番外編 腹が減ってはイクサはできぬ!?

一膳目 クレープ

「ここが人の世界、ですか」

 境目を通り抜け、八尋は人間の世界へと降り立った。その体には無数の傷跡が残っていた。


 ――― 八尋、後は頼みます。


「分かっています。姉様」

 姉だけじゃない、多くの鬼の願いを背に自分はやってきた。

「まずは若君を探し、そしてこの是空をお渡しする。奴らよりも先に……」

 キュウ、と腹が鳴った。

「?」

 腹が鳴る、というのはどういう事だろうか。確か、人間の世界に行くと腹が鳴るようになる、と聞いたことはあったが……。

「鳴ってどうなるのだ?」

 首をかしげ、すたすたと八尋は歩いていく。道を歩けば人がこちらを向いて驚いたように目を丸くする。

(確かに鬼など、もう伝承の中にしかいないと姉様が言っていたな)

 それほど人間と自分達鬼の間には溝ができてしまっている、と。けれども、それにしたって変な目だ。

「あの!」

「なんだ?」

「その恰好めっちゃにあってますけど、何のキャラですか!?」

 数人の子どもの群れに取り囲まれた。視線が合うので、おおよそ十年ほど生きた個体なのだろう。もっと幼いと鬼の世界のにおいが混じっていることもあるが、もうこの世界の匂いしか漂ってこない。男と女が半々と言ったところで、色違いの背嚢を背負っている。

(人間の幼体は好奇心が強いと聞いていたが、これほどとは)

 鬼の子どもはあらかじめ”こういう世界だ”というものを知って生まれてくる。生まれてすぐに言葉を扱えるものもいるし、鹿の子の様に生まれて数時間もすれば走れるようにもなる。

「キャラ?」

「よく見たらその肌のペインティング細かいですね! タトゥーの材料なんですか?」

「ペインティング? タトゥー?」

(人間の言葉……にしてはなじみがないな)

「刺青って事ですよ! シール……でもないし、凄いデザイン力!」

「刺青……あぁ。それならばわかる。だがこれは我が血族に伝わる紋様で、生まれつきのものだ。取る事はかなわんし、取る方法など存在しない」

 その言葉に、子どもはぱぁと顔を輝かせた。

「すごい世界観の作り込みだ!!」

「?」

「なんのゲームですか? アニメですか? 漫画ですか?」

「????」

 いっこうに話がかみ合わない。子ども達はやれこのアニメの話だ、いやこちらのゲームだ、と言い合っている。

(いかん、子ども可愛いが、見とれていては若君を探せない―――)

 ぎゅるるるるる!

「!?」

「何の音!?」

「なんの音だ!?」

 と言ったとたん、八尋に子ども達の目が一斉に向く。

「お姉さんから聞こえてきたよ?」

「は?」

「すごいお腹の音……なにも食べてないの?」

「いや、我々に食べるという機能は……」

 ぐるぐるる。

 八尋はそう言われ、腹を触ってみる。確かに何か足りない気がしてきた。

「あ、そうだ! 迷惑かけてしまったから、何か買ってきます!」

 そう言って二人ほど少女が遠ざかると、しばらくして戻ってきた。

「なんだこれ?」

 手渡されたそれは紙が巻かれた不思議な物体だった。目を引くのは赤い果物に、白い塊、どろりとした茶色の液体からは甘い臭いがした。

「クレープどうぞ!」

「一番安い奴ですけど、おいしいから!」

「あ、ああ」

 そう言われ、クンクンと匂いを嗅ぐ。甘い臭いが足りない感覚を補ってくれている気がした。

(毒……は無いな)

 そもそも鬼に毒は効かないので警戒することは無いが、念のためだ。鬼と人間の間の溝は自分は伝え聞いたものでしかない。けれど、警戒するに越したことは無い。

「いただきます」

 じゃ、と子ども達が去っていった。

「食べる……のか? 立ったまま? ここで?」

 たしかに紙のお陰で手を汚さずに食べられるだろうが、外で食べるのならばまだしも立ったまま食べるなど、礼儀がなってないと言われないだろうか。

「どこか、座るところは……」 

 きょろきょろと辺りを見渡すと、長椅子が見つかった。そこに腰を掛けてもう一度よく観察してみる。鼻を近づけてもう一度よく嗅いでみる。甘い、というのだから砂糖が使われているのは間違いない。

「ふむ、成程小麦か」

 小麦を練って薄く伸ばしているのだ。その上から苺や、牛の乳を攪拌したものをかけているのだろう。

「菓子にしては豪勢だな」

 自分の知っている菓子と言えば、柿や枇杷といった果実だ。それを加工しようという考えが思いつかなかった。

 パクリ、と一口含んだだけで、八尋の顔がとろんとなった。甘いものというのはこうも幸せになれるのか、と自然に笑みがこぼれてしまう。

「この皮のもちもちとした感覚! とろりとした茶色の汁もほのかな苦みを残していて、甘ったるいだけではないのだな!」

 においだけでは気づかなかったが、甘いだけでは飽きてしまう。だからこそ、この茶色の汁が生きてくる。

「うまい!」

 そう言葉にして叫んでいると、若い娘が顔を赤くして近づいてきた。

「喜んでくださって、ありがとうございます」

「貴様がこれの職人か?」

「え? あぁ、職人。っていうか、まだ駆け出しですけど……」

 もじもじとした言葉ではあったが、嬉しさが全身からにじみ出ていた。

「この茶色の汁は何だ?」

「へ? あぁ、チョコレートシロップですよ。うちはビターチョコをベースに蜂蜜や黒糖で味に深みを出しているんですよ」

「ふむ、ふむ? チョコレート……」

 チョコレートというのは確か飲み物だったような気がするが、甘い菓子に化けるとは思いもしなかった。

「おいしいな、これは!」

「ありがとうございます。ぜひまた、いらしてください」

 娘に礼を言い、八尋は歩き出した。

「人間の世界にやってきて、不安でしたが、良い出会いがありました」

 あれほどのことがあったから、人の世界もまた荒れていたかと思っていたが、そうでもないことが分かり、ひとまず一息付けた。

「……ところで」

 八尋は高台に上り、呟いた。

「若君のいらっしゃる町はどちらでしたっけ?」

 八尋が戦の元へ駆けつけるまで、それから何日もかかったという。

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