第30話 トラ・トラ・トラ!
「ト・ツ・レ!」
”突撃準備隊形作レ”を意味する暗号が打たれる。
すぐに陣形構築完了が各艇から伝達された。
「全艇突撃準備隊形完了しました!」
その報告を聞くと、満足げに第一次突入隊を率いる広瀬大尉は頷いた。
「各艇にト連送!全艇、これよりカネオヘ湾へ突入する!!」
――ト・ト・ト――
突撃、突撃、突撃、と電信機が唸る。
「”
目の前の、合衆国に蹂躙されつつある王朝を、救えるのは自分らしかいない。その認識は、多くの潜水艇乗りたちの心を奮わせた。
第一次突入隊5隻は、深度を10にまで上げ、真珠裏湾の湾口を抜けた。
「乙2へ連絡、潜望鏡上げ!」
広瀬は怒鳴る。これで、全てが決まる故だ。
程なくして、
「乙2より入電!”湾内敵影ナシ、前方ヨリ手持信号ト見ラレル発光信号確認!”」
「よしっ、内容は!?」
「”薄明光よ届け絶海の孤島に”!」
広大な大洋にぽつんと浮かぶ王国を助けに、西方の雲間より
その意味を含ませた光信号は、的確に『我々が王室だ』という内容を伝えた。事前に決められたいた暗号である。
広瀬は、湾内に敵は潜んでいないと確信し、命じた。
「速やかに浮上!”布哇作戦”開始!!」
そして大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「司令部へ打電―――
海面より、突然水をかき分けて現れた5の巨影。それはサメかシャチか。見たこともない化物を眼前にした女王以下王室の面々の目が驚愕に見開かれるのが手に取るようにわかる。
「ハッチ開けぇ!収容開始!!」
乙型に収容された内火艇が海面に降ろされる。
乙型一番艇の内火艇に広瀬は乗り込んで、湾岸に接舷した。
亡命者たち一行は、欧米諸君主のようにギラギラと絢爛豪華な装飾を付けていなかった。必要最低限の格好で来ている。
「女王陛下であせられますか?」
一連の流れに唖然としていたようで、声をかけた途端、我に返って慌てて挨拶を返された。
「……あっ、あぁ、済まないっ。私がハワイ第八代女王・リリウオカラニである。」
広瀬は跪いて返す。
「帝國海軍布哇救援艦隊『第一潜水艇隊』司令、広瀬武夫海軍大尉であります。畏れ多くも天皇陛下より、布哇女王陛下救出の命を賜り、参上いたしました。」
「広瀬大尉、かたじけない。日本までの護送、お願い申す。」
「無礼を承知で申し上げますが、あまり我々に残された猶予は御座いません。速やかに潜水艇へのご搭乗をお願い申し上げます。」
「了解した。」
女王陛下と側近一行は内火艇へ乗り込み、
それから十数分。女王と最側近たちを乗せた第一次突入隊は、輸送を担当する乙型の、全艇の発進準備が完了する。ちょうどそのときになって、選ばれたハワイ人亡命者たちを乗せるために、第二次突入隊が真珠裏湾へ進入してきた。
「女王陛下を乗せた潜水艇部隊を先行して脱出させろ。流石にこの闇夜と真珠湾の混乱で、バレているとは考え難いが、万一を考えよう。」
女王陛下を乗せた第一次突入隊を帰還させることを、広瀬は命じた。
乙型一番艇はすぐさま潜航を開始する。
広瀬は湾の奥を何気なく振り返り、第二次突入隊の収容作業をながめる。
(順調に進んでる……、もうすぐ終わるだろうな。
このまま無事に終わってくれればいいが……。)
そう考えながら、顔の先をもとの位置に戻した瞬間だった。
カッ―――、と、探照灯の光線が潜水部隊の影を浮かび上がらせる。
そして、その光を放つのが、軍艦の艦影だと認めた瞬間、広瀬は悟った。
そして、全身全霊で、声を絞り出す。
「全艇、急速潜航急げ!!!」
(畜生、まだおそらく女王陛下は湾内から脱出なされてないのにっ!)
広瀬は速やかに見張員を撤収させ、自身もハッチの内側に滑り込み、ハッチを閉める。艇内に飛び込む寸前、第二次突入隊の水兵が最後のハワイ人を、艇内に突き落とすが如く搭乗させたのを確認し、広瀬は取り残された者がいないことに安堵する。
「ハッチ閉鎖確認!」
「空気放出!」
「潜舵開放!」
「急速潜航!深度30につけ!!」
湾の水深はたった40m。水底ギリギリまでの潜航が通達される。
(敵さんはまだ完全には影の形を把握していない筈。……このままマングローブか何かの影と間違えてくれれば良いが……。)
広瀬は敵に祈りながら、命令を飛ばす。
「乙型一番艇に連絡!”我、敵湾外ニ発見セリ、急速潜航深度30”!」
無電が飛ばされて、乙型一番艇より了解の旨の返信があった。
暫く艇内を緊張と沈黙が支配する。
更に数分が経つ。
「潜望鏡深度まで浮上、不明巡洋艦を確認する。」
うまく出ていってくれていればいいが、と半ば祈りながら広瀬は潜望鏡を覗き込む。
そして思わず声が漏れる。
「クソっ!なんであんな都合な悪い位置にいやがるんだ!!」
合衆国海軍の所属と十中八九思われる敵艦は、湾口のど真ん中に構えていたのである。
(敵にとっては湾内も湾外も両方一気に視認できる絶好の監視場所…、畜生!見つからずに脱出できるプランが見当たらん!…しかも燃料の残りが……)
「…司令、潜水母艦との合流地点までは相当あります。復路の燃料を考慮すれば、潜水艇隊がここで潜航停止していられるのは―――残り4分です。」
計測器を見て、状況が深刻だと悟った艇長が訊いてくる。
「司令、最悪の場合は―――」
その先の言葉を、広瀬は潜望鏡から顔を離し、最後まで聞かずに遮る。
「艇長、それは絶対にダメだ。軍令部から直々に通達が来てる。死しても潜水艇という兵器の存在だけは察知させるな、とな。」
それを聞いた途端、艇長が面食らった顔で反論する。
「軍令部は、我々に死ねとでも言っているのありますか…!?」
「……命令は絶対だ。それに、兵器の秘匿を命ずるということは、その兵器を近いうちに切り札として戦線に投入する予定なのだろう。」
「ですが!」
艇長を黙らせるために、広瀬は語った。
「さしづめ、あのロシア帝国バルチック艦隊に対する切り札、とかな。」
「それは―――」
艦長が絶句する。欧州列強でも最強と名高いロシアバルチック艦隊。年々悪化する日露関係を考えれば、衝突も時間の問題なのだ。国力差10倍の戦いは苦戦を免れないどころか、綱渡りで一歩間違えれば谷の底。その如き死闘であることは、常人なら誰だって理解できる。その切り札となれば尚更だ。
「その場合、合衆国からロシアにこの兵器の存在が漏れる可能性がある。我々が皇國海軍だとバレれば、合衆国の恨みを買うだろうし、その場合仮想敵たるロシアに情報を流すのは火を見るより明らかだ。」
「……ッ!」
艇長は、苦虫を百匹噛み潰したように顔を歪めた。
広瀬は再び潜望鏡を覗いた。そして、先程まで少し潜望鏡から顔を離していたのが致命傷になったと悟らされた。
「ぐっ……!?」
「司令!?いかがされまし―――」
潜望鏡の覗き窓からまばゆいばかりの光が放出される。
不明艦の探照灯が、潜望鏡を通して、甲型一番艇の艇内を照らした。
目を押さえながら広瀬が指示を飛ばす。
「急速潜航――!!!」
合衆国艦艇と見られる巡洋艦に、潜望鏡を発見された。
二回目の照射であり、流石にその影は自然物ではないことを巡洋艦も悟っただろう。
「畜生、バレた!」
広瀬が苦し紛れに叫ぶ。探照灯で浮き上がった人工物と思われる不審な影に、十中八九、巡洋艦は接近を試みるだろう。
それを裏付けるように、水中聴音機を操作する水測員が叫ぶ。
「ノイズ検出!不明水上艦、動き出したと思われます!」
三十式水中聴音機。艦影や距離などは無論のこと、方向すら検知できない超初歩的な聴音機で、ノイズしか検出できない、しかし、これだけでも水上艦が動き出したかはわかってしまう。
「…司令、これでもなお、攻撃は禁止ですか…?」
「………っ。駄目だ、許可できん…!」
苦渋の上の返答。広瀬は、許可しなかった。
艇長は、それを聞いて悲痛な声で問う。
「我々に無抵抗で海の藻屑になれとでも言うのですか…?この潜水艇についている武装はお飾りですか…!?」
「そうではない…!」
「ならどうしろとおっしゃるんです!?我々は皇國海軍軍人、海で死ぬのはもとよりの覚悟ですが、こんな惨めな死に方はない!我々は政治のための使い捨て人形じゃないんですよ!」
「……っ…。」
艇長が薄暗い艇内を振り返って、心配そうな顔つきでこちらを見つめる水兵一人ひとりに目を合わせる。
「こいつらにだって、親がいるし、家庭がある!
戦死ですらなく、不名誉な『殉職』など誰が望むんですか!!?」
もはや相手が士官であることすら気にせず、広瀬に歩み寄る艇長。誰がどう見ても理に叶う訴えと、許されない命令とに挟まれた彼はどうしようもなくなり、挑戦するように睨めつける艇長の襟首を掴んだ。
「…ッ、それはこっちが聞きたい…、この理不尽な戦況と現実、相反する軍令……あんただったらどうするんだ、艇長、最前線に立つ水兵としてお前ならどうする!?聞かせてくれよッ!」
広瀬は、海軍士官という机上の作戦計画に縛られがちな視点とは、全く別の、実際戦士として戦う身に置かれる人間の視点を自然と問う。その大切さを、彼は無意識のうちに理解していた。
それが史実広瀬中佐、と慕われた所以なのかもしれない。艇長は言いよどむことなく返す。
「たとえ撃沈しても、攻撃したのが皇國海軍だと証明できなければ、幾らでもあとから、合衆国巡洋艦の弾薬庫の事故やらなんやらと言い訳ができる!」
「だがそれでは―――」
「何一つ損害を出さず、先手を打てば我々が帝國海軍だと証明できないし、第一、先制魚雷攻撃を許した向こうは大損害を被るんだ!こちらを捜索する余裕などないでしょう!」
「……ッ…」
「その隙に逃げ出せば、ハワイ女王陛下だって、この兵器の存在だって秘匿しながらの逃走を成功させられる!!」
「………!」
「だが沈められてしまえば――――――全ての可能性はゼロになる!!!」
広瀬は、その発想に面食らった。
座して死を待つか、死の内に活路を見出すか。
そして広瀬は、思い出した。
彼ら、そして広瀬自身、可能性にすべてを委ねつまらない結果しか出さない計算機械とは違い―――
「広瀬武夫司令官―――、我々は、栄えある
艇長の手が、彼の襟首を掴んだ広瀬の手首を、握りしめる。
決死の表情で、彼は言い放つ。
「広瀬大尉…。不明巡洋艦の撃沈を、進言します…!!」
その声を聞いた広瀬は、艇長の首を更に強く絞めて―――その腕を離した。
「艇長…、我々は列島の護り、
確認するように広瀬は艇長へ問いかける。
「無論です…。そのための覚悟など、とっくにできております…!」
広瀬はその力強い返事には答えず、視線を通信員に移した。
「潜望鏡深度ギリギリまで浮上し、甲型二から八番艇へ連絡…。”第三種雷撃陣形配置ニ付ケ、目標ヲ湾口中央ニ固定”…!」
「司令……!」
広瀬は、視線の先を魚雷員に移す。
「絶対、一発で仕留めろ。」
緊張して上ずった声が返ってくる。
「りょ、了解であります!」
「魚雷戦用ォ―――意!!」
「艦内魚雷管及び外付魚雷管、発射用意よし!」
「二番艇から八番艇まで、指定配置に付きました!」
すべての報告を受けて、広瀬はその手を下す。
「―――撃沈せよ!」
計4艇の甲型潜水艇から、12条の雷槍が撃たれる。
新月の下の真珠裏湾は、表側の喧騒も相まって、不気味なほどに静かで、闇に覆われていた。
そして当然、その槍たちを発見することは叶わず―――
30秒も立たない内に、7の水柱が、49の星をあしらう旗を掲げた巡洋艦を覆った。
オアフ島の裏側を、爆音が響き渡り、闇の黒い海を紅蓮の火柱が赫く照らし出す。
「全艇、深度15、最大戦速で離脱せよ!!」
広瀬は息を大きく吸い込み、叫んだ。
「紅蓮の門を、突破しろォォ―――ッッ!!!」
・・・・・・
・・・・
・・
合衆国が、巡洋艦『ボルチモア』の「事故」の真相にたどり着き、女王の亡命を知るのは、まだ遙か先のことである。
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