2-9 東明飯店の店主
見守る鄒央と翔信の顔に緊張が走る。
しかし、茶器を置いた月英は実にケロリとしていた。
「うん。味は当初のものと変わらないですね」
「お、おい、体調はどうだ? 腹が痛くなったりしてないか?」
「全然平気」
「まあ、飲んですぐってわけじゃないだろうしねえ」
鄒央の言葉に「確かに」と二人は揃って頷く。
「一応僕の体調は様子見として、やっぱりその時の東明飯店の状況が知りたいよね」
「できれば、店主からも直接話を聞きたいもんな」
「というわけで、鄒央さん。東明飯店の場所を教えてください」
「ついでに店主の名も」
「いや、でもそれは……」
それぞれに言葉を発しながら、受付台の向こうにいる鄒央にズイと顔を差し出した二人。
その瞳は、絶対に引き下がらないと言っている。
鄒央はしばし困ったように口をへの字に歪め、心許なくなり始めた後頭部をかきむしっていたが、最終的には二人の眼力の強さに、渋々とだが首を縦に振った。
「大通り沿いの大きな茶屋だよ。営業ももう再開しているし看板もあるから、中央あたりから大通りを北上していけばすぐに見つけられるよ」
台から上半身を乗り出して、鄒央は指先で店の外を「出て左」と示してくれた。
「何から何までありがとうございます、鄒央さん」
「……気をつけてね、月英くん」
店の外に出ながら振り返った月英に、鄒央はなぜか曖昧な笑みを浮かべ見送った。
◆◆◆
教えられたとおり店を出て大通りと向かい、そこから両側に立ち並ぶ店々の看板を眺めつつひたすら北上すれば、左手に一際立派な店構えの茶屋があった。
意外にも、店の大きさに見合った客入りはある様子だ。
「えっと、店主は何ていう人ですっけ?」
「確か、
「張朱朱さん、ね」
名を確認し終えると、よし、と二人顔を見合わせて頷き、東明飯店の門をくぐった。
すぐに、月英達の姿に気付いた店子が駆け寄ってくる。
両手に酒杯や皿を持っており、どうやら片付けの途中のようだ。
「二人ですか。あっちの卓に空きがあったと思うから、見つけて座ってくださぁい」
月英より少し年下だろう店子の少女。
兎の耳のように頭の左右で結われた短い髪の毛が、彼女の口の動きに合わせてひょこひょこと踊る姿は実に愛らしい。
彼女の気さくな声掛けに、月英も翔信もうっかり表情を緩めて、「はぁい」と席に着こうとした。
「――って、いやいやいや違う!」
「ちょっとお嬢さん待ってー!」
が、寸前で自分たちが店に来た意味を思い出す。
駆け去って行こうとする店子の少女を、二人して慌てて引き留める。
「どうしました、お客さん?」
少女は、またひょこひょこと兎の耳を揺らしながら戻って来てくれた。
「あのさ、悪いんだけど俺ら客じゃないんだよ」
「僕たちここの店主に会いたいんです。よければ、店主の張朱朱さんを呼んできてもらえませんか?」
「朱朱さんに?」
少女は訝しげに眉を顰め、首を大きく傾げる。
「だ、大丈夫ですよ! 別に悪いことしに来たわけじゃないですし!」
「ちょっと商売のことで話しがあってだな!」
別に本当に悪いことをしに来たわけではないのだが、いたいけな少女の濁りない眼差しで疑われると、何だか悪いことをしている気分になってくるから不思議だ。
妙な罪悪感に駆られた二人は、怪しくないよ怖くないよ乱暴しないよと、余計に少女の懐疑心をあおるようなことばかりを口にしていた。
どんどんと墓穴の深度が増していく。
そうして、半ば混乱した月英がやけっぱちに言った言葉で、ようやく会話に終わりが見えた。
「僕たち、茶心堂から来たんです!」
ただ出発地を叫んだだけであった。
しかし、それで少女の眉間からは険しさが消えた。
「なんだぁ、茶心堂さんのとこね。最初からそういえば良いのに」
ケロリとして少女は、元の溌剌とした表情に戻る。
そして軽やかに踵を返すと、店の奥へと駆けていく。耳がぴょこぴょこだ。
「すぐに朱朱さん呼んでくるから、二階の個室席で待っててくださぁい」
「あの、どこの席に行けば……」
「好きな席に座っておいてくださぁい」
「はぁい」と、二人は声を揃えて返事した。
店の二階は全て個室席となっていた。
どこの席にすれば良いのか分からず、とりあえず階段から一番近い席に座り、扉を開けて張朱朱の来訪を待つ。
「どうしよう、緊張してきた」
椅子の上で次第に小さくなる月英。
「張朱朱さんってどんな人だろう……筋肉逞しい系だったらどうしよう。敵わないよ」
「お前は何の心配をしてるんだ?」
翔信は呆れた声を出して、椅子の背もたれにゆるりと腕を預ける。
「取っ組み合いをするわけじゃなし。謝罪して当時の状況を聞くだけだぞ」
「いやぁ、やっぱり迷惑掛けちゃったんで、もしかすると怒って突進されるかもって……」
「猪かよ」と、翔信が疲れた溜め息を吐いたときだった。
階段を上ってくる足音が聞こえてきたのは。
「あんたらかい? 話があるってのは」
ハッとして開け放していた扉に顔を向ければ、そこにいたのは逞しい――
「お……女の人だぁ」
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