ハッピーエンドをつかまえて!

彼女のことが、分かるから

 デーヴィドを殺す。

 こうすることが、そもそも合っているのかは分からない。

 だけれど。こうするべきではある。

 そのためにはまず、どうすればいいかだ。


「……」


 私は今、街の外。

 塀にもたれかかりながら、頭を回している。

 ここなら誰にも見られることはないから。

 ミリアにも。誰にも。

 もう今回で、終わらせよう。

 私の役目も。この三日間の繰り返しも。


 それに。私は分かった。

 ミリアとの関わりは無いことはとても悲しいこと。

 でも、私が女神である以上、お別れの時はどうしてもくる。

 これはもう、抗えないことというか。そういう風にできているんだと思う。

 だから。しょうがない。しょうがないんだ。

 まだ前回のことが、脳裏に焼き付いてる。

 あぁ。だめだ。考えるな。

 考えたら、戻るのに時間がかかる。

 だめだ。だめだ。だめだ。

 ミリアを。もう忘れよう。

 私が願いを叶えるために、できること。

 それはきっと、そうすること。

 終われば大丈夫だから。

 これが正しいんだ。

 信じよう。

 だから、信じてよ。私。


 そうだ、他の事を考えよう。

 やはり、デーヴィドの殺し方だろうか。

 女神なんて崇高な存在が、こんな物騒なことを考えるのはおかしいかな。

 でも。考えるしかない。そうするしかない。

 その考えで、頭を埋め尽くせばいいんだ。

 早めがいい。

 家に入るのは、色々と危険だ。

 だって──危険だから。


 殺人の決行は夜七時。

 デーヴィドが家から出てくる時間だ。

 どこに向かっているのかは分からないが、家から出てきたところで殺す。

 向こうは魔法が得意らしいけど、構造は人間だ。

 私の魔法は初級とは言っても。私は女神だから、人を殺せる威力ではある。

 もう。すぐに終わらせよう。

 これで、私が神世界に帰れなくったっていい。

 願いを叶えたことにならなくてもいい。

 これが、一番正しいと思っているんだから。

 ずっと迷って、迷い続けた私が見つけた、希望のある方法なのだから。

 こうすれば、世界に四日目が訪れるのだから。

 それだけを、私は考えればいい。人間らしくなく、それのみを。


 使用する魔法はどれがいいだろうか。

 心臓部分を貫く、鋭利にした氷魔法か。

 しかし、的確に狙うことはできないだろう。

 風魔法で強風を吹き起こし、転んだところで先の氷魔法。

 なるべく音は立てたくない。

 それでいて、すぐに終わらせたい。

 それならば、あぁやはり。これがいいだろう。


 現在は陽の傾きから、正午。

 あと七時間。七時間、それは長い様だけれど。

 世界との別れが待っているのかもしれないと考えると、かなり短く感じた。

 思考の中で殺人を試行していると、もう陽は沈みそうになっていた。


 そろそろ、か。


 私は、重い体をゆっくりと持ち上げて、固い地面をを立つ。

 時計は無いが、何回も繰り返してきた自分なら陽の具合で何時かは分かる。

 家に向かって、待機しよう。魔力を両手に込めながら。


 街の門を抜ける。

 こんな時間に、街を歩くことなんてほとんど無かった。

 見覚えのある住人と、すれ違いながら固い地面を歩く。

 何か。全てが、遅く動いているような。そんな気がした。


 玄関前までやってきた。

 ここで、待機しておこう。

 人通りは少ないから、怪しまれることはない。


 私は、魔法をも待機させる。

 目を瞑って、それ以外を考えないようにする。

 頭の何回も繰り返したことを、今から実行しよう。

 呼吸が荒い。深呼吸だ、深呼吸。

 息を吸って、吐いて。吐いて。吸って。

 それを繰り返していた。


 ずっと繰り返して、

 今が何回目か分からなくなってきた。

 それくらいの頃だった。

 あまりにも。あまりにも不意で、唐突で。

 あまりにも。今の私にとったら、残酷な。


「ねぇ」


 背後から。声をかけられた。

 もう聞くことは無いと思っていた、私の好きなミリアの。その声だった。


「──な、んで」


 膠着しながら、私は意識もしていない声を漏らした。


 なぜ。こんな場所で。ミリアが。

 と、考えてみれば、おかしくな話では全く無い。

 いつも私たちは部屋の中だったから、警戒なんてしていなかった。

 当たり前だ。私がいないから、外に出ていることは普通のことだ。

 やっぱり私は、ダメだ。こんな時まで、ダメなのか。


 何も返せないでいる私の前に、ミリアが回ってくる。

 吟味するように、じーっと私のことを観察してきて、


「やっぱり。どこかで見た事あるような」


 嫌だ。聞きたくない。

 それがどんな言葉であろうと、今の私には毒にしかならない。

 じわじわと浸食して、私の中を掻き乱す。

 けど『どこかで見たことがある』って。

 そんな都合の良いおとぎ話みたいな事なんて、有り得ない。

 私が知っている。それを、痛いくらいに知っている。

 もう痛すぎて、辛すぎて、何回も死んだ。

 だから断言できる。

 ミリアが私を見たことなんて、あるはずがない。


 それなのに。なんでそんなことを言うの?

 希望を持ってしまいそうになることを言うの?

 それって、ただの意地悪だ。

 やっぱりずっと、いつも。意地悪だ。

 そんなことを言われたら、もう戻れない。

 信じたくなってしまう。

 私のことを、知っているって。

 前回の記憶が、彼女に残っているって。

 有り得ないのに縋ってしまう。そんな幻想に。

 けれど。私が今、見たいのは現実。

 あぁでも。私が求めているものも、幻想。

 私が、デーヴィドを殺せば良い思っているのは。

 幻で、根拠の無い空想。だって、未来だから。

 まだ、試したことのない物なのだから。

 だから。二つ、幻想が目の前にある。

 なら、私は。ミリアを選びたい。

 選びたいけど。どうしたって、選べない。

 選んだらきっと、また同じように、繰り返して。

 結局は同じ結論に辿り着いてしまいそうだから。

 また、同じようにこの場に立っていそうだから。

 今選ぶべき道は、二択だとしたら。ミリアではない。

 幻想だとしても、私は私が決めていた道を選ぶ。


 私はミリアに対して、ようやく口を開いた。


「気のせいだよ。朝はごめんなさい、本当に。あなたのこと、気のせいだった」

「え。いやいや、でも。朝は、私の名前を呼んでくれたよね?」


 あぁ。つくづく私は馬鹿だ。

 過去の発言くらい、ちゃんと覚えておけば。

 もう誤魔化すしかない。

 もうすぐ時間だ、ここを乗り切ればいい。


「……いや。それも、気のせい」

「えー、気のせいじゃないよ。私、覚えてるよ? それで、今日ずーっとあなたのこと、誰だったかなーって考えてた。やっぱり、どこかで見たことある」


「気のせい。……早く、どっか行ってよ」


 だって、時間だから。

 この調子だと、時間が来る。

 早く終わらせないと。


「そんな辛そうな顔で言われても……」


 ミリアはしゅんとした表情になる。

 その表情を見て、心臓部分がズキズキ痛むのを感じる。

 私は、ミリアから目を逸らす。歪んだ顔を見れないように。

 そうしても、目の端のミリアを見てしまって。

 もう。早く、全てを終わらせたい。

 こう思ってしまって。ミリアの存在が怖くなってしまって。

 ──ミリアは、もう。いらない。

 そうやって、ずっとずっと。

 自分に暗示をかけて。言い聞かせたのに。

 悲しむ顔を見て、暗示が解除されてしまいそうになって。

 もう後戻りはできないんじゃないかって。

 思いながら。私は平静を装って、声を返した。


「辛くない。もう、はい。戻って」

「えー。でもなー」


 ミリアはうーんと唸る。

 それは知らないミリアの表情だった。

 やがて、ミリアは何かを思いついたように、手をパンと叩いた。

 怖かった。目の前のミリアは、私の知らないミリアだったから。


「そしたらさ、私と友達になってよ! そしたら何か思い出せる気がする!」


 私の知らないミリアが言い放った言葉は。

 聞いたことのない、ミリアの言葉だった。


 刹那、私の中の何が。

 固められた、ハリボテの決意の様な物が。

 今にも崩れそうなくらい、緩んだ気がした。

 超えてはいけない一線が、そこにある気がした。

 気がした? いや、確かにそこに、それはあった。

 だが。それと同時だった。


 ──ガチャ。


 時間が訪れた。

 遠くから、ミリアの家のドアの方向から。

 小さく、ドアが開き、閉まる音がした。


 これを逃さない手はない。

 さっきの思考は、全て捨てて。

 目の前にあるその現実を、今からつかまえに行くんだ。

 これこそが、私が求める幸せな最後なのだから。

 ──という、自己暗示を再び自分にかけながら。


 私はミリアの事を放って、駆け出した。

 門をくぐりながら、掌に魔法の力を集める。


「ああぁぁあ!」


 己を鼓舞するために、声を上げる。

 勢いに任せて、風の魔法をデーヴィドに放った。

 吹き荒れる烈風。私の肌を、返ってきた優しい風が撫でる。

 デーヴィドの表情は、不気味なくらい変化が無かった。が。

 予定通りにその身体は吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 距離を詰め、片方の掌をデーヴィドに向けようと、腕を動かす。

 しかし──。


 先に、デーヴィドの掌が私を向いた。

 飛び出してくるのは、針の様に鋭利な金属の様な何か。

 私は咄嗟にそれを躱した──様に思えたが、それは私の頬を掠った。

 躱した勢いで、地面に身を投げ出してしまう。

 溜めていた魔力が身体に引っ込んだ。

 ちくりとした頬の痛みが、じわじわと全身に広がり、痛い。

 生暖かい血液の感触が、つーっと流れて。最後には冷たく感じた。


 私は、失敗してしまったのだと察した。

 察すまでに要した時間は僅かだったけれど、理解は遅れた。


 そうか。また、なんだ。

 せっかく、決意したのに。

 自分に暗示をかけたのに。

 失敗してしまった。

 だけど。まだ、一回目だ。

 私に、やり直せるのだろうか。

 限界だ。今回が最後だと信じていた。

 それなのに……こんなヘマで。


 嫌だ。

 ミリアの足音が聞こえる。

 うるさいくらいに地面を蹴る、その足音が。

 耳に入り込んで、しっかりと聞こえるものだから、私は生の実感をする。

 ぼやけていた視界が、少しずつ開けて。やっと前が見えてきた。


「ちょ、ちょっと⁉︎」


 慌てて、悲しそうで、泣きそうなミリアの声。

 そんな声が聞こえてきたと思った矢先、声の主が私とデーヴィドの間に挟まった。

 こちらを向く彼女の顔は青ざめており、困惑している様子だ。

 後ろのデーヴィドはのっそりと立ち上がり、ミリアの肩に手を置いた。


「ミリア。邪魔だ」


 冷酷な声、言葉。

 やはり。やはりだ。

 こいつは、ミリアの家族であってはならない。

 こんな言葉遣いをする父親なんて。


 ミリアは少しムッとした表情となり、乗っけられた手を邪魔そうに振り払う。

 私の心配をしてくれているのか、『大丈夫?』と頬を見てきた。


「怪我してるじゃん。身体、起こして」


 ミリアが前にいる状況は、好都合だった。

 何故なら、デーヴィドはミリアを殺せないからだ。

 まるで盾にしてる様だけれど、私は言われた通り身体を起こす。

 奥のデーヴィドはこめかみに皺をいれて、私の顔を睨んでいた。

 そうだ。私は赤の他人なのだから。ここでの異常者は完全に私なのだ。

 だが、全てを通しての異常者はデーヴィドだ。

 そんな、私だけが悪いみたいな顔をされたら、余計に憎しみが湧き上がる。


「じっとしてて。これくらいしかできないんだけど」


 私の複雑な思考は、当たり前だがつゆ知らず。

 ミリアは、私の顔を両手で優しく包み込むと、私の頬に自らの顔を近付けた。

 恋愛脳な私はキスを期待した。

 しかしされたのは、ある意味キスだが、意味合いは違う。

 少しざらっとしたミリアの舌の感触が、私の傷口をペロリと舐めた。

 その時、私の中の魔力が少しだけ抜けたように、身体が軽くなった。

 そうか。血液と魔力は、共に流れているからだ。


「い──った」


 何故か、舐めたミリアが痛そうにしていた。

 私も勿論、少しだけ傷口が痛んだ。

 きっとミリアは、私の傷を癒す手段としてこれを選んだのだ。

 一日目のミリアの場合、これは考えられない手段であったけど。

 素直に、嬉しいと思えた。思ってしまったとも言えるのかもしれない。


「こうすれば、治るから」


 ミリアが離れ、私は舐められた頬を撫でる。

 と、血は全て舐めとられたらしく、指にはミリアの唾だけが付着した。

 離れたミリアは私に背を向けて、デーヴィドと対峙した。


「ちょっと、父さん! 久々に顔出したと思ったら、何やってるの」

「邪魔だと言っている」


 何がなんだか、訳が分からなかった。

 けれど、今回のミリアは何かが違うのは分かった。

 朝の様子も何かが違かった。理由は? 今、考えることではない。

 嬉しかったが、ここでデーヴィドを殺す以外の選択肢は私には無いのだ。

 二人が何かを話している。

 その間に、私は魔力を溜める。

 魔法の名は呟かず、頭の中で意識する。氷の魔法。


「ありがとう、ミリア」


 ミリアの耳に届く様な声で、呟いて。

 私は少しだけ、その場から移動をした。

 この場所で放つと、ミリアに掠る可能性がある。

 移動といっても、本当に僅かだ。

 魔法の気配はなるべく出さず、自分の身体に秘めて。

 デーヴィドに意識を完全に向ける。

 ミリアと口喧嘩をしているのだろう。

 ミリアは視界には入れるけれど、思考には入れずに。

 デーヴィドの。その心臓部分に目掛けて。


「──」


 溜めた魔力と、鋭利に尖った氷の刃を射出した。


 やっとだ。

 これで、あいつは死んで。ミリアの呪いは解かれる。

 思ったより呆気なかったか。

 少し惜しい気もするけど、これで良かったのだ。

 デーヴィドも何も抵抗を見せない。

 この刃が刺さって、この世界は幸せに終わる。


 ──終わる?


 何かがおかしかった。

 小さく見えていた筈の刃が、次第に大きくなっていた。

 命中したかと思われたそれは、見えない結界の様な何かに弾き返されていた。

 完全に油断をしていた私の右肩を、貫通した。


「がぁぁあああぁああああ!」


 私は右肩を無意識に抑え、叫びながら。その場に倒れた。

 地面と私の身体がぶつかる鈍い音が聞こえた。

 目も開けられない。

 殺すために作った魔法が、痛くないわけがなかった。

 痛すぎる。血が身体から抜けている。それが分かる。

 私の身体から、温度が無くなっていく。


「──っあ。はっ──あぁ」


 ダメだった。

 やはりダメだった。

 いつもダメだ。

 私の能力では、足りない?

 世界を変えられない?

 もうダメだ。もう。……ダメだ。

 疲れた。疲れ果てたよ。

 まだ一回目なのに。もう無理な気がした。

 だって今までと違うから。

 これで無理なら、もう無理?


「──!」


 遠くで声が聞こえる。

 その瞬間、誰かの影が私に覆い被さる気がした。

 誰? ミリア? ミリアかな。

 ミリアとは。やはり、何か縁の様なものがあるのだろうとも思う。

 それは運命とも言える。とても素敵なものだ。

 素敵だけど。その縁は、私にとったら酷な物だった。

 切らないといけないのは分かっている。

 最終的には、絶対に切られるのだから。

 でもその縁は、とても強固で切れない。

 最初は簡単に切れた筈なのに。

 徐々に、固くなっていた。

 今回だって。関わりたくないのに、関わってしまった。

 話しかけられた時、逃げることも普通にできた。

 けれど出来なかった。私には、出来なかった。

 あぁ。だけど、今回のミリア。凄く優しかったな。

 こんなに優しいなら、また繰り返してもいいのかな。


 思えばずっと、こんな感じだった。

 ミリアの優しさに甘えないと、私は繰り返せない。

 今回が最後のチャンスだったのかもしれない。

 次から。ミリアがいないと、壊れてしまう。ボロボロに。


「──リリィ!」


 また何か、声が聞こえた。

 私の耳には、何も届くことは無かった。

 意識がまた。遠のく。

 遠のいて。届かずに。

 最後に消えた。


 ──リィンカーネーション。


 意識が一気に頭に引き戻されるこの瞬間は、いつもキツイ。

 情報量の塊が頭に流れ込むようで、気持ちが悪い。

 だけど。もう、慣れた。

 最初は慣れないと思っていたけど、慣れてしまった。


 私を焼く、朝の光。

 眩しいが、暗く感じるのは気のせいだろうか。

 いや。気のせいなのだろう。私の心が、陰鬱なだけ。

 ここにいても。またミリアが来る。

 それで『好きになって』と言ったなら、また同じ道を辿るのだと思う。

 もう。それでいいんじゃないか。

 私はミリアが好きだ。愛してる。私の初恋の人だ。

 ミリアとの別れか、女神としての役割。

 どっちが大事だろう。

 本末転倒で、掌返しだ。

 だけど、今の私にとったら。やっぱりミリアなのかもしれない。

 ミリアが一番大事だ。

 ミリアが大事だから、デーヴィドを殺そうとしているのに。

 女神としての役割が、ミリアにとって一番幸せなことなのに。

 あれ? 分からない。私は? どうすれば……。

 結局は、自分が最優先で。自分が好きなのは、自分なんじゃないか。

 ミリアの為とか言って、自分の心を騙して。

 けど。それも分からないからやってることであって……。


 ダメだ。もうダメだ。

 これで。きっと終わりだ。

 もう。終わりだ。

 私はもう。何も出来ない。

 何も出来ずに日々を消費して。

 世界に四日目が訪れて。

 私は。私は──。


「──リリィ!」


 途端だった。

 私の陰鬱な心に、眩しすぎる光が入り込んだ。


 聞いた後は、反射だった。

 声がした目の前を、見やる。

 いつもと同じその場所に。

 いつもに比べて、ずっと早い時間に。

 ミリアが、いた。

 えらく、息切れを起こしている。

 そんなミリアが、今。私の名前を──?


「……な、んで」


 呟きは届かず。

 ミリアは大股で、私に詰め寄ってきた。

 彼女の目は潤んで、今にも泣き出しそうだった。

 何が起きているのか、理解しようとして。

 けれどその前に、ミリアは私の頬を引っ叩いた。


「ばか!」


 ヒリヒリしたけれど、暖かい痛みだった。

 同時に、ミリアの涙腺は崩壊していた。

 ボロボロと子供のように泣きながら、私を叩いた手を睨んで。

 そこから、私の目に視線を移動させた。


「なんで! 前の前に、私に、リリィの全てを伝えてくれなかったの⁉︎ 私は、リリィのいうことなら、全部信じていたのに……」


 前の前……とは。

 私が勝手に1000周目と定めた、あの時だろうか。

 けれど。そんなこと、今は本当にどうでもよくて。

 理解し難い幸せすぎる目の前の現実を、私は。


「ミリア。ミリア」


 感情が溢れ出して、思わず名前を呼ぶ。

 ミリアは、嬉しそうに首を何回も縦に振った。

 私は前回刺された右肩を撫でながら、もう一度名前を呼ぶ。


「ミリア」

「うん。リリィ」


 ミリアは私の名前を呼んで、大きく頷いた。

 今は、確実に一日目。

 それなのに。ミリアに記憶がある。

 どうして──?


「なんで覚えてるの?」


 問うと、ミリアは首を少し傾げた。

 「んー」と前置きの様に漏らし。

 涙を止めて、拭いながら。ミリアは口を開く。


「分かんないけど。前回、どこかでリリィをね、見たことがあった様な気がして。……そして、思い出したくないけど。リリィが息を引き取る寸前に。私がリリィの深い傷口を舐めて、そしたらね。段々と、何か記憶の断片みたいなのを思い出してね──」


 そこで言葉は止められた。

 けれど私は理解した。

 ──そうか。


「私の血を。飲んだからだ」


 魔力が流れた私の血。

 私が一日目に戻るのは条件発動の魔法があるからで。

 魔法が発動する際には、魔力を伴う。

 ミリアの中に取り込まれた私の血液が、魔法を発動させたんだ。

 それで、前回。

 いつもとミリアの調子が違ったのは、私の唾液をその前に飲んでいたからだ。

 血液までとは言わないが、それもうっすらとは魔力はある。

 全てが腑に落ちた。これだ。

 でも。それって──。


「大丈夫だった? 私の血液。ミリアには、絶対合わないと思うけど」

「うん。凄く不味かったし、痛かった。今も、気分は優れない」


「ふふ。ミリアは正直だ」


 懐かしさすらあるミリアに、頬が緩んで。

 やっと真に、現実を受け入れられた気がした。

 ミリアの声が、すぐそこにある。

 ミリアの可愛らしい笑顔が、すぐそこにある。

 それがどれだけ素晴らしくて。

 どれだけ、私が望んでいたものか。

 近くて遠いそれが、今はもう。目の前に。


「そういう人だったでしょ? 私って」

「そうだね。確かにそう」


「うん。……あと、ごめんね。ほっぺた。痛かったでしょ。私のこと信用してないのかーって、やっちゃった」

「凄く痛かった。これずっと引きずる」


「リリィも正直だね」

「私も。こんな感じだったでしょ? 覚えてる?」


「うん。けど、私。三回前までくらいしか覚えてない」

「いいんだよ。本当にそれだけで、十分すぎるから」


 十分すぎた。本当に。


「ありがとう。ミリア。ごめんね。ミリア」


 私は我慢できなくなった涙を隠したくて、そのままミリアに抱き着いた。

 けど、全く隠せなくて。私はだらしなく泣き声を上げた。

 しばらくはずっと、こうしていたかった。

 この時間もきっと、限りあるものだけど。今だけは、ずっと。


「……ありがとう。リリィ。ごめんね。リリィ」

「真似してる……?」


「本心だよ。私のために、リリィはこんな大変な思いをしているんだよね。だから『ありがとう』で。そして、そんなリリィに気付くことができなくて『ごめんね』なんだよ」

「あぁもう。優しい。本当に優しいね」


 いつか、こんなやりとりをしたのを思い出した。

 というか、私たちっていつもこんな感じだった。

 いつも? いや、二つ前のあの時かな。こんな感じだった。

 私がミリアの沢山の魅力に気付いたあの時。

 そしてずっと変わらずに。ミリアは優しい。


「そうでしょ。私、めっちゃ優しい」

「……うそ。やっぱり優しくないかも」


「ふふ。まぁいいや。後で、色々と説明してね」

「あしらわれた感じがなんか嫌だけど。うん、後でね。今はこうしていていい?」


 問いながら、ぎゅっと抱き直す。

 向こうから返答の代わりのように、ぎゅっと抱き返された。


 本当にかなりの時間抱き合っていた。

 もうお昼ご飯の時間かな。って、それくらいまで。

 しかしそれでも。ずっと、こうしている訳にはいかない。

 これが最後の思い出。それでいて最高の思い出だと。

 暗示ではなくて、本心で思う。

 ミリアも、私の目的をなんとなく理解していると思う。

 だから。私と別れないといけないことも、理解している筈なのだ。

 じゃないと。こんなに、抱き着いてくれないよね。


 私は、ハグの終わりを惜しみつつ。

 ゆっくりと、ミリアの身体と距離を置いた。

 今から最後。始めよう。

 今までは独りだったけど。今回はミリアがいる。

 沢山寄り道をしてきたけど、私は目的に焦点を当てる。

 そのために必要な問いを、私はミリアに投げかける。


「一つ、質問していい?」

「どうぞ!」


「ミリア。私のこと、好き?」

「大好きだよ」


 即答。

 その言葉に、どれだけの価値があるのか、私は知っていた。

 ずっと追い求めていたものだった。


「私も大好き。……ミリア」


 しみじみと、私はそう返す。

 この『大好き』に籠もった重みは、絶大だ。

 心の底から、大好きだ。

 でも恥ずかしいから、もう一度抱き着いた。


 次いで、呼吸を一つした私は。

 いかにもそれらしく。

 仰々しい身振りで、カッコつけた感じで。

 こんな感じに言ってみる。


「私の名は、リリィ・ベイリー。……ミリア・フローレス。あなたの願いを、叶えましょう」

「おぉ。なんかカッコいい」


 どうせ最後なのだから。

 女神らしく、やってみようか。

 抱き合ってる時点で、女神らしいとは程遠いかもだけど。


「そのために。私の願いを叶えてください」


 この発言で、もっと程遠くなってしまったけど。


「なんか一気にカッコ悪くなったけど……。えっと、願いとは、なんでしょうか!」


 ミリアに見事に指摘されてしまう。

 こういうやり取りこそが、私たちらしいというものだ。

 さて。図々しいけど、私の願いを叶えて貰おう。

 私の願いは、ミリアが幸せになること。

 これはもう。ずっと変わらなかった。

 ミリアが好きって言ってくれたら、こう言おうって決めていた。

 決めていたのに、言えない時もあったけど。

 やっとだ。やっと言える。


 私はまた、泣いていた。

 最後だから? ミリアとのお別れがあるから?

 きっと全部なのだろう。

 けれど、目の先にあるのは希望だった。

 遂に訪れた、奇跡の希望だった。

 鼻を軽くすすった私は、ミリアの耳に囁いた。


「私と、一緒に──」


 唾を飲む。

 泣いていたけど、回していた手を外して。ミリアの顔を見た。

 私は抑えきれない頬の緩みを、全く抑えずに言い放つ。


ハッピーエンド幸せな最後をつかまえて!」

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