第2話
目覚めると、安っぽいログハウスみたいな部屋に一人でいた。
両手足をイスに縄で縛られたまま座らされ……まるで身動きができない。
……どれ程、気を失っていたのだろう。
ぼんやりした頭で最初に考えたのは従姉が無事かどうかということだった。
異世界の文明レベルがどれくらいなのかは知らないが……あんなボロ布と皮鎧を付けた男達たちが女性を丁重に扱うとは思えない。
「いち姉……」
意識が明瞭になればなるほど、焦燥感が募っていく。
しかし、拘束状態から抜け出そうともがき暴れた所でガタガタと騒音が生れるばかり……。
「……くそっ」
そして、ひとしきり暴れ無力感を噛みしめていると……誰かが、この部屋へ近付いて来ていることに気付いた。
木製の床を軋ませながら足音が大きくなっていく。
「…………」
脳裏に浮かぶのは金髪と黒髪の男たち。
生唾を飲み込み、これからどんなおもてなしを受けるのかと身構えていたのだが――……ドアを開けて現れたのは、ぴんと耳の尖った美しい銀髪の女神だった。
いや、正しくは、異様に顔立ちの整った少年だったのだけれど……彼が声を発するまで、まったく性別に気付くことができなかった。
しかし、美し過ぎる容姿のおかげで、彼こそがエルフなのだと直感する。
だが、彼がエルフだからといって何だというのか。
女神と見紛う銀髪の少年エルフだからといって、俺を助けてくれる訳ではない。
その証拠に、彼が縄を解いてくれることはなかった。
代わりに、吸いのみのような道具で飲ませてくれたのだけれど……これは監禁中、彼が世話係ということだろうか?
「……なあ、ここはどこなんだ?」
通じる訳がないと理解しつつ、訊ねてみる。
すると……彼は俺の額へ触れるなり、異国の言葉こぼしてから立ち去った。
「…………今、なんて言ったんだ?」
再び、一人きりになった部屋で溜息を吐く。
一瞬、死ぬまでこんな生活が続くのかとも思った。
けれど、変化は案外早く訪れる。
ただ、まるで予想できなかったのは変化が生活にではなく、俺自身の身に起きてしまったことだ。
監禁生活から三日。
俺はどういう訳か、異世界の言葉を理解できるようになってしまった。
◆
「昼食は美味しかったですか?」
涼しげな笑みを浮かべ銀髪のエルフ……ヴィ・コルキアがコップへ水を注ぐ。
「ああ、最高だった。お礼に今度は俺が昼食を作ってやりたいね」
にやりと笑って返すなり、ヴィは「縛られたままで?」なんて相槌を打ってくる。
「わかるだろ? 解いてくれって言ってんの」
「それは、私の一存ではなんとも」
その後、ヴィは吸いのみを俺の口へ突っ込みながら「ずいぶん話せるようになってきましたね」とのたまった。
「…………おはへさまでな――けど、こっちの言葉を理解すれば理解するほど日本語がおぼつかなくなっていくんだろ?」
「ええ、まあ。アナタに施したのは言語を置換していく呪いですから……」
「……呪いねぇ」
「でも、安心してください。最終的に二万語くらいで置換は止まります」
「……二万?」
母国語の単語を三万も忘れてしまうことに……どうすれば安心できるのだろう?
「置換された言語の再習得に必要な時間は、最初から異国の言葉を覚えるよりもずっと楽だそうですよ」
「……はぁ。それを聞いて安心できたよ」
皮肉が通じてしまったのか、ヴィがくすりと笑う。
「これだけ話せるのなら、もういい頃合いですね」
「頃合いだと?」
首を傾げた途端、彼は「あなたに、会ってもらいたい人たちがいるんです」と告げた。
◆
『会ってもらいたい人たちがいる』と言ってヴィが連れてきたのは、俺を襲撃した二人組の男達だった。
当然、この展開を予想していなかった訳ではない。
だが――、
「手荒な真似をして申し訳なかった。最初に非礼を詫びさせてほしい」
――ボロ布を脱いだだけで、金髪の男に抱く印象が一変してしまったことは予想外だ。
今の彼には、どこかの貴族や王族だと言われても頷ける程に気品がある。
まあ、気品があるかといって物怖じするほど、こちらの育ちはよろしくない。
「まず最初に聞きたい。俺と一緒にいた女性はどうした?」
不遜な態度で応じてみても、彼の穏和な表情が崩れることはなかった。
「というと、我々の襲撃時にあなたの傍にいた従者ですか?」
「……従者?」
むしろ、金髪の言動にこちらが顔をしかめてしまう。
まだ、異世界の言葉が上手く置換されていないのだろうか?
言葉の端々に疑問を抱きつつも頷いてみせる。
いち姉は従者どころか直属の上司だが……あの場に女性は彼女しかいなかったからだ。
「ご安心を。彼女には指一本触れていません。おそらく、あなた方の護衛を務めていたジエイタイと共に無事拠点へ戻られた筈です」
「それは……良かった」
ひとまず、従姉が無事なのは喜ばしい。
けれど、やはり金髪の言葉に疑問は尽きなかった。
だって、わざわざ自衛官が護衛する人間を襲っておいて、俺だけを攫った意味がわからない。
あの場にいた者を連れ去る際、自衛官を選ばず非戦闘員を選んだ心情は理解できる。
ただ、それなら、いち姉と俺……二人を攫ってもよかった筈だ。
というか、腕力のないいち姉だけを狙った方が都合が良かったのではないか?
なのに何故、ガタイの良い男だけを拉致したんだろう。
「なあ、あんた……なんで俺なんかを攫ったんだ?」
一人で考えても答えが出る筈もなく、思わず訊ねてしまう。
すると金髪は大真面目な顔でこう言った。
「それは、あなたの知識をお借りしたかったからですよ、博士。我々には異世界の植物に詳しい知識人の助力が必要なのです」
「……知識人?」
「ええ、そうです」
「……俺が?」
「はい」
次の瞬間……俺は、どうしても笑いを堪えることができなかった。
「くっ、くく……あははははははっ」
突然笑い出したことで男達から奇異の眼差しを向けられる。
黒髪の男なんて、出会った時と同じ殺気に満ちた目をしていた。
けれど、これが笑わずにいられるか。
「そうかっ! なるほどな! 俺が博士だって? ざまあみろだっ!」
「……ザマアミロ?」
途中、日本語が混ざったらしい。
要領を得ず綺麗な顔に動揺が見て取れる金髪。
呼吸を整え、彼に真実を告げてやった。
「わからないか? あんた達はハズレを引いたんだ」
「ハズレ?」
「あんた達の欲しかった『博士』は俺の従姉……つまり、女の方だ。俺は彼女の縁故採用で拾ってもらったただの就職浪人だよっ」
「……は? それは、つまり――」
「あんたら風に言えば、俺の方が従者だったってことだ」
嫌味な程の美青年……気品に溢れた表情が崩れる。
こんなことで自分の状況は変わらないが、従姉の無事がわかり、同時にこの優男に一泡食わせてやったという喜びに笑いが止まらなかった。
しかし、そうして笑っていられたのは一瞬だ。
「やっぱりな」
黒髪が俺の額へ短い杖を押し付ける。
彼は眉間に深いシワを刻みながら――、
「だから言っただろう、二人とも攫えば良かったんだ」
――冷たい声でそう言った。
黒髪の険しい表情……棒切れを押し付けられているだけなのに、銃口でも向けられているような気分になる。
直後――、
「やめないか、シア!」
――金髪の男が声を荒げ、まさかと一つの可能性に思い至った。
(エルフの次は、魔法使いかよ……)
異世界の魔法使いがどんな力を使えるのかはわからないが、生意気な人質を黙らせるのに不足はないだろう。
「あんたら、俺に協力してほしいんじゃないのかよ……これじゃあ脅迫だぜ」
無理矢理に貼り付けた笑顔で黒髪を睨む。
すると、相手は「協力してほしいのは嘘じゃないさ」と返した。
「俺に、犯罪の片棒を担げって言うのか?」
黒髪の口が開く。だが――、
「そうだ」
――肯定の言葉を聞かせたのは、金髪の方だった。
「この国では王の意思にそぐわないものは皆、罪に問われる。故に、君がこれから行うであろう善行は、そのどれもがみな罪だ」
罪……そう口にした男の表情は晴れやかで、まるで自分の行動に後ろ暗いことはないと言っているようだった。
「あんた達……レジスタンスか何かか?」
「その『レジェスタンス』と言うのが何かはわからないが……君にもわかりやすく伝えよう。我々はつまり、正義の味方だよ」
「……正義の、味方?」
今、彼の言葉を疑うことは容易い。
しかし――、
「不服か?」
「……いや」
――殺気をまき散らす黒髪の前じゃ、下手なことは言えなかった。
「それじゃあ。まず、協力してくれた場合の見返りについて話そうか」
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