第9話 嘘のないクリスマス
あれから、のばらは部屋の中でもゆりかに触れてくれる。触れても手を洗わない。
だが、他のものには触りたくないようで、未だに全て汚いと触ってはすぐ手を洗う始末。
自分は汚くない。つまり他のものが汚い。
その考えに逆戻り。
世界の全ては美しいものが溢れていることは把握できたようではあるが、彼女が何年も培ってきた潔癖症はそう簡単に治りはしないのだ。
それでも、ゆっくり治っていけばいいとゆりかは思っていた。
彼女に無理はさせたくない。
だが。
あんなに弱りきって大人しいのばらはどこへやら。
憎まれ口を叩いてはすぐに人を見下す。
そんなのばら節が完全復活していた。
しかも以前より酷くなっている。ゆりかと話せる関係になったせいか、文句を言っては怒鳴り散らす。
「馬鹿みたい!」
今日も帰ってきては文句が始まる。
椅子に腰掛けると、のばらは相変わらず不機嫌そうである。
ゆりかは最近、聞き流すという技を覚えてきた。それでも今日はしつこく“馬鹿みたい”を繰り返し言うので、くまきちを抱きしめながら嫌々のばらに尋ねてみる。
「どうしたのよ、のばら。」
「クラス中、五月蝿い!クリスマス、クリスマス、クリスマス!!挙句の果てに“プリンス様は何をして過ごされるのですか?”ってみんなに聞かれる!馬鹿みたい!!子供じゃあるまいし、どうすればみんなが納得するのよ!!」
ゆりかは黙って、のばらの気がすむまで話を聞く。
「ケーキを食べるの?プレゼント交換でもするの?讃美歌でも歌えっていうの!?馬鹿みたい!」
「・・・で、のばらはみんなに何で答えたのよ。」
「言ってやったわよ!ゆりかさんと一緒に過ごすってね!最悪っ!!」
「のばら・・・。私と過ごすの・・・そんなに馬鹿みたいなの?最悪なの?」
そこでようやく、のばらはハッとして動きが止まる。
「あ・・・そ、それは。」
「みんなに嘘をついたの?毎年していたみたいに。」
珍しくのばらは頭を抱えて悩み出した。
「・・・わかった、悪かったわよ。3年目こそ一緒に過ごしましょう。でも何をするの?ケーキでも食べろって言うの?プレゼント交換でもするの?讃美歌を一緒に歌うの!?何でもしたいこと言いなさいよ。」
「全部・・・したい。私とのばらで全部したい。」
「讃美歌も・・・一緒に歌えって言うの?」
「違う!!それ以外!!私は3年目にして本当のクリスマスを過ごしたいの。その・・・恋人が・・・するような。」
のばらは、それを聞くと椅子の手すりを人差し指でコンコンコンと何度も叩く。
本当に嫌がっているのか、照れ隠しなのか分からない。
「いいわ。何でも好きなこと言って。王子様はそれに付き合うから。」
言葉と態度は一致していない。確か昔もそんなことがあった気がする。
しかし、もう臆することはない。
二人は、昔の二人ではないのだから。
「海岸沿いの公園に行きたい。あの時の休日をもう一度やり直したい。」
「別に・・・構わないけれど。」
ゆりかは嬉しくて、のばらの手を取る。もう、のばらはその手を払いのけはしない。
「のばら!!きっと楽しいクリスマスになるわ!!クリスマスデート!!」
ゆりかが嬉しいなら、まぁ良いか。
のばらはふっと微笑んだ。いつからかのばらはそういう表情もたくさんできるようになっていた。
だがしかし。
「何着て行こう・・・。」
「のばら、何か言った?」
「いえ、別に・・・。」
一大事だ。
のばらはプリンスなんて忘れて、ただの女の子に戻る。
そして急いでつぐみの部屋に向かった。
「つぐみ!!貴女は私に貸しを作るべき。だから、私に似合う洋服を選びなさい。」
「はぁ!?」
つぐみとひばりは、いきなりのそして意味のわからないことに状況が掴めない。
「・・・で、つまり。のばらは、ゆりかとデートする勝負服を貸してほしいってことね。」
呆れ顔のつぐみと、その横で嬉しそうに拍手するひばり。
「貴女たちさぁ、私を貸衣装屋さんか何かと思っていない?馬鹿にしていない?」
「馬鹿にはしている。でも、貴女は私に貸しを作るべきだと思う。大丈夫、ちゃんとクリーニングしてから着るから。」
のばらは断固として意見を変えない。
「それ、逆じゃない?・・・でもさ、私は貴女とだいぶ身長が違うのよ。パンツスタイルの服なんてサイズ合わないでしょう?」
「どうして、長めのパンツを持っていないのよ。」
「どうして、着れないものを持っているのよ。大体、貴女のサイズないのにどうして来るのよ。」
つぐみはのばらを触ろうとする。すると、のばらはいつもの調子でつぐみの手を払いのけた。
「触らないで!!汚い!!」
「貴女は通常運転ね。でも、貴女はゆりかと違って服は持っているじゃない。似合いそうなものを。どうして私に頼るのよ。」
「そ、それは・・・。」
のばらは言葉を詰まらせると、まこと言いにくそうに口を開いた。
「私・・・、いつもと同じのは嫌なのよ。ゆりかはあれから洋服をたくさん買ってるけど、私はそれに見合う服なんて・・・。」
いつから、のばらはこんなかわいい女の子になってしまったのか。
そう言いたいが、もう何も言わないでおこうとつぐみは賢明な判断をした。
「分かったわ、貴女のサイズに合いそうなもの貸してあげる。」
「つぐみ・・・。」
「貴女にも合うような丈の・・・スカートを。」
「は?」
その横でひばりは嬉しそうに手を叩いたのであった。
クリスマス当日。
ゆりかは何度も鏡で服装が変ではないか見る。
赤のハイゲージフレアのワンピース。それにベージュのチェックコートを合わせている。
あれから、ファッション雑誌を読んでは来たるべき日に備えてきた。
できる、私はできる。と何度も言い聞かせながら。
「のばら!早く、行くよ!!」
のばらはシャワー室で着替えているようだ。今更何をそんなところで着替えるのか。ゆりかが、何度かのばらを呼ぶと、彼女は顔を顰めながら出てきた。
そして、ドアの前でハイヒールを履く。
「の、のばら?」
これにはさすがのゆりかも驚きを隠せない。
オフホワイトのリボンプリーツワンピース。ライトグレーのロングコート。
ロングコートは、まあまいい。プリーツワンピース・・・?腰にリボンを回した?ついでにハイヒール。
今まで、のばらがスカートを履いたのは制服くらいしか見たことがない。
口を開けてゆりかがじっと見ているので、のばらが恥ずかしそうに目を逸らしながら言う。
「笑いたければ笑いなさいよ!!」
「え・・・のばら、可愛い。こういうのばらも・・・。」
「何よ。」
「好きだなって。」
「気持ち悪い!!早く行くわよ!」
かくして、二人のデートは始まった。
バスの手すり吊り革は相変わらず持たないのばらであったが、その代わりしっかりとゆりかの手を握っていた。
それがゆりかは嬉しかった。
のばらに微笑みかけると、のばらは顔を逸らす。でも、これは以前ののばらとは違う逸らし方である。
のばらをにこにこと見ているうちに、気が付くと目的地に到着していた。
冷たい海風が吹く公園。今日は一層寒い気がする。
「やっぱり冬は寒いかも。」
「冬にこんなところ来るからよ。」
「でも来たかったの。」
「あの日のやり直しなんでしょ?」
「それもあるけど。ううん。行こ、のばら!」
何かを言いかけたものの、ゆりかはのばらの手を引っ張ったのだった。
スタイルも良く容姿の良い二人がクリスマスに歩くものだから、何度か男の人に声をかけられた。
その度にのばらは「汚い、寄るな。」「気持ち悪い、触るな。」と一刀両断していた。
それでもしつこい男には、ゆりかと繋いだ手をわざわざ見せて「付き合ってるから、無理。」「五月蝿い、今デートしてるから。」と一刀両断していた。
きっとのばらは、もう嘘なんてついていない。
ゆりかは嬉しさに笑いが止まらない。
すると、その笑顔が気に障ったのかのばらはむっとした顔をする。
「で、いつ食べるのよ。ケーキとやらは。」
のばらの言葉は昔と一緒で辛辣だ。でも、これはのばらなりのゆりかへの配慮。
「あそこのお店。雑誌に載っていた。」
ゆりかの指差す方には、いかにも女子の好きそうな・・・何とも可愛らしい店構えとケーキが並んでいた。
のばらはうんざりとした表情で言う。
「貴女、頭が沸いているの?おかしくなったの?こんな・・・店に私を連れ込むの?しかも、この・・・狭い店。汚い空気が充満してるに決まってる。」
しかし、ゆりかも譲らない。
「頭も沸いてるし、頭もおかしい。のばらがそうさせているのよ。だから、連れ込む。」
「私は、この店で一切息なんてしないからね。倒れたら、何とかしなさいよ。」
これもきっとのばらの優しさ。
と、思いたい。
並ぶこと数分、やっと店内に入れた。
「ねぇ、のばら。何食べるの?」
「いらない。余計な糖分は摂らない。余計なものは触りたくない。紅茶だけ飲む。」
「・・・・・・。」
「何よ。」
「別に。」
注文をしてすぐにケーキと紅茶が運ばれてきた。
ゆりかが頼んだのはチョコレートケーキ。なんだか色々上に乗った。
のばらはそれを怪訝そうに見つめながら、カップの持ち手を熱心に拭く。
「ねぇ、のばらも食べる?」
ゆりかは、ケーキを差し出した。昔は、ゆりかの口にしたのなんぞ食べようものならすぐに吐いていたのばらであるが、もうそんなことはしない・・・と信じたい。
が、またのばらの無情な答え。
「いらない。そのフォーク、たくさんの人が触ってる。拭かないと食べれない。」
「のばら・・・。」
とはいえ、変化はある。
「私、ゆりかの触ったものにそんなことしたくない。だから、ゆりかが・・・それ、私の口に運んで。」
「え?」
「その代わり、絶対にフォークは私に触れさせないで。触れる前にケーキだけを放りんで。」
「のばら・・・!」
「何よ。」
「.・・・難しい。」
「失敗しないでよ。私はこんなところで失態は犯したくないの。」
やっぱりのばらは、優しい。
ゆりかはそっと、のばらの口にケーキを運ぶ。のばらもできるだけ舌を出して受け取ろうとした。
のばらには悪いが、なんだかその姿は少しいやらしい。
またあの時を思い出しそうだ。
ぐっと堪えてゆりかはのばらの舌の上にケーキを置いた。
のばらはうーんと唸りながらケーキを食べる。
「美味しい?のばら。」
「なんていうか、すごく甘い。」
そのあと、ゆりかは以前のリベンジとばかりに雑貨店を見て回る。
相変わらず、のばらは小物は触らないし、ゆりかの言葉に対しても反応が薄い。ただ、それは嫌だとかそっちの方がマシだとか少しは意見を言ってくれるようにはなっていた。
その変化がゆりかは嬉しかった。
今日は嬉しいことだらけだ。
ひとしきり見て回ると、辺りは暗くなっていた。
「寒っ!」
「こんな時間までいるからよ。」
のばらはそう言うとゆりかのコートのボタンを止めてやった。そういう気遣いの一つ一つが幸せに感じる。
「でも、これが見たかったのよ。」
ゆりかが見上げた方向には、大きなツリーがあった。暖かいオレンジの光のイルミネーションが輝く。その光が水面に写っている。暗闇に輝く星のように。
のばらは、それをじっと見つめた。
「綺麗ね。のばら。一緒に見れてよかった。」
「・・・綺麗。私、綺麗な世界をもっと見たい。ゆりかともっと見たい。」
「のばら・・・。」
「・・・そうだ。忘れてた。」
のばらは鞄から何か小さな箱を出す。そしておもむろにゆりかに差し出した。
「プレゼント、欲しかったのでしょ?」
ゆりかは慌ててリボンを解いて開けてみる。
「・・・指輪。」
そこにはピンクゴールドに光る指輪が二つあった。
「ゆりかと私の。」
「のばら・・・。」
「どうせ王子様ってこういうことしなきゃならないし、どうせお姫様もそういう方が喜ぶのでしょ?」
そう言うと実にのばららしい勝気な笑みをこぼした。
「はめてあげる。」
のばらは、ゆりかの薬指に光る指輪をはめてあげた。そして自分の薬指にもはめる。
ゆりかは涙が出そうだ。
まさか、のばらに。あののばらに。こんなことをされよう日が来るなんて、一年前の自分は想像できただろうか。
「嬉しい・・・。嬉しい。のばら。」
のばらはその指輪に口づけすると、気持ち悪かったのか少しだけ唾を吐く。そしてゆりかの頬を両手で触れる。
そして唇を近づけた。
「のばら、こんなところで。」
「どうせみんな自分の好きな人しか見てないわよ。見られていたとしてもいいじゃない。私は王子様で貴女はお姫様なんだから。」
そして、ふたりは美しく輝くもみの木の下で口づけを交わしたのだった。
「・・・プレゼント交換って言ったのはゆりかよ。さぞかし良いものを用意しているのでしょうね。」
「それは、帰ってから渡す。」
「もったいぶるのね。」
「嬉しいことは部屋まで持って帰りたいの。」
「変なの。」
二人は手を繋いて夜の道を歩いた。
それは誰よりも美しい関係の二人。誰もが羨む二人だった。
二人は部屋に帰ってきた。
コートを脱いだのばらは、すぐに言い出す。
「早く渡しなさいよ。」
雰囲気も何もない人だ。
のばらは少し不満げながらものばらにラッピングされた小さな袋を渡した。
のばらは、目を細めながら袋を開ける。
「ピアス?」
そこには深紅に光るピアスがあった。
「のばらと気が合うみたい。私も自分の分を用意しているの。」
「ゆりか、私、ピアスの穴なんて開いてないんだけど。」
それを聞いたゆりかは、じゃーんと言いながらピアッサーを取り出した。
のばらはそれを見て「ひっ!!」と叫ぶ。
「まさか、ゆりか。私にそれで開ける気なの?」
「そう。」
「そんな汚いのを?私の耳に?貫通させるっていうの?その汚いのを?」
「汚くないわよ。みんな開けても死んでいないし。」
「嫌よ!!絶対に菌が入る!!破傷風になって死ぬ!!」
やはり、のばらはこいうことになると理性と知性を失う。
「のばら、私も開けるから。お揃いにしようよ。私、のばらと同じ時に開けて同じものをしたい。」
のばらはじぃっとゆりかを見る。ゆりかはいたって真剣だ。
ただ、ゆりかの言うことは・・・別に嫌ではない。
「絶対、それ消毒してよ。ピアスも!!消毒してよ。」
「勿論!」
のばらは片目をつぶる。
ゆりかは、これは今からするというとどうせ叫ぶのだろうと思い、しれっと開けてみた。
本当はドラマティックな雰囲気で開けたかったが。
「っ!!」
一瞬痛かったものの、案外痛くない。じぃんと鈍い感覚はあるけれど。
のばらは、思っていたより自分は無事だと少し安堵した。
それから、ゆりかは自分のも開けて欲しいと言ったが、血を見たくないと何度も言われたので仕方なく自分で開けた。こういうところはやはり空気を読まないのばらだ。
ようやくお揃いになれると二人で鏡を見る。
「お揃い。今日は二つもできた。」
「最後は予想外。気の強いお姫様もいたものね。王子様をいたぶるなんて。」
二人頬寄せている姿を鏡越しに見つめていると、不思議と何でもできる気がしてきた。
鏡は自分の真実を写すものだから、心のまま正直になるのかもしれない。
のばらはゆりかに口づけると、そのまま彼女を押し倒した。
そして、首筋にそっとキスをする。
「のばら・・・。」
「・・・ゆりか。」
のばらは無言で首筋にキスをし続ける。
ゆりかはそんなのばらの髪をかき上げた。のばらは熱っぽくゆりかを見つめる。そしてそのまま彼女の服を脱がそうとした。
が、急にのばらの手が止まる。
「・・・・・・?」
「・・・・・・っっ!?」
のばらの手が震えだす。そしてそのまま口を抑えると一目散に洗面台へと駆けだした。
「のばら!?」
嗚咽して、頭ごと水をかけ流し続ける。
「のばら・・・?」
ゆりかも震えだす。この感覚はあの時と同じだ。
水に濡れたのばらは雫を滴らせながら、声を震わせてゆりかに言った。
「どうしよう、ゆりか。どうしよう。私、気持ち悪い。私・・・ゆりかが気持ち悪い。」
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