第10話兄と弟
とある昼さがり、わたしはハロルドを誘って街のカフェに来ていた。
演劇の日から今日まで、わたしが彼を誘ったのは一度や二度の話ではない。それこそ暇に任せて何度も誘っていた。
「えっとここに座っているのは、本当に僕でいいんですか?」
きっと根が真面目なのだろう、彼は毎回この質問から始める。
この真面目さの半分でも、
「ええ大丈夫よ。ルーカスは今日も
だからお兄さんの代わりに、精一杯わたしを持て成して頂戴」
「そうですか……
解りました! 僕に兄上の代わりが務まるとは思えませんが、精一杯頑張ります」
そう言うとハロルドはとても爽やかに笑った。
ほんと、なんでこんないい子があの馬鹿の弟なのかしらね?
ハロルドは基本受け身で話を聞いてくれる。
受け身とは言え、例えば前回、わたしがいま読んでいる本の題名を伝えれば、次に会う時にはそれに目を通していてその感想を伝えてくれた。
同じ題名の本を読んでいれば、どうしても話は弾むから、時間なんてあっという間に過ぎていった。
本の話がひと段落すると、雑談の内容は今度開く夜会の話に移っていた。新居で開く夜会には、同じくらいの年代ばかりを誘っているから、当然ハロルドにも招待状を出してあった。
「そう言えば今度義姉上は夜会のホストをなさるんですよね」
「ええそうよ」
「大変ですよね?」
「気苦労的な意味で? それとも……、お金的な意味かしら?」
「ははは、もちろん気苦労の方ですよ」
「実は招待客に、顔と名前の一致しない人が過半数を超えていてね、その名前を覚えるのが一苦労かしら」
「えーと兄上は一体どうしてそのような人を招待なさったのですか?」
「結婚してから二人で色々なところに顔見世に行ったのだけど、出会った数が多すぎて覚えきれなかったのよ」
「あははっそう言う理由ですか、納得しました」
「あちらはわたしたちだけを覚えれば良いのに、こちらは沢山覚えなきゃいけないなんて、とっても不公平だと思わない?」
「ええ、とても不公平ですね」
「でしょう!」
冗談に同意が得られて思わず微笑んだが、ハロルドは何やら困り顔を見せていた。
「どうかした?」
「二人で色々なところに行ったんですね……」
「ええそうよ。だって一応夫婦ですもの」
「一応って……
義姉上はまだ新婚なんですから、そんなことを言っていると兄上に叱られますよ」
「その叱るべき夫の方は、妻を置いて友人と遊んでいる訳だけどねー
むしろわたしの方こそ彼を叱るべきだと思わない?」
「は、ははは、その件については僕が兄上をちゃんと叱っておきますよ」
「あらありがとう。ハロルドは優しいのね」
すると彼は「とんでもない!」と言いながら、いつものように赤く染めた。
※
執事が持って来た手紙の中に珍しい名が混じっていた。
手紙の内容は簡潔で『話がしたい』とあった。後は『そちらに行く』か、それとも『こちらに来るか』と場所が指定されているだけだ。
行くのか来るのか、選択肢のようで選択肢ではない。
客を呼ぶのならば
しかしあちらは、結婚してからこっち、俺にとっては土曜の晩に話ついでに飯を食べるだけの場所だ。
もっぱら屋敷を好きにしているのはエーデルトラウトで、部屋の様相や廊下の飾りに至るまで、今ではすっかり彼女色に染まっている。
とうに見慣れない他人の家と同じ、正直に言って居心地が悪い。
俺は『そちらに行く』と認めて返した。
俺は三ヶ月ぶりに実家のヴェーデナー公爵邸に帰って来た。
ハロルドが伝えていたのか、玄関に着くと何も言わなくとも執事が応接室へ案内をしてくれた。案内されたのは、普段、父や母が使う方の応接室ではなく、俺やハロルドが好んで使っていた第二応接室の方だ。
兄を待たせるのを良しとしなかったのか、ハロルドはすでに室内で待っていた。
「兄上、今日はわざわざご足労ありがとうございます」
「他人行儀な話し方は止せ、それより突然話とは一体なんだ」
「では失礼して。
兄さんはエーデラ義姉さんの事をどう思っているんです?」
「いきなりだな。
お前の想いは知ってるつもりだが、いまやあいつは俺の妻だぞ。下手な考えを持つなよ」
ハロルドは分かりやすく、不満そうに口を尖らせた。
「僕だって兄さんが普通にしているのならこんなことを言うつもりはないよ。
でも結婚して、まだたった三ヶ月だよ?
それなのにエーデラ義姉さんは、兄さんが忙しいからって、僕を何度も誘ってくるんだよ」
「それは悪かった。帰ったらエーデラにそれとなく迷惑だと伝えておこう」
「そうじゃないよ!
僕は兄さんの事を言っているんだ! 姉さんを放っておいて何をやってるのさ!?
兄さんたちは新婚なんだよ!? お嫁さんよりも大事な友達ってなんだよ!!」
やれやれ、そう言う話か。
エーデラがハロルドを誘っていたのは聞いていた。むしろ俺が誘えと薦めた事もある。当然ハロルドは遠慮したのだろうが、それを封じるのに、あいつは悪戯気分で『
仕事や商談とでも言っておけば角が立たなかっただろうに……
「なるほど。どうやらエーデラは、友人と仕事仲間の区別がついていないようだな……
悪かった、俺がはっきりと伝えなかったばかりにお前に要らぬ心配をかけたようだ。だが安心してくれ、俺とエーデラの間にお前が心配するようなことは何も無いよ」
そう、これは二人とも合意の上の契約結婚だ。
お前が心配するようなことは何もない。
「だったら良いけど……
ちゃんとエーデラ義姉さんを幸せにしてあげてよ」
「くっく、お前の代わりにか」
「ッ! そうだよ!」
その様な真摯な瞳で『幸せに~』と言われれば、流石の俺も返事を躊躇う。だが躊躇ったのはほんの一瞬、すぐに軽口に変えて誤魔化すことに成功した。
「ハハハ。からかって悪かったよ、任せとけ」
一拍置いて、さらに冗談めかした癖に、結局その台詞が言えんとはな……
ちっ俺もハロルドの事は笑えないな。
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