第4話

 キギリを先頭に森の中を進んで行くと、突然止まるように指示された。


「……着いたのか?」


 声を潜めながら訊ねると、彼はこくりと頷く。

 続けて、茂みに隠れたまま覗いてみろと目配せをしてきた。


「……?」


 息を殺し、茂みの影からそっと向こう側を覗く。

 すると――、


「……な、んだよこれっ」


 ――そこには小さな洞窟と、ざっと五十匹近いゴブリンの姿があった。


「まさかあんたら……普段は、たった三人でこんな数のゴブリンと戦ってるのか?」

「あ? まあ、そうだな。今日は少ない方だ」


 五十匹はいる怪物を、シアは『少ない方だ』と嘯く。


「……ひょっとして、ゴブリンってのは弱くて五十匹くらいなら問題にもならないとか?」

「いえ。ゴブリンが弱いと言っても、それは単体での話です。奴らの強みはその数にありますから……そう。例えば、開けた場所で一度に二十匹も相手にすれば魔法を扱える者にとっても十分脅威になりますね」


 今、目の前にはその倍近い数が見えるんだが?


「今はまだ数が少ないようだが、これ以上数が増えると集落を襲うようになる。ここで仕留めるぞ。いいな?」

「……っ」


 キギリの言葉に思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 だが、数の多さに面食らっただけで……心構えをしてしまえばどうということはない。


「よし、こっちは四人だ。一人頭、十匹ちょいか」


 「ふぅっ」と息を吐いて気合を入れる。

 しかし、意気込む俺に対して、盗掘団の連中はぽかんと口を開けた。


「トウセイ……何を言ってる? 相手は十匹もいない。せいぜい、一人頭二匹だろ?」

「……あ?」


 キギリの指摘が入った直後、ヴィが顔を背ける。

 どうも、彼は声を殺して笑っているようだった。


「……おい、銀髪エルフ。説明しろ」

「ふふっ――だから、言っておいたでしょう? あのゴブリンは、ほとんどが植物の擬態です」

「は?」


 そう教えられてすぐにゴブリンたちへと向き直ったが……こちとらゴブリンなんて初めて見るんだ。どれもこれもコケの生えたハゲのガキにしか見えんっ!


「くっ……どうやって見分けるんだよっ」


 半ばキレ気味に教えを乞うと、シアが「ったく、これだから異世界人は」なんて言いつつ答えてくれた。


「動いてたらゴブリン。じっとしてりゃ植物だ。そんなこともわからねぇのか」


 ……訂正、これじゃ教えてもらったとはいえないだろう。


「もっと、まともに生物学的、あるいは植物学的な観念から教えられる奴はいないのか」


 毒づいていると、呼吸を整えたヴィが口を開く。


「ゴブリンに擬態する有魔法植物――名をゴブリンオークと言いますが……あれはかなり上手く姿形を真似ていますが、爪や歯と言った部位を再現できていません」

「爪と歯?」


 再び視線をゴブリンたちに投げると……確かに、指先に黄ばんだような白い爪をもつ個体と、指の先まで緑色の個体がいた。

 さらに、その二体を見比べると、片方は定期的に瞬きをし、口を開けて呼吸をしている。

 しかし、もう片方の個体は瞬きもせず、じっと口を閉ざしたままだった。


「……なるほど。爪と歯。それに、瞬きと呼吸の有無か」


 見分け方がわかった後、視界に映る端から当たらめて数を数えていく。

 確かに、キギリの言った通り……本物のゴブリンは九匹しか確認できなかった。


「……それで、どうやって仕留めるんだ?」


 喧嘩に多少の心得はあるが……命の取り合い、しかも森でモンスター相手なんて初めてだ。

 大人しく経験者に教えを乞うと、シアがにやりと冷たく笑った。


「決まってる。魔法で眠らせ、動けなくなったところを殺すんだ」

「…………」


 おそらく、それはシアにとって必勝の戦術なんだろう。

 無論、それが有効な手であることは否定しない。

それこそ、身をもって経験しているからだ。

 けれど、


「なあ、シア」

「あ? なんだよ異世界人」

「連戦連勝の必勝策も繰り返していけば愚策になるぞ」

「お前、知った風に言うじゃねぇか」


 知った風に言うさ……それで負けた国があるって学校で習ってきたからな。


「今度、自衛隊を襲うことがあったら気を付けろ? 絶対に前の作戦は対策されてるからな」

「はっ――お気遣いどうも。だが残念だったな。今回の相手はゴブリンだ」


 シアは見覚えがある手のひらサイズの玉を、ゴブリンたちに向かって投げた。


「対策も何も、ここで皆殺しにするなら関係ないさ」


 手持ち花火に火がついたような音がする。

 あっという間に煙が広がりゴブリンたちが動かなくなると――、


「行くぞ」


 ――俺たちは、各々ナイフを片手に小さな怪物へと近付いていった。



 ゴブリンを殺した後、ヴィとキギリは念のためと言って洞窟の中を調べに行った。

 俺はというと、シアの監視の元でゴブリンオークを調べている。


「遠くから肌に見えたのは緑色の苔に似た植物か……一本の木がゴブリンの形に成長してるんじゃなくて、複数の木が寄り添い合って複雑な形を形成してるんだな」

「…………」


 不愛想な男の視線を感じながら、観察してわかったことを手帳にまとめていく。

 一応、簡単なスケッチも添えてはいるのだが……従姉と再会した時に手帳を見せても『なんだコレは?』と言われる自信しかなかった。


(……カメラでも持ってれば良かったんだけどな)


 こちとら拉致された身だ。

 カメラなんて高尚なもの、持ち合わせている訳がない。

 それこもれも俺を拉致したシアたちのせいなのだが――、


「……へぇ、上手いもんだな。焦げたスクランブルエッグの絵か」


 ――当の本人は、欠片も責任を感じてそうにない。


「うるせぇな、絵は苦手なんだよ! 向こうじゃ絵を描かなくたって、カメラがあれば問題なかったんだ!」

「よくわからねぇが、だったらそのかめらってのを持って来ればよかったじゃねぇか」

「持って来てたんだよ! あんた達が俺を拉致した時、乗ってた装甲車の中になっ!」


 大声で不満を叫んだ後、スケッチに戻る。

 だが、ぷつんと切れた集中力が戻ることはなく……集中力が切れたのなら、好きでもない絵を無理して描きたいなどとは思えなくなっていた。


(……文章だけでいいか)


 しかし――、


「おい。貸してみろよ」


 ――何を血迷ったのか、シアが手帳と鉛筆を寄越せと言ってきた。


「折る気か?」

「折らねぇよ」

「なら、破る気か?」

「んな訳ねぇだろ! 俺が代わりに描いてやるって言ってんだ!」


 ……こいつなりに、こうなった責任を感じているということだろうか?

 無言で手帳と鉛筆を渡す。

 すると、シアは慣れた様子でスケッチを始めた。


「…………上手いな」

「そりゃどうも……」


 それは売りに出されているような力のこもった絵ではない。

 でも、美大生が息抜きにさらさらと描くような……絵の基本を習得した者だからこそできる描き方だった。

 そして、彼の描く線に見入っていると――、


「なあ……お前は、なんで俺達に協力してくれる気になったんだよ」


 ――シアの方から話しかけてきた。


「なんでって、お前……半ば脅迫だったじゃねぇか」


 雑な言葉を投げかけながら、彼の描く繊細な線を見つめる。

 ぴたりと、シアの手が止まった。


「お前、自分のことを嫌いだった奴が、急に笑顔で近付いて来たらどう思う?」

「……何が言いたいか、わからねぇな」

「薄気味悪いって話だよ。拉致した相手に協力的な異世界人がな」

「なんだそりゃ。反抗的な態度でいた方が安心できるって話か?」


 シアは答える代わりに再び鉛筆を動かし始める。

 俺達の間にはしばらく沈黙が続いた。

 だが、先に声を発したのは奴だ。


「そうだな……自分を拉致した相手に脅され、嫌々従う異世界人。何を命じられても反抗的で常に反撃の――あるいは、脱出の機会を窺っている。そういう態度でいられた方が、理解はできただろうな」

「…………」


 きっと、何を言っても信頼されることはないと思った。

 価値観が違うのか、あるいは過ごした時間が単純に短いのか……もしくはその両方か。

 いや、そもそも性格が合わないだけかもしれない。

 初対面は最悪だったし、今もこいつのことが好きじゃない。

 それは、向こうだって同じだろう。

 ただ……信頼はされずとも、ここにいることを選んだ理由くらい知っておいてもらっても良いと思った。


「俺には姉がいるんだが」

「聞いてねぇよ」

「いわゆる腹違いの姉ってやつでね……父親は女に姉を生ませてから別れて、俺の母親と結婚した訳だ」

「……で、勝手に続けるのかよ」


 彼は口では『聞いてない』と言いながら、この場に留まり黙ってスケッチを続ける。

 俺は、そんな彼の隣で続きを話した。


「元々母と姉は上手く言ってなかったんだが、俺が生れてから関係は更に悪化してな。豆粒みたいな頃から散々嫌われたよ。そして、母親が死んでからは余計にひどくなったし、姉の母親と親父が再婚してからは最悪だった……」


 義理の母と姉にいないものとして扱われる日々。

 俺に対する父親の態度も、母が生きていた頃とは一変する。


「そんな中で従姉だけは俺を人間扱いしてくれたよ」

「……その従姉って、お前と一緒にいたあの女か?」

「ああ。元々人間関係――というか、人間に関心の薄い人でね。小さい頃から植物にしか興味がなかった。だからこそ、親族の誰もが腫れ物みたいに扱った俺に手を差し伸べてくれたんだろうが……まあ、本人は手を差し伸べたとも思っちゃいないだろうな」


 いつでも植物のことしか頭になくて、わがままな従姉の言動は理不尽なことも多かった。

 でも、自分の存在を必要としてくれる人からのわがままは……ただの理不尽とは違う。

 彼女が手を伸ばしてくれたあの日から、人生の優先順位は固定されてしまったんだ。


「シア……俺たちが参加したリゼウス王国と日本国の共同環境調査プロジェクトはな、共同と謳いながら調査隊に立ち入りを禁止された区域があるんだ。リゼウス王国内全域での採取は認められているが……わかるか?」

「馬鹿にするんじゃねぇ。要は『どこで何を取っても構わない。ただし、入ってはいけない場所には入るな』だろ? その立ち入り禁止区域ってのは有魔法植物がある場所だよ。あの王が、他国に有魔法植物が持って行かれるのを許す筈がねぇ」


 この時、シアの矛先が俺ではなく、顔も知らない王様に向いてるんだとわかった。

 そして――、


「そうだ。だからこそ、あんた達の出した条件が俺には魅力的だったのさ」


 ――彼は、俺がここで、夜月の盗掘団に協力する理由を知る。


「『リゼウス王国が日本に立ち入りを禁じた場所へ連れて行ってやる』これは俺……いや、従姉にとっては金品よりも魅力的な提案だったよ」

「お前、他人のために自分を拉致した犯罪者と手を組んだのか?」


 手帳から顔をあげたシアの目には『信じられない』と書いてある。

 しかし――、


「他人じゃねぇ……あの人は、俺にとって、たった一人の家族だよ」


 ――これが、嘘偽りない俺の行動理念だった。


「それに、あんた達は正義の味方なんだろ? 犯罪者じゃなく」


 意趣返しにと笑ってみせる。

 すると、シアは「そんなの、キギリが勝手に言ってるだけさ」と素っ気なく答えた。


「ほら、描けたぞ」


 放り投げられた手帳を受け取る。

 そこに描かれた絵は、罫線の引かれた紙の上にはもったいないくらいの出来だった。


「惜しいな。キャンバスに描いて色を付ければ売り物に出来そうだ……なあ、あんた。盗掘団なんてやめて画家にでもなったらどうだ?」


 何気なく、礼を言う代わりに褒めたつもりだった。

 だが――、


「そいつは、俺の夢じゃねぇんだよ」


 ――シアはそれだけ言うと、静かに遠い空を見つめたのだ。

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