2-7 いざ、捜査!

 牢屋の鍵が開けられ、月英は二日ぶりの朝日に目を細めた。

 しかし、その細めた目も隣の翔信からは分からないだろう。


「うわぁ、懐かしい前髪してるな」


 翔信が言ったとおり、月英の前髪はすだれのように目を隠していた。

 宮廷でこの髪型をするのは数ヶ月ぶりである。


「さすがにこの目は、街ではまだ騒ぎになるでしょうしね」

「その件に関しては、力になってやれなくてごめんな」


 眉尻を落とした翔信に、月英は首を横に振った。


「何事もいきなりは無理ですから。少しずつ……少しずつ知っていってもらえれば充分ですよ」


 月英の瞳が碧いと知れ渡っているのは、まだ宮廷内でのみ。

『月英くん』と親しげに呼んでくれる茶心堂の鄒央も、月英の目の色は知らない。


 ――これで充分だ、今は……。


 月英は瞳の色を隠すように、念入りに前髪で目元を覆った。


「さて、じゃあどこから手を付ける? 悪いが俺は中立な立場を守らなきゃいけないもんで、こっちから提案するなんてことはできないんだよ」


 王宮の門を出た先で、二人して腕を組む。

 目の前には大通りが走っており、民達の賑やかな声があふれかえっている。


「こうして見ると、事件があったなんて嘘みたい」

「王都は他の邑と比べてもでかいしその分人も多くて、毎日何かしら起こってるからな。今回も死者多数ってならそりゃ騒ぎにでもなっただろうが、体調不良くらいならこんなもんさ」


 目の上に手でひさしを作って遠望する翔信の横顔を、「そうなんだ」と月英は口を丸くして眺めた。


「今回宮廷がちょっと騒ぎになったのは、官が……特に月英が絡んでたからだろうな。庶人だけの問題だったら大理寺の専決で終わって、刑部までは上がってこなかったし」

「へえ、関わった人によって対処する部省が違うんですね」


 勉強になったよと言えば、翔信は肩口にかかった三つ編みを、誇らしそうに手で背中へ払っていた。

 申し訳ないけど、おそらく明日には忘れていると思う。

 月英の頭は、香療術関連しか記憶されないようにできていた。


「さて、これ以上王都を眺めてるだけじゃ時間がもったいないですし、まずは茶心堂に行きたいんですけど」

「確かそこって、移香茶の茶葉を預けてたって茶商だよな」

「ええ、亞妃様の侍女さんの実家なんですよ」


「何だと!?」と翔信が目の色を変える。


「いいねぇ。お父様とお知り合いになって、その侍女ちゃんを紹介してもらいたいもんだ」

「…………」


 月英は隣の、恐らく官吏としては優秀なのだろうが女人に対しては欲が先走りすぎている男を、冷ややかな目で見つめた。


「李刑部尚書に、付添人を変えてもらうように言おうかな」

「わぁぁっ、そんな冷たいこと言うなって! 冗談だよ、じょーだん!」


 背に縋りつく翔信に構わず、月英は「はいはい」と茶心堂へと足を向けた。

 




 

 茶心堂の扉を開けば、受付台の向こうにいた鄒央が月英を目にして動きを止めた。

「げ……月英くん……」

「鄒央さん、今回は迷惑を掛けてしまってすみませんでした」


 鄒央が何かを言う前に、月英は入り口で深々と頭を下げた。

 一番最初に移香茶が原因と聞いたとき、真っ先に茶心堂に謝りに行かなければと思った。移香茶という未知のものを信じて、広める手伝いをしてくれた鄒央に迷惑を掛けてしまったのだから。

 きっと彼は怒っているに違いない。当然だ。だから、月英はどんな罵倒でも受け入れるつもりだった。

 下げた頭の下で、月英は唇を噛みしめる。

 すると、バタバタと足音がしたと思えば、足元を映していた月英の視界に見慣れない靴が入ってくる。


「良かったよ、月英くん! 大丈夫だったかい!?」


 次の瞬間、両肩を掴まれたと思ったら、グイッと折っていた上体を起こされた。

 鄒央の予想外の反応に、前髪の下で目を瞬かせていると、彼は矢継ぎ早に言葉を続ける。


「いやぁ、突然王宮の監察御史だって人達がやってきて、君のことを根掘り葉掘り聞いていくんだから。移香茶で体調不良者が出たってのでうちもそりゃあ騒ぎになったけど、何というか、監察御史の人達の剣幕が凄かったからね。てっきり首でも刎ねられてやしないか心配だったんだよ」


 まくし立てるように一息に言い終わった鄒王は、そこでやっと息を深く吸い落ち着きを取り戻す。そこで肩を掴んでいた目の前の相手が、気圧されて硬直していることに気付いた。


「ああ、すまない月英くん。大丈夫かね?」

「ナ、ナントカ……」


 この怒濤の勢い。やはり鄒鈴の父親だなと再確認した。


「――じゃなくて、鄒央さん本当にすみません! 僕、そんなことが起こっていたなんて、つい先日まで知らなくて……」


 鄒央の目が丸くなる。


「知らなかったってことは、やはり月英くんの仕業じゃなかったんだね」

「もちろんです!」


 力強く肯定に頷く月英に、鄒央は安堵の息を吐いた。


「やはりか。おかしいと思ったんだよ。移香茶を広めたいと言っていた君が、逆に移香茶を貶めるようなことをするのかって」


 月英はぶんぶんと横に首を振った。


「とすると、偶然体調を崩した者が重なっただけなのか……それとも別の奴が何かしたのか……」


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