2-5 それ、俗に暗黒職務って言うんだよ

「ぁあ、あの! 飲んだ方達は今は大丈夫なんですか!? 体調不良って、まさか死んだり……」

「安心しろ、月英。毒は死に至るようなものじゃなかった。今は街医士達の治療で全員回復してる」


 顔を蒼白にして、李庚子りこうしの裾にしがみついた月英の肩に、翔信が落ち着けとばかりに手を置いた。

 月英は翔信の言葉にほっと息を吐き、握りしめていた李庚子の裾から手を離す。


「あ……すみません。裾がシワシワに――」


 月英が謝罪に顔を上げれば、そこで李庚子の静かな視線に気付く。


「――っ!」


 何かを計るような目をしていた。

 あいにく、片方は眼鏡に光が反射してその奥の瞳は見えないが、片目だけでも充分に彼が訝しんでいるというのが伝わってくる。

 思わずゴクリと月英の喉が鳴る。


「不思議なのはその瞳の色だけではないようだな」

「え」

「君が捕らえられたと聞いて、様々な方から苦情が入った。だが、刑部としては疑念の余地がある者を、苦情が来たくらいで解放するわけにはいかん。無実だと言うのなら無実という証拠を揃えてもらわないと。それが法治というものだからな」

「あ、あぁなるほど! 僕が移香茶に毒を仕込んだと思われたから、こうして拘束されてるんですね」

「今頃気付くんだ」


 翔信がぼそりと呆れた声を漏らす。

 仕方ない。懸念と驚きでそこまで自分のことに頭が回っていなかったのだから。


 ――良かった。女だってばれたわけじゃなかったんだ。



「えっと、それで話ってなんですか?」


 捕らえられた原因を、わざわざ刑部尚書自ら教えに来てくれたわけではないだろう。

 翔信の働き方を思い出せば、刑部にそんなの余裕などないことは察せられた。

 李庚子が左目の片眼鏡をかけ直せば、端に付いた細い飾り紐も揺れ、金属特有の涼やかな音を奏でる。


「陽月英。条件次第で君には一週間の猶予を与える」

「猶予ですか?」


 こてんと首を傾げる。


「自分で自分の無実を証明してみせろ」

「ええ! 証明!?」


 驚きに、月英は再び李庚子の裾に飛びついた。


「本来ならば、御史台が全て調査をするからこういったことは許されないが、今回だけは特別だ」


 李庚子の目が、足元で碧い目を白黒させている月英を捉える。


「君の身の上を考えれば、確かにこの状況はいささか不公平かと思ってな」

「不公平?」

「何事も公平平等公明正大。それが法治の要である刑部に課された役目」

「でも、無実を証明って……ここからどうやってそんなこと……」

「猶予期間のみ牢から解放する」

「じゃあ僕は家に帰れるんですか。香療房にも」


 安心したのも束の間、李庚子は首を横に振る。


「それは許されない。もちろん、関係者――調査に不要な者達との接触も控えてもらう。例えば太医院や……皇帝陛下などな」


「陛下?」と月英は首をひねったが、李庚子は言葉を続ける。


「加えて、牢から出られる時間は辰の刻朝七時から申の刻夕五時まで。出るときは必ずこの翔信を伴うこと。それが条件だ」

「辰の刻から申の刻までっていう時間制限は何でですか?」

「官吏の業務時間だ」


 なるほど。残業はさせないと。素晴らしい。


 ――あれ? でも翔信殿達っていつも死にかけてたような。


 床で死体のように伸びている官吏を見たのは、記憶に新しい。

 そんな気持ちを抱いて隣の翔信をチラと見やれば、言いたいことが分かったのだろう。


「業務が終わるってのと、家に帰れるかってのは別問題なんだぜ」と、牢屋の隅よりも暗い瞳をして呟いていた。


「どうだ、陽月英。受けるか」

「……このままだとどうなりますか」

「十中八九、有罪だろうな」


 証拠が集められなくても、このままじっとしていても有罪。

 ならば、月英の選択肢は一つだけだろう。


「もちろんやります! 汚名挽回です!」

「そんなもん挽回するな。名誉挽回だろ」

「健闘を祈るよ」


 李庚子は片口を上げて笑むと、月英が掴んでいた裾をピッと引っ張り抜いて踵を返した。


「行くぞ、翔信」

「あ、はい! ただ今!」


 翔信は李庚子の声に慌てて腰を上げ、小走りで李庚子について行く。


「じゃあ月英、また明日迎えに来るからな」


 月英に人差し指を向け、「ちゃんと起きとけよ」と翔信は釘を刺して牢塔を出て行った。

 二人が出て行った後の牢屋は、反動でひどく静かに思えた。



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