東京

 自慢じゃないけど東京にも初めて行った。外務省の柴田課長がマンションまで迎えに来て、ビッチリ監視されてるようなものだから逃げようがない。東京駅を下りたら、またまた黒塗りの大型車がお出迎え。どこに連れて行かれるのかと思ったら、


「柴田課長、ここって皇居じゃ」

「宮内庁は皇居の中にあります」


 しれっと言うな。これだってユリはホテルなりに泊まって出張講習を受けるとか、ホテルから通いと思ってたんだ。そしたら、そしたらだよ、


「東京在住中はこちらの部屋をお使いください」


 ぎょぇぇぇ、皇居に缶詰めかよ。休みもあるだろうから、せめて東京観光をしておこうと思ったけど、


「時間もありませんから、エッセンドルフ公国に赴かれるまで我慢してください」


 休みなしのブラック企業か! 礼儀作法の講習が始まるとそれ以上だった。とにかく学ぶのは礼儀作法じゃない。それもちょろっと端っこに出席するのじゃなく、非公式とは言え日本代表だからまさに容赦なしのフルコースだった。


 礼儀作法って立ち居振る舞いになるのはわかるけど、それこそ朝起きた瞬間から始まるんだよ。言葉遣い、歩き方、座り方、挨拶の仕方、服の着こなし・・・そうなんだよ、生活のすべてが講習の対象で、ノイローゼになりそうなぐらい指導が入りまくった。


 そんな調子だから食事休憩すらない。食事だってマナー講習のモロの実践の場だ。ナイフやフォークの動かし方、食べる順序、食べるスピード、口の動かし方まで指導が入りまくるから、なに食べてるのかわかんないぐらい。そうそう、すべて洋食。


 それだけでも発狂しそうだったけど、これに勉強が入る。ユリがエッセンドルフで相手にする連中と話をするのに必要な教養ってやつ。貴族同士の会話ってユーモアとかウィットが必要で、それには教養がないと理解できないし、気の利いた受け答えも出来ないからだそう。


 それはわからないでもないけど、こんだけの物を右から左に覚えられるか! だけど問答無用で叩き込まれたよ。もうユリの頭は爆発寸前だったけど、トドメがあった。


『ドイツ語会話』


 できるか! でもこれが一番強烈だったかもしれない。エッセンドルフの公用語はドイツ語だし、貴族連中は公式の場ではそれなりに綺麗なドイツ語も話すそうだけど、エッセンドルフ人が普段話すのはエッセンドルフ・ドイツ語。南ドイツ訛りの強いやつぐらいの説明だった。


 これをだよ会話が出来るレベルにするって言うんだよ。それも日常会話どころか、スノブな貴族相手でも可能にするって無理難題も良いところ。こんなもの通訳で良いじゃない。


「もちろん通訳も同行しますが、御自身も話せないと困ることが出て来ます」


 一つだけラッキーだったのが英語。これだけは子どもの時から身に着けていたし、これでも英検準一級取得者。これだって、


「出来れば一級の方が・・・」


 簡単に言うな。とにかく起きていると言うか、意識のある間は礼儀作法と教養を間断なく叩き込まれる毎日が続いたんだ。ユリは物覚えは悪い方じゃないつもりだったのだけど、この地獄の講習が始まってから自分でも驚いているところがある。


 どう考えたって無理な学習量なのに覚えられるんだよ。感覚としては勝手に覚えて身に着けてしまってる感じかな。訳わかんないけど、一度教えられたら身に付くし、覚えちゃってるんだもの。これって皇居の魔力だろうか。そうかもね、日本最高のパワースポットみたいなところだものね。


 そうやって覚えさせられる礼儀作法とか教養だけど、これはお嬢様教育じゃないね。そんな甘いものじゃなくてお姫様教育だよ。それもガチガチのやつ。エッセンドルフに行けば王様である公爵の娘だからそうかもしれないけど、


「エッセンドルフ公国は古い家柄で中世以来の伝統を守り続けています」


 そこに速成教育でお姫様をでっち上げようの計画にしか思えないよ。ユリはすぐに日付の観念がなくなった。そりゃ、休みはないし、朝起きてから寝るまで指導と勉強漬けの毎日だもの。


 成果だけど、始まった頃はノイローゼになりそうだったけど、ふと気づいたら小うるさい指導がなくなった気がする。それだけじゃなく、


「さすがに血筋は争えません」


 あのねぇ、血筋、血筋と言うけど、ヤリチン種馬と、ヤリマン・ビッチが頭が蕩けるぐらい、やりまくって、うっかり出来上がったような娘だよ。お母ちゃんはエロ小説家のダメ押しだ。どこに高貴な青い血が流れてるって言うんだよ。


 服も約束通りに用意してくれた。これがレンタルじゃなくてフル・オーダーなんだよ。ちゃんと採寸されて作るんだもの。服だって飛行機なんかの移動中とか、昼間の行事用とか、夜の行事用とかで用途が違うのを何着もだ。


 とにかく見るからに超高級品と言うか、皇室と同じやつで良いと思う。だってだよ、昼の正装用にロープ・デ・モルテ、夜の正装用にあのロープ・デ・コルテだもの。つうか夜と昼で正装が違うなんて初めて知ったし、そんな名前の服と初めて知ったんだけどね。


 アクセサリーも出て来たけど、見るからにゴージャス。それも下品なゴージャスじゃなく、ユリから見てもすこぶる上品な物。ティアラを付けてローブ・デ・コルテを着たら、


「こ、これは・・・」


 なんか式部職の人がビックリしてた。きっと馬子にも衣装って言葉が頭の中を駆け巡っていたんだろう。ほっとけ。無理があるぐらいは知ってるんだから。東京に来てから何日目かなんてわからないけど、結構な日数が経った頃に、


「これも必要な経験です」


 仕上げだって言ってトンデモナイところに出席させられたんだ。どこだと思う。皇居の豊明殿での宮中晩餐会。初めて生で天皇陛下御夫妻とか、皇族の人の顔見たもんね。声も生で初めて聞いたよ。そりゃ、緊張したなんてものじゃなかったけど、このクラスの晩餐会に出席するからこういう経験も必要だってさ。


 ここまでやるかと言うか、ホンマに必要なんか疑問しかなかったけどエッセンドルフに行く日が近づいているのは教えられた。やっとこの礼儀作法地獄から解放される日が近づいたって事だ。もっとも本番も待ってるけどね。


 そしたらだよ、長和殿の春秋の間に呼び出されたんだ。それもガチで正装してだ。そしたら腰が抜けそうになったけど、天皇皇后両陛下と皇太子殿下御夫妻がいたんだよ。そしてね、


「このたびは、エッセンドルフ公国への友好親善の代表として赴かれるのに感謝します」


 こう言われちゃったんだ。それだけじゃなく、


「この度、エッセンドルフ公爵になられますハインリッヒ殿下にお祝いを申し上げると共に、両国の友好親善が深まる事を心から願います」


 この続きもあったけど、なに言われてるんだと思ったら、親書みたいなのは渡しにくいから、陛下のお言葉を預かって伝えてくれって話だった。つまりはメッセンジャーだ。これだけおいおいの世界が続き過ぎるとユリも麻痺してる部分もあって謹んで承るって答えたよ。


 春秋の間のメイン行事は陛下のお言葉を賜るみたいで、それが済むと、ちょっとだけ雑談みたいなものになっんだ。雑談と言っても相手が相手だからお堅いものだったけど、話のキモは、本来は皇室の誰かが代表にならないといけないのに、民間人であるユリを代理とするのは申し訳ないとか、なんとか。


「宮内庁にも出来るだけの協力を要請しております」


 道理で。だから、ここまでやらされたんだ。天皇家の人の代理みたいなものだからガチだったんだ。ユリの推測も入るけど、日本代表と言うだけじゃなく、エッセンドルフの姫君として相応しい振る舞いが出来るようにシバキあげたんだろ。


「不足してるものがあれば、遠慮なくお申し付け下さい」


 言われても困るけど、やっぱり陛下って違うわ。そこに存在するだけで、なんていうかオーラを感じるものね。どう言えば良いのかな、陛下の肩書に平伏するのじゃなくて、陛下の人柄そのものに平伏する感じにさせられる。


 あれこそ真のセレブだろうな。世の中にはセレブと見なされる人もいるけど、大部分は似非セレブだと思う。ユリの知ってる人にもいるけど、あれは単なる金持ち自慢だよ。いわゆる成金ってやつ。


 ブランド物の服とかバッグを自慢するけど、あれぐらいはユリの家でも買えるもの。お母ちゃんがそういうものにあんまり凝る趣味がないし、ユリも格別欲しいと思うわないから持ってないけど、まあ、持っていない人をディスるディスる。あほらしいから敬遠してるよ。


 家柄自慢もいたよ。あれは高校の時だったけど、武士の家柄だってやたらとマウントしたがるのがいた。そいつは男だったからユリの被害は少なかったけど、家柄を聞いてユリも下女扱いしそうになってたから呆れた。


 武士っていつの時代の話だよ。この話はオチがあって、そいつは家老とかなんとかの家柄だとマウントしてたんだけど、ある時に反撃喰らって撃沈してた。そいつがマウント取ろうとしたのが、本物の家老の家柄だってこと。


 そんなことは一言も話したことなかったけど、あまりにウザかったからだと思う。あれだけやればそうなるよ。そこで暴露されたのが家柄野郎は武士は武士だったけど足軽だったんだよ。それからそいつに付いたあだ名は、


『足軽君』


 足軽が悪いわけじゃないけど、それまでの反動が押し寄せたってこと。すっかり大人しくなってくれて助かったけど、アホらしい自慢だとしか思わなかった。



 だけどユリがエッセンドルフで相手にするのは本物のセレブ。それも陛下みたいな人格者ばかりじゃない。きっと捻くれ倒した嫌味ジジイとか嫌味ババアだって相手にしないといけないんだ。


 ここまでユリをシゴキ倒したのは、ヨーロッパの本物の王族とか貴族には、そういう連中がいるのを陛下は知っていたからかもしれない。この辺は教えてくれるはずもないからわかんないけどね。

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