彼女の考えがまとまるのを待つ間に飲み物でも買ってこようと、彩未はカウンターを一度指差した。

「お茶する時間はあるんだよね? 何飲みたい?」

「あ、えっと……じゃあ、カフェオレを」

「オッケー、カフェオレね」

 そして彩未は、腰を降ろした由希奈を置いて一人、レジカウンターへと向かっていく。




(ど、どうしよう……)

 ご馳走されたカフェオレの入ったカップを手に、由希奈は内心混乱していた。

 この女子高生の制服を着た女性に勧められるがままコンビニ内に入ったはいいものの……色々とちぐはぐで、自分のことなのに思考が纏まらないまま、不安が押し寄せてきている。

 そもそも、話し掛けてきた相手からして、ちぐはぐな印象が強い。

 最初は彩未を女子高生だと思った由希奈だったが、相手の態度はどこか大人びている上に、こちらの事情を把握していた為、少し不気味に感じていた。

 まるで女子高生の格好をしただけの、別の人間であるかのような……

「い、いただきます……」

「どうぞ~」

 しかし当の彩未は、紙パックのジュースに差したストローで中身を吸い出しながら、スマホに視線を落としている。そして溜息を一つ吐いたかと思うと、テーブルの上に表向きに放置した。

「やっぱり寝てるな~……睦月君・・・

「…………っ」

 それは、今の由希奈にとって……一番聞きたくない名前だった。

 それを知ってか知らずか、彩未は由希奈の方を向いてから、空いた手を眼前で軽く振ってくる。

「ああ、そうだった。あなたに謝っておかないと」

「え? 何を、ですか……?」


「睦月君に『関わるな』って依頼したのは私だから」


 あっけらかんと告げられた事実に、由希奈は一瞬、意識が飛びかけてしまった。

「今回とっ捕まえた卯都木……ああ、『鉢上達也』って名乗ってた男ね。そいつの手掛かりを追っていた途中で、睦月君達と知り合ったのよ……さすがに仕事中に喧嘩売ったから、最後捕まって強姦レイプアンド脅しの写真ネタ撮られちゃったけどね」

「…………」

 強すぎる言葉に、由希奈は沈黙しか返せていない。

 でも被害者であるはずの彩未の態度は、由希奈が見る限り、あまりにも気楽に過ぎた。

 それこそ……何の重荷も感じさせない程に。

「……それは、」

「ああ、ほとんど和姦合意みたいなものだから気にしない、気にしない。むしろ次は殺される・・・・・・ことを考えれば非処女経験済みな分、こっちも結構楽しんだしね」

「え、あ……そう、ですか」

 言葉を返せない由希奈だったが、それとは別に、彩未の話を聞いて思い至ったことがある。

「あの……どうして荻野さんに、喧嘩を売ったんですか?」

 正直に言って、由希奈は状況の変化についていけていなかった。

 自身の事情を把握していることもそうだが、姉の恋人の件や睦月との繋がりに、かつてあったと聞かされた仕事上の問題トラブルや殺人未遂(というより恐喝に近い)について、疑問を数え上げればきりがない。

 それでも今、由希奈が気になったことはただ一つ。


 何故、睦月に喧嘩を売る必要があったのか?


 手掛かりを探すだけであれば、必要のない諍いを生む意味なんて何もない。それでも実行した理由は一体何なのか?

「ああ~……やっぱり聞いちゃう、それ? 卯都木月偉あのクソ野郎やお姉さんの方とかは気にならないの?」

「それは……」

 由希奈自身、指摘されるまで何の根拠もなく、ただ警察が出てきたからと安心してしまったところはある。ただそれでも、それだけは彩未に聞かなければならない。

 たとえ、間違っていたとしても……見逃してしまえば取り返しがつかなくなると、そう思ってしまったから。

 ――パン!

「まあ、そっちは解決したからいっか」

 しかしもう解決したことだからと、彩未は軽く手を叩いて由希奈の思考を強制終了させ、意識を向けさせてきた。

「簡単に言うと、卯都木月偉あのクソ野郎と睦月君の地元が一緒・・・・・だから。それだけ」

「……それだけ、なんですか?」

「そう、それだけ」

 ますます意味が分からなくなってくる。もし彩未の言い分を鵜呑みにするのであれば、それは……

「それって、ただの……」

「そう、ただの差別・・。でもね……」

 彩未は持っていた紙パックを置くと、空いた手で指折り数え始めた。

「人種差別や社会的弱者、宗教弾圧に……法を犯した犯罪者やその関係者達。そういう差別・・の対象となりやすい人達は、どうやって生きていくと思う?」

「それは、周りにそれを隠すと、か……」

 由希奈は、その答えに辿り着いた。

「……そういう人達が寄り添い合って、一つの集落コミュニティを作る」

「そう……」

 彩未は、折り曲げていた指を広げると、再び紙パックのジュースを口に含んだ。そして飲み干してから、由希奈へ向ける言葉を継ぎ足していく。

「それが睦月君達の故郷……社会の裏側に追いやられた人達が興した、今は情報社会による発展や短絡的な愚者の間引きによる犯罪離れによって過疎化が進み、廃村となった田舎の隠れ里」

 ……人を騙すような者と知り合いだった時点で、気付くべきだった。

「睦月君達はそこで生まれ育った、裏社会の住人。だから最初、私は卯都木月偉あのクソ野郎と同類だと勘違い・・・して喧嘩を売った。それが私達の出会い」

 それこそ、コンビニの店内で聞くような話じゃない。

 関係者と一緒に、警察署で聞かなければならない類の話だった。

「……え、あれ? ちょっと待って下さい」

 ただ……一つだけ、聞き逃せない言葉があった。

勘違い・・・、って……どういうことですか?」

「犯罪に限らず……何かをする動機なんて、人それぞれってこと」

 ますます、彩未の言いたいことが分からなくなってくる。

「私も最初は先入観があったけど、実際は違ったのよね……」

「え…………?」


「法を犯したからって、必ずしも悪人とは限らない」


 その言葉には、これまでの生涯で培ってきた倫理観を揺るがせる程の衝撃があった。

「……ま、今もそれが正しいのかは知らないけどね」

「それは……」

「要するに、大事なのはどう生きるかってこと」

 由希奈がカップの中身をほとんど飲めずにいる中、彩未は先に飲み終え、紙パックを畳み出している。

「まあ、後は本人から聞いてくれる? これ以上は個人情報だしね」

 彩未がコンビニの外を指差すので由希奈が視線を向けると、そこには『ここで待つように』と告げ、すぐに捕物へと向かった女刑事が居た。

「じゃあ、私はもう行くから……ああ、そうだった。これだけ、」

 スマホを手に取った彩未は立ち去る前に、由希奈に一言だけ言い置いて行った。

「睦月君が黙ってたの、私のせいだから……あまり、彼を怒らないであげてね」

「…………」

 情報過多と場面展開の早さが合わさった状況の中……由希奈は何も、答えることができなかった。




 そして顔馴染みの女刑事に挨拶してから横を通り、コンビニを出て数歩。彩未は肝心なことを思い出して、思わず背後を振り返ってしまう。

「……あ、コンビニに用事があったの、忘れてた」

 いまさら戻れないので、別のコンビニに行こうとした途端、スマホが着信を告げてくる。その相手と内容を確認した彩未は、用事を後日に回すことにした。

『ケリはついたんだろう? 今後どうするかは好きにしてくれ。敵対しない限り写真はばら撒かないし、依頼料の超過分は対応できる範囲なら、希望する方法で支払う』

「ようやく起きたのかな? 睦月君……」

 早く友人・・の家に行こう。彩未の足取りは、気持ちに比例して速度が増していった。

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