第一章 二人の出会い、全ての始まり(2)

   ***


「なんでさ! レンは貴女を助けただけだよ!」

「ええ、私は助けられました。だからこそ、許せないのです」

 耳の毛を逆立てて、ベネは訴える。それにアマリリサは有無を言わせない口調で応えた。

 それが癖なのか、彼女は肩にかかった金髪を払う。硬い声で、アマリリサは続けた。

「戦闘後に気を抜いたのは私の緩み。あの攻撃は、私が受けるべきでした。受けたうえで、傷ついた体でも勝つべきだったのです。それを不可能にされたこと──屈辱です。ええ、屈辱ですとも。フィークランドの娘は、負けることを許されないのです」

「屈辱って、二回も言った……」

「なんなら三回目も言いましょうか? とにかく、この汚名はそそがねばなりません。私は、

 ぐっと、アマリリサは拳を握り締めた。ん? と、レンは首を傾げる。どうやら彼女には、ただのワガママなどではない、絶対に負けられない理由があるようだ。ならばとレンは思う。しょせん、『空虚な人形』にすぎない自分は強固な信念の前には折れるべきかと。

 どこか悲痛な声で、アマリリサは続けた。

「あの一撃を避けた以上あなたはある程度戦闘慣れしていると見ました。彼との正確な勝敗はもうつけられない以上、あなたに代わりに戦っていただきます! さあ私と決闘を!」

 己の胸に、アマリリサは手を押し当てた。まいったなと、レンは思う。

 確かに戦闘慣れはしている。師匠の下で、多少の実戦経験は積んでいた。だが、それに気づいて欲しくはなかった。一方で、周りは予想通りの反応を返してくれた。

「戦闘慣れ……って、アレ、ユグロ・レンだろ?」

「入学試験で最下位、歴代最低得点を叩き出したんだっけ?」

「結局、家のコネで入学したって話だろ?」

「おいおい、そんな奴、死ぬんじゃねぇの?」

 嘲笑と侮りの言葉が渦巻く。その中にはどろどろとした、黒いモノが込められていた。

 ひとつ、レンは頷く。事実を指摘されたところで、別に負の感情に傷つくことはない。

 歴代最低得点を弾き出したことも、家のコネで入学したことも間違ってはいなかった。正確には、師匠に学園へと強引に放り込まれたわけだが。

 先ほど、折れるべきかと思ったこともある。レンは両手をあげて降参した。

「ほら、周りもこう言ってる。俺が君と戦えば下手をすれば死ぬよ……負けたことにしてくれて構わない。よければ、それで終わらせてもらえないかな?」

「そういうわけにはまいりません。死なないように手加減もします! フィークランドの娘は、一敗たりとも許されはしない。さあ、華麗に、優雅に、魔術戦とまいりましょう!」

 両手を広げ、アマリリサは切実な調子で訴えた。彼女は翠の目の中の闘志を薄めない。駄目だ、これは。レンはそう判断した。心の中で、彼は師匠に相談をする。

(師匠、こういう時はどうしたらいいですかね?)

 ぐっと、師匠は親指を立て、喉元を掻き切る仕草をした。簡単だ。答えはわかっている。

 この学園は、彼女に放りこまれた場所だ。今後いづらくなるような状態にするわけにはいかない。それに人の信念を無理に曲げるのは苦手だ。

 内心、彼はため息を吐いた。諦めたと、レンは彼女に告げる。

「……わかった。ただし、人目のないところでの戦いにしてもらえないか? 衆目の前で手も足も出ずボコボコにされるのはさすがに堪える」

「ボコボコにするつもりもありませんが……了解しました。では、それで」

 周囲からブーイングがあがる。家のコネで入学した、歴代最低得点の弱者が無様に負けるさまを、皆が見たいのだ。だが、アマリリサはそれを無視した。金髪を翻し、彼女は歩き出す。レンはその後を追った。群衆はついてこようとする。彼らに向かって、アマリリサは氷の矢を放った。彼女の本気を感じて、生徒達は慌てて散っていく。

 誰もいなくなったのを見て、アマリリサは満足げに頷いた。

「これで戦いに集中できますね。では、まいりましょう」

「ああ、わかった」

 ベネも含めた三人は、建物の中に戻る。

 螺旋階段を上り、三人は何度か角を曲がった。

 やがて、アマリリサはある部屋の前で足を止めた。巨大な校舎内に、無数にある空き部屋のひとつだ。中には他の部屋と同様に、本棚と読書用の椅子、書き物机だけが並べられている。その内のひとつに触れて、アマリリサは囁いた。

「私がよく本を読んでいるところです」

「奇遇だな。俺も別の部屋でだが本はよく読んでる」

「こんだけ本がある環境で、読書を趣味にするのは一番建設的だしねー。私は違うけども」

「っていうか、ベネ。お前もついてきたら駄目だぞ」

「えええええええええ」

 仰け反りながら、ベネは叫んだ。何言っているんだコイツと、レンは冷たい目を向ける。

 ベネは獣耳をペシャンコに倒した。子供のように、彼女は地団駄を踏む。

「心配してついてきたのに、この非道!」

「なんとでも言え」

「冷酷、馬鹿、悪魔、人の心がない!」

「最後のはちょっと傷ついた」

「あっ、ごめん。ごめんだよ」

 素直に言うとベネは飛びのいた。とぼとぼと、彼女は空き部屋を出ていく。だが、入り口から、ベネはひょこっと顔を覗かせた。蜂蜜色の髪を揺らしながら、彼女は言い添える。

「危なくなったら、すぐに私を呼ぶんだよー」

「大丈夫だから、行けってー」

 ひらひらと手を振って、ベネはいなくなった。きっと、近くをうろついていることだろう。彼女が去ったのを確かめると、アマリリサは本棚をひとつ出した。物語を詠唱し、彼女は扉を不可視の壁で塞ぐ。準備を終えると、アマリリサはレンに向き直った。

「強力な技は使いません。故に屋内でも構わないものと判断しました。ですが、油断はしません。敗北は、フィークランドの汚名。勝利は必ずこの手に──まいります」

「……さて、どうしたもんかな」

 レンは呟いた。負けることならば、いくらでもできる。地に這いつくばることにも抵抗はなかった。だが、相手は才女のアマリリサだ。手を抜いたのが少しでもバレれば、後々まで深刻な尾を引くことが予想できた。そして、彼女の目を欺けるとは思えない。

 アマリリサは全力で戦うことこそ、礼節だと謳うだろう。

 ならば、全力でいこう。

 そう、レンは心に決めた。

「開示!」

 アマリリサは本棚を展開した。そこには、やはり数百の本が詰まっている。

 一方、レンは──。

「開示」

 レンの本棚に、本は一冊しかなかった。

 その表紙はボロボロだ。しかも、細かな修繕が施されている。まるで、、奇妙な本だった。

 それを見て、レンは何かを厭うかのように目を細めた。慎重に、彼は本を手に取る。

 そして、

 同時に、アマリリサの物語詠唱が始まった。

「『彼女は望んだ。災いあれ、禍いあれ、呪いあれ。自分を苦しめた彼の人が、その行いに胸を掻きむしるように』」

 呪い属性の物語だ。本気で、アマリリサは大規模な破壊などは行うつもりがないらしい。

 彼女が使用したのは、相手に熱病を引き起こし、行動不能にする魔術だった。対抗するには、拒絶属性か、治療属性の本を持っている必要がある。本来ならば、レンはひとたまりもない。だが、彼は慌てはしなかった。

 己の本に、レンは視線を落とす。

 白紙だったはずのページには、歪んだ文字が浮かんでいた。

 まるで、見えない手が今そこに走り書きをしたかのようだ。レンはそれを読み上げる。

「『彼女は望まれた。災いを、禍いを、呪いを。自分を苦しめた彼の人に罰はくだらず、己の胸を掻きむしることとならん』」

「えっ、待って。その、物語、は……」

 瞬間、アマリリサは崩れ落ちた。レンに向けていた物語の属性、呪いが発動したのだ。

 レンは本を閉じた。勝負はついている。

 アマリリサの反応は遅く、拒絶は間に合わなかった。それに呪いは増幅のうえで返している。治療属性の物語でも、解呪には時間がかかるだろう。もう、アマリリサは動けない。

 己の本棚を消して、レンは言った。

「……さてと、これで終わりだな。

「あなた、は……私は、負けたと言うのですか。って……ええっ?」

 アマリリサは目を丸くする。彼女の側に膝を突いて、レンは告げた。

「いいや、君は負けてない」

 目を瞬かせ、アマリリサは不思議そうな顔をする。

 彼女に向けて、レンは告げた。

「ここでの戦いを知っているのは俺達だけだ。そして、俺は負けたと言っている。フィークランドの汚名は広まることはない……君には何か、絶対に負けられない理由もあったみたいだ。俺には敗北できない理由なんてひとつもない。だから、これじゃあ、駄目かな?」

「そんな、ことを……この私、が、認められるわけ、」

 息も絶え絶えに、アマリリサは言う。

 その肩と膝裏を支えて、レンは彼女の体を持ち上げた。びくっと、アマリリサは震える。だが、レンに害意がないことに気づいたのか、彼女は全身から力を抜いた。

 アマリリサは軽い。熱がかなりある体を運びながら、レンは続けた。

「後から、誰かに質問攻めにあったり、陰口を叩かれたくないんだ。俺の最下位の評判を知っているのなら、アンタに勝ったと広まったりしたら、どうなるか予測がつくだろう? 今回のことは黙っていてはくれないか?」

「……くッ、それが勝者のため、という、ことでしたら」

「いい子だ」

「ですが、フィークランドの敗北……私は忘れませんから」

 血が滲むほどに、アマリリサは唇を引き結ぶ。

 強情だと、レンは口元を緩めた。そういう人間は嫌いではなかった。彼は自分の本質的な空っぽ具合を知っている。だから、アマリリサのような少女は、レンには眩しく見えた。

 アマリリサの不調から、既に不可視の壁は解除されている。

 そのまま、レンは空き部屋の外に出た。顔を出して、彼はベネに呼びかける。

「おーい、ベネ」

「はーい、だいじょ……ってほんとに勝っちゃったの? 嘘、冗談でしょ?」

 びょっと、ベネは跳びあがった。いやいやと、レンは首を横に振ってみせる。

「負けた負けた。でも、俺が逃げ回ってる時に事故が起こってな。アマリリサが自分の呪いを一発食らっちまったんだ。医務室に連れて行ってやってくれ」

「そーいうことなら、どーんと私にお任せあれだよねー」

「頼んだぞ」

 ベネはアマリリサを受け取った。小柄だが、彼女は力持ちだ。任せて問題ないだろう。

 獣のような速さで、ベネはアマリリサを運んでいく。

 その姿が見えなくなると、レンは空き部屋にとって返した。造りつけの本棚になっている壁に、彼は深くもたれかかる。額を押さえて、レンは埃臭い空気を吸い込んだ。先ほど読んだ本の一文が頭を回る。『空っぽの人形』。そして、アマリリサの意志に溢れた強い瞳。

 軽く目を閉じて、レンは呟いた。

「……疲れた」

「やるじゃないか、少年!」

 そこで、レンは別の本棚の陰から声をかけられた。


 後から思えば、この瞬間に逃げ出せば運命は変わっていたのだろう。

 きっと、何もかも。

 すべて、が。


 だが、レンは答えてしまった。

「誰だ?」

「見事な勝利だったね。結末まで鮮やかだった。なによりも使! いやはや私も初めて見たとも! 君、対人の魔術戦ならば負けなしだろう?」

 ぞわりと、レンは全身に鳥肌が立つのを覚えた。戦闘を見られていただけではない。レンが何をしたかに気づかれている。相手は師匠級の観察眼の持ち主と言えた。

 どうするべきか、彼は迷った。口を封じることはできなくはないだろう。だが、暴力には訴えたくない。そこで相手は続けた。

「安心してくれていい。私は君のことを言いふらしたりはしないから。ああ、誰がそんなもったいないことをするものか! やっと、私にぴったりな人間を見つけたというのに」

「ぴったりな、人間?」

「そうさ。君は私を守り、支え、助けるにふさわしい」

 カツリと、硬い靴音がした。

 軽やかに相手は姿を見せる。

 銀髪の少女だった。紅い目の輝く顔は、恐ろしいほどに整っている。その目鼻立ちは、まるで人形のように美しい。何が楽しいのか。愉快そうに微笑みながら、彼女は囁いた。


「君、私の伴侶になりたまえよ」


 それが、アンネ・クロウと、

 ユグロ・レンの出会いだった。

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