教団の痕跡

特別神務機関局『SGMA』の地下中枢。私は温かいブラックコーヒーを一口飲み、冷徹な分析官・佐伯智春の前に立っていた。

佐伯は、先程鎮圧したNPC南崎の消滅した地点から収集した微細なデータ(残滓)を、ホログラムの立体スクリーンに投影していた。

「分析結果が出ました、遼司局長。」佐伯は感情のない声で報告を始めた。

「NPC南崎は、極めて短期間で魂魄の90%以上が旧支配者の『信仰波』に浸食されていました。これは、人間が意図的に南崎のシステムに干渉し、強制的に信仰を植え付けた証拠です。」

ホログラムには、警備員南崎の生前の姿が浮かび上がり、その胸部に埋め込まれるように、黒い、うねりのあるエネルギーの塊が脈打っていた。

「これが、八千代さんの言っていた『魂の濁り』ですか。」私はマグカップを静かにテーブルに置いた。

「ええ。この濁りは、創造神ショロトル様が封印した『旧支配者(Great Old Ones)』と呼ばれる存在への信仰心によって発生します。」八千代さんが説明を補足する。

「局長。この宇宙には、人類の歴史が始まる遥か太古から存在した、星々の神々がいます。我々が創造神と呼ぶのは、世界中の神話に登場するような、地球の秩序を守る存在。そして、彼らが戦い、勝利して『混沌の深淵』に封印したのが、旧支配者と呼ばれる者たちです。」

佐伯はスクリーンを切り替えた。そこには、過去の文明の壁画のような、おぞましい触手を持つ巨大な怪物の姿が映し出されていた。

「彼らは、人間の理性や、世界の物理法則の外側にある存在です。しかし、八千代さんが仰ったように、彼らの復活を願う人間はいます。このSAGA SAGAの世界は、元々は現世に生きるプレイヤー(人間)が、精神を投射して遊ぶための仮想空間でした。」

佐伯の視線が、一瞬だけ私に向けられた。

「本来、この世界は、現世の技術によって完璧に統制されているはずでした。しかし、システムコアには、我々の解析を超える**『未知の異物』**が混入しており、旧支配者たちが、この仮想空間を『復活の舞台』として利用することを許してしまった。それが、SAGA SAGAの真実です。」

「未知の異物……。」

私は、この世界をお孫さんが作ったことを知っている。そして、そのお孫さんが知らないうちに、神々の世界と融合してしまったという事実も。佐伯の言う『異物』こそが、神々の世界の介入に他ならないのだろう。

「今回のNPC南崎のバグは、旧支配者の中でも**『クトゥルフ』を信仰するプレイヤーによるものです。そして、残滓の解析から、プレイヤーが残した『デジタル・タグ』**を発見しました。」

佐伯は、画面に新しい画像を表示した。それは、何の特徴もない、シンプルなウェブサイトのトップページのような画面だったが、その端に、薄く墨を塗り重ねたようなシンボルマークが貼り付けられていた。

「これは、**『旧き教団』**のシンボルです。彼らは、旧支配者の復活を至上命題とする、このSAGASAGAの世界で最も危険なカルト集団の一つです。彼らは、自らが運営する架空のウェブサイトや、バグ化したNPCの身体に、必ずこのシンボルをマーキングする癖があります。」

八千代さんが、ホログラムのシンボルマークを指差した。

「このデジタル・タグは、アトランティス大陸・アトランティア市に実在する、とある場所の座標を指し示しています。彼らは、次の儀式のため、その場所を拠点として利用している可能性が高い。」

佐伯が淡々と情報を読み上げる。

「位置情報は、アトランティア市中心部から外れた**『歓楽街バビロン』**の一角にある、廃墟となったパチンコ店です。プレイヤーが物理的な拠点を築く際、最も人目に付かず、しかし、デジタル情報の伝達が容易な場所を選びます。」

廃墟のパチンコ店。それは、かつて私が、生活費を握りしめて足を運んだ、現世の記憶の残滓のような場所だった。

八千代さんが、私の目をまっすぐに見つめ、強く言った。

「遼司局長。あなたの次の任務です。そのパチンコ店へ赴き、旧き教団の**『デジタル・タグ』を追ったプレイヤー**、そして、彼らに利用されているNPCのリーダー格を、特定・鎮圧してください。」

「単独での行動ですか?」

「いいえ。」八千代さんは微笑んだ。

「まだお会いいただいていない、もう一人の補佐役が同行します。彼女は、システム解析の佐伯とは対照的に、あなたの現場での盾となり、外部からの攻撃を排除する武闘派のプロフェッショナルです。」

その言葉と共に、SGMA中枢の奥まった扉が開いた。そこから、一人の女性が、カツカツとハイヒールの音を響かせながら、こちらへ向かってくるのが見えた。

彼女は、八千代さんのような事務服ではなく、黒いレザースーツに身を包み、背中には大振りの日本刀のようなものが収められた鞘が見える。その目つきは鋭く、全身から、佐伯や八千代さんとは比べ物にならないほどの、殺気立った緊張感を放っていた。

「お待たせしました、八千代さん。私が、局長の**『剣』**となります。阿武隈局長、佐伯のデータは確認済みです。行きましょう、バビロンへ。」

彼女は私に一瞥もくれず、ただ、獲物を追う獣のような、冷たい情熱を秘めた声で言った。

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