第29話 斎藤・3
道場からは、竹刀を打ち合う音と、隊士達の声が聞こえていた。それらを聞きながら井戸へ向かう。使い物になりそうにない草鞋は、脱いで所定の場所へ放り投げた。
ひんやりとした土を踏みしめながら歩いていくと、井戸のところに山﨑が立っていた。
「お帰りなさい 随分泥だらけになりましたね」
「山﨑さん……」
水は既に汲んであった。それを使わせてもらう。山﨑はずっと待っていて、俺が顔を洗い終わると手ぬぐいを差し出してきた。黙って受け取る。手の平を上にして待っているところに、乱暴に使用済みの手ぬぐいを叩きつけた。
「なんや……随分機嫌が悪いなぁ……」
「あんたが教えてくれた気配の殺し方、土方さんには見破られてしまったぞ」
「副長に使ったんか。そら、無理や」
「何故」
「あの人は、気配を見破る訓練をしてるからな。俺くらいにならんと、気配を消しても意味は無い」
「…………」
「まぁそう焦らんと、な?」
手ぬぐいと入れ違いに、草履を渡された。地面に置き、指を潜らせる。たったそれだけ目を離した隙に、既に山﨑の姿は無かった。
息をつく。自分の態度を思い出し、頭痛がしてきた。手ぬぐいを差し出してきてくれた相手に対して、あの態度は無かっただろうと思う。この一月の間、どうにも自分を制御できなかった。苛々する。焦れる。
(情けない事だ。しっかりしなければ……)
頭を振った。再び大きく息をつき、頬を叩いて気を引き締めた。
「戻りました」
「ご苦労だったな、斎藤君」
局長は、ニカリと笑うと、手を叩いた。小姓が茶を運んでくる。自分でも飲みながら、局長は俺に茶を勧めた。
「いただきます」
「ああ飲んでくれ。歳の奴のいれた茶と同じようにぁいかねぇだろうが、これはこれで美味いだろう?」
「……元々……茶の味など、たいしてよくわからないのです」
「そうか? それにしちゃ、副長室でよく飲んでる姿を見かけるぜぇ?」
局長は、じっと俺を見詰めていた。何が知りたいのか、それを量りかねた。黙っていると、局長が穏やかに笑った。
「どうだ、頭ぁ冷えたかい?」
「…………」
「あいつぁ、結構臆病なとこがある。今は、迷ってるってとこだな」
「何にでしょう?」
「知りてぇか?」
「はい」
「正直だな、お前さんは。ま、おっつけわかるだろう。焦るなよ。お前さんの為にも、あいつの為にも」
「…………はい」
「相棒ってやつを、互いがどう捉えるか、だな。力の天秤がどっちかに偏っちまったら、相棒とは言えなくなるだろ? ま、気負うな気負うな。人間関係なんざ、自然にいい形になるもんだ」
「…………」
「あいつが迷いを断ち切った時ぁ、お前……男の俺でも抱いて欲しくなるってくれぇ潔くって格好いいぜぇ?」
「……あの……抱いたり抱かれたりという話ではないんですが……」
「ああ! そうだよな! そうだったそうだった! 衆道が流行ってるもんだから、どうしてもそっちで考えちまうんだよなぁ!」
局長は、腹を抱えて笑い出した。「だが、本当にな、あいつが本気を出したら、誰も敵わねぇよ…………俺でもな」
そう言って、ニヤリと笑う。
「…………確かに……」
「うん?」
「いえ……お茶、ご馳走様でした。失礼致します」
一礼して、部屋を出る。刀の手入れをする為に、自室へ向かった。
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