第8話 秘密
「お疲れさまでした、先輩」
柳井書店でのバイトを終え、帰る身支度をしていときに夢花から麦茶が入ったコップを手渡された。
「ありがとう」
「いえ、これぐらいは」
「夢花ちゃ~ん」
「うわ、紗弥加さん、止めてください、麦茶がこぼれてしまいます」
同じくバイトに入っていた紗弥加が夢花に抱き着くと恥ずかしそうに夢花の顔が赤くなる。
「充電完了、これでもう3時間ぐらい働けるよ」
「今日はもう店じまいです」
「そうだった」と頭をかきながら、渡された麦茶を飲む紗弥加。
「それで、先輩私に話ってなんでしょうか?」
「柳井さん、今まで僕の書いた小説全部読んだでしょ?」
「はい、もちろん読みましたけど……」
「それで、できれば感想を教えてほしいなって思って」
「私の感想とか当てにならないですよ」
「それでも身近な人に批評してもらった方がどこがダメなのか分かると思うんだ」
「でも……」と言いながら、夢花は胸のあたりを押さえながら戸惑っていた。紗弥加は口にコップを当てながらこちらの様子を見ていた。
「やっぱり、ごめんなさい。私には無理です」
「ううん、ごめんね、無理言っちゃって」
「いえ、私の方こそお役に立てなくて……」
「気にしないでいいよ。自分の方で頑張ってみるから」
そう言い残して純は従業員室から出ていった。
「夢花ちゃん、小説の感想ぐらい言ってあげれば良かったんじゃないの?」
「私なんかの意見が参考になるとは思いませんよ」
「そんなことないでしょ? ユ……夢花ちゃん以上に小説のこと詳しい子、純くんの周りにはいないと思うけどな」
「何か言いたそうですね?」
「別に何もないよ」
紗弥加と夢花の間に微妙な空気が流れる。お互いを嫌っているわけではないが、相手の顔色を窺っているような空気感。
「それに昔、先輩と同じように小説を目指している子に私が厳しい意見を言っちゃったことがあるんです。そしたらその子、二度と小説を書かなくなりました。先輩もそうなるんじゃないかって怖くて……」
「純くんはそんなにやわじゃないよ」
「そうですかね」
「そうだよ。じゃなかったら、とっくに小説家なんて諦めちゃってると思うわよ」
10連敗という結果を受けてなお小説家を諦めていない純を夢花も紗弥加も尊敬していた。
「それもそうですね」
「純くんは夢花ちゃんのことを頼りに来たんじゃないの? 違う?」
夢花も純から昨晩の出来事は聞いていた。次の新人賞で一次審査を突破しなくちゃいけないことも。
「それとも、このまま純くんが夢を諦めさせちゃってもいいの?」
「それは……」
純が未だに小説家の道を諦めていないことを夢花は尊敬していた。夢花にも夢があり、今でも叶えるために努力を続けている。先輩が頑張っているから私も頑張れる、そんな感情が夢花の中にあったのも事実。だからこそ、純が夢を辞めることになったら支えとなっていたものが壊れてしまうのではないかと危惧していた。
「分かりました。私先輩に協力します」
「それでこそ、夢花ちゃんだよ」
夢花は純に「明日今までの小説の感想を伝えます」との連絡を送ると、すぐに返信が返ってきた。
「それにしても、紗弥加さんはすごいですね」
「何が?」
「先輩のこと好きだったのに、振られてもなお先輩に協力してあげてるんですから」
「私、純くんが好きだって夢花ちゃんに言ったっけ?」
「紗弥加さんの顔を見てれば誰でもわかりますよ。告白のことは偶然聞いてしまったんですけどね」
純と紗弥加に来月のシフトを相談しようとバイト終わりの二人の後を追いかけていたら、紗弥加が大胆に告白していた。二人にバレるわけもいかず木の裏に隠れてやり過ごしていた。
一部始終見てしまったことできまずくなり、シフトの相談は翌日へと持ち越していた。
「なんだ、やっぱりバレちゃってたか」
「先輩もすごいですね、紗弥加さんのことをあんな風に断るなんて」
「ほんと、そう思うわ。例えば夢花ちゃんのことが好きって言われれば私も諦めたかもしれないけど、Vtuberの名前を出すなんてどうかしてると思っちゃったわ」
「先輩は私のことどうとも思ってませんよ」
「どうかな~。いつも楽しそうに遊びに行ってるでしょ?」
「それはたまたまで……」
「夢花ちゃんの方こそどうなの? 純くんのこと好きだったり……」
「それはないです」
紗弥加の言葉を遮るかのように即答をした。
「私は恋なんて興味はないですから」
夢花には忘れられない過去がある。もう何年も誰かを好きになったことはない。それは仲良くしている菱村純も例外ではない。
――― いつか、僕にも絵を描いてよ!
これは何年も夢花を縛り続けている言葉。忘れたくても忘れることができない。
「まあ、いいか。でも夢花ちゃん……もし純くんのことを好きになったらすぐに言いに来ること。それは約束ね」
「絶対にないと思うますけど、わかりました、約束します」
過去の出来事を忘れられない限り、そんな気持ちは芽生えることもできない。
「それにしても紗弥加はいいんですか?」
「何が?」
「だって、もし先輩が小説家になることができたらうすい先生に会えるかもしれないんですよ。そしたら先輩本気でその人のこと追っかけてしまいませんかね?」
純がうすい先生は恩人だと夢花たちには言っているが、3年近くも純のことを精神的に支えている人である。そんなうすい先生に会うことができてしまったら、純の気持ちは完全にうすい先生に向けられてしまって、紗弥加に振り向くことなんてなくなるのではないかと、夢花は考えていた。
「それはそれでも良いかな~って」
「え?」
「ううん、なんでもない。ただ私は純くんが小説を書いている姿が好きだから、純くんの夢は応援してあげたいんだ」
「やっぱりお人よしすぎますよ」
「いや、そんなことはないよ……」と夢花に聞こえないぐらい小さな声で紗弥加はつぶやいた。
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