拾ったのは生体兵器 3


「ここ」


「……」


 家は学校から徒歩で15分くらいの場所にある。自慢じゃないけどそこそこ大きい家だ。ここに来るまで薄汚いナリの子どもを連れて歩いているので、突き刺さる視線の痛みは覚悟していたけど、運よく誰にも気づかれずにここまで辿りつけた。

 私は庭の方に回ると、犬小屋で寝ているチベタン・マスティフの『らいおん』を見つめた。文字通りライオンのたてがみみたいに毛深いから『らいおん』。我ながら安直すぎる。昔は背中に乗って遊んでたけど、原産国では闘犬種というだけあってその気になれば今でもできそうなくらい大きい。だからか穏やかな性格だけど他人にはかなり怖く見えるらしく、母さんの友達は家に来ても庭に寄ることはまずない。

 そんでもって、コイツが寝てるということは母さんはジムに行ってるようだ。家にいたら構ってほしくて窓際で丸まっている。

 私はドアを開けると、玄関にカバンを置いて靴を脱いだ。それに合わせてこの子の足を見て、裸足だっだことを思い出した。どうしよう。絶対床が汚れる。この子はというと、廊下の先の方をじっと見つめている。


「ちょっとこれ履いてもらえる?」


 私は靴箱から健康サンダルを取り出すと、これを履いて脱衣所まで行ってもらおうとした。


「これふんだらあしがズタズタにならないのか?」


「そんな拷問道具はウチにはないなぁ」


 足つぼを刺激する表面の無数の突起を警戒したらしい。この子にドリアンとか見せたら失神しそうだ。可能ならやってみたいところだ。

 その子はしばらくサンダルを見つめていたが、やがて恐る恐る履いてみた。入れた瞬間に彼の首筋に鳥肌が立ったので、痛いし相当嫌だというのが見て取れる。かわいそうなので早く脱がせてあげよう。


「ここが脱衣所、じゃあ服……みたいなコレ脱いでもらってもいい? というか私の昔の服貸すから君のボロボロの服捨てていい?」


「……好きにしろ」


 そうぶっきらぼうに言って、この子は私の目の前で服を脱ぎ始めた。いや解き始めたと言うべきかな。やはり下は裸だった。見た感じ8歳くらいだろうからまだ羞恥心とかはないのだろうけど、私の方は少し目のやり場に困った。性別は今確認したけど男の子だった。

 しかしひどい。よくここまで二足で歩けたなと思うくらい痩せぎすだ。テレビでよく流れる寄付を募るNGOのCMの、腹水がたまった発展途上国の栄養失調児が脳裏をよぎった。

 そして、問題が1つ。


「君、シャワーとか使えないよね?」


「なんだそれ?」


 やっぱり。だって普通に生きてる私ですらこのくらいの時はまだ一人で風呂に入れなかったんだから、こんな浮浪児の子が知ってるわけないもん。やっぱり私も入るしかないか。いや、風呂に入れると自分から言っといて連れてきたら後は放任なんてのはダメに決まってるか。


「ちょっと待ってて」


 私はこの子が脱いだボロ布を掴んで脱衣所から出ると、ゴミ袋にそれをブチ込んでから2階のトイレに駆け込んで、抑えていた吐き気を便器にぶつけた。


「あースッキリ」


 胃の中身を出したら気分が晴れたから横の蛇口を捻って口をゆすいでから自室に入る。箪笥を開けて、私は替えの下着とパジャマを取り出した。次に一番下の引き出しを開けると、衣類を掴んでは放り投げて、奥底にあった私が小学生の頃に着ていたキリンの絵がプリントされたパジャマを引っ掴んだ。

 男の子用のパンツを道中のコンビ二で買うべきだったけど失敗した。仕方ないからここは我慢してもらおう。

 私がついでに制服のブレザーをハンガーにかけてから2分足らずで戻ってくると、この子は歯磨き粉を食べる寸前だった。食い意地強すぎない?

 私は多少の抵抗を覚えながら、スカートと靴下を脱ぎ、シャツの襟元のリボンを取ってからボタンも外して下着姿になってブラのホックに指をかけたところで裸になるべきか考えた。

 いや、どの道後で入るし、既にこの子の臭いが身体に染みついてしまってる。いくら男でもこんな子なら襲われる心配もないだろうと、背中に冷や汗をかいたけど私は全裸になった。

 そんでもってこの子は、私には目もくれずに父さんのカミソリを握り締めていたので安心した。詩音曰く私は歳の割に胸がかなり大きい方らしいから学校では視線が気になるけど、小さな子ならいやらしい目で見られる心配はないだろうな。


「じゃあ入ろうか」


 そう言って、私はこの子から先に浴室に入るように促した。これでやっとこの悪臭からも解放されそうだ。おっと換気扇をつけとかないと。

 すると、この子はバスタブの上にある小窓を背伸びして開けようした。


「ダイジョブだよ。換気扇つけてるから……あ」


 違う、さてはこの子まーだ警戒してるな。何かあったらそこから潜って逃げる気か。

 そうか、今さっきカミソリ掴んでたのも万一の事態になれば私を……。何かやたら今日の私は勘が鋭いのは何故だろう。

 どうしよう。窓は小さいし隣は一階建てで塀が隔ててあるから覗かれることはないだろうけど、素っ裸の状態で外と繋がっているというのは恥ずかしいものがある。何より死ぬほど寒い、今2月だ。しかし、今はこの子を刺激しない方がいいかと考え、私は自分で小窓を開けた。意外そうな目でこの子は私の顔を見た。

 そうして、私はこの子を座らせるとシャワーのお湯を出して頭にかけた。するとたちまち背中を伝って排水溝に向かう湯水は濁った灰色となり、髪に絡まった蛾の死骸まで落ちてきた。


「これはちょっと重労働になるかな」


 私が髪に手を入れて泥とかゴミを払い落とし、固まった髪が柔らかくなってちゃんとシャンプーが泡立つようになるまでにたっぷり5分はかかった。何とかシャンプーを済ませて次は身体を洗おうとした時に、私はこの子の細い身体にあるあるものに気づいた。

 この子、腕に入れ墨がある。相当前に入れられたのか入れたのか、大分色褪せて痣のようになってるけど、辛うじて数字で16というのは読めた。まるで識別番号のよう。

 私はこの子が虐待から逃亡してきたのかと思ってたけど、もしかしたらこの子はもっと闇が深い場所から来たのかもしれない。

 不謹慎かもだけど、なおさら彼の正体に興味が湧いてきた。

 私はそんなことを思いながら、この子の身体に泡塗れのタオルを擦りつけていた。少しは抵抗されるだろうと覚悟していたけど、一度浴室に入れればらいおんに比べたら遥かに楽だった。

 アイツデカすぎて私はバスタブに入らないと洗えないし、抜け毛の掃除も大変なのだ。何より洗ってる最中、私にいじめられてるみたいな悲痛な声で鳴き出すし。

 私は自分のことは後回しにして、母さんの高いボディソープで入念にこの子を洗ってあげた。さっきからこの子一言も喋らないけど、どうしたんだろう。流石に恥ずかしいんだろうか。

 そんなことを肌寒い中で考えていたら、いつのまにか身体も洗い終えていた。視線を下にすると、見違えたように綺麗な髪になった子が鏡に映った自分を見ていた。

 私もこの子がどんな顔をしているのか見たかったので、屈んで鏡を覗き込んだ。


「もしかして君、外国人?」


 改めてこの子の顔を見てみると、この子は熟れたトマトのように鮮やかな真紅の瞳を持っていた。目ヤニでよく見えなかった。それに肌も白くて鼻は小さい。痩せこけているけどかなりの美少年と言っていい。

 逆に考えれば、人種の判別もつかないくらい汚かったのか。そんな子を身綺麗にさせた自分が何だか誇らしくなってきたぞ。私はいつの間にかこの子の上半身に腕を回して、背中に胸を押し付けていた。普通なら濡れた肌はすべすべしているものだけど、この子はガサガサしている。私は冷気で冷えないようにと強く抱き締めた。


「どこの国から来たのか言える?」


「……それは……」


 その子は鏡の中の問いかける私の顔を一瞥してから俯いてしまった。どうも言いにくいらしい。アメリカとかイギリスの子? いや、外国人の割に日本語が上手に話せるということはひょっとしてまさか。


「あ、もしかして君、マチリークから来たの?」


「……!」


 冗談交じりに私がそう言うと、窓から差す光でつやつや輝くこの子の肌にぽつぽつと鳥肌が浮いたかと思えば全身が細波のように震えた。この子に触れているからかそれが我が身のように感じられて、思わず私も身震いして生唾を飲んだ。この怯えた小動物みたいな感じかわいい。


「フゥー……スゥー……フー……」


 さて、これは我ながらヤバい扉を開けちゃったかな。

 すると、後ろのドアが開き、いつのまにか帰ってきていた私の母さんが不思議そうにひょいと顔を出した。


「あっ」


「開けてごめん千明、アンタ一体誰と一緒にお風呂入ってん……え、誰その子!?」


「あ……道で拾った」


「ひろった……」

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