【第39話】ミスリルの長剣

 大広間が和やかな雰囲気で満たされているとき、突然、テラスから魔皇帝軍の動きを監視していたドラゴンの甲高い咆哮が聞こえた。ドラゴンの咆哮に気づいた魔王じいちゃんの笑顔が真顔に変わった。その表情には先ほどまでの穏やかさはなかった。魔王じいちゃんの豹変ぶりに、僕は、これから始まる戦いは相当厳しいものになる、と覚悟した。


 魔王じいちゃんが立ち上がると、その場にいた全員も立ち上がった。


「わしは世界の守護者である魔王として世界の人々の幸せを守ら······」


「魔王様、大変ですう! 魔皇帝軍が世界中にー!」


 魔王じいちゃんが凛々しい表情でみんなの士気を鼓舞しようとしたとき、使い魔の白タカがテラスから飛び込みながら報告を始めた。


「ちょっと、使い魔! 空気を読んでよ! 魔王様がみんなを鼓舞しようとしていたのよ!」


 アリサが白タカを叱った。アリサに叱られた白タカは、しまった、というように目を大きく見開いた。


「じいちゃん······」


 僕は魔王じいちゃんを見つめながら呟いた。魔王じいちゃんは、うつむいていた。その表情には陰りが生じていた。


「ふあー! 魔王様、申し訳ありません!」


 使い魔である白タカは絨毯の上に着地するや否や、頭をコンコンと絨毯に叩きつけるように謝罪した。


「もう、よいわい。白タカよ、報告の続きをするがよい」


 魔王じいちゃんは、不貞腐れたような声で白タカに促した。


「は、はいぃ! 魔皇帝軍は世界各地の国々にも侵攻しているとのことでございます!」


「なんじゃと!」


 白タカの報告を受けた魔王じいちゃんは、突然、大声をあげた。その表情に先ほどの陰りはなかった。


「白タカよ、戦況はどうなのじゃ?」


「情報によれば、魔皇帝の派遣軍主力はゴブリン重歩兵、ハーピー空挺歩兵、飛龍ワイバーン竜騎兵を主力としており、圧倒的な数の魔皇帝軍に暗黒騎士たちが率いる王国軍は苦戦中とのことです!」


 白タカの報告を耳にしたアリサの顔が不安に包まれた。


「私のエレミアス王国は大丈夫かしら。お父様、お母様······」


「アリサよ、私はエレミアスを統治する暗黒騎士。今すぐかの地へ支援に行くから安心しなさい」


 母国を心配するアリサに対して、暗黒騎士である父さんが励ました。


「うむ。オレクサンダーよ、今すぐドラゴンに乗ってエレミアスへ向かうがよい」


「御意」


 魔王じいちゃんの命令を受けた父さんはすぐに出発した。大広間からテラスに出た父さんはドラゴンの背中に乗ると、海を越えた大陸にある王国エレミアスへ向けて飛び去っていった。


「オレクサンダー様、今回はパパって言わなかったわね」


 アリサが僕に向かって囁いた。


「魔王からの正式な命令に対して、パパなんて言えるわけないだろ」


 僕はアリサに囁き返した。


「あーっ!」


 突然、マルコロが声をあげた。僕たちは、何事か、とマルコロに視線を向けた。僕はマルコロを見た瞬間、頭から血の気が引いて言葉を失った。


「オレクサンダー様が剣を忘れていかれた······」


 マルコロが唖然としながら煌びやかな長剣をみんなに見せた。


「父さん、武器も持たずにどうやって魔皇帝軍と戦うつもりなんだろう」


 僕は心配になった。そのときにある事実を思い出した。

 父さんは人間としても立派で非常に優れた剣術の才能を備えていたけど、母さんさえ嘆く唯一の欠点がある。それは、忘れ物が多いことだ。店で買った物さえ店に置き忘れてくるほど、よく忘れる。そして、今回も大切な武器である長剣を城に置き忘れたまま、エレミアス王国へ向かってしまった。


「我が息子オレクサンダーは賢くて優れた剣士だが、忘れっぽいところが玉に瑕じゃ。大切な戦いに赴くというのにミスリルの長剣を忘れていきおった」


 魔王じいちゃんはテラスへから見える赤い空を見つめながらため息をついた。


「じいちゃん、父さんは大丈夫かな?」


「大丈夫じゃろ。息子は以前、練習用の木剣で巨大な海蛇シーサーペントを倒したことがある。いざとなれば棍棒を手にして飛龍ワイバーン竜騎兵らと戦うじゃろ」


 魔王じいちゃんの顔や言葉からは、父さんを心配する気配を感じられなかった。僕は安心した。

 父さんを心配する必要はなくなったけれど、今度は村にいる母さんや村人たちが心配になった。


「じいちゃん、母さんは······」


「もう! ホント、オリスティンは心配性ね! そんなことでは目の前の戦いに集中できないわよ!」


 僕が魔王じいちゃんに訊ねようとすると、アリサが口をはさんできた。


「オリスティンの母君、レイリア様がいらっしゃるから村は大丈夫よ!」


 アリサが屈託の無い笑みを浮かべながら言った。僕はアリサの言葉に安心すると、力強く頷いた。頷いたあと、ふと魔王じいちゃんを一瞥すると、魔王じいちゃんはアリサの横顔を見つめながら満足気な笑みを浮かべて何度も頷いていた。


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