第百一話 計画(我妻冬海)

【荒川慎二】

 原田が真っ赤な紅茶にミルクで白い渦を描く。砂糖は入れないらしい。俺のコーヒーもすぐに来た。原田がスプーンを置いて顔を上げた。

「それで、心変わりした理由は?」

「ただの出来心だよ。外の空気を吸いたくなった。でも何もないのも嫌だから映画に行ってきた」

「映画目当てってことだな。それにしてももう終わったんだ。」

「朝一の回は九時に始まる。」

「そうなんだ。映画なんてもう何年も行ってないからわかんねーや。」

「年単位で行っていないのか」

「ああ、俺は映像に特別興味なんてないし、金曜ロードショーって強い味方がいる。」

「こういう奴らばっかりだから映画産業が喘いでるんだろうな」

「私たちが犯人でーす」

原田は戯けた。

「原田こそ毎日同じカフェに来るなんて。飽きないのか」

「正直飽きてる。この紅茶にも」

「他の頼めば?」

「回数券の対象外なんだ。コーヒーと紅茶を交互に頼んでる。」

「なるほど。そんなにあのいとこが嫌なのか?」

「ああ」

「ずっと思ってたんだがなんで絶対参加の大晦日と正月より前に屋敷に行くんだ?」

「親に言われるんだ。勝手に欠席すれば誰かが密告するしな」

「めんどいな」

「ああ。荒川の方も今親いないんだっけ」

「ああ」

「親に腹立たない?」

「立たねーよ、なんで。」

「おれはたつ。振り回されてるのに旅行みたいなお楽しみは留守番なんて。」

「そうか?」

「ごめん。」

「なんで謝る。」

「いや、荒川に比べたら俺は振り回されてないなって思い直しただけ。夕飯準備しておいたら必要なかったとか、間違えて洗った服をもう一度洗っちゃったとか、そんなことだから。」

「二度同じ服洗うってウケるな。セーターを乾燥機にってのはやって叱られたことはあるけど。」

「やだなそれ。」

「そう言う時に限って高価だったり、お気に入りのだったりな」

「そんなもんだな。」

「原田は優しいんだと思うぜ」

「え」

「原田は嫉妬するくらいには親にまだ興味があるってことだろ。俺は正直親のことにもう興味がない。だから親のTシャツの色落ちが早まっちまおうが、離婚しようがどうでもいいんだ。気なんてもう使わないよ。」

「割り切れてるんだな。親は親、自分は自分って」

「いいやそこまではできてねえよ。距離感ってむずいよ。振り回されるのも嫌だし言い訳にもしたくないけど金銭的にも感情的にも完全に離れたくもないじゃん。」

「荒川は大人だな」

「よせよ。」

「本当に嫌そうだな」

顔にがっつり出てたらしい。

「最近よく思うだけ。こんな辛気臭い話じゃなくて楽しい話しようぜ。そのために来たんだし。」

「そうだな。花園のトライくんって覚えてるか?」

「ああ、着ぐるみだろ。ゆるキャラ」

「そうそう。」

ベビーカーに乗った赤ちゃんによってもたらされたトライくんの悲劇の話を俺は道中なぜか献花するように立てかけられていた長ネギと南瓜の話をした。あとは、よく覚えてない。腹が減ったら軽食を頼み、話のネタが切れたらWiFiをつないでそれぞれゲームをやった。空いているおかげで罪悪感なくカフェに長居できる。それでも夕日が差し込んでいい加減外に出ようかと思った時原田が言った。

「なあ、もう見たい映画はないのか?」

「なんで」

「一緒に来てよ。話を聞いたら行きたくなった。」

「なるほど。」

「今から?」

「ああ」

「完全に遅刻だ。」

「それが狙いだ」

「悪い奴だな。」

「まあまあ前後十五分は遅刻じゃない」

「遅刻だよ」

「じゃあこれはどうだ。時間もちょうどよさそうだ。新しく入った後輩のおすすめ。」

俺はHPを開いてiPhoneを差し出した。

「フランス映画?ってことはシネフィル系?」

「シネフィルってフランス語で映画狂、映画バカみたいな意味だ。ジャンルじゃない」

「そうなの」

「ああ」

「よく知ってるな」

「冬海先輩がフランス語に堪能でな。」

「マジで」

「レオン先輩によればイタリア語もいけるらしい」

「英語赤点って西宮先輩が言ってたから外国語は苦手なのかと」

「英語はボロボロだって」

「なんで?同じインドヨーロッパ語族だろ?アルファベットだし」

「俺は英語は得意だけどスペイン語もイタリア語もできない。俺は日常的に漢字を使っているがわかる中国語は美式珈琲と加油だけだ。発音に関してはさっぱり。原田はできるのか?」

「小籠包、麻婆豆腐、青椒肉絲」

真面目腐った顔で原田は続けた。

「それは俺もわかる。それより映画だろ?」

せっかくの機会だ。原田を映画館で見る映画の魅力に目覚めさせたい。

「でもフランス映画はちょっとなんかやだな。重たいのはやだ。」

「馬鹿馬鹿しいコメディだよ。最初から最後までボケる気しかない、法令遵守は期待するな。迷ったら笑っとけ。」

「面白いの?」

「見たことないからわからないよ」

原田はたまにこういう変なことを聞く。


【計画 我妻冬海】

 自分のおやつのついでに金魚にも餌をあげながら思う。水族館は良い気晴らしになった。夏樹ちゃんは私が好きだった人が自分だったなんて想像だにしていないだろう。夏樹ちゃんは面白いな。過去の私が惚れるのもわかる気がする。

 さて、数ヶ月でさようならのこの学校のことは置いておいてやらなきゃいけないことがたくさんある。刺激的な生活をするために今は準備に励まないといけない。

 時々今更なことで不安になる。もっと楽しい生徒生活があったのかな。私、うまくやれたかな。良い先輩だったかな。何馬鹿なこと思っているんだろうね。私はその時その時全力で考えて行動した。後悔する隙なんてない。みんなあなたは強いと言ってくれる。先生に親に歯向かえるなんてすごい。自分の意思を大切にしているんだね。そんなことない、根源的なことで私はいろいろ気を遣ってる。もちろんそれは身を守る行為でもあるんだけど、そしてそれは成功している。そうなんだけど。喜ぶべきなんだけど、でも全然私は満足してない。やりたいことをやってるはずだけど物足りないんだ。

 悔しかった。もっと理想目指そうぜ、もっと素直になろうぜ。これ以上嫌われたくない?どこかでそう思って甘えていたんじゃない?不自由さに甘えていたら楽しいものだって楽しくなるに決まってる。ダメダメだったな。

 アーモンドをバリバリやりながら思う。さあ、準備の続きだ。泣いても叫んでも時間は戻ってこないんだ。覚悟を決めたらあとはやるだけ。周到にやればいいんだ。書類とか色々慣れないことも多いけど師匠は色々親身になって教えてくれた。私は一人じゃない。だから今回は上手くやれるはずだ。私は自分を鼓舞してまた机に戻った。物足りないなら足りるまでやるしかない。私は我妻冬海、私にはその資格がある。


【つづく】

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