神世界より。あなたのために

 表情を変える様々な花火。

 余計な事は考えずに、それを眺めていた。

 十分ほどが経ち、最後には無数の花火が空に上がった。


 屋根から地面に降りるのは、同じ様に。

 おぶってもらい。風の魔法を地面へと射出し、着地した。


 花火の余韻に浸りながら、二人で私の部屋に戻り。

 リリィが私の部屋を火の魔法で灯してくれたところで、


「ミリア。私、思い出した事があって。ちょっとだけ待ってて」

「え、うん? どんな用事?」


「そんな大したことじゃないよ。すぐ戻る」

「分かった」


 このままリリィがいなくなるのでは無いかって、実はかなり不安だった。

 が、それは杞憂だったらしく、リリィは十分ほどで私の元に帰ってきた。


「おかえり」

「うん。……ただいま」


 気のせいかもしれないけど、リリィの目には涙が浮かんでいるような気がした。

 二人でベッドに腰をかけて、最後になるであろう二人の時間を始めた。


「……なに話す?」


 リリィは何も返して来ない。

 私も何も思い付かなくて、何も言えなかった。

 花火を見ていた時に比べて、会話は極端に少なくなっていた。

 やっぱりお互いに、別れるのを実感して嫌だからだと思う。

 リリィなんて、私よりも暗い。真っ暗だ。

 こんなに真っ暗なリリィに『好き』を伝えてもいいものだろうか。

 いや、そもそもタイミングは今ではない。

 だが、そのタイミングがこのままだと来そうにもない。

 だったら、私が少しでもリリィを明るくしてあげて。

 それで好きを伝えよう。と思った。

 沈黙が流れていたその空間に、別の人が割り込んだように私は声を明るくした。


「リリィ! キスしよう!」


 これは一昨日と殆ど同じ手段と言える。

 落ち込んだリリィに、キスをして、慰めて。

 そんな、余りにも。とてつもない程に、自意識を過剰にしたその手段。

 今の私には、これ以外の事が思いつかなかった。

 第一、私がキスしたかった。今日は、朝の不意なキス以外できていないから。

 キスをしたいって、いや、私は変態ではありませんけどね。

 ありませんけども。したかったです。はい。

 本当は花火が上がっている時にしたかった。

 なんかロマンチックで、いいなって思ったから。

 空気感的な問題で、何もできなかったけど。

 だから。今、したい。だから言ったっていうのも理由に含まれている。

 含有率的には、リリィを明るくする目的六割五分。

 私がキスをしたいからっていう理由三割五分。

 恐らくこれくらいの割合だと思った。今思った。


 リリィを見る。

 リリィは若干驚いたように目を丸くしたのちに。

 「ふふ」と微笑んで「いいよ」と優しい口調で言った。

 ちょっとだけ明るいリリィの調子が戻った気がした。


 私は立ち上がる。

 隣の座っているリリィの前に来る。

 必然的にリリィが上目遣いで見てくる状況は、なんか凄く、凄い。

 私がしたいって言ったくせに、私の方がドキドキしてそうだ。

 リリィは目を瞑る。それを合図と取った私は、彼女の柔らかい肩を。

 包み込むように、安心させるように。優しく、そっと、ぎゅっと。

 けれど、この位置的に私の顔が少し近付けにくい。

 私は、両肩に置いていた両手を、それぞれ後頭部と背面に移動させた。

 痛めつけないように、私は、ゆっくりとリリィをベッドに押し倒した。

 リリィは何も言わなかった。言わないでくれたのかもしれない。

 私はリリィに跨り、覆い被さった。

 身体はリリィの身体から少し浮かしていた。

 凄く心臓が動いている、呼吸も少しだけ荒い。

 これで、リリィは明るくなってくれるのかな。


 両手を両頬に運んだ。

 私が影になり、その顔は少しだけ見えづらい。

 けど、可愛い。凄く可愛い。

 リリィ、めっちゃ顔赤い。熱が手に凄く伝わる。


「…………」


 私は。

 ゆっくりと、その綺麗な唇を狙った。

 その狙いが命中すると確信したところで、私は目を閉じた。

 私の唇に。乾いたリリィの唇が触れ。密着した。

 心臓の動悸からくる私の荒い呼吸が、漏れてリリィの中に入った。

 そしたら、リリィも息を吐き返してきてヤバかった。

 唾液が溜まる。

 唇を離したくないジレンマで、私は唾液を絡めてキスをし続けた。

 リリィは身をよじらせながらも、けれど嫌がる様子は見せなかった。

 リリィは、完全に私に身体を預けていた。

 それを感じれて、とても嬉しかった。


 私はいつの間にか、自分のためだけにキスをしていた。

 リリィは嫌がる様子を見せなくとも、ずっとされっぱなしで。

 それは、私の当初の目的から外れているかもしれない。


 気付いて、私はキスを止めた。

 目を開き、ゆっくりとそこを離れ。

 リリィは、少し遅れて瞼を開けた。


「……終わり?」


 顔を火照らせ、首筋に汗を垂らしたリリィが、子犬のような目で問うてくる。

 これが暗い表情かと問われれば、少なくともそんなことは無いと言えた。


「……ちょっとやりすぎたかなって」

「既にやりすぎだから、今更気にしないよ」


「……す、すみません」

「いいよ。今度は、場所交代していい?」


「……えっと、うん」

「やった」


 リリィは、はにかみ笑顔を私に見せた。

 私が見たかったのは、この表情だった。

 魅せられて、私も顔がほころぶ。


 そしてリリィは両手を広げた。

 意図することを理解して、私はリリィを抱きしめる。

 抱き返されて、ぐるりとベッドの上を半回転。

 私が下で、リリィが上。立場は完全に逆転された。


 私が心と体の準備を整える前に、すぐに唇がリリィに奪われた。

 私の目は閉じる暇もなく、しかしリリィも目は開けている。

 逸らしたい程に、真っ直ぐと刺す様に、私の目を。


 悶絶しながら、声にならない声をあげて。

 羞恥と変な気持ちよさを同時に感じる。

 熱を上げて、熱を上げて、熱を上げる。止まることを知らない。

 このままだとやばいと感じて、膠着していた私の瞼を強引に閉じた。


 そっか、昨日。今日の夜に、してくれるって約束したんだっけ。

 犯されるって、まさしくこの状況なのかもしれない。と、体感と実感をした。

 こんなことを出会った時に、リリィはしようとしていたのか。

 その時にされても私、拒まなかったんじゃないか。

 なんて。今だから言えることだ。


 今度は、リリィの唾液が流れ込んでくる。

 完全に別の人の身体の一部だと、当たり前のことを思う。

 だけど、本当にそう思った。異物が混入しているような感じだ。

 けれど、悪い意味ではない。独特な感触というだけで。

 そしてそれは、少しだけピリピリとしていた。

 前に唾液が流れ込むキスをされた時も、ちょっとピリってしていた気がする。

 その時は気のせいかと思って、スルーしちゃったけど気のせいでは無いようだ。

 だからって、別にどうでもよかった。


 このまま永遠に続くのでは無いかと疑いそうになるくらいに、キスはずっと続いた。

 私の両手を舐めるように、私の指の間を一つずつ、リリィの指が滑った。

 私を責める、背徳感。リリィの舌。

 私は何も抵抗できない。する気もない。

 ただ、しようとしても不可能なのは分かる。

 今のリリィは、私に喋る隙すらも与えてくれない。

 別にいい。キスは、一秒一秒が、新鮮だから。このままでも。


 リリィは私を求めてくれている。

 なら、リリィが帰るまでこのままで良いような気がしてきた。


 私のこめかみに、冷たい水滴が落ちた。

 汗かと思い気にしなかった。

 十数秒後、リリィはキスの動きを止めた。

 ポタポタと、私の顔に水滴がたくさん落ちてきて。

 思わず目を開けると、すぐそこのリリィの目が涙でずぶ濡れだった。

 顔全体は見えない。だけど、目元は赤く、形が崩れている。

 涙の流れる理由は理解できる。リリィの涙の理由は、ずっとこれだったと思う。

 この状態でキスを続けるのも良く無いかな、と思って。

 唇はくっ付きっぱなしだけれど、私はリリィの力が抜けた手を外し。

 リリィの脇の辺りを持ち、離れようと力を込め──ようとした。

 だが、リリィは私のその力に反発して、私の顔の横に自らの顔を埋めた。

 そうすると共に、悲痛で沈痛な嗚咽をリリィは出す。


「やだ。やだやだやだ。……やだぁ」


 叫びとも取れるリリィの声。

 まるで駄々っ子のように、なりふり構わなかった。

 初めて聞く。そして、初めて見るリリィが私の隣にいた。


「ミリア。ミリア。……離れたくない。やだ」


 さっきまでの強引なキスは、その悲しさを紛らわすためのものだったのかもしれない。

 きっとずっと我慢していたんだ。限界の表面聴力が働いている間も。ずっと。

 けれど溢れたんだ。我慢しすぎて、沢山の量が。

 そう考えてみると、リリィはずっと我慢しっぱなしだったのかもしれない。

 出会ったその時から。今まで。ずっと。

 だって、こんなに喚くリリィなんて見たことがない。


「ミリア。好き。離れたくない。……離れたくない」


 好きが由来する、その離れたくないという想い。

 心の深くに、突き刺さる。そして、揺り動かされる。

 隣で喚くリリィの頭を軽く撫でながら、私は声を吐く。

 声は震えていて、嗚咽のせいで声の起伏が激しかった。


「リ、リリィ。……そんなに泣かないでよ。……じゃないと、私も、泣いちゃう、よ」


 言う前に、私は既に涙を沢山零していた。

 リリィに比べて、私はこの三日間、泣きっぱなしだったかもしれない。

 腕で涙を拭い。それでも涙は止まらない。

 リリィもずっと、布団に顔を埋めて啼泣ていきゅうしていた。


 時は過ぎ。夜の九時半頃になっていた。

 リリィと私はようやく落ち着いた。

 リリィは「ごめん」と立ち上がり、仰向けで私の隣に並んだ。

 二人で部屋の天井を見上げ、だけど私は横目でリリィの顔をチラと見てみた。

 顔はりんごの様に赤く、ぐしゃぐしゃに崩れた表情で。

 そのまま、声色を明るくしてこう言ってきたのだ。


「ミリア。……私、やっぱりここに残る。帰らない」


 今までの葛藤が、全てひっくり返るような事を。

 なんでもないように。ごく自然な流れであるかのように。

 平然と、悪びれもせず。そう簡単に言ってのけたのだ。

 横目で見た表情をそのまま伝えると、リリィは笑顔だった。


「え、ほんと⁉︎ 嬉しい!」


 私は、声量大きく喜んだ。

 リリィは「やっぱり大好きな人を優先するべきだから」と、もっと笑った。

 「リリィならそうしてくれると思ってた」と、私は返した。


 だけど、そんな都合の良い話なんてある訳ないと分かっていた。

 リリィは優しい嘘吐きだ。私を不安にさせないための、優しい嘘。

 確証はないけれど、確信はあった。

 このタイミングで言い出す時点でそもそも違和感だ。

 リリィは本当に優しい。また、泣きそうになってしまう。

 だけど、嘘は嘘だ。優しさよりも残酷さが勝る。

 リリィは私に悲しい顔をして欲しくないから、こう言ってくれたのだろう。

 その残酷さに気付きつつも、私はリリィの優しさの方を大事に心に収めた。


「リリィ! ならさ、ずっと一緒にいようよ!」

「うん。もちろん。一緒にいるよ」


 さっきみたいに、涙が溢れてきちゃいそうだった。

 今度は、ちゃんと。それを抑えた。

 言葉の末端まで、しっかりと明るく喋ることを心掛けた。

 リリィも、さっきまでの泣きじゃくりっぷりが嘘の様に、明るく喋ってくれていた。


 壁掛け時計の指す時間は、午後十時。

 今日中に別れだとしよう。だとすると、別れはもうすぐなのかもしれない。

 呼吸がだんだんと荒くなる。荒くなるけど、必死に抑える。

 リリィが明るく話しかけてくれて。そうしたら、私の心は晴れて、呼吸も落ち着いた。


 それからは、ずっと他愛も無い話をしていた。

 好きな食べ物の話とか。

 今までで一番楽しかった事、とか。

 明日から何をしようか、とか。

 将来の夢の話とか。

 そんな。ごくごく普通のありふれた内容。

 心は凄く落ち着いていた。

 楽しかった。

 本当に、一瞬だけ嫌なことなんて忘れられた。

 少なくとも、この時間はとても楽しかった。


 壁掛け時計の指す時間は、午後十一時。

 リリィはどこか行く様子を微塵も見せない。

 明日から、私たちが一緒にいる未来を確信しているようにリリィは喋り続けていた。

 本当にリリィはいなくならないのでは? と私は心のどこかで思っていた。

 思っていて、きっと、そうなることを願っていたのだと思う。

 だからだろう。


「ミリア。ちょっとお手洗い行くね」


 会話の途中で自然に入ったその言葉に、


「あ、うん! 待ってる」


 なんの疑いもなく、頷いてしまったのだ。

 部屋を出ていくリリィを見送り。

 一瞬だけ映った。リリィの悲しい顔。

 それを私は、気のせいだと思ってしまった。

 ここで引き止めるべきだったんだ。

 無理矢理にでも、否が応でも。


 ──ガチャ。


 そして聞こえた、ドアが閉まるとても小さな音。

 トイレのドアの音…………いや、少し違う。

 トイレのドアは、こんな音じゃない。もう少し木がミシミシと鳴る音がする。

 気付く。玄関のドアが閉まる音だと言うことに。


 そこで私は、ようやく。本当にようやく、ハッとしたのだ。

 リリィは、お手洗いに行くと言って、外に出たのだ。

 これが意味するのは、とても恐ろしいものの様に感じた。


 胸がザワザワと騒ぎ出す。

 怖い。凄く怖い。怖い。

 もしかしていなくなったりするの?

 当然、この可能性を疑う。


 そう思った時。

 部屋が、少しだけ暗くなった。

 最初は気のせいだと、私は思った。

 しかし部屋の灯りを見ると、それは気のせいじゃないと理解した。

 ゆらりと揺れているその炎は、消えそうなくらいに弱く燃えていた。

 『リリィの魔法によって灯された炎』が、だ。

 気にしすぎかもしれない。

 だけど。胸騒ぎが止まらない。

 リリィは、どこ。


 私は部屋を飛び出していた。

 廊下をドタドタと走り、靴を履き、ドアを開け放つ。

 瞬間、外のムワッとした空気が私に覆いかぶさった。

 私はその熱気を振り払うように、暗闇に向かって叫ぶ。


「リリィ! どこいるの!」


 しかし。誰も、何も答えてくれない。

 どこだ。どこだ。リリィ。

 私に嘘を吐いて、どこに行こうとしているんだ。

 もしかして。本当に何も言わずに離れちゃうの?

 嫌だ。嫌だ。それだけは、本当に嫌だ。

 まだ。ちゃんと好きって、大好きって言えてない。

 言えてないのに、なんでいなくなっちゃうの。嫌だよ。


 行く当てもなく、私はキョロキョロと首を回す。

 だが、立ち止まっていても仕方が無い。

 とりあえず、動こう。リリィを探そう。


 いや。待て。適当に動いても仕方ない。

 そうだ。雑草を踏んだ跡を探そう。

 直近で踏まれた雑草は、しなっているはずだ。

 雑草も踏まれた跡くらい分かる程には、伸びているから。


 善は急げと、私は部屋からランプを持ってきた。

 火種はリリィが部屋に灯してくれた弱々しい炎から拝借した。

 暗い炎だ。だが、無いよりかは断然良い。


 ランプをかざす。

 照らされた地面は見えにくいが、しかし。

 確かに、直近で踏まれた雑草の跡を見つけた。

 それは家の正門の方ではなく、裏の方に続いているのが分かった。

 少なくともこれは手がかりとなる。

 リリィが通った跡だと、確信した。


 それが分かり、私はすぐにまた駆け出した。

 家の側面を伝うように走り、裏にやってきて。

 柵型のドアを開け放ち、前のお墓がある方向を見遣ると。

 そこにとても見慣れた人の影が、存在感大きく揺れていた。

 それはリリィの影、輪郭だった。

 先までの早鐘の様な心臓の動悸は、すぐに落ち着いた。


「あ、いた」


 よかった。

 遠くに行ってなかった。

 家に連れ戻そう。

 今度こそ、離さない。

 どうやら私は油断をしすぎたようだ。

 本当に良かった。本当に、本当に。


「リリィ。もう心配したんだから」


 私は息を切らしながら、お墓の集合場所へと足を踏み入れた。

 なぜだか、いつもよりもリリィの身長が高く見える。

 なんでだろ。私よりも、ずっと上にいる存在だからなのかな。

 なーんて、安堵のせいか可笑しな事を考えつつ。

 持ってきたランプを、そのリリィに向けた。


「もう、どうしたのリリィ? 何か言って────」




 え?


    え?    え?

え?    え?

    え?

 え?         え?

   え?  え?

 え?



     は?  は?   は?  は?

 は?は?  は? は? は?は? は?

は? は? は?は? は?   は?は?

は? は?は? は?  は?は? は?は?

 は? は?は? は?は は?は?は?

  は? は?は?は?は? は?は? は?

は? は? は? は? は?は?は?  は?

     は?  は?  は?


 ……あ。あ。


 え、あ。


 な、んで。


 え……?



 リリィは、確かにそこに真っ直ぐといた。

 しかし立っていなかった。

 彼女の足は、地面から離れ。

 カクンと折れ曲がった様な首。

 木から吊るされた、太い縄。

 地面に放り出された、木の土台。

 変わり果てた姿の彼女が、そこにはあった。


 いま、私は。夢でも見てる?

 私が見ているものは、現実?

 現実なわけがない。そんなわけが。

 さっきまで、リリィはずっと笑ってた。

 ずっと笑っていたじゃん。

 そんな。なんで、なんで。

 何が間違ってた?

 何をすればよかった?

 何をすればリリィはこうならなかった?

 私は、どこで。何を、間違えた?


 何も分からなくて。

 けれど私の本能が、私の体を突き動かしてくれたのか。

 気が付けば、私はそのロープに火の魔法を飛ばしていた。

 ドサッと、重々しい音を立て、それは地面に倒れる。

 すぐさまそこに近付き、そのロープを強引に解く。


 その音に私の理性は復活し。次の行動からはもう迷わなかった。

 私は、倒れたリリィの唇に、己の唇を付ける。


 自分の息を吹き込み。吹き込み。吹き込み。吹き込み。吹き込み。吹き込む。

 ずっと、ずっと、ずっと、それを続けて。

 そしたら、奇跡が起こってくれた。


「──ゲホッ」


 リリィが、息を吹き返した。


「リリィ! ねぇ、リリィ! ねぇ!」


 反射的に唾を飛ばす。

 だが、今のリリィに刺激を与えるのはよくないか。と、声を鎮めた。

 閉ざされた瞼が、力無く開かれ。また同じように口も力無く。


「ミ、ミリア……? ……今、いつ?」


 そんな言葉が、リリィから吐き出される。

 酷く弱っていた。

 これが、さっきまで一緒にいた彼女?

 そう思うと、物凄い吐き気が私を襲い、必死に耐える。

 抑えながら、私は優しい震え声をリリィにかける。


「ねぇ、リリィ。喋らないで、後で沢山話そう。ね?」

「……そっか。私、生きてるんだ……」


 リリィは私の話なんて聞いてなさそうだった。

 今のリリィに私は、何をしてあげるべきなのだろうか。

 とりあえず、自室のベッドに運ぶ?

 それはリリィに刺激を与えることにならない?

 だけど、病院も今は起動していないはずだ。

 どうすればいい。どうすれば。


「……ミリア。……お願いがあるの」


 リリィの言葉は唐突だった。

 だが、私はそれを精一杯に聞いてあげる。


「うん。なんでも言って。なんでもするから」


 だけど。


「……私を殺して」


「…………え⁇」


 リリィの要求はむご過ぎるもので。


「……お願い。このまま、だと……ミリアが、悲しいことになっちゃうから……」


 その理由すらも、意味も分からない。

 私が悲しいことになる?

 そうだとしたら、私はリリィがそんなことになってることの方が嫌だ。


「冗談でもそんなこと言わないでよ。ねぇ、嫌だよ」

「……そっか」

「うん。大好きなリリィには、笑顔でいて欲しいから。そんなことするわけない」

「……ミリア。私のこと、大好き、なんだ」


 言われて、私は初めてリリィに好きを伝えたことに気付く。

 だけど。こんな形で伝えたく無かった。

 こうなったのは結局、私の臆病さが招いた結果だ。

 けれど。私の言葉には、嘘偽りは無かった。全く。


「うん、大好き、大好きだよ、リリィ」

「そっか。やっと、あなたの口から、それが聞けた」


 力無くリリィは微笑む。

 私は泣きながら、大きく首を縦に何回も振る。


「うん、大好き。大好き、リリィ」


 今までの秘めていた想いを、全てぶつける思いだった。

 心からの大好き。私の中にある、全ての大好きという想いだった。

 リリィは力無いながらも、幸せそうな顔でクスリと笑う。

 『遅過ぎるよ』とでも、言いたげだった。

 息を吸う音が聞こえる。細くて、今にも折れそうな呼吸音。

 リリィの口元に、私は自らの耳を接近させた。


「ミリア、私もあなたが大好き。……また、好きになってね」


 本当に幸せそうだった。

 だけど、言い方がとても意味深で。

 もう、ここで最後みたいな。来世に託すみたいな言い方で。


「ねぇ。やだよ」

「もう。わがままだよ」


 私はわがままなのだろうか。

 だけど、返す言葉は何も見つからない。

 結局は何も言えなかった。


「……ねぇ、聞いて欲しい事がある。……ずっと言いたかった」


 リリィはそう言ってくる。

 今のリリィを拒むことなど、今の私には到底できそうにも無かった。


「……うん。ゆっくり、話して。体に悪いから、ね」


 だから受け入れた。

 これが、間違った判断だとしても。


「私の、望みは『』……。だから、私は、ここにきた」


 その言葉の響きに、どこか覚えがあった。

 思い出せないまま、リリィは続けた。

 私は苦しそうなリリィを安心させるように体を撫でる。

 同時に、耳を傾ける。


「最初は、それだけのつもりだった。……だけど、私はあなたを好きになった」


 頷く。


「いつも最悪な結末バッドエンドだった。……私はあなたのために幸せな結末ハッピーエンドを求めた」


 頷く。


「あなたの心を一番惹きつけるのは、好きを伝えることだと知った」


 頷く。


「……一昨日の朝は、正直気が滅入っておかしな発言を沢山した。気絶もした」


 ただただ頷いて。


「どうしようもないって思ったから、あなたを犯して、私は死のうと思った。私は、そんな最低な人……」


 『最低な人な訳がない』と反射的に、首を横に振った。


 リリィは言葉をここで少し詰まらせた。


 ここまでの話、全て脈絡がないような気がした。意味は理解できなかった。

 だが、リリィには、沢山の抱えているものがあるということは理解できた。

 それを理解して欲しくて、リリィは今こんなことを言っているのかもしれない。

 リリィは苦しそうに呼吸をした後に、また言葉を続けた。


「こんなに酷い私は、救われちゃいけない……。救われるのはあなただけでいい」


 リリィの呼吸が次第に薄くなる。

 ゆっくりと唇を震わせて、まるで愛の告白の様に。

 私に真剣な口調で、声を漏らした。


「……だから、私を、殺してください……」


 意味が分からない。

 せっかく真に両思いになれたのに。

 未来への希望を捨てて、この世を去ろうとするなんて。私が許さない。


 私は言葉を返す。

 無意識的に、怒りが少し篭っていたかもしれない。

 だが、強くは言わずに、リリィの骨身に伝わらせるような声と言葉で。


「………………そんなこと言わないで。……今日までリリィと過ごして、私はリリィのことを酷い人だなんて、そんな認識したことなんて一度もない。殺してだなんて、あなたのことが大好きな私に、そんなことできるわけないじゃん」


 嘘。最後は少し口調が強かった。

 だけど、リリィは嫌な表情一つ見せずに。

 穏やかな表情のまま、目を細めて笑った。


「……本当に、ミリアは優しい。すごく優しいね」


 リリィの目からは、ボロボロと涙が溢れていた。


「今から言うこと、忘れないで。どうか、忘れないで」


 その『忘れないで』と言う言葉には。

 とてつも無く、計り知れない思いが詰まってると感じた。

 いや、確実に計り知れない思いなのだ。

 私にはリリィに関して理解できていないことが沢山ある。

 その内の一つなのかもしれない。

 今度は確信も確証も無い。

 リリィは最後の力を振り絞るように、声量を大きく。


「私の名前は。リリィ・ベイリー。あなたにこいねがわれた、弱き者。……それでいて、あなたのことが大好きな、普通の女の子」


 確かにそれは、私の記憶に深き刻まれた。確実に、忘れないと思う。

 だが、それ以前に、私はリリィを死なせる気なんて全くない。


「愛してる。また──ね」


 リリィは静穏せいおんに笑う。

 眠るように安らかに目を瞑り、静止した。


「リリィ!」


 私はすぐに、脈を測った。

 大丈夫だ。ゆっくりだが動いている。

 気絶しているだけだ。

 ……刺激になるかもしれないけど、ベッドの方がリリィの体に良いだろう。

 思い、私は彼女を掲げようと手を彼女の下に回して──。


 と、その時。私の手に、ある物が触れ。

 その触れ心地が、覚えのあるものだと分かり、それを取る。

 それは懐中時計だった。こんなところにあったらしい。

 現在時刻が目に入り、それを思考でなぞる。

 今の時刻は──。


 十一時。

 二十二分。

 五十九秒。


 認識した刹那、私の心臓が有り得ないくらい大きく跳ねた。

 ──心臓──否、魂か。

 抵抗も何もできず。その場に倒れた。

 悲鳴を上げた。


「あぁぁぁぁあああぁぁぁああああああぁああああぁぁああぁぁぁぁぁあああ」


 耳に届く私の声は、自分で聞いていてとてもおぞましいものだった。

 私が今感じているのは、痛みなどといった、そんな生易しいものじゃない。

 自分が自分で無くなるような感覚。自分の魂が抜け落ちてしまいそうな感覚。

 言うなれば『何も感じられていない』。そんな矛盾した感覚。


 全てが遠くなる。

 悪夢の中に、いざなわれているように。

 この世から、私の存在が消えていくように。

 全て。本当に全て、遠くなる。

 景色が、世界が、リリィが。

 そして。私が。



 やっぱり神様なんてこの世にいない。

 感謝祭だからって、浮かれて仕事を放棄しているのかもしれない。

 神様なんて、やはり信じるだけ無駄なものだ。


 私は。

 どうすれば、この惨劇は回避できたのだろうか。

 私が、もっと早く、リリィに想いを伝えればよかったんじゃないか?

 そしたら、こんなことにならずに済んだんじゃないか?

 もしそうだとしても、今更どうにもできない。

 私は、

 どうにもできるわけがない。

 リリィ。リリィ。リリィ。

 その名前を頭の中で、何回も唱える。


 割り込むように、誰かが私に話しかけてきた。

 耳から入るのではなく、脳に直接。

 その声が、とても懐かしいものだと感じた時、私はとても恐かった。


『眠りの歌を、歌いましょう。ミリア』


 おやすみ。おやすみ。


 今日に不満があったとしても。


 次は、しあわせだから。


 しあわせが、あなたを待っているから。


 だから。今日はおやすみなさい。


 また明日。


 また明日。


 おやすみ。おやすみ。



 ────────。



 夢の中で、声を聞いた。

 この歌は。母さんが、私が眠れない時によく歌ってくれていた歌。

 母さんのその声は。とても近くて、懐かしくて。

 けど。なんで今更、母さんの声が夢に出てくるんだろう。

 母さんは、もうこの世にいないというのに。

 本当に。なんで。……なんで。

 …………なんで。



    ※



 夢だった。

 私の呼吸は、酷く荒かった。

 何か、とても、すごく長い夢だった気がした。


 気付き、私の目に光が刺していることを不意に意識した。


 ──眩しい。


 思い。

 ゆっくりと瞼を開く。

 光の出処は木漏れ日で、私は無意識的に右手で目に影を作った。


 キラキラとした朝の光。

 それを眺めていると、私の頭が段々と覚醒してゆく実感をした。


 思考を回す。

 今現在の状況を確認するために。


 目に入るのは、木々。

 その葉をぼんやりと観察すると、まだ朝露に濡れていることが分かった。


 そこから目線を少し逸らす。

 と、私の横には小さな女神像。

 それが静かに立っていた。


 さらに私の足元に視線を移す。

 そこには、ベリーがたっぷり詰まったカゴがあり。


 耳に侵入してきていたのは小鳥たちのソプラノ。


 あぁ。そうだった。と、それらの点が線になった。


 私。熟れ頃のベリーをいっぱい採集しに来たはずだったんだ。

 結構森の奥まで来ちゃって。その時に偶然この女神像を見つけて。

 苔むしてたし、持って来たハンカチで綺麗にしてあげたんだっけ。

 ついでに、おやつに持って来たリンゴを添えてあげて。

 せっかくだから『』って、この身元不明のどこの宗教の物かも分からない女神像にお願いをして。

 ……そしたら、いつの間にか眠っていた、と。


 んー。私、バカだな。

 大木にもたれかかって、地べたにお尻をつけながら。

 はしたなっ。めっちゃはしたなっ。

 それに、魔物とかに襲われたら取り返しがつかない。

 ……まぁ。こんなとこに魔物は滅多に湧かないし、別にいいんだけど。


 私はゆっくりと立ち上がり、無意識にお尻に触れてみた。

 着衣していたシルクのワンピースは少し汚れている。

 ……これは洗濯が面倒くさそう。


 私はポケットから、母さんの形見である懐中時計を取り出し今の時刻を確認。

 八時半くらい……かな?

 家を出たのが七時だから。

 採集の時間を含めると、そんな経ってない?

 ……けど。随分と長い夢を見ていたような気もする。

 母さんの声が、とても近くから聞こえていた。そんな夢。


「この女神像の力が働いた……とかだったりして」


 呟いてから「そんなわけないか」と直ぐに首を横に振った。

 母さんの声を聞かせてくれる女神像って、なんだそりゃって感じ。

 こんな夢を見たって、ノスタルジックな想いに涙腺が緩まされるだけだし。


「…………」


 帰ろうと思い、私は立ち上がる。

 女神像を見て、名前だけでも確認してやろうとその像を舐め回すように見た。

 本当にふとした行動だった。


「えーっと。どれどれ? ……ベイリー?」


 その名前はとても見えにくい場所にあり、見えづらい文字だった。

 あぁ。確か、時の女神のファミリーネームだったっけ。

 割と有名どころだから覚えてる。だけど、なんでこんなところに?

 どうでもいいけど、ベイリーとベリーって似てる。


「ふふ」


 笑いながら、私はその場を歩き出し、家に向かった。

 そういえば、私。独り言が増えたな。

 最近は、家にいる時はずっと一人ぼっちだし。

 父さんなんか、母さんがこの世を去ってからずっと篭りっきりだし。

 家事とか全部、私に押し付けちゃって。

 押し付けられたというか、父さんが何もやらないだけだけど。

 母さんがいたら、私にこんなに負担がかかることなんてないのにな。


 そう愚痴を心で吐きながら、ふと思った。

 ……もうすぐ、母さんの命日か。と。


 正確に言うと二日後。明後日。

 その日には、ちゃんと父さんとお墓参りに行けたらな。って。

 そういう思いもあり、先は女神像に願ったのだ。

 ついでに『魔法が使えるようになりますように』って願えば良かったけど。

 二つも願うのは強欲だなーって、結局しなかった。私、偉い。


 ……いや。願えば良かったかも。私、偉くない。

 私はもうすぐで十五歳。

 そのくらいの歳の子は、簡単な魔法を使える子も多い。

 私、『魔術の書』を熟読して、それを実践してるはずなのに。

 なんでか一向に身に付かない。身につく気配すらしない。

 私のやり方が悪いのか。素質が無いのか。

 確か、父さんはかなり魔法を極めていると聞いたことがある。

 かなり昔に、母さんから聞いたことだけど。

 魔法に遺伝が関係するとするならば、私にも使えるはずなのにな。


 なんて考えていると、いつの間にか森を抜けていた。

 朝日が、木々の介入なく、容赦なく肌に触れてくる。

 夏の日差しは暑いけれど、どこか爽やかな感じがあって私は好きだ。


 目の前に広がるのは、青々とした草原。

 見てるだけで心が浄化されるくらいの綺麗な眺め。

 良い景色としか思わずに、私はそこを通り過ぎ、町の正門まで向かう。

 剣や斧を担いだ見慣れた面々とすれ違いながらも、私は街の門へと辿り着く。

 門番のお姉さんにペコリと一礼し、それをくぐった。


 舗装された石の道を歩く。


 朝の散歩をするおばあちゃん。はしゃぐ子供達。

 井戸端会議を楽しそうにするいつものメンバー。

 道中で映るのは、そんないつもの街の風景。

 けど、ちょっと違うかな。

 明後日のお祭りのために、色んな飾り付けがあちこちにされてるから。


 相変わらず、朝からこの街は元気だなー。

 後で暇ができたら、子供達の鬼ごっこに混ぜてもらおうかな。

 そのためには、洗濯とか掃除とかの家事を済ませてからで。


 あ。

 ベリーでジャムを作って、それをおすそ分けして回るのもいいかも。

 以前、ワッフルを焼いて配った時も、いっぱい喜ばれたし。

 よし! そうしよう。


 ──今日も良い一日になるといいな。


 なんて思っていると、もう直ぐ家に着く頃だった。

 そこそこ大きいその家の、門の前まで辿り着く。

 それを開き。敷地内に足を踏み入れ──。

 ようとしたが、私は思わず足を止めた。


「え……」


 数メートル先のドアの前で私のことを見つめる女の子がいて。

 私は、その姿に、どこか既視感を覚えた。

 ゴクリと、生唾を飲む。


 どこかで見た気がするかもしれない。

 私の記憶にうっすらと、彼女の顔が浮かぶような、浮かばないような。

 だけど、こんな美人を見たらきっと印象に残るはずだ。

 私は、彼女に問う。


「えっと。……誰、でしたっけ?」


 問うたはいいが、彼女は未だ私を見つめている。

 逸らしたくなるほど、真っ直ぐに。

 その目が、一つ瞬きをした。

 刹那、彼女の潤んだ目から一筋の涙が零れ落ち、それが頬を伝った。

 なのに未だに、彼女は私から目を離そうとしない。


「えっと、大丈夫? ですか?」


 流石に心配なので声を飛ばす。

 その涙に気付いたらしい彼女は、さらけ出された白い腕で目元を拭った。

 腕に目を伏せながら『大丈夫』と囁くように答えてくれた。

 思ったよりも、その声は華奢だった。でも、震えた声。

 彼女は腕を下ろして、また私を見た。今度は口も震えていた。

 その口が、ゆっくりと開かれていくのを確認した。


「わ……私は、リリィ。……ミリア。私のこと、覚えてない……?」


 そう言うということは、知り合いなのかもしれない。

 だけど。思い出そうとすればするほど、私は思い出せなかった。

 これ以上考えても無駄だと私は考え、こう返す。


「……そんなこと言われても。……そもそも、知らない。かな」


 思ったままを伝えてみる。

 すると、訳も分からなく。彼女はその場で泣き崩れた。

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