来し方、行く末

紫乃森統子

一.暇乞い

 

 

「旦那様には申し訳ねんだども、もうこれ以上は恐ろしくてならね」

 怯えきった様子でそう言って、最後まで残ってくれていた老婢のたか・・が出て行った。

 これまで暇を乞われるたびに説得し、何とか思い止まってくれていたが、もう難しいだろう。

 そう思い、与十郎は長らく世話になった礼を言い、逃げるように去っていく老婢の背中を見送った。

 組屋敷の一角、冠木門を構えた島崎家には、老父彦之進と、二十八を数えた与十郎の二人だけが残された。

 薄暗い家の中は荒れており、今朝に与十郎が勤めに出掛けた時よりも物が散乱しているようだった。

(また父上が暴れたか)

 与十郎は怒る気力もなく家に入ると、辺りに散らばる小物や家財を片付ける。

 はしためが途中まで夕餉の仕度をしていたのだろう。洗ったばかりの葉物が俎板に上がったままだ。

 炊事の途中で父が暴れ出したものと思われた。

 父・彦之進は元は定府の勘定方で、当時は家禄も百八十石を受けていた。

 父の勤めは順調であったが、与十郎が十歳を過ぎた頃、江戸城の奥に上がった叔母のりよ・・が不義を働き、家に戻されるということがあった。

 それだけでも不名誉だというのに、挙句りよは当時の島崎家の若党の手引で出奔したのである。

 夜陰に乗じて密かに逃げ出そうとしたところを見られたのか、中間が殺害されるというおまけまで付いた。

 この一連の騒動が元で国許への役替えを命ぜられ、家禄も三ヶ一まで減らされる始末。

 噂は国許でも瞬く間に広まり、家中で肩身の狭い思いをしながら、加えて急激に水準の下がった暮らしに困窮することとなったのである。

 父には謹慎が申し渡されたが、やがてそれが解かれると、そこからが問題だった。

 次第に父は塞ぎ込むようになり、気を病んだ。

 勘定方から普請組への急な役替えに馴染めなかったのだろう。

 加えて周囲の白い目に晒され、日に日に気鬱が溜まっていったものと思えた。

 それまで一滴もやらなかった酒を呑み、日がな一日家に閉じ篭もるということさえあった。

 昔の精悍だった面影は十数年のうちに見る影もなくなり、与十郎が家督を継いだ今も、暗い家の奥に篭って出て来ようとはしない。

「父上、ただ今戻りました」

 襖を締めたまま挨拶するが、中からの返事はなかった。

 ともすると気配すら無いような気がして、与十郎は耳をそばだてる。

 微かに畳の擦れる音が聞こえ、起きてそこにいることがわかった。

たか・・が帰ってしまったので、今日からは私が飯を炊きます。美味くはないでしょうが、ご辛抱下さい」

 続けて言いながら、与十郎は襷を掛けて立ち上がると、土間へ降りた。

 

   ***

 

 月の明るい晩だった。

 時々たかの炊事を手伝っていて良かったと、与十郎は何となく思った。

 なんとか夕餉を用意したものの、些か芯の残る飯に茹で過ぎた青菜の浸し物といった、粗末なものだ。たかが作り置いた蕪の煮物があったのが幸いだったが、父はそれすらほんの僅かに箸をつけただけで、何も言わずにまた奥へ篭ってしまった。

 軒下の縁台に腰を下ろし、与十郎は襷を外す。

 冬の夜気は肌に凍みるが、それすら忘れるほど疲れを感じていた。

 明日からは朝晩毎日だ。

 身なりを整えようにも、さすがに洗濯や裁縫までは手が追い付かない。

 そこを担ってくれる女手が一切ないのは苦しかった。

 婢にも暇を出してしまったし、父の病が癒えない事には、新たな奉公人も望めない。

 父はじっと大人しくしていたかと思うと、突如豹変して暴言を吐き、物を叩き付ける。

 この数年でこういうことが相次いだため、早々に父の刀は納戸の奥深く隠してしまったのだが、それは正解だったろう。

 まかり間違えば、長年仕えてくれたたかにも危害が及んでいたかもしれない。

 こういう噂は早いもので、勝手に独り歩きをする。

 家中のみならず、近隣の農村にも広まっているらしく、奉公人のあてもなかった。

 こんな有り様だから、嫁などは以ての外で、縁組の話題で島崎の名を上げると、途端に場の空気が悪くなるほど、他家から忌避されていると耳にしたこともあるほどだ。

 与十郎自身は普請組勤めとは言え、それでも六十石を受け、過去には一刀流の道場で師範代を勤めていたこともある。

 この年の初めの御前試合では見事に勝ち抜き、その褒美として幾らかの加増も受けた。

 贅沢な暮らしは出来ないが、妻子と奉公人くらいは養える禄を受けているのに、家名がそれを妨げる。

 はぁ、と一つ溜息をつくと、真っ白な靄が月夜の闇に漂い流れた。

(宛が外れてしまったからな……)

 この秋口に、現状を打破出来るかという意外な朗報が届いたが、結局はそれも島崎家にとっては一つの得にもならなかった。

 叔母のりよが産み落としていた娘が、霧生藩で見付かったという報せだ。

 それを聞いて、ならば是非にと引受を申し出たが、その娘が島崎家に戻ることはついぞなかった。

 いや、正しくは一度身元を引き受けたのを、すぐさま他家に養女に出す形となったのだ。

 何でも、霧生の大身の武家が嫁に取りたいということだった。

 早い話が大身の若君に見初められたのだ。

 何もないところに降って湧いた希望が、根こそぎ持って行かれたような気分だった。

(仕方あるまいな……)

 こんな家に戻るより、望まれて大身の家に嫁ぐのならそのほうが幸せだろう。

 いっそ自分も武士などやめて帰農するなり、町道場でも開くなりして生きて行くのも良いかと思う。

 しかし、父の病が治らぬ限り、付き纏う問題は変わらないことのように思えた。


 

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