TRANSPORTER-BETA(旧題:進学理由『地元が廃村になりました』)

桐生彩音

001 引越日当日

「……睦月むつき、ちょっと来い」

 黒髪を短めにした青年は、掛けられた声に反応して振り返った。田舎には不釣り合いなスポーツカー(国産MT車)に荷物を載せている最中だったが、大した量じゃないのでもう詰み終えている。

 だから睦月と呼ばれた青年は、そのまま荷室ラゲッジルームバックドアトランクを閉じた。

「どうしたんだよ、親父?」

「いいから、部屋に来い」

 そう言い残して男性、荻野おぎの秀吉ひでよしは家の中へと入っていった。その後を息子である荻野睦月は、少しだけ目で追ってから、車内に向けて声を掛ける。

「ちょっと待ってろ!」

 しかし、同乗者からの返事はない。

「……って、聞いちゃいないか」

 いつものことか、と先に車の助手席に乗っている連れを置いて、睦月は家の中へと入って行った。

 家の中は、どこかがらんとしている。

 それも当然だった。今日、睦月とその家族達は、この家を去るのだから。

 大まかな荷物は事前に運び出してある。今日も周辺への挨拶回りや細かい荷物、そして今先程、睦月が乗り込もうとしていた車を取りに来ただけだった。

 睦月の父である秀吉は、奥の和室にいた。

 座布団もなく、ささくれの目立つ畳の上に、直に座り込んでいる。睦月も秀吉に倣って、その向かいに腰を下ろした。

「さて、今日俺達は引っ越すわけだが……その前に話さなければならないことがある」

「話? 何をいまさら……」

 もう話すことはないと、睦月は考えていた。

 今回の引越を機に、秀吉とは別に暮らす予定なのだ。だから準備中も含めて、話すべきことや話したいことをする時間は十分にあった。それに、別に今生の別れというわけでもない。

 睦月はそう思っていた……


「睦月……お前とは親子の縁を切る」


 ……そんなことを言われるまでは。

 しかし睦月は冷静に、自らの父親にこう返した。

「どうした親父。とうとう頭がバグったか?」

「…………酷くね?」

 若干涙目になる秀吉を放置し、睦月は足を崩した。

 人が親子の縁を切るのは、大抵の場合相当な事情があるものだ。もっとも、大まかな理由としては大体、二種類に大別される。

 どちらかが何かをやらかしたか、それとも……何かに巻き込まれたか、だ。

 しかし睦月が何かをやらかしたり巻き込まれたり、ということはまずない。無論、トラブルのない人生を歩んできたわけではないが、すでに解決したものばかりだ。それに、もし過去のトラブルが原因であるのなら、縁を切るよりも先にその問題について告げるのが先だろう。

 つまり……原因は父親の方にある。

「で、何やらかしたんだよ? それとも実はお袋が生きていて、殺意レベルで怒らせたとか?」

「お前は俺を何だと思ってるんだ……? 後、前から言っているが、お前の母親はとっくに死んでるからな」

 睦月は母の顔どころか名前も知らない。そもそも行きずりの風俗嬢を孕ませた結果、DNA上の父親で間違いない秀吉が引き取ったと聞いている。ちなみに本人は責任を取ってそのまま結婚しようとしたらしいが、その母親は相手の実家が田舎にあり、かつ最近は収入源が減っていると聞いた途端、さっさと逃げようとして車に引かれて事故死したらしい。

 そんな漫画みたいな展開が本当にあるのか、と睦月は未だに疑っているのだが……秀吉はその話が本当だとしか言わなかった。その割には仏壇どころか墓地の場所すら教えようとしてこない。それで信じろと言うのが無理な話である。

「じゃあ、一体どうしたんだ?」

 もはや睦月には、真面目に話を聞く気が失せていた。立てた膝の上に片腕を載せたまま、秀吉の言葉を待つ。

「端的に言うと……お前の父親・・を辞めたいんだよ」

 無論、息子である睦月に非はない、と父秀吉はすかさず否定してきた。

「一人の人間として、やりたいことがあってな。もうお前と姫香ひめかちゃんだけで生きていけるのなら、さっさと独立してくれ」

「いや……元からそうだろ?」

 最初から、睦月は秀吉の扶養から外れる算段だった。

 それというのも、全ては睦月達の住む場所にある問題が生じたのだ。


 ……睦月達の住むこの村は、村民の減少を理由に廃村となるからだ。


 情報技術の発展による在宅業種の増加や遠方への出稼ぎを含めれば、村内での経済は辛うじて回すことができる。それに目立つ特産品はないものの、ある意味では隠れた名所でもあったので、一定数の観光客は確保できていた。

 しかし、村民の減少だけは止められなかった。

 それもそうだろう。各地の都会化が進み、一番近い地方都市すら首都並みに利便性が上がっている。ましてや村の仕事の大半は、農作業と客足の少ない雑貨店位だ。将来性を考えれば、別の職を求めて村の外へ出るべきなのは余程の馬鹿でもない限り分かる。

 おまけにその余程の馬鹿も、都会への憧れを抱いて出て行ってしまうので、人口は減る一方だった。

 だから在宅業で通販生活も可能な睦月であっても、廃村という現実の前には、引っ越すという選択肢しかなかったのだ。

 その為、家族ぐるみで村を出ようと話していたのだが……何故か秀吉は、これを機に別居を申し出ていた。

 そして今回の勘当だ。何かがあったとしか思えない。

「どうせ別居する予定だろうが。わざわざ縁切りまでする必要なんてあるのか?」

「いや、実はな……」

 どこか言いにくそうにおずおずと、秀吉は語り始めた。

「そのやりたいことをやる為に、必要なものがあってな……それでちょっと、やばい仕事に手を出しちゃった」

「え……?」

 その言葉を聞いて、睦月の頬に冷や汗が流れる。

「おい、まさか……」

 外が騒がしくなる。明らかに廃村から出て行く村民や引越業者の作業音じゃない。まるでこの家の周りを囲うように、人や車が集まっているような……

「というわけで睦月、」

 そして秀吉は立ち上がると、近くに置いてあった荷物を持って駆け出していた。

「公安警察に目を付けられたから、お前もさっさと逃げろよ~!」

 ……突然の父親の言動に、未だに呆然としている息子を放置して。

「……ふ、」

 数秒開けて意識が戻ってから、睦月は叫んだ。

「ふっ、ざけんな……クソ親父ぃ!」

 しかし今の睦月には、逃げ出した秀吉を追い掛ける余裕はない。

 父親が逃げたのとは逆方向、自身の車目掛けて、睦月は走り出した。

「今度会ったらただじゃおかねぇ!」

 ただ、今の睦月は知らなかった。




 もう二度と……父親に会えないことを。




 そんなことも露知らず、睦月は慌てて車の運転席に腰掛け、クラッチとブレーキのペダルをそれぞれ踏み込んだ。

「姫香っ! シートベルト……はしているな良し!」

 助手席には、すでに腰掛けてシートベルトをしている、ミディアムのくせ毛が目立つ少女がいた。しかし彼女、久芳くば姫香は、運転席でエンジンを掛けている睦月を無視したまま、手元のスマホ(通信無制限契約)を見下ろし続け、顔を上げようとすらしてこない。

 返事に関しては最初から・・・・期待していないにしても、反応すらないというのも珍しいことじゃない。だがこの状況を説明している暇がない睦月には、今の姫香の態度はかえって有難かった。

 ――ブォン!

「しっかり掴まってろよっ!」

 エンジンが掛かった途端、睦月は慣れた調子で両足を一度上げ、アクセルを踏み込んだ。少しでも速度が出ると、すぐさまクラッチと踏み換えてレバーを操作し、手早く二速、三速とギアチェンジして車を加速させていく。

「うわっ!?」

 ……間一髪だった。

 自らが運転する車の前に、別の車両が二台、三台と、通行を止めようと割り込んでくる。整備されていない、拓けた田舎道だからこそできる、無茶な運転だった。

「って……舐めんなっ!」

 しかし、今までこの村に住んでいた分、田舎での運転ならば睦月の方に一日の長があった。

 見た目こそ国産のスポーツカーだが、荒地でのオフロード走行でも性能が落ちないよう、調整チューンアップ済み。しかもこの一帯で睦月が車を走らせていない場所はほぼないと言っても過言ではない。


 おまけに相手は市販の乗用車に国家権力を持つだけの一般人、運び屋・・・として育てられた睦月の敵ではなかった。


「俺を捕まえたかったらオフロードレーサーでも連れて来いやぁ!」

 でも航空機関係は対処できないから勘弁な、等と何かの映画を観た際に聞いた台詞を最後に、睦月は愛車を加速させて追跡を振り切っていく。




 睦月の家は、代々運び屋を生業としていた。

 先祖は人力車を引いていたらしいが、時代が進むにつれ、自動車をはじめとした乗り物の運転へと切り替わっていった。同時に高度な操縦技能も身に付けていき、戦時中は戦車や将校クラスの送迎運転手ドライバーを引き受けていたらしい。実際、その腕前は周囲に一目置かれ、かつて存在した『神風特別攻撃隊』すらも特別に対象外とされる程惜しまれていたとか。

 そして戦後は、表向きフリーのトラック運転手をしながら、裏では闇米等を密輸する仕事に付いていた。犯罪紛いの仕事は経済水準の向上と共に徐々になくなっていき、睦月の父、秀吉の代になると情報社会の発展による追跡技術の向上から、ほぼ不可能と化していた。

 だから秀吉は時折トラックドライバーとして遠出しつつ、仕事のない時は近くの風俗デリヘルの送迎で糊口を凌いでいた。睦月も父の勧めで情報技術を学びつつ、中卒で運び屋の仕事を手伝いながら操縦技能を向上させていた。しかしそれだけでは生活できないからと資産運用の勉強も同時に行い、収入源を増やしている。

 睦月自身、『廃村』という理由がなければ、高校へ進学するという選択肢はなかっただろう。

 生活する上で必要な職も資金も、何なら家もある。自家用車もあるので、街へ買い物に行くことだってできる。インターネットだって、多少は工事費が掛かったものの、設置できなかったわけじゃない。

 つまり拠点を変える理由さえなければ、中卒のまま生きていくことに何の支障もなかったのだ。

 しかし、それも今回の『廃村』で駄目になってしまった。

 社会に深く関わるということは、そこに住む人々とも多く関わっていくということだ。そして、田舎であれば気にされていないことでも、その外だと常識も変わってくる。

 特に……学歴や職歴については。




「ったく親父の奴……最後に面倒事持ち込みやがって」

 公安警察らしき者達の車から振り切れたのを確認してから、睦月は一度、人気のない公園の駐車場に停車した。

 エンジンを止め、ハンドルから手を放して横を見ると、見返してくる一対の眼差しがあった。

「【どうしたの?】」

 人差し指を立てて左右に振ってから、掌を上に向けて振り下ろしてきた。

 緘黙かんもく症、という病気がある。

 睦月の目の前にいる少女、姫香は口が利けない。肉体的損傷はないらしいが、精神的外傷トラウマが原因で、会話そのものを拒絶している、というのが診察の結果だった。

 ただ、二人共手話ができたので、意思疎通に問題はない。それに現代ではスマホ等の情報機器があるので、ただ筆談するよりは楽に、社会生活を送ることができる。それに口が利けない以外は至って健康な為、睦月が姫香を拒絶する理由は特になかった。

 そもそも人間関係自体、極論を言えば相手を受け入れられるかどうかなのだ。ただ話せないだけで否定するのが愚かだということは、中卒の睦月にも理解できた。

 それ以上に、睦月にとって姫香が魅力的だということもあったが。

 ただ、問題があるとすれば、ただ一つ……

「姫香。お前……今気付いたのか?」

 首を縦に振られた。どうやら運転どころか、荷物を載せ終えたことすら気付いていなかったらしい。顔を上げた途端に景色が変わっていたのだ。いきなり状況が変われば誰もが驚くものだが、姫香に関しては完全に彼女の自業自得である。

「いいかげん……そのスマホ中毒を何とかしろ」

 睦月は呆れながら正面を向き、ハンドルにもたれかかった。

 これは睦月の勝手な憶測だが、精神的外傷トラウマなんてものがなくても、姫香はスマホにどっぷりと嵌っていたことだろう。

 そもそもスマホ自体、姫香に教えたのは睦月だった。出会った当時は意思疎通の一助になればと渡したのだが、まさか中毒になるほど嵌るとは思ってもみなかったのだ。

「事情は後でゆっくり説明する。とりあえず今は……」

 身体を起こすと、その勢いのまま背もたれに倒れ込み、ついでにレバーを操作して倒し、寝転んだ。

「……休ませてくれ」

 今日は適当なところに泊まり、明日遠回りして新居に帰ろう。

 気を抜いた途端、睦月の意識は徐々に遠ざかっていった。

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