父さんに遭遇

 リリィの手を引いて、部屋を出て。

 暗い廊下を歩き、玄関。そして家の門の前までやってきて。

 けれど、財布を持っていないことに気が付いた私は部屋に戻っていた。

 割と普通にその財布を見つけて、だいぶその財布の重みが無くなっていたことに気が付いて、外で食べるのは少し気が引けてきたけど、まぁいっか。

 と、そんな感じで部屋を出て、先のように廊下を歩いている頃。不意に。


「……どこに行くんだ」


 後ろから。

 聞き慣れた、しかし最近は聞いていない。

 そんな、懐かしい声が聞こえてきて、唐突なその声に私は肩を震わせた。

 父さんの声だった。けれど、酷く疲れた様な声だった。


 振り返って。暗闇の中、少し離れたところにその人はいた。

 こんな暗いところで何をしているというのだろうか。

 恐らく部屋に出ることすらも久しぶりなのでは無いかと思う。

 ちょっとだけ震えている口に力を込めて、私は息を軽く吸い声を吐き出す。


「えっと。ちょっと、外食にって……思って」


 答えて。ごクリと生唾を飲んだ。

 その言葉に、溜息と共に父さんは口を動かした。


「そうか。明後日は、ちゃんと家にいるか?」


 どういう意図の質問なのだろうか。

 言われた通り明後日まで思考を飛ばし、何も無いかを考える。


「うん。今のところは。……あ、でもお祭りがあるから、それには行きたいって思ってたけど……」

「分かった。その時はくれぐれも遅くならないように」


 久々に顔を見せたと思ったら、なぜ急にこんなことを。

 それに、私と顔を合わせていないことに何の罪悪感も覚えていないような。

 そういう言い方で、そういう表情で。


「う、うん。なんだか、父さんがそう言うの凄く久しぶりだね」

「あぁ。明後日はサリーの命日だからな。大事な日だ」


 サリー。それは母さんの名前だけど……。

 つまり、父さんは変わろうとしてるってこと?

 母さんが死んでからずっと部屋に篭りっぱなしのこの人は。

 って言うことで合ってる?


 いや。自分に聞いても確証は得られない。


「それは。えっと、父さんは。母さんのことに、ちゃんと向き合うことにした……ってこと?」

「あぁ。……じゃあ、また。明後日」


 言うと、父さんは私に踵を向けて、暗闇に紛れ込んで消えていった。

 足音が続き、最後にドアがバタンと閉まる音が聞こえた。


「…………」


 なんだか複雑な心境だ。

 確かに、父さんがそう思ってくれたのはいいことだと思うけど……。

 今までのことを思うと、どうしてもそれを素直に喜べない自分がいる。

 ……まぁ。これから徐々に。色々と、成る様に成っていくのだろう。

 そうならないと。それは素直に嫌だから。


 とりあえず今は夜ご飯だ。

 もうお腹もペコペコ。

 今のことは明後日になったら考えるとして、今はリリィの元にいこう。

 と、踵を返し、私は再び玄関に向かい、靴を履いて外に出た。


 何メートルか離れた門の前で、街灯の赤い光に照らされているリリィの背中。

 そこに「おーい」と言いながら駆けつけて、肩をポンポンと叩いた。

 リリィは私に気が付かなかったのか、少しびっくりしたかの様に私を見た。

 少し焦った様な顔になったかと思えば。次は眉間にとっとだけ皺を寄せる。

 なんでだろうって思ったけど、父さんとの会話に時間を食われて来るのが遅れてしまったことに対する嫌悪感の表れなのだろうか。

 少しだけ不機嫌な感じが見て取れる。

 そんな様子の彼女に、私は両手を合わせて頭を下げた。


「ごめん。リリィ。遅れちゃった」

「遅い。遅すぎる」


 ……声のトーンから伝わる不機嫌な感じ。

 普通だったらこれくらい──って言ったら悪いけど。

 遅れたくらいで怒ることは、極稀なことだと思う。

 それに、遅れたと言っても数分程度だ。

 だけどリリィは、明後日までしかここに居られない。私と一緒に居られない。

 だから今、ちょっとだけ不機嫌になっちゃってるのかも。


 そういう考えで、今程よりもさらに深々としたお辞儀をした。


「ほんとごめん」

「許す」


 あれ。案外あっさり。


「わーい」

「はい。じゃあ、私に背を向けて」


「ん……?」

「いいから」


 よく分からないけど、言われるがままリリィに背を向ける。

 目の前にあるのは、灯りが一つも点いていない私の家。

 暗い。こんな暗闇で父さんはどうやって暮らしているのだろうか。

 まぁ、蝋燭の光とかで生活をしているのだろう。


 閑話休題。

 にしても、リリィは何で後ろ向かせたんだろう。

 そう思いながらリリィの行動を待つ。


「……じゃあ」


 その声と共に、後ろから襟が掴まれ、軽く引っ張られる。


 あれ? 既視感。

 そう思ったが、時すでに遅し。


「……『アイス』」


 背中に入り込む、巨大な冷気。

 それが、私の熱い身体を芯から冷やす。


「いやぁぁ! ごめんなさいぃ!」

「私との三日間という限られた、時間を無駄にした罰です」


「ご、ごめん! は、早く! この氷を取ってぇ! お腹すいたからご飯食べ行きましょぉぉ!」


 この叫びに、リリィは期待通りの反応をくれず。

 代わりに、楽しそうにクスクスと笑っていた。


「わ、笑うなー!」


 そう言う私も、結構笑っていた。

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