第6話 また流されるままに


「……はあ」

「お前な。何してるんだよ、殿下の前に出るなんて。何か用があったのか?」

 肩を怒らせ詰め寄るロデルに柚子は頬を掻きながら白状する。

「その……ここを出た時の話をしたかったの……どうなるが分からないし。少しでも希望を聞いてくれたらな〜、と思って……」

 ロデルはぐっと喉を詰まらせた。


「……なら、……」

「うん?」

「──いや、何でもない……仕事中だから、もう行く」

「あ、うん……じゃあ」


 言いかけた何かを飲み込んで、ロデルもまた踵を返して行ってしまった。


「はー。もう神頼みしかないって事よね」

 

 柚子はとぼとぼと自室へと戻った。


 ◇


 その夜遅く、部屋に訪れた予想外の来客に柚子は目を丸くした。


「どうかお願いよ、柚子」

 人目を忍ぶ為にケープを頭から羽織り、それでも隠せないような、全身きらきらとした衣裳で柚子の手を両手で包むのはセレナだ。


「今すぐにここを出て行って欲しいの」

「えっと、あの……」

 こんな時間に? 急に? という言葉が頭を過ぎるものの、セレナの有無を言わさない様子に上手く言葉が出ない。


「分かっていると思うけど、リオの立場はとても悪いものになっている。誤解しないで、あなたのせいではないの」

「……う、うん」

 相も変わらずセレナは遠慮がない。

 或いは自分が穿って受け取っているだけだろうかと、自信がなくなってくるくらいだ。


「──でも、これ以上リオに負担を掛けたくないのよ。その為に彼の過失を消したい。……どうか分かって、柚子」

 真っ直ぐな眼差しは、何の疑いもなく正しい事を告げているという確信に満ちている。

 柚子は過失で、邪魔なのだと。

 きっとその通り、なのだけど──


 神殿の思惑からすれば、柚子は役立たずで邪魔者なのだから。

 だから、

「あなたがいれば、それだけでリオは幸せなんでしょうね……」

 思わず零れた柚子の言葉にセレナの顔が綻んだ。


 リオには恩がある。

 だから消える事が彼の為になるのならば……そうしよう。

 柚子はそっと唇を噛んだ。


(でも、出来るなら本人から言って欲しかったな)

 昼に会ったのに。

 事情を話して、……言ってくれれば。きっと傷つくだろうけれど。目を逸らされるよりずっと、自分の心を手放せたのに。

 

「分かったわ、……でもどこに行けばいいのかな。私には、身寄りも頼れる人もいないから……」

 まさか身一つで追い出されるとは思いたくは無い。死に追いやる事に難色を示すのだから、大丈夫だとは思うけれど……多分。

 

 セレナは労るように微笑み、安心してと請け負った。


「私の侍女の遠い親戚が宿屋を経営していてね、人手を欲しがっているのよ。住み込みで働けるらしいから、そこに行って頂戴。話は通してあるから」

 にっこりと笑うセレナに柚子は曖昧に頷いた。

 侍女なんて、自分にはいなかったな──なんて思いが頭を掠めたからか。

 ここから出られる上、衣食住を提案されるというのに、飛びつきたいと思えないのはどうしてだろう……それより何故か胸が塞ぐようだ。


「さあ、じゃあ行きましょう」

「え……」

 手首を掴み、促すセレナに困惑する。

「善は急げよ。遅れればリオがどんどん追い込まれるんだから」

「でも、急過ぎて……考える時間とか……」

「だって、あなたも出て行きたいって言ってたんでしょう?」

「え……どうして知ってるの?」

 

 思わず口にすれば、セレナの柳眉に僅かに皺が寄った。

「──リオが言ってたのよ」

「あ……」

 

『私がここを出て行く時……』


 そうか、と俯く。

 二人はいつも一緒にいるのだから、相談事も頻繁に行う仲なのだろう。少なくとも柚子が聖女と持て囃されていた時は、リオはいつも会いに来てくれていた。何でも話した。


「うん、分かった……」

 そう思い、気付けば了承の言葉を呟いていた。

 元々働くつもりだったのだ。衣食住ついた働き口なんて理想じゃないか。

 だから、これはまごう事ない自分の意志だ。


「良かったわ! じゃあほら、早く!」


 飛び上がり喜ぶセレナに手を引かれ、柚子は夜の神殿を歩いた。

 神殿の消灯時間は早いけれど、警備がいる筈だ。ずんずん進むセレナに戸惑っていると、迷いない笑顔が振り向いた。

「大丈夫よ、人払いをしてあるの。誰もあなたがいなくなったなんて気付かないし、きっとすぐにいた事すら忘れてしまうから、ここの事は気にしないで」

「……そうね」

 相変わらず柚子の心に棘を刺す言葉選びである。


 でもきっと、そうなるだろう。

 箝口令を敷かれて、人々の記憶から追いやられ……

 やがて、なくなってくれて良かったと、……そう言われるようになるのかと。


 ……本当は、嫌だった。

 邪魔扱いされながらも立ち去れ無かったのは、自分という存在価値を自分で見出せなかったから。


 ここにいたくない。でも、少しでもいいから誰かに認めて欲しかった。


(何だか色々、中途半端ね、私)


 ふらふら、ゆらゆら……流されてばかりで自分は何もしてないし、出来ていない。それで好きな場所に行けないのなら、せめて自分で行き先を決めたかった。


 そしてリオや神官長から労いの言葉は貰えなくとも、せめてここにいた証として、最後に挨拶くらししたかった。

 

(どれも叶わないまま、また流されるのね……)


 セレナが掲げる灯を頼りに。

 使用人たちが使う廊下を通り、人気の無い場所を選んで抜ける。

 暗がりに何度も足を取られそうになりながら、ようやっと神殿の裏門に辿り着いた。


「柚子!」

 聞き覚えのある声に顔を上げれば、私服に身を包んだロデルが駆け寄って来るのが見えて驚いた。


「ロデル?」

「……本当にいいのか?」

 固い表情のロデルに柚子は辿々しく言葉を紡ぐ。


「それは……ここに私の居場所が無い事は、確かだから。でも、ロデルがついてきてくれるの? 迷惑ではない?」

「……ああ」


 ロデルの手が剣の柄を撫でた。

 きっと、セレナの侍女の紹介の宿まで連れて行ってくれるのだろう。確かに自分の夜逃げに付き合ってくれるような人物は他に思いつかないけれど……

「ごめんなさいロデル、ありがとう……」

 ロデルはふうと息を吐いた。

「大丈夫、これでいいんだ」


 小さく笑うロデルと目を合わせていると、セレナがぱんと手を叩いた。

「ね、じゃあ気を付けてね。ロデル、後はよろしく。きちんと柚子を宿まで送ってね。元気で柚子。さよなら!」


 心なしか頬を紅潮させ、セレナは踵を返し神殿に戻っていった。

 その背中をロデルと二人、無言のまま見送る。


「それじゃあ、行くか……」

「うん」


 その声に応じ、柚子は歩き出すロデルの後に続いた。

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