011 入学前某日(その2)

「まったく、弥生の奴は……彩未も余計な手間、取らせやがって…………」

 弥生を送り届けたのは整備工場にある仕事用のスポーツカーではなく、マンションの駐車場に停めている普段使い用のワゴン車だった。駐車ついでに、時間に余裕があれば一度帰ろうかとも考えていた睦月だったが、彩未がまだ居座っている可能性も否定できない。

 仕方がないと、睦月は駅前にあるショッピングモールの駐車場に停めてから、目的地である高校へと歩くことにした。教科書類を取りに行くだけなので大した時間は掛からないはずだが、ワゴン車に外付けで用意した隠し収納に仕舞ってあるとはいえ、銃を残したまま長時間駐車させておくわけにはいかない。手早く用事を片付けようと、若干早足になりながら向かっていく。

 睦月が四月より通う久遠学院高等学校は全国各地に分校が存在し、今向かっているのはその第十二分校に当たる。

 第十二分校は、睦月達が引っ越してきたマンションより南側にあるビルの一フロアを借り切って運営されていた。後は下層階に喫茶店や不動産等の営業所、上層階に子会社が数社、軒を連ねている。

「えっと、たしか……」

 一応、説明会として第十二分校を訪れたことがあるものの、ビルの玄関口は大通りに面した場所にあるわけではないので、初見だと迷い易い。だから睦月も、最初に来た時は入り口を探して、少し歩き回る羽目になったのだ。

「しかし覚え辛い道だな、ほんと……」

 運び屋という職業柄、地理把握等の空間認識能力が高い睦月でさえも、一見するだけでは分かり辛い入り口へと向かおうとする時だった。

 反対側から、冊子を片手に少女が一人、歩いてきたのは。

「…………ん?」

 別に、迷いながら歩いているだけで、その少女が気になったわけではない。

 たしかに少女は顔立ちが整っている上に、かなり発育の良い胸をしている。ブラウス越しの見た目だけでも、平均以上はあるはずの姫香よりも大きいのが分かった。しかし睦月が彼女に対して気になったのは、別の二点だった。

 時折、もう片方の手に携えている杖に体重を預けていること。

 そして……睦月が通う予定である学校の冊子を手に持っていることだった。

「目的は同じ、か……」

 とはいえ、いきなり声を掛けても不審者か、たちの悪いナンパにしか取られないだろう。だから睦月は入り口へと向かい、見つかりにくい場所にある看板のすぐ傍に移動してから……


 ――パンパンッ!


「…………?」

 ……看板を軽く叩いた。もし高校を探しているのであれば、この目立たなくて意味があるのか疑いたくなる看板ものを、すぐ見つけられるように。

 できれば少女の目的を把握した方がいいのかもしれないが、余計な善意は悪意になりかねない。睦月はこれ以上少女に意識を割かず、高校にあるビルへと入って行く。無関係ならば通りすがりの厄介者で通じるが、関係者であれば今後の学校生活にも影響し得る。相手から求められない限り、自己満足の親切は気付かれない位が丁度いい。

 一階にある喫茶店の横を通り、奥にあるエレベーターのボタンへと、睦月は手を伸ばした。しかしタイミングが悪かったらしく、今は最上階にあるので、降りてくるのに時間が掛かっている。

「…………」

 大して時間は掛からないだろうと、ただ立ったままエレベーターを待っている中、誰かが近付いて来る気配があった。

「…………」

「…………」

 腕を通す為のカフが付いた杖には、先端にゴム製の滑り止めが取り付けられているのだろう。硬い物同士がぶつかり合うような、甲高い音は聞こえてこない。ただ、足音と共に聞こえる鈍い音が、近付いてくる相手があの少女だと物語っている。

 そして数秒もしない内に到着したエレベーターに、睦月が先に入ってから『開』ボタンを押す。本来ならば場所を譲り、先に少女の方を誘導して入れるべきなのだろう。だが、そうすれば彼女は、閉鎖された空間に閉じ込められる結果になってしまう。

 だから睦月は、自分が先に入り、同乗するかどうかは少女に任せることにしたのだ。

 ――コッ、コッ……

「……ありがとうございます」

 結果的に、彼女は同乗を選んだらしい。睦月に対してどう思っているのか、そして先程の気遣いに少女が気付いているのかは分からないが、わざわざ気にする必要はない。

「何階ですか?」

「五階を、お願いします」

 手が塞がっている少女に代わって、睦月は五階のボタンを押した。

(やっぱり、同じ高校か……)

 目的の通信制高校は、このビルの五階にある。一フロアが学校になっている以上、他の階と勘違いしていない限りは、ほぼ間違いないだろう。

(にしても……)

 外見的に見て、少女は成人しているのかが微妙な位に、若く見える。

 高校の案内冊子を見ていたことから、おそらくは睦月と同じ新入生だろうが、もしかしたら新規の事務員や、新人教師の可能性もある。通常の高校とは違い、ネット上で授業を行うこの学校であれば、たとえ不自由な身体であっても就職することは難しくないからだ。

 ――キィ……

「……お先にどうぞ」

「ありがとうございます……」

 入り口の傍とは別に、側面にもあるボタンでもエレベーターの操作はできる。しかもそちらは、車椅子の利用者が使用することもある為、扉の開放時間が通常よりも多少長くなる。先に少女が降りたのを確認してから、睦月もそれに続く。

 来校者用の受付はすぐ目の前にあり、睦月の背後でエレベーターが閉じるよりも、少女が事務員に声を掛ける方が早かった。

「すみません。四月から新しく入学する、馬込まごめ由希奈ゆきなと申します」

「馬込さんですね。少々お待ちください……そちらは?」

 後からついてきたと思われたのか、続いて降りてきた睦月を見て、事務員の女性は少女、由希奈の背後に向けて声を掛けてきた。

 由希奈も不思議そうに見つめてくる中、睦月もまた、自身の要件を事務員に伝えた。

「こちらも入学生です……荻野睦月です」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 事務員が受付から離れていく。入学前に必要な教科書類を取りに行ったのだろう。

「……あの、」

 その時だった。由希奈から声を掛けられたのは。

「あなたも、入学生だったのですか?」

「ええ……そうです」

 やはり、無難に接していて良かったと内心思いながら、睦月は杖にもたれている由希奈と向き合った。事務員を待つ間、彼女と話していればいいと考えて。

「初めまして。四月から成人クラスに入る、荻野睦月です」

 そして由希奈もまた、睦月に対して自己紹介をしてきた。

「初めまして、私も同じく成人クラスに入る、馬込由希奈と申します」

「馬込さんですね。これからよろしくお願いします」

 事前に聞いている限りでは、各分校ごとの生徒数に応じてとなるが、基本的には現役(未成年)と成人の二クラスに分けられるらしい。ついでに言えば、通信制高校自体に入学する人間も、そこまで多くはない。

 特殊な事情を持つ人間に需要がある以上、仕方がないことなのかもしれないが。

「ところで……足の具合をお聞きしても?」

 相手の事情に少し踏み入ってしまうかもしれないが、ネット授業の他にも試験を含め、定期的に登校する必要がある。その際、手助けが必要ならば手を貸そうとも考えての質問だが、由希奈は感情を押し殺しつつ答えてきた。

「大丈夫です。まだふらつくこともありますが……もう少しすれば、杖も取れますので」

「そうですか……では一先ず、」

 睦月は視線を由希奈から、近付いてくる事務員の女性の方へと移した。

 ……両手に大量の教科書類が入れられた、ラミネート加工された紙袋を二つ携えて。

「後で……運ぶのを手伝いましょうか?」

「すみません……一階の喫茶店まで、お願いできますでしょうか?」

 さすがに荷物が重すぎると観念したらしく、由希奈は睦月の申し出を受け入れた。

「お待たせしました。他にも数枚、書類への記載をお願いしたいので、今後の説明も兼ねてこちらへお願いいたします」

 カウンターの裏から出てきた事務員に連れられ、睦月と由希奈は近くの面談室へと入って行く。そこで説明を受けた後に、幾枚もの書類へと記載していった。




「お迎えが来られるのですか?」

「はい。姉が迎えに来る予定なので……」

 高校での用事を終え、一階に降りてきた二人は喫茶店へと入っていく。但し席に着いたのは由希奈だけで、睦月は荷物を向かいの席に置いただけだった。

「では私はこれで。また後日、」

「あ、あの……」

 個人経営らしいこの喫茶店はテイクアウトも受け付けていたので、適当にコーヒーでも買って帰ろうかとしていた矢先だった。立ち去ろうとする睦月を、由希奈が呼び止めたのは。

「今日は……ありがとうございました。エレベーターのことも、ですけど……迷っていた時に、助けて頂いたことも」

「…………」

 別に気付かれなくても良かった分もお礼を言われた睦月だったが、特に気にすることはないと、軽く手を振るだけに留めた。

「それで……できればもう少し、お話しませんか? それともお忙しいでしょうか?」

「まあ、少しなら……」

 車の隠し収納には一応鍵を取り付けてあるので、万が一車上荒らしに遭っても、すぐに銃を奪われるような事態にはならないだろう。それ以前に整備のみだった為、銃弾は同梱されていない。あまり時間を掛けるわけにはいかないが、今後の学校生活を考えれば、多少のコミュニケーションは取った方がいいかもしれない。

 そう考えて、睦月は空いた席に腰掛けた。

「良かったです。荻野さんがいい人・・・みたいで……」

「……いや、そうでもないですよ」

 睦月は近くを通ったウェイターにホットコーヒーを注文してから、由希奈に話を続けた。

「馬込さん、あなたにその意図はなくても……私は『いい人』と言われるのは好まない程度には、捻くれているんですよ」

「え……」

 思わぬ返答に、由希奈はどこか不安げに睦月を見返した。

「私にとっての『いい人』の定義は、『どうでも・・・・いい人』か、『都合の・・・いい人』なんですよ。できればそう、言わないでくれると助かります」

「そう、なんですか……でも、どうしてそうお考えに?」

「まあ……古い馴染みの戯言を、真に受けていましてね」

 丁度注文したコーヒーと、由希奈のカフェオレがテーブルの上に並べられたので、睦月はカップ片手に話を続けた。

「『半端な人間程、騙され易い』って、そいつはよく言ってました。ただ『いい人』のままでいるのは、悪い人間にとってはただの獲物カモでしかないんですよ」

「で、でも……荻野さんは、優しいですよね?」

 そうおずおずと、少し言葉を考えながら話す由希奈に、睦月は内心である推測を立てる。それを悟らせないまま、さらに話を続けた。

「まだ付き合いが浅い内は、あまりすぐに結論を出さない方がいいですよ。自己満足の親切ならまだしも、相手を利用する為に敢えていい顔をする詐欺師人間は、結構居ますから」

「あ、そ、そう……ですよね」

 大方、荷物を運ぶ代わりにナンパでもされるんじゃないかと最初は警戒していたのかもしれない。しかし、その疑いとは真逆の反応をされたばかりに、かえって罪悪感に悩まされる羽目になってしまった、というところだろうと睦月は考えた。

 実際、先程までの話は、由希奈が内心で考えていたことに近かったのだろう。

 でなければ……どこか後ろめたい表情を浮かべたりはしないはずだった。

「……苦手なんですね。コミュニケーションが」

「はい……」

 由希奈は頭を垂れて、少し唇を噛むようにしながら話し出した。

「……ASDって、ご存知ですか?」

「アスペルガー症候群とか呼ばれる、言い方は悪いですけど……発達障害の一つですよね?」

「はい……」

 ASD、自閉スペクトラム症やアスペルガー症候群とも呼ばれる脳異常の一種で、相手の心情を理解し辛かったり、状況を広く見れずに偏った対応しかできなくなる。詳しく挙げればきりがないが、簡潔に言ってしまうと……『周囲との同調が難しい』という一点に尽きる。

「その為に……余計なことを考えてしまったり、逆に言葉が纏まらないまま出てきてしまったりして…………」

 おまけに、原因はまだ聞いていないが、由希奈はリハビリを行うレベルでの怪我を負っていたのだ。そうなれば、彼女の生活の難しさは想像に難くない。その上、成人して間もないと言われても通用しそうな若さだ。何かが切っ掛けで拗れたから、この通信制高校への入学を決めたのかもしれなかった。

 だから睦月は、カップのコーヒーに口を付けつつ……


「まあ……いいんじゃないですか。そこまで気にしなくても」


「…………え?」

 そう普通に・・・答えた。

「別にコミュニケーションが苦手だからって、そこまで気にする必要はないですよ。私なんて、すぐに思いつくだけでも……『緘黙症で無駄に嫉妬深いスマホ中毒』に、」




 その頃、姫香は丁度スマホを弄っていた。

「ゅっ! …………?」




「『粘着質過ぎて逆に人から避けられる対人依存症構ってちゃん』に、」




 その頃、彩未は急な仕事の為に帰宅している最中だった。

「びぇひゅっ!? あれ……?」




「『他の人への迷惑を一切考慮しない精神病質者サイコパス』と、」




 その頃、弥生は睦月が行った(性的な)折檻で使われた玩具を片付けているところだった。

「くしゅっ!? ……誰かボクのこと、噂しているのかな~?」




「周囲にまともな人間が一人もいない。それでも……個人的には、こう考えているんですよね」

「何を……ですか?」

 疑惑的な眼差しを向けてくる由希奈に、睦月はこう答えた。


「自分がまともだと勘違い・・・している・・・・人間よりは、異常だという自覚がある人達の方が、相手の持つ問題への理解が容易な分、まだ付き合いやすいとね」


 睦月は一度肩を竦めてから、カップのコーヒーを飲み干した。

「まあ人間、大なり小なり気持ちが繋がらないなんてことはザラなんですから……相手を傷付けない程度なら、多少は自分勝手に生きる位で、丁度いいんじゃないですか?」

 そう言って睦月は立ち上がり、コーヒー代をテーブルの上に置いてから一礼、そのまま店を後にした。

「じゃあまた、学校で……ああ、お釣りは要らなかったら、募金箱にでも入れといて下さい」

 ただ渡されるだけでは悩み過ぎてしまう・・・・・・・・だろうと、睦月はそう言い残していった。




 それを聞いた由希奈は、見えなくなった睦月の背中に向けて、届かない声を上げた。

「やっぱり……優しい人ですね。荻野さん」

 由希奈はしばらくの間、カフェオレの入ったカップを包み込むようにして持ったまま、ただじっと店の出入り口を見つめていた。

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