三話 本当にありがとう

 覚醒、いやそのさらに一段階上の混沌の妄執ロイエヘクサを表層に纏った状態。


 背中に生やす雪桜の片翼は純白。もう片翼は黒よりも深い影。


 瞳も同様だ。左目は新雪の様に白く、右目は夜空のように吸い込む影色。その上で薄桃色の桜の花を咲かせている。


 薄桃色を基調としたフリル装束にも白の線と黒の線が入り乱れ、散らせる桜の花弁も白と黒。


「ミラちゃん、ノアくん。もう安心して」

「……おねえちゃん」

「……どうしてぼくたちの」


 男を殴り飛ばした雪は、空中に放り投げられたミラとノアを桜の花弁で優しく受け止める。両手で抱きとめる。


 全身を襲う苦痛に意識を朦朧とさせながら、ミラとノアは雪に戸惑いの視線を向ける。不審な心はない。だって、雪から伝わってくる優しさと怒りがこんなにも心地いいから。


 雪は≪想伝≫でそれを把握しながら、ミラとノアから視線を外す。


 ゴウっと後ろに振り返る。


 つまるところ、


「その薄汚い手をヘレナさんからどけろッッッ!!!」

「「「「「「「「ッッッッッッッ!!!!」」」」」」」」

「……ぁ」


 回し蹴り。


 白と黒の桜の嵐を纏ったその脚を蹴り上げ、暴風と共に悪魔たちを吹き飛ばす。


 同時に桜の花弁で自分たちの周囲に強力な結界を幾重にも張っていく。血の風も硫黄の雨も死の灰も入らない。清浄な空間。


 温かくて優しくて。少し怖くて薄暗くて。


 まるで昼と夜の両方を内包した巨大な桜の木の下にいるようで。


「大丈夫ですか、ヘレナさん」

「え、あ、え」


 雪は桜の髪飾りを輝かせ、ミラとノアに≪癒し≫を施す。淡く優しい桜の光に包まれて、死人のように冷たく白かった二人に血色が戻る。


 ヘレナは呆然とするが、それでもミラとノアに手を伸ばす。


「あ、ごめんなさい。心配ですよね」

「ッ、ミラ! ノア!」


 雪はミラとノアをヘレナに渡す。事態があまり飲み込めていないヘレナだが、それでも感じる最愛の温かさに涙を流す。


 強くギュッと力強く抱きしめる。


「よかった。よかった!」

「……かか、なかない」

「……ママ、いたい」


 その様子に雪は微笑む。


 それから直ぐに顔をしかめた。


『コロセ!! コロセ!! コロセェェェッッッ!!!』


 ゴウっと背中に生やした桜の翼から、無数の影の腕を生やした。それは雪に襲い掛かる。


 雪は慌てない。


「分かってます。分かってます。その怒りも怨みも。だけど我慢してください。子を思う母の気持ち。アナタたちのそれはその気持ちを上回るものなのですか? 何故、アナタたちはそこまでの想いを抱いているのですか?」

『……』


 ズルい言い方をしてごめんなさい。そう目を伏せながら、雪は心のうちで暴れ回る妄執かげなだめる。


 影の腕がゆっくりと雪の中へ収まった。


 雪はふぅっと深呼吸し、強くミラとノアを抱きしめているヘレナへ視線を向ける。


 ヘレナは雪に感謝しつつも、警戒心をあらわにする。


「アナタ――」


 それを感じ取ったのか、雪の≪癒し≫でもまだ回復できていないミラとノアがヘレナの言葉に被せる。


「助けてくれてありがとうございます」

「ありがとうございます」

「それでお姉さん。なんで私たちの名前を知っているのですか?」

「お姉さんは誰ですか?」


 雪は驚きで目を見張る。


 ニッコニッコと純真な笑顔を見せてお礼を言い、素直な心で尋ねるミラとノアに。その裏にある計算に。その礼儀正しさにも。


 そしてさっきまであんなことがあったのに、それができる心の強さを。


 最大で展開している≪想伝≫はミラとノアの心を読んでいるからこそ、雪は二人を安心させるように微笑んだ。


 影のブレスレットと影のネックレスを取り出す。ミラたちに見せる。


「初めまして、ミラちゃん、ノアくん、ヘレナさん。私は白桃雪。直樹さんの……パパの友達です」

「ッ」

「ととのっ!」

「パパのっ!」


 その影のブレスレットと影のネックレスを見て、パパの友達と聞いて、ミラとノアの顔が輝く。心のそこから安心した笑顔を向ける。ヘレナは、息を飲んだ。


 それに気が付きつつ、雪は続ける。真剣で真摯な瞳をヘレナに向ける。


「ヘレナさん。時間がありません。どうか私を信じてください」


 虹色の瞳がゆっくりと見開かれ、それから頷いた。


「信じるとも。あの人が、ナオキがそれを渡した人」

「ありがとうございます」


 悪魔たちが結界を壊そうと躍起になっている。亀裂も走っている。あと少しで壊されてしまうだろう。


 急がなければならない。雪はミラとノアに影のブレスレットと影のネックレスのそれぞれを渡す。


「しっかり握ってて」

「……おねぇ?」

「……お姉ちゃん?」

「大丈夫だよ」


 ミラとノアの手を強く握った雪は白と影の魔力を迸らせる。優しい桜と少し恐ろしい桜の息吹が天をく。世界全体を満たすように魔力が広がっていく。


 そしてそれは集約する。ミラとノアが握りしめる影のブレスレットと影のネックレスに収束していく。


 結界を壊そうとしていた悪魔たちが一瞬動きを止めた。その威圧に。覇気に。なんだ、あの存在は。どれほどの力を持っている!?


「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 深く息を吐く。


 極限の集中をしているのか。雪はまばたきや呼吸すらも忘れ、身体から溢れる膨大な魔力を制御していく。その魔力はまるで命の煌めきのようで。


「お前は……」


 何かを感じ取ったヘレナはミラとノアの優しく撫でた。


「かか?」

「ママ?」

「すまない。向こうに言ったらパパに伝えてくれ。お友達が助けてくれたと」

「「え?」」


 戸惑う二人を他所よそにヘレナは立ち上がり、一歩、二歩と後ずさる。邪魔しないために。見知らぬ私たちにそこまでしてくれる彼女の意志を無駄にしないために。


 ミラとノアは慌ててヘレナを追いかけようとするが、しかし雪から溢れ出る魔力の覇気に当てられ動けない。


 雪は一瞬だけヘレナに目を見張るも、直ぐに切り替える。全力をす。


「アイツを必ず殺す。だから、力を貸してください」


 そして自らの心のうちにいる妄執かげに誓約を交わした雪は、


「どうか開いてください」


 影のブレスレットと影のネックレスに込められた力を展開する。


 それは雪の家に帰るという転移術式。


 雪はその二つに込められた転移術式を混沌の妄執ロイエヘクサの知識を頼りに無理やり融合させる。また、膨大な魔力を込めた≪強化≫によってその融合させた術式をさらに強化していく。


 だから、それはまるで。


「ミラちゃん、ノアくん。直ぐ近くに茶髪の男の子がいます。私の弟です。その子ににぃにぃに会いたいと言ってください」

「え、おねぇ――」

「どういう――」


 異世界転移を可能とする門。以前、大輔が拓道たくどう扉柄ひえを使って創り出した転移門。


 静謐で柔らかで優しい黒の渦門が現れた。


 戸惑うミラとノアは黒の渦門に吸い込まれていった。


「クッ」


 同時に雪が膝をく。覚醒魔法少女姿は解けて、普通の制服姿となる。身体はガタガタと震え、頬は青白い。


 血反吐を吐き、血涙も流している。首筋や手にはあざができていて、たぶん体内で出血しているのだろう。


 そこまで身体を酷使したのだ。


「ハァ……ハァ……ハァ」

「お前っ!」


 ヘレナは慌てて駆け寄る。


 雪は弱々しく微笑む。


「ごめんなさい。ヘレナさんをここに残してしまって」

「謝るな。謝ってくれるな。それに今の私だと消してしまう」

「……消す?」

「いや、何でもない。それよりも本当にありがとう。あの子たちを助けてくれて。私では守り切れなかった。お前のお陰だ。本当にありがとう」

「……どう、いたしまして」

「ッ、立つな。早くこれをの――」


 膝を震わせながら立ち上がるとする雪に、ヘレナは息を飲む。[影魔]モード・ウェアハウスから数少ない回復薬を取り出し、飲ませようとする。


 しかしその前に、


「見覚えがあるぞ。その力、そのもの!!!」


 雪の≪想伝≫で叩き込まれた悍ましい怨念に、身を焦がしていた男が結界を壊し、雪に向かって巨大な黄金ハンマーを振り下ろす。


 雪は全身を襲う激痛にニィッと嗤い、右こぶしを引く。


「うるさいですよ、この寄生虫がぁぁぁぁっっっ!!! 」


 桜の吹雪を纏い、巨大な黄金ハンマーを殴る。


 だが、巨大な金属と弱った少女の身体。潰れる方は目に見えていて。


 だから、


絶対不変キャンセル

「ッ! やはりその力は神の物かっ!?」

「ッ!?」


 ヘレナは己の神性を振るった。決して変わることのない世界を。自らが生まれた世界ではあり得ない全て幻力を否定する力を。


 故にヘレナの指に触れた巨大な黄金ハンマーは、甲高い音と共に消え去った。


 ヘレナは今までの雪辱を晴らすかの如く、驚く雪を抱きしめ、庇う。こっそりと[影魔]モード・ウェアハウスを遠くへ逃がす。


「もう一度言いたい。白桃雪さん。ミラとノアを助けてくれて本当にありがとう。私とナオキの最愛を守ってくれてありがとう」

「……はい」


 驚いていた雪はヘレナの言葉に真剣に頷く。


「私はヘレナ。不死しなずの……いや、不変の化け物だ」

「……はい」


 雪はなんとなく感じ取っていた。直樹の言葉、特にティーガンに対しての言葉などで。


 そして直接ヘレナを見て確信した。


 けれど、否定もする。


「ヘレナさんは化け物ではありません。優しい人です」

「……そうか」


 ヘレナは微笑み、それからギュッと雪を抱きしめる。


「意識を強く保って。君は彼らよりも明確だ。だから、己の全て魔力をより明確に保ってくれ。痛いし辛いかもしれないけど、我慢していてくれ」

「はい」


 ヘレナの言葉の意味は理解できなかったが、しかし雪は力強く頷き直感的に己の心に宿る対混沌の妄執魔法外装ハンディアントの防御を強固にする。


 そして、ヘレナは。


ものっ! 何をする――」

「ミラとノアは子供でね。その幻力を宿すその魂が消えるんだ。だから、抑えなきゃならなかった。少しでも触れれば壊れるから。それにローブや結界も壊してはいけなかったから」


 片手をかざし、


「だが、今ならできる。正直、もう押さえつけられない。この怒りは」


 一帯の幻力を否定した消し去った




 Φ


 


 烏丸郭の登場と同時に、妖魔界が崩壊した。


 魑魅魍魎ちみもうりょうの化生たちが解放され、京都の街を襲おうとした。


 これから百鬼夜行が日本を侵すのだ。


 現世の京都にある神社の一角で、直樹たちはその光景をどうしようもなく突き付けられた。


 が、


「おいおい酷いなぁ」

「敵宣言した人が何言ってんだ?」

「あれは場を和ます冗談でな」


 直樹は血斬と幻斬を郭の首に当てる。また、西洋風の法衣を纏った郭が担いでいた冥土ギズィアは、いつの間にかウィオリナの隣で横たわっていた。転移だ。


 同時に直樹は[影魔]モード・グリフォンを周囲に展開。自分と郭を覆う。


 直樹は飄々ひょうひょうと笑う郭に命令する。


「うるさい。さっさとやることやれ」

「近頃の若者はせっかちでいかんな」


 やれやれと首を横に振った郭は煙管キセルを懐に仕舞う。


冥土ギズィアは優秀だな」


 そう呟き、懐から黒の宝石が嵌められた指輪を取り出す。


 朗々と謳い出す。


「父と子と聖霊の名のもとに――すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない――幻犠げんぎ世界」


 世界にヤギの鳴き声が響いた。


 すると、郭の手にあった黒の宝石の指輪が音を立てて割れ、京都の街を襲おうとしていた化生たちがどこかへ消えた。


「タイムリミットは一時間と言ったところか」


 郭はドカっとその場に座り込んだ。直樹は[影魔]モード・グリフォンを消した。








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公開可能情報


すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない。:レビ記16章22




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