ネコのニオイがする!
水澄
第1話『生まれと出逢い』
ネコのニオイがする――!
にゃあに、当然であろう。猫であればネコのニオイはする。
“僕”は猫なのだからその事実をこの世の誰よりも知っているのだ。
しかも、同じ猫でも皆が同じニオイをしているわけではない。
違いだって? 「鼻は言葉よりモノを言う」のだから説明なんて不要だ。その証拠に僕はちゃあんとニオイで分かるのだ。
お腹を痛めて産んだ僕にお乳を飲ませ、体を舐めて育ててくれたママも。
僕と同じ乳で育ったきょうだい猫も。ただ、僕のパパのニオイは嗅いだことがない。
僕達とママを世話するブリーダーという名の人間(無毛症な二足歩行の猿もどきの生き物)が教えてくれた。
『パパ猫はね、世界アイドル猫コンテストの
ブリーダーが指差した写真には、僕そっくりの
幸い?にも僕はパパと瓜二つの愛らしい美貌に橙茶色に艶めく毛並み、蜂蜜金のまぁるい瞳、魅惑の高い美声(も同じだったか知らないが)をしっかり受け継いで生まれた。
しかし、僕が僕という意識と物心がついた頃には既にママときょうだいのもとを離れ、ペットショップという名の定住型の見せ物小屋にいた。
「見て見て! 猫ちゃん、可愛い〜!」
ペットショップでは透明なガラスの狭い箱の中で、人目に晒されながら気ままに過ごす。
単純で退屈な仕事ではあるが、バカちんでも誰でもできる簡単で楽なのは利点だ。
猫である僕の場合、何気ない仕草一つで観客を魅了し、喜びの悲鳴をあげさせることができる。
やたら
「こっち見た〜! 可愛いっ。写真撮ろ!」
アイドル猫王を父親に持つ僕は、もちろんその血筋に恥じない働きを自然とやってみせた。
ファンサービスとして、飛び込みカメラマンさながらカメラを構える客にキュートな上目遣いとウィンク、寝姿を披露し、目が回るほど指遊びにも付き合ってやったりもした。
「ままぁ。だっこちてみたい」
見た目の可愛らしさに愛想の良さでの
「この
「まいど」
運気と相性に恵まれた売り子は「新たな家族」として上客に迎えてもらい、見事ハートを射止めるのに成功……のはずだが。
「どちらの猫にしますか」
「こっちの猫をください」
どういうわけか、ペットショップデビューを果たしてから半年を過ぎても、僕は売れなかった。
僕を一眼見たお客さんの十割は「可愛い!」、と魅了されてメロメロに蕩けているはずだ。なのに、何故か別室の猫達ばかり僕を差し置いて上客に買われていく。
挙げ句の果てには、僕より後にデビューしてきた子猫達が先立ちし、僕はペットショップの売れ残り組へ降格したのだ。
「パパ! この猫可愛いよ」
「猫一匹に三十万円はなあ……」
「こっちの猫ちゃんの方が可愛いんじゃないか? ほら、一万円だし」
ニャンと。お客さんの人気を博す『アイドルにゃんこ』だ、とペットショップ定員にも公認で推されている僕が、最も売れない理由は
生後九ヶ月にして僕は世の不条理を思い知る。
非凡な美貌と頭脳、才能と実力を持つ存在の価値を周りに理解されない“天才の不運と辛さ”とは、こういう感覚に喩えられるのか。
己の懐や世間体ばかりに囚われた人間は何とも哀れで愚かしいのか。まあ、それだけなら正直僕にはどうでもいい話で済む。
しかし人間と違い、
「アメショ二号がついに行ってしまった……残ったきょうだいはついに
同じペットショップにいる他の猫犬達からこんな“噂”を毎日耳にした。「売れ残ったペットショップの犬猫達はどこへ行くのか」、と。
突然音沙汰もなく消えた同僚の行方と安否に疑問を示した或る猫から広まった噂もしくは都市伝説はこうだ。
「売れ残った犬猫達は、『引き取り屋』という名の他所へ収容されて、二度帰ってこないらしいぜ」
「違うよ。僕が聞いた話は、動物愛護団体っていう優しい人間が集まる場所に行って、里親を見つけてもらえるんだって」
「いやいや! 俺の母ちゃんは一回だけ引き取り屋にいたことがあるから、間違い無いぜ。引き取り屋では、飯も掃除もロクにされずに病気になったり飢えたりして、最悪虐められて死ぬ犬猫が後を絶たないらしいぜ?」
「ちょっと! やめてよ、そんな怖い噂話を流すのは! 他所のいい加減なペットショップのことでしょ? きっとここは大丈夫よ。世話係の人間はいつもちゃんと掃除も餌やりもしてくれるんだし。そこまでの人で無しではないはず」
ペットショップの仲間内で交わされる数多の噂と都市伝説は、どれも事実とも、
しかし、身請けされる以外の理由でペットショップから出た犬猫は二度帰ってこないため、実質的に真偽を確かめる術はない。
だから尚更恐ろしくてたまらなかった他の売れ残り組も、上客に巡り会うために必死で、焦りを募らせていた。
僕も初めて噂話を聞いた夜は動揺と震えが止まらなくて、何となく怖くて、あまりよく眠れなかったのは覚えている。
だが、自分一匹の意思や力ではどうにもならない事柄に対して焦りや不安ばかり巡らせても埒が開かないのだ。
周りからは呑気に見えたであろう僕は慌てふためくこともなく、ただ普段と変わらず気ままに過ごした。
猫事を尽くして天命を待つのみ――それが猫生であり、儚き生を穏やかに全うする秘訣なのだ。
ペットショップで幼猫期の卒業を間近に控え、ただ流れに身を委ねる諦めの境地に入ろうとした矢先、僕の元へ“運命”が舞い降りた。
「ふにゃらぁ……」
間抜けな声が聞こえてきそうなくらい、だらんと緩みきった笑顔だにゃ。
笑いを必死に堪えるように眼球と肩を微かに振るわせ、夕陽さながら顔を紅潮させた“娘”と瞳が合った。ん? よくよく見れば、この娘……前にも見かけたことのある顔だにゃ?
「ふわふわで可愛いわねぇ。この
「『アメリカン・カール』っていう、耳がカールした珍しい猫なんだって」
締まりの無い笑顔の娘の隣から僕の頭と喉(そこそこ! いい感じ〜)を撫で撫でと掻いてくれる眼鏡の中年女性に娘が解説する。
そうだ。確かこの娘、以前にも何回かここを頻繁に訪れては猫達の写真や動画を携帯電話のカメラで撮りまくっていたから直ぐ思い出せた。
僕も例に漏れず、ぐっすり昼寝する姿からウルウル上目遣いの練習をしている最中も不躾に撮影された。
しかし、僕と同期で入って間も無く新しい家族に身請けされた
愛らしい丸顔と曲線を巻く耳、お日様さながら明るい茶虎の僕はロシアンブルーとは似ても似つかない。
しかし、目の前の娘は溶け崩れやすい雪を扱うように震えた両手で僕を抱っこしている。
僕を見つめる娘の瞳は明らかに僕へメロメロだ。娘にとってロシアンブルーのお隣さんだった僕はオマケでしかなかったはずだ。
しかし、ペットショップの販売店員さんの「よろしければお試しに抱っこしてみますか?」、という誘いに、娘だけでなくその母親と父親も乗り気になった(ナイス・アシスト!)。
「おお! やっぱりこいつが一番良い顔付きしてるなあ。ほれほれっ」
僕をお試し抱っこする話に乗ったのも、この父親の力が強い。サングラスをかけた厳めしい親父顔に似合わず、僕のツボを絶妙加減で撫でる手管に僕の瞳も細まる。
すると親父の強面はさらにふにゃらっと緩んだ。これは手ごたえ抜群、脈アリの後一息ではないかにゃ?
「おーい。ミー子もこの猫いいとおもわねぇか?」
親父は交代で僕を娘に差し出しながら訊いた。ミー子と呼ばれた娘は最初こそ「可愛いけど、ロシアンブルーとかと雰囲気が違う……」、と納得のいかなさそうな表情(僕じゃ不満というのか? 納得いかない)を浮かべていた。
しかし、ふわふわモフモフな毛並みに触れ、麗しい蜂蜜金に潤んだ上目遣いで見上げられた時点で、ミー子も容易く陥落した。
「あなた。この猫飼いましょう。ミー子も気に入ったみたいだし、ね?」
「うん! 私もこの猫がいい!」
同じく既に骨抜きにされていた母親の一言に押され、ミー子の笑顔返事が決定打となった。
さっそく親父は僕を身請する契約と支払の手続きに加え、僕に相応しいキャットフードや猫トイレセット、水差し、餌器、広い檻とマットまで選び出し、物事はトントン拍子、驚くほど順調に進んだ。
猫事を尽くしてのんびり過ごしてきた結果、僕は己の魅力で見事に運命を切り拓き、売れ残り猫の悲惨な末路を回避した。
かくして新しい家族・『猫屋敷』家に迎え入れられた僕は、ペットショップ時代ではまったく想像できなかった“新しい平穏な日々”を始めたのであった。
***2話へ続く***
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