第2話 軋む日々
「やっと終わったー!」
7限終わりのチャイムと同時に戦は伸びをした。机の上には筆記用具やノート、参考書などが散乱している。
「いつもながら、ひどい有り様ね」
「そういうお前は何だよ、春野」
ため息をつきながら、学級委員長の春野鈴夏が声をかけてきた。校則をしっかり守っているお堅い、よくある委員長、という感じの女子だ。春野は中学校の頃から変わらない。彼女曰く”ぼんやりしている”戦は格好の的のようで、何かにつけて小言を言いに来る。
戦だけではなく、あちこちに言って回っているというのに、戦と違って人に囲まれている。
「生物のノートの回収に来たのよ。さっさと出しなさい」
「あぁ、いいぜ」
そう言って机を漁ると、生物のノートはすぐに見つかった。それをぽんと春野に手渡すと、戦は席を立った。
「あのさ……」
「なんだよ?」
「今度の週末……な、なんでもない! 週末って言えば掻き込み時だもの」
「勉強会ならノリちゃん達誘ってファミレスでしようぜ」
「え? えぇ、そうね。孝則君やちぃちゃん達も誘ってみましょ。ね、ちぃちゃん」
「え、ええ。みんなでやった方がモチベーションも上がるし」
ちぃちゃんとは春野の親友の女子生徒の事で、いつも一緒にいる所を見る。いつもちぃちゃんというものだから、本名はぱっと思い出せない。
「じゃあ、俺帰るから」
そう言って校舎を出て、自転車置き場にやってきた。まだホームルームが終わっていないのだろうか、自転車は朝とほとんど変わらないくらいあった。遠くでは運動部のストレッチの掛け声が聞こえてくる。
「さて、と。父さんの塩昆布キャベツ食べよ――」
車止めから自転車を引き出そうとしたとたん、ふわっと風が吹いた。その風は季節外れなまでに冷たく、戦の視線を奪うのに十分だった。駐輪所の片隅で誰かが倒れている。とっさに自転車を戻し、戦は駆け寄る。
「だ、大丈夫!?」
見たところ一年生の女子のようだ。目立ったけがはなく、気を失っているように見えた。女子生徒の周りには彼女のものと思しきかばんや持ち物が散乱している。
貧血? それとも別の何か?
(父さんはこんな時どうしてたっけ?)
「えっと、先生? それとも救急し――」
とりあえず携帯を取り出そうとした。その刹那、携帯は戦の背後に飛んでいった。あっけにとられる間もなく、戦の目の前には黒いもやのような物が現れた。それは女子生徒を包み込み、そしてゆらりと立たせた。
がく、がく、とまるで操り人形のように生気のない動きを始める。もやは彼女の顔を覆い、表情が全く見えない。
(ドッキリ? いや、そんなことない! 心霊現象?)
一歩も動けずにたじろぐ戦の目の前で何かが光った。慌てて首を横にそらし躱した。しゃ、と頬骨のあたりを何かがかすった。
「……なんで? ……どうして?」
か細い声がもやに隠れた顔から漏れだす。今にも壊れてしまいそうな引きちぎられた声だった。もやは次第にその形を鮮明にしていく。その形を例えるなら――剣。
(何が起こってる!?)
もやが形をとるなんて見たことが無い。あるとするなら、子どもの頃に見た空気砲のドーナツ型のそれしかない。ゲームや漫画でよく見かける両刃の剣は女子生徒の手にしっかりと握られた。
「どうして、うまくいかないのぉぉぉぉ!」
絶叫が駐輪場にこだまする。その声に呼応するように剣に宿る黒々とした光を強めていく。戦の頭では理解し得ない状況が目の前にある。
逃げないと、そう思えば思うほど地面に足を縫い付けられる。足を動かせ、遠くへ逃げよう、こんなのは異常だ、と思えば思うほど夕闇に閉ざされていく。
「あぁ! いいわ! 全部壊してしまおう!」
先程まですすり泣いていたというのに、もやに体を包まれた相手は今や歓喜の叫びをあげている。笑い声をあげるたび、その剣の光は禍々しく輝いていく。
「まずは手始めにあなたを刻んでみよう! この剣で!」
「まずい!!」
距離を詰められる! 死が頭によぎった時、声が聞こえた。
「若君!」
先程の女子生徒とは違う女子の声。その声が響き終ると同時に、もやに包まれた女子生徒は壁際へと吹き飛ばされた。誰かが割り込んできて、そして突風を起こした。とっさに膝をつき、目を閉じてしまうがゆっくりと目を見開いた。
「こんどは、なん、だ?」
黄金。そして、赤が目に入る。
黄金色の髪を結いあげ、赤い忍者服のような服をまとった少女が目の前にいる。首元に巻いた黒いマフラーが風を受けて翼のように広がっている。年の頃は戦と変わらないくらいだろうか。
心霊現象の次は忍者のコスプレ少女と来た。何が起こっているのか、理解する気も起きなくなってきたが、ぐっとこらえた。
「誰だ?」
「その質問は後程、今はこの剣憑きの者を退けるのが先決かと」
見かけの割に低い声が返ってきた。鋭い目つきは髪と同じ黄金色にきらめいている。その少女もまた、短剣を腰にさしている。
「その不確かなもやから察するに、
「なぁ、お前どこから来たんだよ! コスプレの撮影なら余所でやれよ!」
戦の声は忍者には届いていないようだ。ぶつぶつと独り言を言っている。もやに包まれた少女が身を起こし、忍者少女へと肉薄する。剣を振り下ろしたかと思えば、忍者は空中へと跳んで逃げる。身をひるがえし、近くの木へ着地する。
「もう自我まで浸食されたのか!? いくらなんでも早すぎだっ!」
「あなたも剣憑きなの? いいわよね、これ。心も体も軽くなって、とてもいい気持ちよ。私を馬鹿にする人達、これで黙ってくれるわ」
「それはまやかしだ! いいか、鍛冶師どもはお前達ヒトの事なぞただの餌にしか思っておらなんだ! 剣を手放せ! 今ならまだ間に合う!」
「むだよ!」
少女が手を宙に掲げると、もやが集積し、巨大な剣へと変わる。少女が手を下ろすと、その剣は空を切り、忍者が立っていた木を根元から切り倒す。
(剣憑き、鍛冶師、浸食……)
彼女たちが言っている言葉の一部も理解できない。けれど、とんでもないことに巻き込まれている事だけは分かる。ゲームや漫画の世界ではよくあることだけれど、実際に巻き込まれるのはごめんだ。
「家の手伝いがあるんで、俺は帰りますよっと……」
おかしなことになってしまったが、全部夢だと思えばいいんだ。巨大な剣も何かの合成CGか何かで、忍者は凄腕のスタントマンか何かだろう。
そう、立ち去ろうとした瞬間、戦の足に何かが絡みついた。
「帰らないで! もう誰も、置いて行かないで!」
少女が剣を今度は縄に変化させ、戦を宙づりにした。そして、そのままぐるぐると振り回す。学校が遊園地になるとは。と、そう思うしかなかった。
「若君っ?! おのれ! 弱きヒトの分際で!」
忍者が目を見開いて、腰にさしていた短剣を抜いた。短剣は忍者というより海賊が使うような反りの深い物だった。戦の足をからめとっていた黒い縄を目にもとまらぬ速さで切り付け、あっという間にバラバラにしていく。
空中に投げ出された戦を忍者が受け止める。逆お姫様だっことは恐れ入った。
「若君、私がついていながら何たるざま。如何なる処遇も受けますゆえ、今しばらくお待ちいただけませんか。あの者は最早ヒトには戻れますまい」
地面に優しく下ろされ、少し冷静になった戦はおずおずと尋ねた。
「あのさ、ものすごく気合入ってらっしゃるところ申し訳ないんですけれど、俺の設定なんなんですか? 撮影の邪魔だけはしたくないんで」
「撮影? なにをおっしゃるのですか若君」
「あーはいはい。俺は若君、ってそんなことないだろ普通!?」
「まさか、うい姫様から何も……っ!?」
飛んできた巨大な剣を打ち払い、忍者が顔をしかめる。力を込めるように上体を低くした忍者は目を閉じた。
「一気にかたをつけます!」
クラウチングスタートを切った忍者は、風のように速く舞い、少女の身体にまとうもやを切り刻んでいく。
「うそ、なんで?」
「浸食が早いだけで実力が伴わないのなら、好機!」
黄金の瞳が少女の手に握られていた短剣をとらえる。その中にチカリ、と光ったそれを見逃さなかった。
「見えた!」
「まって、まって! 壊さないで――っ!」
悲鳴も上げる間もなく、忍者の短剣は少女の短剣に宿っていた小さな宝玉を打ち砕いた。砕かれた途端、少女はまた気を失い、倒れこんだ。忍者はその傍らに座り、首元を軽く撫でる。黒いもやで隠されていた素顔が明らかになり、先程まで彼女を包んでいた気配は跡形もなく消え去っていた。
「……よし」
「若君、これより先、あなた様の力が必要――ってあれ? 若君? 若君―!」
忍者が振り向くよりも先に戦は自転車に乗り込み、家へと急いだ。
「なんだよ、あれ。絶対撮影とかどっきりとかじゃなかった! 何が起こっているんだ!?」
はやる気持ちと同時に車輪の回転も速くなっていく。今までこんな事はなかった。普通に生きていくのだと思っていた……そう。
「あ……あああああ―――――っ!!!!」
燃えさかる町を見るまでは。
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