第102話 神よ、なぜわれらを見捨て給うたのか

 クロパトキン大将指揮の第2シベリア軍団は、早朝にドン川から出撃したブルシーロフ少佐の第11騎兵団を先鋒に急進し、午後4時過ぎに市の北郊ルイノクで待望の日本海に達した。制圧目標とされたのは、官公庁やウニヴェルマーク・デパート、二つの駅と港湾のある市街地南部だった。


「迅速に中心街へ突入せよ!」

「我に続けぇ!!」


 高層建築物の並ぶ市域へ突入した歩兵部隊は、すぐに足を止める。

 瓦礫によってメインロードは既に塞がれていたのだ。


「これは…。」


 引き返すか、瓦礫を吹き越えて進むか。

 決断に迷う部隊長の頭を――刹那、銃弾が吹き飛ばす。


「将校級、1名撃破」


 戦果を呟いて、仙台の所属章を提げた老兵は次弾を込める。

 東北狩人。

 またの名を、マタギ。


 日清戦争後の好景気による近代経済の地方への普及、輸入毛皮との競争。近代価値観の流入による、熊や鹿の胆肝の需要激減。

 様々な要因で生計が成り立たなくなってきた伝統猟師たちを、狙撃兵として特別錬成過程へ雇い入れた仙台鎮台は実に賢明だった。


 永らく奥羽の険しい山々を狩場として、木々に潜み静寂のうちに猛獣を撃ち殺してきた彼らの腕は、世間から不要とされて腐り落ちる前に、陸軍に拾われた。

 雇用安定という皇國の社会福祉事業の一環でもあったのは確かだが、それ以上の絶大な副効果を仙鎮は手に入れた。


 皇國の陸軍師団の編成は通常、1個連隊のもとに3個の歩兵大隊が直属するものであるが、仙台鎮台――史実の名を『第二師団』――に限っては、隷下の連隊に2個の歩兵大隊と1個の狙撃兵大隊を編成。

 鎮台全体では狙撃兵大隊4個、総計約2600の辣腕の狩人が所属。


 宮城野陸軍工廠は標準装備の三二式歩兵銃を改造、彼ら専用の狙撃銃を作り出した。何度も試作品を手渡して、実用の可否や便利な点不便な点をマタギたちから聞き、改良してまた試用という試行錯誤の連続だったが、この末に1901年の秋には『三五式狙撃銃』として制式採用が決まる。


 宮城野工廠に専用生産レーンが設けられ、仙鎮は予備も含めて3年間で3000の狙撃銃を用意した。皇國の工場生産能力では妥当なラインだ。


 三二実包6.5mmが小口径軽量であるせいで7.7mmの試作品より弾道が安定しづらかったり貫通力に劣ったりする欠点があるが、狙撃銃専用に7.7mm弾を製造して前線で使い分けるなどという高等テクニックを皇國が為せるはずもない。

 通常歩兵との互換性を優先させた結果となった。


 マタギたちの中には、スコープ代わりに大曲や天童の万華鏡の伝統工芸師たちに、その技術の応用での拡大鏡を依頼する者も現れた。

 受け取ったそれを徹底的な演習で使い慣らし、射撃照準は実弾の飛翔結果に合わせて狙撃手たち一人ひとりが書き入れていった。そういうふうに、基本はマタギたちの個人技が命脈を繋ぐこととなる。


 ゆえに狙撃銃が、その銃身に比べスコープだけめちゃくちゃに凝ったデザイン(しかも狙撃手一人ひとり違う)をしているのはご愛嬌だ。


 ――「英雄ノ凱旋」作戦で仙鎮の1個聯隊をまるまる失ったのは大痛手だった。

 600に及ぶ貴重な精鋭狙撃手を含めた聯隊1個を溶かすには、あまりにも得たものがなさすぎた。

 けれど――残る約2000の狙撃手マタギは、刻下、市街地へ溶け込む。貴重で数の少ないロシア士官を、片っ端から暗殺するために。




『ウラジオストクは、もはや街ではない。』




 廃墟から通るマタギたちの射線に、次々と高級将校が狩られていく。

 指揮統制を失って更に混乱する歩兵たちに、死の巨影が建物の間から覗いた。

 攻撃飛行船はその毎分600発の猛威を、無防備な地表へ撒き散らす。


「うわぁぁっ!?」

「ぎゃ、俺の、俺の足が!」

「なぜだ!なぜ近接航空支援が?!」


 さらに、瓦礫の間に設営された機関銃陣地も次々と火を吹く。

 指揮官を失った歩兵部隊は、無防備のまま十字砲火の餌食となった。


「ぐぎゃぁっ!」

「た…助けぐぶッ」

「なぜ敵の地上戦力が残ってる!?」

「砲兵はなにをやってるんだ!」

「下等生物どもは街ごと吹き飛ばされたんだろ!?」

「飛行船だけで足掻いても無駄だというのに…!」


 口々に不平を噴出させるロシア兵。


「掃討戦だぞ、フィナーレだぞ!ここで大規模戦闘などあるわけがないんだ!」

「クソっ、! 新兵器のところまで後退するぞ!」


 一目散に退却を始める兵士たち。


「対空戦闘用意!」


 ひとつ後ろの街路で、運び込まれた新兵器が砲口をキリキリと上げていく。

 通常の砲の仰角をはるかに越えて、その照準器が狙うのは空のただ一点。


「爆発高度3000、撃ち方始め!」




『日中は、火と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない。』




 続々と空へ灰黒の花火が咲いて、またたく間に2隻の飛行船を撃墜する。


「な…っ!?」


 絶対的な天空の覇者であった浮遊要塞が呆気なく火を吹いて墜ちる様に、皇國将兵の誰もが愕然とした。中尉章を提げた別海べっかい睦葉むつはとて、それは例外ではない。


「なんで…、あんな一瞬で…?」


 攻撃飛行船が掃討に近づこうとするも、地上の砲のほうが射程は遥かに長い。容易に近づくことも出来ず、逃げることしかできない。

 航空支援が途絶えた隙を見計らって、ここぞとばかりにロシア歩兵が反攻を始める。


「突撃ィっ!」

「我に続け!」


 金鷲をあしらった三色旗が靡いて、半年ぶりにウラジオストクへ母国の旗が翻る。

 しかし、そこへ現れるのは歓迎の声を挙げる市民ではなく――迷彩柄の大鉄塊。


 ゴゴゴッ…オォ――!


 履帯を唸らせ瓦礫を踏み越え、銃口を歩兵の大部隊へ突きつける。


「っ!不味い、伏せ…」


 もう何も言わせまいとて、死神は鎌を振り下ろした。


「ギャァァ!脚が、脚が!」

「ど、どうして装甲器械がいる!」


 続けて瓦礫の山から飛び出す皇國歩兵部隊。

 戦車の援護のもと、突撃喇叭ラッパを鳴り響かせて軍旗を先鋒に突き進む。


「ぜんぜん敵の地上軍は残ってるじゃないか!」

「どうしてっ、どうしてこの瓦礫の山で生きている?」

「一晩掛けた援護射撃はなんだったんだ!」


 濃密な弾幕に次々と倒れていくロシア兵。


「砲兵へ援護要請!敵の地上戦力はまだ生サボりやがってき残ってるクソ野郎、と!」

「もう既にやっております!」

「っ、ならなぜ援護射撃が来ない!?」


 遠くで着弾音が響く。

 はるか遠くの方だ。それこそ、市街地の北の端のほうで。


「……おそらく、届いていないのかと」

「届かない、だぁ!?貴様、重砲の射程を舐めているのか…!」


 一向にここへは砲弾が降らず、向こうに時折見える弾道はその全てがここよりはるか手前で、建物の影に消える。


「思うに、近代市街地は…高層で堅牢な建築物が多すぎて、重砲では破壊しきれないのかも……」

「馬鹿を言うな!なら何のための準備砲撃だ?!」

「けれども事実、遮蔽物に遮られて砲撃が届いておりません…!」

「ぐぅ…っ、クソッ!」


 ロシア軍はパンクしている補給線をどうにかやりくりして、攻略に最低限必要な砲弾を沿海州へ運び込んだ。つまるところ、ロシア軍は昨晩通しで砲弾を撃ち尽くし――今注いでいる砲撃も、雀の涙ほどの残弾を使い切っていることは容易に想像がつく。


 けれど、その全てが無駄であったのなら。

 市街地という戦場に重砲は端から効かなかったのなら、あまりにも残酷だ。


「重砲が、効かない…だと?」

「っ、ならもっと砲兵を前方へ進出させれば!」

「大きすぎて市街地へ搬入できません!」

「そん、な…。」


 一連の流れを路地に潜んで窺っていた別海も、ここに至って動くことを決意する。


「…我々も動く。直衛中隊、進発。」

「しかし総長代行、どこへ」

「敵の新兵器を破壊する。あれを壊さない限りは、航空支援が戻らないから」


 別海の命にしたがって、市街地に唯一有効な『重砲』を――重迫撃砲を携えた中隊が裏通りを進み始める。背後から敵を葬り去るために。




『まるで炎に照らし出された巨大な炉のようだ。』




 ロシア歩兵は戦術を、対空砲の射程範囲内庇護下における展開へ切り替えた。

 範囲外への進攻には煙幕を使い、狙撃と航空支援の猛威を掻い潜ろうとしたが、物資不足に悩まされるロシア軍は早々に煙剤不足となってしまう。

 さらに、将校の狙撃が深刻になるにつれて悲惨な人事も目立つようになってきた。


「まずは狙撃部隊を撃滅しろ!」


 将校の致死率高騰に音を上げたロシア軍は、マタギたちが潜む建築物の制圧を優先することになり、歩兵部隊を分隊単位に細分化して廃墟の確保を開始した。


 しかしながら、そこへ中央即応集団『桜花』が回り込む。


「突入、突入、突入ッ!」

「ウラァぁぁぁッ!!」


 ロシア式の号令とともに1階へ侵入した歩兵たちは、まず入口に仕掛けられた即席の硝安爆薬トラップの餌食となる。

 それでも物量に物を言わせてなだれ込むロシア軍は階段付近で大規模な犠牲を出しつつ2階へと到達した。するとすぐさま皇國兵は3階へと退避する。

 一転、もぬけの殻となった階層に呆然とするロシア兵。


「焼撃兵、噴射用意」


 そこに差し込まれるのは火炎放射器の管。


「噴射」


 静寂なる密室を業火が焼き尽くす。

 一瞬で酸素を奪われたロシア兵たちは肺臓まで火傷して死に絶える。

 大慌てで階下から外へ逃げ出すロシア兵を、屋根に陣取る歩兵たちが無慈悲に鴨撃ちする。


 ただそれでもロシア軍を押し止めるには数が足りない皇國側は、一旦の離脱を決めて、屋根を渡って退却していった。


「進めッ!掃討戦で苦戦など列強の恥だ!!」


 安堵と復讐感情に突き動かされるまま、次の建築物へ進んでいくロシア軍。

 その直下を――真逆の方向へ突き進む影が、いくつか。


「地上、上空、そして地下。三次元の戦争芸術ってやつを見せてやらなきゃねっ!」


『桜花』の旗手たる晩生内おそきないは笑う。


 張り巡らされた地下道と下水道を縫って、皇國兵は突出したロシア歩兵部隊の背後へと回り込む。

 まさか悪臭と汚物にまみれた下水道に人間が入り込むとは思わなかったのだろう。マンホールから飛び出してきた皇國兵士を最初に迎えたのは、ロシア軍の前線指揮所だった。


「なッ、なぜ奴らがここに!!?」

「下水道だと?!蛮族め、汚らしい!」

「ぎゃァっ、助けてくれぇ!!」


 突撃喇叭ラッパと、靡く軍旗。

 久しく太陽の光の差し込まない粉塵の廃都に、旭日が翻る。


「撃て撃て撃て!」

「止まるな、進めぇっ!」


 ここに留まらず、同時多発的に前線指揮所を地下から強襲されたロシア軍は、指揮系統をメタメタに寸断されて麻痺してしまう。


「空挺団、降下用意。」

「降下地点確認。敵影見えず」

「用意ィ、用意、用意――降下ァッ!」


 その一瞬を突いて『桜花』隷下の空挺団が上空に展開、落下傘でロシア軍正面部隊の後背の廃墟群を空から制圧する。

 地下と上空から挟み撃ちの奇襲を食らったロシア軍は、突出部分を包囲される。

 その数およそ8万。

 貴重な対空砲2門を含め、数多くの戦闘物資とともにロシア軍主力は、中心市街地に取り残されたのである。




『それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえ下水道に飛び込み、必死に泳いで海にたどり着こうとした。』




「なんなのだ、ここは…。」


 マッカーサーは愕然と、崩れ落ちた廃都に佇む。


「掃討戦?狂ってる。こんなもの、『戦争』ではない…!」


 そう葉巻を握りつぶす合衆国軍人。

 そこへ一人のプロイセン将校が声をかける。


「どうかな。我々も10年後には、ヨーロッパでこれをやっているかもしれない」

「ふざけるな、我々文明人は下水道を這おうなど思わぬ!」


 グォォン、と遥か高空に器械音が響き渡る。

 二人の観戦武官が見上げた先には、羽ばたかない鉄の怪鳥が映っていた。


「なん、だ。あれは……!」

「飛行機、と言うらしいな」


 主翼に赤い丸を描いて飛んでゆく人工物に、合衆国軍人はあんぐりと口を開ける。


「人間が…空を、飛ぶ?空気袋もなしに、機械だけで…??」

「偵察用の新兵器だそうだ。ロシア軍の対空火器の充実で、飛行船では被弾率が跳ね上がってしまうのだと」


 流暢にルーデンドルフは語るものの、その兵器のどれをも米独は有さない。世界覇権の座を競う両国が理解すらできない兵器が、極東の隅で急速な発展を遂げていく。大きくプライドを傷つけられたマッカーサーは、顔を背けて奥歯を噛んだ。


「神のおわす空に踏み込もうなど…、発想自体が劣等人種なのだ…!」


「いつまで言ってられるかな。きっと5年経たず、あの飛行器械は機関銃や爆弾を積み始めるぞ」


 きっ、と振り返るマッカーサー。


「我ら優等人種ならとっくにバカバカしくてこんな戦争やめておる!」

「……」

「どれもこれも、白人より知能が低く、理性のない有色人種ゆえの行動だ!」

「けれども、それにスラヴ人共は付き合っているんだよな」


 ルーデンドルフは煙草を吹かす。


「いいや、付き合うばかりか日に日に戦火は燃え広がり、激しさを増している。どうしてだろうな、植民地人さんよ?」


「文明国には、美学がある。」


 マッカーサーは段々と語気を強めていく。


「文学もある。哲学も、倫理もある!」

「だからどうだというのだ?」


「文明国の軍人は、"戦場美"というものを持つのだ…! 千年前から騎士道精神を育んできた我々が、その根幹たる騎兵を否定するような…そんな戦争を、やるはずがない!」


 彼は息を継ぐ。


「生存本能のままに醜く殺し合う有色人種とは違うのだ!!」

「どうかな、我らとて感情に走ることはある」

「奴らはモンキーで、我々は人間だ!」


 そう吐き捨てて合衆国軍人は、踵を返した。


「白人は決してこんな戦争はしない。理性ある我々には有り得ない話だッ」


「……さぁ、どうだろうな。」


 去っていくマッカーサーの背中に、届かないとわかっていて。


「我々はフランスという宿敵と、狭い土地を巡って数百年前からいがみ合っているから、思うのかもしれないが…。」


 ルーデンドルフは静かに呟く。


「人間というのは案外、賢明でない選択肢ほうを平然と取るときもあるから、な」




『動物さえこの地獄から逃げ出す。人間だけが、耐えるのだ。』




 言い聞かせるように、含みのある声が、廃墟の瓦礫に吸い込まれてゆく。


「満州――西部戦線での牽制の賜物か、ここに展開する敵軍の飛行船は30隻強しかいないのが唯一の救いだな。」


 もうずいぶん兵士は死んだ。

 凱旋だと思っていた掃討戦がこんなことになるなど、誰が想像できただろうか。


「歩兵部隊の飽和突撃で地上掃討の隙を与えず、稼いだ時間で騎兵が迅速に市街を制圧する。多大な消耗と犠牲を出しているが……これしかない」


 かつての満州軍司令はうなだれる。握らされた皇帝命令21号を前に、タイムリミットが迫るロシア軍は「逐次投入」を選ばざるを得ない。


 爆撃と火災により瓦礫の山と化した廃都。

 掃討戦はフィナーレでも何でもなかった。建物一つ、部屋一つを奪い合う制圧戦は、もはや普仏戦争のパリ市街戦では説明がつかないほどに別物ベツモノであった。


「これが……20世紀の、大国間戦争か」


 当事者たるロシア帝国と皇國はもちろん、この果ての死地へ降り立った各国の観戦武官たちも理解させられただろう。

 仕組みからして違う、『総力戦』の概念を。――感情に突っ走って身を投げる、人間の愚かさを。


「大国、と呼ぶか。有色人種の国を?」


 総司令のグリッペンベルグが、クロパトキンへ声をかける。


「戦死比を見れば歴然だろう。肌が白さで頂点に立てる時代は、じき終わる。」

「……しかし、奴らは文明を」

「そうだ。文明の破壊者――『異文明』だ。」


 ぐっと息を呑んで、グリッペンベルグはこう返す。


「有色人種の、文明だと……。悪夢だな」

「はは、全くその通りだ」


 クロパトキンは頷いた。

 けれどな、と言葉を継ぐ。


「清朝の洋務運動も、シャムの近代化運動も見てきたが、どれもが我ら西洋の模倣に過ぎず、結局は西洋文明だった。どれもただの猿真似なのだよ」

「……むろん。文明を受容することはできようと、独自で作り上げるなど」

「けれども、この国だけは違った」


 直上を指す。


 グォォぉォ――!

 プロペラを唸らせながら三段複葉機が飛び去っていく。


「飛行器械。ついに……ヨーロッパが作り出すことができなかったものだ」


 当然皇國より早くライト兄弟が飛ばしているのだが、合衆国の片田舎の発明をロシア軍人が知るはずもない。大々的に軍事投入した皇國のほうが知名度があった。


「制空権。戦場を三次元化させるなどという発想は、騎兵を誇りとし、それを戦場の花形に据える我ら西洋の考え方とは……相容れない」


 平面を駆け回って歩兵を薙ぎ倒していく騎兵は、二次元の考え方なのだと彼は言う。



 そこが、我々との決定的な差なのだと。


「我々が相手にしている有色人種――ヤポンスキーは、もはや西洋文明ではない何か別のモノを携えてるとしか、説明が付かない。」


 それがただの史実知識の賜物だと知ることができれば、彼らはどんなに胸をなでおろすことができよう。

 しかしながら、それを知る術はない。ゆえに、想像を巡らさざるを得ない。


「正直、恐怖だ。敵の正体が見えない。その意味では、ドイツ人と正面切って戦端を開くよりも恐ろしい。」


 まるで異質な生命体を相手しているよかのように語る彼。


「クロパトキン。奴らはドイツ人どもより恐ろしい……とでも?」

「西洋文明とは全く非なるからだ。我々は全てにおいて彼らについて無知なのだよ。ヤポンスキー……、いいや。敬意と畏怖を込めて彼らの呼び方にならおう―――『皇國』よ、」


 眼下、遥か日本海の先。

 太陽の昇る弧状列島へ向けて、彼は静かに問いかけた。


なんじは一体、何処どこへゆく?」




『どんなに硬い意志でも、いつまでも我慢していられない。』




 銃撃が吹きすさぶ。

 掃討戦の発令から10日が経ち、当初長くても3日程度で平定できると考えていたロシア軍の戦闘計画は完全に破綻した。


「腹が…、減った…。」


 88万もの兵力を沿海州に集結させてウラジオストクの狭い半島へ続々と押し込んだために食糧が3日分しか用意できなかった。そのうえ補給は完全に途絶。


「銃弾も、包帯も、ないのか」


 既に大量の装備を喪い、包帯も行き渡らない状態が続いている。

 この戦域エリアでは、歩兵銃すら2人で1丁という状況だ。

 銃弾は既になく、本部からは、敵兵と遭遇したら灰燼に紛れて待ち伏せ、スコップで殴り殺せという戦闘訓示が来た。もっとも大抵は待ち伏せの間に手榴弾を投げ込まれて爆死するらしいが。


 多数のロシア高級将校が、平安期以来弓から火縄銃そしてライフルへと1000年に渡って磨かれ続ける東北式狙撃術の餌食となった。食糧もなければ、指揮官もいない。

 乱発される突撃命令は、死ねという号令に等しかった。


 ウラジオストクは地獄だ。


「どうして…、どうして、こんなことに」


 とっくに騎馬は銃弾に倒れ、他の貴族たちも逃げ出した。

 時代遅れの騎兵銃だけを携えて、大公は日夜銃声が響き続ける廃都をさまよう。


「余は…、栄えある、ロマノフの皇族であるぞ…?」


 どこまでも街を覆う硝煙は太陽を遮って、もはや昼か夜かすらもわからない。

 またどこかで手榴弾が爆発する音がして、瓦礫が崩れ落ちる。

 それを乗り越えていく歯車の音が聞こえ、反射的に身を伏せれば、右脇を菊紋をあしらった装甲機械が通り過ぎてゆく。


「……また、命を、拾ってしまった。」


 まだバクつく心臓を抑えながら、死の2週間を生き残ってしまった大公は呟く。

 のろのろと脚を引きずって、対空砲のそばへと引き返す大公。


「この砲だけが、頼りの綱か」


 ここだけは爆撃を受けないため、多くの兵士たちの溜まり場となっていた。


「気を休める場所があるだけ、まだ――」


 その声を切り裂く、キィィィイーンという音。

 高度500mまで打ち上げられた迫撃砲弾は重力加速度に従い、地に堕ちる箒星の如く、廃墟の粉塵を引き裂いて。


 ドォッ、ドォオオォォン!!


 炸裂、爆散。火球が対空砲を呑み込む。

 周囲で束の間の休息をしていたロシア兵ごと、爆炎が焼き尽くす。


「なぁ…ッ!」

「こんな廃墟の中を、じゅ、重砲が通れるわけが?!」

「どうして、どこからここまで届く!?」


 超高空から弾が降ってくることを知らないロシア軍の兵士達には、そう叫ぶことしかできない。


「こんな兵器を…、なぜ蛮族がぁっ……!」


 狂騒の中で、大公アンドレイは「戦争」を知る。


 悪臭と煙が充満する中で、汚泥にまみれ、建物の影や穴、地下壕を這っての戦いは、プロイセン観戦武官によってネズミ戦争ラッテン・クリークと呼ばれ始めた。

 一方、皇國兵たちは、ネズミを罠にかけるチーズの役割に徹することとなる。


 或るロシア皇族の手記にはこう残されている。




『神よ、なぜわれらを見捨て給うたのか。』




 苦悩の声は、皇國陣地の総長地下壕からも響く。


「……厳しゅうございますよ」


 ロシア軍は絶望的状況に追い込まれながらも徹底した持久戦、接近戦、および白兵戦を試みた。経験を重ねたロシア軍将兵は、騎兵銃や拳銃、ナイフ、刃を入れたスコップなどを携えて粉塵の中を皇國兵に忍び寄り、執拗に近接戦を展開した。


「損害比、司令官さんの言うところの"きるれーと"?は伸びてるのに、ですかっ?」

「そりゃあ戦勝ムードで浮かれたまま無防備なお方々を、鴨撃ちですもの」

「まぁーそうですよねぇ……」


 はふぅっ、と息を吐きながら伸びる晩生内おそきない


 そんなロシア軍に対し皇國も、敵が潜む可能性のある部屋に手榴弾を投げ入れ、爆発直後にリヤカーごと機関銃を突入、粉じんの中を手当り次第に乱射して制圧し、さらに次の部屋へ向かうという力ずくの戦術を展開。ロシア軍将兵に強烈な心理的ストレスを与えている。


「けれどこの戦い方では、銃弾の損耗が大きすぎます」


 生産量自体は余裕があるが、それを包囲されたここへ運び込む手段が限られる。

 潜水艦を使って「京都急行」と称し、舞鶴港からピストン輸送で物資を運び込んではいるが、それでも消耗のスピードには追いついていない。

 このまま備蓄を削り続ければジリ貧だ。


「作戦、組み立てておきましょーかっ?」

「ですね。そろそろ立案しなくてはなりません。晩生内、手をお貸しください」

「むぅーっ。ぜんぶ白夜に任せてもいいんですよ?」

「勘弁くださいませ。玲那にも最低限の責任感くらいはございます」


 4月の泥濘に突入してもロシア軍が攻勢をやめなければ、備蓄は切れる計算だ。

 そうなったら、こちらから打って出るしかない。



 ドタドタドタドタ、と足音が響く。

 バタン、と乱暴に扉を開けて現れたのは――石原いしわら莞爾かんじだった。


「はぁ…、はぁっ、き、緊急報告…!」


 いつもの態度とは似つかわしくもなく、息を切らす姿に、思わず玲那は身構える。

 だがそんな様子でも、一度顔を上げて玲那と目を合わせると、石原は不敵に頬を上げてくる。


「良いニュースと、はぁ、はぁ…、悪いニュースが、あるっ…。」


 肩で息をしながらも、いつもの態度を崩さない石原に少し呆れながら、玲那は答える。


「オチが嫌な予感しかしませんけれど、まずは良いニュースのほうから」


 少し息を整えて。

 もしくはどこか覚悟しながら、石原は口に出す。


「大本営経由で、駐露公使館から。"錯綜していた情報が確定したため送る"。"先週日曜、帝都サンクトペテルブルグでパンを求めて大規模なデモとゼネストが発生。これに対し――『チェカ』が発砲。"」


「チェカ、だと?」


 確か、史実ではその正式名称を"反革命怠業取締委員会"。名前から察せるが、ソ連邦の秘密警察であり、のちにKGBへとなる組織だ。

 それがなぜ、この時代のロシア帝国に。


「『反体制怠業取締委員会』。頻発する労働争議を取り締まるために設置されたロシア帝国の秘密警察で、宮殿最有力の祈祷師・ラスプーチンがトップを務める」

「はぁ…?あの怪僧が??」

「…?」

「っ、いえなんでもございません。それで?」


「"市民隊とチェカが全面衝突する事態に発展。事前に手配されていた武器を手にした労農赤軍や民兵、反政府軍の混成部隊が一夜で宮殿を制圧。クリミアの離宮にいた皇帝一家は無事だが、ラスプーチンは翌朝には大勢の市民の前で公開処刑となった"」


 ごくり、と息を呑む。


「"フランス革命を彷彿とさせる熱狂にロシアじゅうが沸き、モスクワ・キエフ・ミンスクをはじめとして全土へ連鎖的に暴動が波及。木曜にはサンクトペテルブルグの陥落により、帝国中央政府が機能を停止"」


 戦局が、大きく動き出す。


「政府要人はクリミア離宮へ脱出。帝国政府の再建を急ぎ、反乱勢力へ皇帝への帰順を勅命するも、金曜には封印列車でスウェーデンを抜けてきた社会労働党ボリシェヴィキの指導者、ウラジミール・レーニンがモスクワへ到着」


 石原は意を決したように言い放った。


「皇國時間、本3月12日未明。すなわち露歴2月27日、日曜日。反乱首班となったレーニンはモスクワにて『二月革命』を宣誓。ソヴィエト・ロシアの成立を宣言すると共に、クリミアの帝国政府に対し――"血の日曜日戦争"を布告」


 ガタ、と椅子を引く。

 いてもたってもいられなかった。


「ロシア帝国の崩壊が始まったッ!」


 思わず立ち上がって叫んでしまう。


「しれーかんっ、それって……!?」

「敵の戦争継続は不可能です! あと一蹴りすれば、戦争は終わる!!」

「やっ、やったぁぁあっ!」


 目尻に嬉し涙を浮かべて玲那に飛びつこうとした晩生内を、石原の次の言葉が止める。


「なお同日、大韓帝国が日韓議定書を破棄」




「………は?」

「冬季反攻以降、全土へ広がる反日暴動を皇帝が支持。両班の後押しで議定書の中立条項を破り、大韓皇帝の名のもとに――…皇國へ


 カタン、とペンを取り落とす。


「即日これをロシア帝国は承認し、大韓との同盟を宣言。大韓は大英帝国にも宣戦を布告し、英国は日英同盟の自動参戦条項を満了。ロシア帝国と戦争状態に突入」


 未だ近代外交を理解しきれていない大韓の暴挙に、崩壊しかけのロシア帝国は、なりふり構わず乗っかかる。


「露仏同盟に従い、フランス共和国は日英に対し全面禁輸を発令。報復として即日、大英帝国は対仏総動員を布告し――最後通牒を手交」


 収まらぬ戦火は、世界へと飛び火して。


「フランスは、これを拒否」


 事態は、最悪の展開へ突き進む。






 ジリリリッ、と電話が鳴り響いた。

 音を立てているのは海底ケーブル線と繋がる受話器だ。


 本土からの着信だ。

 慌てて受話器を取れば――。


『そろそろ電報が届いた頃でしょう』


 震える左手は電話線を握る。


「ッ、その…声は」


『おわかりですね?』


 山縣有朋の声が響く。

 枢密院戦争指導部の長で、『英傑』の一角だ。


『全ては外交工作の結果であり――皇國枢密院の意図する所です』


 主語はなかった。

 けれど、それが何を指し示すかなんて明白だ。


『遅滞なく、想定外なく、我々は戦略次元での行動アプローチを順調に展開中です』


 焦る様子も全くなく、ただただ深い声音で、全てを見透かしたように語る。


『貴軍は余計なところへ気を回さず、己の本分を全うしなさい。いや、貴女には単刀直入に告げるほうがいいでしょうね』


 わざわざ訂正して、彼は言い放った。





 ガチャリ、と電話が切られる。

 こちらの反応を伺う様子もなかった。

 それは、ただの一方的な宣告で――警告だった。


 反射的に東を睨めつけて唸る。


「何を始めるつもりだ、皇國枢密院ッ……!!」

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