第10話 咲良の想い⑤

 私が断言すると、彼はようやく顔を上げた。罪悪感を感じている悲しげな表情だった。


「私は戸籍上、蒼一さんの妻です。例え中身は違っても。

 私は蒼一さんをできるかぎり支えたいと思うし、少しくらい辛い思いをしても構わないです。それを覚悟して結婚式の日は立候補しました」


「…………」


「気遣ってくれてありがとうございます。私はお姉ちゃんみたいに器用じゃないから、蒼一さんに迷惑をかけるかもしれないけど……それでも頑張ってちゃんと妻として振る舞いたいです」


「咲良ちゃん」


「それより、蒼一さんこそ働きながら好奇の目で見られてたんじゃないですか。気づけなくてすみません、きっと働きにくかったし嫌な思いしましたよね。姉のせいですみません」


 式の当日花嫁に逃げられその妹と結婚しただなんて、きっと心ない人たちからすれば面白おかしく噂するにはもってこいの話題だ。蒼一さんも色々言われただろうしそれに気づいていたに違いない。


 彼は少しだけ笑った。目を細め、その綺麗な髪を少し揺らす。


「こんな時に僕の心配するんだね」


「え」


「咲良ちゃんは優しすぎるね……本当に、優しすぎる」


 どこか困ったように言う彼に、掛けたい言葉をぐっと堪えた。


 優しいわけじゃない。私は邪な気持ちをずっと持ってあなたのそばにいる。あなたに抱く片想いを拗らせて、今に至ってるだけなんだ。


 私は誤魔化すように手元のお茶を飲んだ。優しいと言ってくれた彼にどう返していいのかわからなかったからだ。


「分かった。ありがとう、参加をお願いするよ」


「あ、は、はい……!」


「僕もフォローするから、頑張ろう。そうと決まれば当日着ていく服とかを買いに行かなきゃね。今週末行こうか、美容室とかも予約しなきゃ。……そういう店詳しくないんだけどわかる?」


「正直全く」


「そっか、うーん。詳しそうな人に聞いておくね」


 サラリと言われた言葉に、反射的に聞こうとしてしまった。詳しそうな人って、誰ですか。今日会った新田さんとかですか。


 ……そんなこと聞いてどうするんだ。


「はい、よろしくお願いします。私も頑張ります!」


 決意を表明するように声を上げた。目的はただ一つ、蒼一さんに恥をかかせないようにしなくてはいけない。


 学生みたいなこの見た目もなんとかして、お姉ちゃんみたいにはいかなくても「思ったより悪くない」ぐらい思ってもらいたい。会社中で色々噂される蒼一さんの立場を少しでもよくしなきゃ。


 今の私にできることはそれくらい。形だけの夫婦の私たち、でも一歩一歩前進したい。


 





 それから週末、蒼一さんの提案通り二人でパーティー用に服を購入しに行った。蒼一さんと服を買い物に行くなんて初めてで緊張がすごかった。


 店員に勧められるがまま試着したのを、どれも似合う、と褒めてくれた。なんだか恥ずかしくなったが、最後は蒼一さんが推してくれたものに決めた。派手すぎず、子供っぽすぎず、でも大人びすぎてない可愛いネイビーのドレスだった。私自身も気に入ったので少しだけワクワクした。


 さらには、彼は私が体験したことのないエステなども予約してくれていて驚いた。お姉ちゃんはこういうところよく行ってたみたいだけど、私はなんとなく場違いな気がして行ったことはなかったのだ。


 全身をピカピカに磨かれ楽しい気分になりながらも、『一体蒼一さんはどこでこういうお店のことを知ったんだろう』という疑問が残ってしまった。


 やっぱり、あの新田さんという人かなあ。あの人どことなとお姉ちゃんに似てたし、綺麗な人だからこういうこと詳しそうだ。


 そう考えてどこか心にモヤモヤが残る。私を初めて見た時の彼女の顔。どこか不愉快なような、嬉しそうな不思議な顔。あの顔が引っかかってしょうがなかった。


 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。自分を叱咤する。


 きっといろんな人に天海蒼一の妻としてみられる日となる。蒼一さんのご両親だっているんだ、下手な真似は出来ない。蒼一さんに恥をかかせることだけはしたくなかった。


 姿勢、話し方、立ち振る舞い。今まで意識していなかった全てのことが必要とされる。


 蒼一さんには言わなかったが、マナー講座にも申し込んで参加した。パーティーまであまり時間はなかったが、できるかぎりのことはしておきたかったのだ。








 何度か予行練習のため袖を通したドレスに着替え、全身を鏡でチェックした。


 サイズは問題ない。髪も美容室にまで行ってセットしてもらい、メイクまで施してもらった。


 靴も履き慣れないヒールが玄関に準備してある。何度も確認しては不安になり、再び鏡の前へ移動する。


 どの分野においても、プロの腕というのはすごい、素人にはまるで追いつけない技術がある。それは美に関してもそうで、私の全身を磨いたエステのお姉さんも、髪をカットしてメイクしてくれたお兄さんも、とにかく腕が一流だということはよく分かった。


 鏡にいる自分が普段とはまるで違った。いつも子供っぽい顔だちは今日は別人のようにはっきりした顔立ちになっていた。


「変じゃないかなあ」


 オロオロしてつぶやいた。今日迎えたパーティーのために早くから準備をしていたが、蒼一さんは用があるとかで今は家にいない。そろそろ帰ってきて、そこから一緒に会場へ向かう予定だ。


 緊張で吐いてしまいそうだった。蒼一さん以外知らない人ばかり。ご両親は久しぶりにお会いする。すぐ近くに住んでいるというのに、会う機会などまるでなかった。まあ、まだここにきて一ヶ月も経っていないから仕方ないからかもしれないが。


「……もうちょっとで一ヶ月も経つのかあ」


 ポツンと言う。あっという間だ、特にパーティーのことが決まってからは怒涛の毎日だったもんな。すごく時間の経過が早かった。


 何も変わっていない私と蒼一さんの仲は、相変わらず同居人状態だ。仲良くやっているといえば聞こえはいいが、夫婦としてはまるでなっていない。


 当初想像していた結婚生活とはまるで違った。蒼一さんは優しいけど、ある意味とても残酷だ。まあ、私の片想いを知らないので仕方ないとも言える。


 ちなみにお姉ちゃんはいまだ見つかっていない。どこで何をしているんだろう。


 ふうとため息をついた時、玄関の鍵が開く音がきこえた。はっとして顔をあげる。蒼一さんが帰ってきたのだと慌てて部屋を出ていく。


「ただいま咲良ちゃん、待たせてごめ」


 ちょうどこちらに歩いてきた彼と目が合った。その瞬間、いつも涼しい顔をしてることが多い蒼一さんの目が満月のようにまんまるになり、固まって私を凝視したのだ。


 その反応につい不安になってしまった。


「おか、おかえりなさい……」


「…………」


「すみません、何か、変ですか?」


 慌てて尋ねる。せっかくドレスも靴も新調してもらい、美についてもプロの手にかかったというのに、無駄だったと思われてしまっただろうか。


 蒼一さんはしばらく瞬きもせず私を見つめ、ようやくため息を漏らしながら答えた。


「い、いや……変じゃない」


「本当ですか? 正直に言ってください!」


「嘘じゃない、あまりに綺麗でびっくりした」


 突然そんな言葉が発せられたもので、私の顔は噴火したように真っ赤になった。可愛い、とかはよく言ってくれる蒼一さんだけど、綺麗、って初めて言われたような……。


 彼はいまだ少し戸惑ったような顔で続けた。


「普段はこう、咲良ちゃんって可愛い感じだから、今日は大人っぽくて綺麗で、一瞬混乱したくらい……」


「い、言い過ぎでは」


「本当だよ、めちゃくちゃ似合ってる。可愛いし、綺麗だよ」


 ストレートな褒め言葉に俯いた。お世辞でも嬉しかった。好きな人にこんなふうに言われて喜ばない女なんてこの世に存在しない。


「ありがとうございます……」


「そうだ、出かける前に。これを取りに行ってたんだ」


 彼はそう言って手に持っていた紙袋を掲げた。不思議に思い首を傾げていると、蒼一さんが中から何かを取り出す。手のひらに収まるほどの小さな箱だった。それを長い指で開くと、中にあったものを見て一瞬息が止まった。


 二つの結婚指輪だった。


 式で形式上交換した結婚指輪は、当然ながらお姉ちゃんにサイズが合わせてあったので私には合わなかった。今はひっそりと引き出しの奥に眠っている。


 蒼一さんも私も何も言わないまま、無言の了解のように二人とも指輪をつけていなかった。こんな形の夫婦に、指輪なんて変だと思っていたから。


 まさか、私用に?


 嬉しさで顔を上げて蒼一さんを見る。同居人だった私のためにわざわざ買ってきてくれたなんて、もしかして。


 彼は優しく微笑んだ。


「指輪ないと、やっぱり周りは変な風に騒ぎ立てたりするだろうから」


 自分の唇から小さな空気が漏れた。


 喜びで緩めた頬が固まる。


「あ、……そう、ですね。ないと、変ですよね……」


 そうか、そうだよね。ここで二人とも指輪してないなんて、仮面夫婦ですと言ってるようなもの。そのために買ってきてくれたのか。


 一瞬期待した心に自分で笑った。もしかしてようやく妻として見てもらえるのかもって、これから夫婦としてやっていこうって言われるのかもって、期待してた。そんなわけない、未だ指一本触れられてない私がそんな風に言葉をかけてもらえるわけないじゃないか。


 蒼一さんは並んでいる自分の分を手に取り嵌めた。それを見て私も指輪を取って自分でつける。蒼一さんがつけてくれるかも、って少しだけ心の底で期待したけど、そんな恋人らしい行為私たちにはありえない。それはこの指輪が形だけの結婚指輪だと証明しているように思えた。


「勝手に選んでごめんね、一緒に買いに行きたかったけど時間なかったから」


「いえ、そうですよね。可愛いです」


「パーティー終わったらはずしてもいいから」


 サラリと言われた言葉に打ちひしがれ、言葉が出なかった。私はただ、返事もせずに無理矢理微笑んでいるしかできず、せっかく施されたメイクが落ちないよう涙を堪えるのに必死だった。


 

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