十二話 オトコ? コイ?

 昼過ぎ。

 

 飲み物を買いにコンビニ走った杏は、心の中で嘆息した。


(いつからあんなに弱くなったのだろうか)


 思い出すは清水寺の出来事。


 あの時、杏は諦めていた。自らあれを解決しなければならないと思っていた。


 だが、大輔は自分を助けてくれた。それが純粋に嬉しいと思ってしまった。


 思ってしまったのだ。


 早朝、冥土ギズィアにあんな醜い想いを漏らしたにもかかわらず、そんな自分を憎んだにも関わらず、喜びを抱いてしまったのだ。


 情けない。信じられないほど、堕落してる。


 杏はコンビニに足を踏み入れる。


 秋だが、それでもコンビニは多少エアコンが効いているらしい。それか、冷蔵食品売り場があるからか。


 どちらにしろ、ドツボに陥りそうになった思考は冷め、杏はコンビニ内を見渡す。杏以外の客はいないらしい。


 飲み物売り場の場所を見つけ、急ぎ足でそこへ移動する。水を手に取り、レジに足を進めた時、ふと呟いた。


「いっそ、自分だけで何かを解決できたら、何かが変わるのか。それこそ雪のように壮大なことを為せるなら」


 その呟きからなんとなしに杏は連想する。


 神和ぎ社、吸血鬼ヴァンパイア、神。単語だけ知っているファンタジー的存在、陰陽師、エクソシスト。


 そして異界魔術結社ハエレシス


 なんでもいい。問題を何か解決すれば、アタシは一人で立つことができるのか。


 それは単なる気の迷いであったが、されど先ほどの自己嫌悪から思考を逸らすためか杏は一瞬、それを強く願った。


 と、その時。


「あ、あノ。ワタシ先、イイ?」

「ッ!」


 茶髪の白人女性に肩を叩かれた。年は杏に近いだろうか。柔らかなダークブラウンの瞳は、少しだけ遠慮しがちに伏せられて、指はレジの方を指していた。


 どうやら、周りが見えていなかったらしい。杏はいつの間にかレジ前の並びでぼうっと立っていたらしく、彼女はしびれを切らしたようだ。


 片言の日本語でそう言われ、杏はなんとなく前を譲る。


「あ、ああ。どうぞ」

「アリガト」


 茶髪の女性は使いどころがあっているのか少し悩みながらも頭を下げ、会計をしてもらっていた。


 それを見て杏は自らを叱咤する。


(こんな気の迷いに周りが見えなくなるなど、情けないっ!)


 それからフスンっと気合を入れ、余計な事は考えないようにする。茶髪の女性の会計が終わり、杏も会計を済ませる。


 そしてコンビニを出ようとしたとき、


「モシ。イイ?」

「ああ、さっきの」


 茶髪の女性に話しかけられた。たぶん、イギリス人である父の血を引く杏の顔立ちなどから、話しかけやすいと判断したのだろう。


 杏はにこやかに尋ねる。


「どうかしましたか?」 

「友達トここに集合。イキタイ。でもしらべテもイキカタ分からナイ。デンシャ、バス、フクザツ」


 茶髪の女性はスマホを見せる。地図アプリが映されていて、杏は一瞬だけ眉をひそめる。


 そこは京都の中心からだいぶ離れており、奈良に近い場所だった。しかも、とある山中にあるお寺のようで、電車やバスを何度も乗り継ぐ感じだったので行くには結構手間だろう。


「その友達とは連絡を取ることはできないのだろうか?」

「連絡デキナイ。ここにワタシ一人。十六時には集合。どうすればイイ?」


 杏は少しだけ悩んだ後、自分のスマホを取り出し、詳しく検索して道なりを送信しようかと考えた。


 が、先ほどの自己嫌悪が一瞬脳裏をよぎり、やめた。


 代わりにメッセージアプリを開く。


「よければアタシが案内するが、どうだろうか?」

「ッ! タスかる。アリガト、アリガト!」


 大輔に数時間離れる旨を伝えた杏は、心の底から感謝する茶髪の女性に手を差し出す。


「アタシは百目鬼杏。アナタは?」

「イネス! ワタシはイネス・レヴェヨン!」

「なら、イネスさん。短い間だが、よろしく頼む」

「ヨロシクおねがいシマス! アン!」


 そして杏はスマホで詳しく検索したり、地元民らしき人に尋ねながら目的地へイネスを案内していた。


 そんな道中、杏はイネスと色々話した。

 

 イネスが待ち合わせている友達の事や、雪やウィオリナ、ティーガンなどの事。家族やちょっとした悩み事。


 もちろん、重要な部分は二人ともぼかしてはいたが、忌憚きたんなく二人は自身の心持を吐露していた。そして互いにそれを詮索することはなかった。


 たぶんそれができたのは、初対面だったのもあるが、見た目や年齢が近くとも互いの出身やら言語やらが違う事もあり、二人とも適切に心をよろう事ができたからだろう。


 そして目的地に行くための最後のバス乗り場にたどり着いた。


 遠くにバスが見え、杏はイネスの方を向く。


「あのバスを乗って『三中前』で降りれば、目的地の場所に着く」

「……アヤに会うまでもう少シ話しタイ。ダメ?」


 これまでの会話で分かったが、イネスはどうやら寂しがりのようだ。待ち合わせしている友達――アヤは、そんなイネスを見かねて一緒にいてくれるとか。


 日本語はそんなアヤ教えて貰ったらしい。どうやら、アヤは日本の民俗を研究しているフランス人女性らしく、大学で日本文化について教鞭をとるほどの人なのだとか。今は長期研究で日本に滞在しているらしい。


 そんなアヤは近所に住んでいた一回り下のイネスの寂しさが紛れるなら、と日本語を教えたそうだ。


 まぁ、兎も角、杏は存外イネスと会話するのは楽しかった。大輔に関して余計な事を考える必要もないし、多少荒んでいた心も休まった。


 なら、と杏は仕方なく溜息を吐く。


「仕方ない。特別だぞ?」

「アリガト、アリガト!」


 そうして二人はバスに乗り込んだ。中には誰にもいなかった。


 後ろの席に座った二人は、窓の外を見つめる。イネスが窓際だ。


「アン、本当にアリガト」

「お礼はもう何度も聞いたぞ」

「けど、アリガト。ワタシ、一人で何かシタこと無かった。勇気をダシテ、日本に旅キタけど、結局アヤに泣きついた」


 イネスは少しだけ悔しそうに頬を歪め、そのあと力なく苦笑する。


「呆れてタ。けど、アヤの力無しに集合場所までイケタラ、案内してクレルって言ってた。優しい。大切な友達……ううん。お姉さんみたいな人」

「そうか」


 杏は微笑む。すると、イネスが杏の顔を覗き込んだ。


「そう言えば、アン、ワタシと出会う前、悩んでタ。今もそんなカンジ。もしかして、友達と何かアッタ? ユキ? ウィオリナ? ティーガン?」

「いや、違うんだが……」

「ダガ?」


 寂しがりだからこそ、鋭いのか。イネスは杏の言葉の端に宿る微妙な感情を逃すことはない。だからといってずかずかと踏み込んでくるわけではないのだが。


 杏は苦笑し、ポツリと呟く。


「友達……ではない。けど、大切で気になるやつがいる」

「オトコ? コイ?」

「ち、違うぞっ! 確かに男だが、大輔はそう相手じゃなくて、いやそもそもアイツは……」

「デモ、顔真っ赤」


 窓際に座っているイネスの方を見ていたため、杏はガラスに微かに反射した自分の表情かおを見た。とても真っ赤だった。


 杏は慌てて否定する。


「あ、アタシが初心うぶいだけだっ!」

「ジブンで言うの? それにウブってコイじゃないの? アヤ、そう言ってた」

「ッ!」


 ただ、否定するのに頭いっぱいになった杏は変なことを口走り、さらに顔を真っ赤にする。


 だからかか、頭が一杯一杯になった杏は、無意識的に≪直観≫を発動させた。


 そして冷える。全てが冷える。


「本当に違うんだ。色々あって、アタシは助けてもらった。感謝してるし、尊敬していたりする。線引きはしっかりしているのに、なんだかんだいって助けてくれたり。常に柔らかな物腰だったり。良い奴なんだ。だから、な」

「……ヘンなの。アン、メンドウ」

「そういうお前だって面倒だぞ。最後まで勇気をふり絞らずに途中で投げ出して。結果がどんな失敗に終わろうが、他人にゆだねるべきではないと思うが」

「ワカッテル。ただ、少しダケ相談するダケ。決めるのも動くのもワタシ」


 真剣な表情で向かい合った二人は、一拍おいて苦笑し合った。


 そうしているうちに、『次は山中前~山中前に降りる方はお知らせください』とバスの案内が流れ、杏はボタンを押す。


 そして杏たちは降りた。


 ちょっとした階段があり、お寺の直ぐ前だった。交通機関の影響で予定の時間よりも少し早くなったが、目的の場所だった。


 イネスは、ほわぁ~と顔を輝かせた後、杏に振り返る。手を掴み、ブンブンと振る。目がキラキラ輝いている。


「アリガト、アリガト! ホント、アリガト。たどり着けてヨカッタ!」

「ああ、どういたしまして」


 心の底からの全身全霊の感謝に杏は少し照れる。それから、二言交わし、杏は名残惜しそうにしているイネスに「じゃあな」と手を振る。


(意外に時間が掛かったな。帰るにしても夕方は過ぎてしまうか。となると、バスとか待たずに大きな町まで走るか。≪灼熱≫を応用して陽炎のように姿を隠せるだろうし)


 そう考え、イネスに背中を向けてその場を去ろうとしたとき、


「イネス、そちらの女性は誰だ?」

「あ、アヤ!」

「ッ」


 お寺の方から一人女性――アヤが現れた。三白眼の碧眼にショートカットのくすんだ金髪。服装はTシャツとジーンズで、ベルトからチェーンで吊るされた一冊の古びた本を下げていた。


 そして杏は目を見開き、足を止めた。ゆっくりと後ろを振り返った。


「アヤ、迷っタ。けど、頑張ってキイテ仲良くなって案内してクレタ」

「そうなのか? それは本当にすまなかった」

「い、いえ。困っていたので……」


 達者な日本語でにこやかに頭を下げるアヤに杏は一歩、二歩と警戒するように下がる。その視線はベルトからチェーンで吊るされた本に向いていた。


 そんな杏の様子を気にしたことなく、アヤは杏に片手を差し出す。


「私はアヤ・エヴァーリグレットだ。フランス出身で今は研究のために日本に滞在している。いや、本当はコイツに一人で来てほしかったんだが。いや、迷惑をかけた」

「それはよかったです。では、私は――」


 差し出された手を軽く握り、杏は直ぐにその場を離れようとした。


 が、それをさえぎる様にアヤは杏の制服を一瞥して尋ねる。


「それより、ここでは見かけない制服だが……どこからイネスを案内したんだ?」

「キョウトのサンネイの近くだよ。コンビニで出会ったんだヨ!」

「なるほど。重ね重ね本当にすまない。たぶん、修学旅行生か何かだろう? 学校はどこだ? そちらに連絡したいのだが。そうだ、ここの住職は私の知り合いでな。少し休んでいかな――」

「いえ、遠慮しておきます」


 強引に杏は頭を下げて、その場を立ち去る。


 が、何度目か。


「待て、神和ぎ社の犬魔法少女

「ッ! 離せ、魔力持ちッ!」


 アヤは杏の手首を掴んだ。


 杏は力づくでそれを払いのけ、魔力を持っているアヤを睨みつける。考えられるあらゆる可能性を考え、≪直観≫で確認を取る。


 最善の行動を把握した。


「あ、アン? アヤ? ナニ、どうしたノ!?」


 イネスは混乱している。


「イネス、離れろっ!」

「アンッ!?」


 杏はそんなイネスの手を掴み、アヤから遠ざけようとする。急に手首を掴まれてイネスは思わず杏の手を振り払ってしまった。


 それが痛恨のミス。


「ということで、イネス。ごめんな」

「きゃ、アヤ!」


 アヤがイネスの手首を掴み、自らに引き寄せる。首辺りを腕で拘束し、もう片方の手にはどこから取り出したのか、ナイフを持っていて、イネスの頭に向けていた。


 人質だ。杏は容易に動けない。


 イネスは混乱し、動揺する。暴れる。


「アヤ、何のジョウダン!? どいう、どいう事デス!?」

「どいう事って、こういうことだ」

「何を……カハッ」


 暴れるイネスに顔をしかめたアヤは、イネスの絶望を煽るようにイネスの鳩尾を肘鉄で打つ。それから、手刀で首トンをした。イネスは気絶した。


 その瞬間、


「ッ、クソッ!」

「もう少し表情を制御した方がいいぞ。丸わかりだ」


 爆炎。


 杏は≪灼熱≫でアヤの眼前を爆炎を作り出して意識を誘導。その隙に気絶したイネスを奪い取ろうとしたのだが、アヤの方が一枚上手。


 いつの間にか気絶したイネスを担いでいたアヤは寺の中にいた。幻像を見せられていたのだ。


(精神干渉ッ。いや、錯覚かっ!)


 ≪直観≫で精神干渉ではなく、陽炎による幻影を見せられていたのだと一瞬で判断した杏は、間髪入れず足元を爆発させて一瞬で爆炎移動する。


 だがしかし、アヤに動揺はない。


 ベルトに下げていた古びた本が浮き上がったかと思うと、アヤの前でおもむろに開かれる。


「〝魔書・グリモワール――三。属性指定――水。状態――拘束。範囲――一から三十。閲覧実行!〟」

「チィッ! 爆ぜろっ!」


 数百を超える水の触手が杏の周囲に現れ、杏の行く手を阻み、拘束しようと襲い掛かる。


 杏は水の触手一つ一つ相手に限定的な爆風で防ぐが、なんせ数が多い。


 捌ききれない。


 周囲一帯を爆風で吹き飛ばしたいところだが、アヤだけなら兎も角、イネスがいるのだ。


 アヤはイネスを手刀で気絶させる前に、いたぶるように肘鉄を加えたのだ。


 つまり、イネスが傷つくことはどうでもいいと思っているアヤが、イネスの分まで爆風を防ぐ可能性は低い。それどころか身代わりにするかもしれない。


 それにここは寺なのだ。≪直観≫で探った限りだと自分たち以外はいないようだが、それでも断言できない。


 無差別な攻撃はできない。


 どうにか限定的な爆風と火炎で水の触手を防ぐが、足止めされた杏は歯噛みする。


「友達では無かったのかっ!」

「今も大切な友達だぞ」


 杏の怒声にそう答えたアヤは、ブツブツ小さく呪文を呟く。


「おい、待てっ!」

「じゃあな。お前も生贄になりたいなら、追って来い」


 そしてアヤはイネスを担いだまま、陽炎の如く消え失せた。


 杏は自分を中心に爆風を繰り出し、水の触手を消し去った。








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