第14話 お礼参り

 恭仁はアンティーク電話機の受話器を握り、深呼吸をした。意を決してダイヤルに指を通して、善吉に教わった電話番号をフリック。呼び出し音が鳴るごとに、恭仁の胸の内で鼓動が高まった。プツリと電話が繋がった。


「はい、二階堂ですが」


 気品を感じさせる、しわがれた女性の声。恭仁は呆然として言葉を失う。


「もしもし? もしもし? はぁ、まただわ。もういい加減にして」


 疲れ切った様子で忌々しげに呟く声に、恭仁は我に返って口を開いた。


「あっ、えっとあの、切らないでください!」

「誰なの? お願いだから、悪戯なんてバカなことは金輪際止めて頂戴」

「お、お祖母バア様。僕は、恭仁です! 倉山恭仁! 貴方の孫の――」


 女は嘲うように鼻を鳴らし、無言で電話を切った。恭仁はツーツーツーと受話器の向こうで無情に響く電子音を聞き、暫し呆然として立ち尽くした。


「あんた何やってんの?」


 物陰から猫のように見ていた霧江が声をかけると、恭仁は無言でゆっくりと彼女を振り返った。彼の目から二筋の涙が伝い落ち、恭仁は静かに受話器を置いた。


 後日。恭仁は善吉に呼び出された。鉄義から一本取った功を労われ、今まで恭仁が来たことの無い本格ステーキ店で、善吉との食事を誘われたのだ。


「何で私も一緒なのよ……」

「恭ちゃんだけ引っ張って行ったら、霧江ちゃん怒るでしょ」

「キモ。霧江とか馴れ馴れしく呼ばないで」


 2人がじゃれ合っている横で、恭仁は無言のままテーブルを見つめていた。


「そう気を落とすな、恭ちゃん。って言ったろ。とりあえず、今は飯食え飯。何せあの親父のいけ好かねえ渋柿面に、真剣勝負で打ち合い1発でもぶち込んだんだからな! これは相当な快挙だぜ。兄貴も姉貴も喜んでるさ」


 姉貴と言われ、恭仁は顔を上げて善吉と視線を合わせた。


「1度や2度断られたぐらいが何だ、親父をブチのめしたお前だぞ! 今日ンとこは美味いモン喰って、機嫌直せ。人間なあ、美味いモン喰えば大概のことには大らかになるってモンさ。難しいことは食ってから考えりゃいいんだよ!」

「そんなこと言って、あんたが食いたいだけでしょ」

「おっちゃんも食いたいさ。デブだからな。デブは1食抜くと死ぬんだよ」


 善吉と霧江が漫才をしている間に、ステーキが運ばれてきた。善吉と恭仁の前には山のような赤身、霧江は国産黒毛和牛の小さなサーロインステーキだ。


「うっわー旨そーう! いっただきまーす!」


 霧江が両手を叩いて目を輝かせ、我先にと食べ始める。1ポンドステーキを呆然と眺めていた恭仁は、善吉に促されて頷き、ナイフとフォークを手に取る。


 弱火で芯までじっくり焼かれた厚みの赤身肉は、ナイフを容易く受け入れスラリと切り裂かれ、恭仁の口の中へと納まる。恭仁が美味に目を見開いて、唸った。善吉は自分の事のように自慢げに頷くと、掃除機めいた勢いで肉を吸引し始める。


「うま、うま、うま。やっぱり肉は赤身に限るぜ」

「何それ貧乏臭い。サシのたっぷり入った肉が美味しいに決まってる!」

「分かってねえな霧江ちゃん。脂の多い肉は直ぐ腹に溜まるが、良い赤身は2ポンドだって食えるぜ。おっちゃんは何歳になっても食べ盛りだもんで」

「げぇー。肉なんて、量食えばいいってモンじゃないでしょ」


 焼肉議論に花を咲かせる2人の横で、恭仁は無言で肉を裂いて食べ続けた。


 そして時は過ぎ、夏休み。恭仁は『帰省』の軍資金にと、今まで義母の手に預けたままだった、溜まりに溜まったお年玉を渡された。勝手に使われていなかったことを恭仁は心底以外に思った。恭仁はそれでSIMフリーの新品スマートフォンと、中古の小さなノートパソコンとを現金で一括購入した。善吉の勧めだ。回線は格安SIMを、利義の名義で契約した。


 恭仁は、あれから何度か二階堂家に電話を試みたが、倉山の名前を出す度に電話を切られたり、嘘つきと罵られたりして、終いには電話にも出てくれなくなった。だがし恭仁は諦めなかった。住所は善吉に聞いていた。恭仁は学校の補修や家事の合間にテザリング通信でPCを手繰り、繰り返し地図で道筋を調べ、飛行機や旅館も自分で予約した。代金の振り込みも慣れない手で銀行のATMのタッチパネルを弾いた。


 時は更に過ぎ、お盆の前日。恭仁は諦めがちに電話機のダイヤルを回した。


 呼び出し音が何度も鳴る。電話には出ない。それでも恭仁は諦めず、一縷の望みを賭けて二階堂家の電話を鳴らした。鳴らし続けた。電話には出ない。電話を切られるまでは諦めない。電話を切られたとしても、飛行機や旅館は既に予約している。


「二階堂です! もう電話はこれで最後にして!」

。明日、貴方がたのお宅に向かいます。倉山恭仁でした」


 淡々と告げる恭仁の言葉に、電話を叩き切ろうと凄まじい剣幕で吠え猛った女性が息を呑む。恭仁は沈黙の後、今度こそ自分から受話器を下ろした。


 翌日。恭仁は旅荷物を詰めた、クラシックな革トランクを手に、竜ヶ島市で一番の繁華街たる、星之宮の空港バス乗り場に立っていた。彼の目に最早迷いは無かった。恭仁は粛々とリムジンバスに乗り込み空港まで行くと、何とか滑り込みで予約できた格安航空の末席に納まり、東京は羽田空港へと一路飛んでいく。


 お盆の賑わい。数多の人でごった返す東京。大都会に初めて降り立つ恭仁が第一に感じたのは、都会の匂いだった。人いきれとも煤煙ともつかぬ、ビル街に立ち込める得も言われぬ臭気。満員電車に揉まれ、京急で品川へ。品川から鈍行に乗り換えて、山手線にて原宿に走ると、悪あがきとばかり明治神宮に参拝して、願いを捧げた。


 そして原宿から新宿へ、新宿から京王線に乗り換えて調布へ。調布駅を降りてから西へ行き、都道12号線に出ると道なりに北進、高速道路の高架橋が見えるとそれを目印に東へ進んで、野川に架けられた橋を渡り、川向こうの住宅街へと足を進めた。恭仁はトランクを引いたスタイル丸出しで、スマホの地図機能を凝視して何度も道を間違えては引き返し、ごみごみする無機物の街を先へ先へと進んだ。


 恭仁は遂に辿り着いた。住宅街の中に立つ、小ぢんまりとした一軒家へと。


 表札にはもはや見間違えようもなく、二階堂と名前があった。恭仁は生垣の合間に設けられた門柱の、閉ざされた門扉の奥に垣間見える屋敷に目を凝らした。


 1度、2度、3度と深呼吸。門柱の呼び鈴に手を伸ばす。ジリリと音が鳴る。


「ごめんください。倉山恭仁と申します。お盆のご挨拶に参りました」


 辿り着いてみれば、怖気づく舌は嘘のように滑らかに、言葉を吐き出した。


 沈黙の静寂の背後の遠くで、高架橋を過ぎる車の擦過音が鳴り響いた。



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