砂糖玉合戦-前編
もちろんタダと言う訳には行かないけれどねと言いながら伯父さんが私たちを連れ込んだのは、この大きな建物の隅っこのあった小さな部屋だった。青い床に白いロッカー、隅っこにある赤と青の柱と白いロープ。テレビとかでチラッと見た事がある、プロレスとかボクシングとかの格闘技が行われるリングと言う物だ。テレビで見ているとずいぶんと小さく見えるが、こうやってそばに寄ってみると実に大きい。
「なんだこのグローブ」
そして、赤と青と緑色をした私たちの手の大きさに合った三つのグローブ。伯父さんは私に青、坊主頭の少年に赤、メガネの少年に緑のグローブをはめた。
「このリング上でちょっと殴り合いをしてもらう」
「なるほど、これで勝てばまた砂糖玉がもらえるって事だな」
「まあそうだね」
わかりやすい話だ。どんなにみんな仲良くとか平等とか言った所で、私は坊主頭の少年ほど足は速くないし同じクラスの優等生のようにテストで毎回100点を取れる訳でもない。どちらの話にせよ、力がある物が得をするのは当然の事だ。これから行われる殴り合いに勝つ事が、あの砂糖玉を手にする条件なのだろう。
「えーと3分ごとに1分ずつ休憩して、それを3回繰り返す。どっちかが参ったと言えばそれでおしまい、途中でもう勝負が決まったなと思ったら伯父さんがそれを言う事にする。そうならないまま3回終わった場合はやはり伯父さんが決める」
「引き分けってのは」
「ないよ、かならずどっちかが勝つ」
「よーしこうなったら絶対勝つからな、手抜きなんかしねえぞ!」
私は坊主頭の少年と時々似たような事をする。負け続きではあるが、3回に1回ぐらいは勝てている。でもその度に坊主頭の少年は負けると今のはわざと手を抜いてやってるんだからなと言い訳をするが、あまり間違っていないと思う。私が勝った時は坊主頭の少年がヘマをした時であり、まともに戦う事と私が勝つ事はぜんぜんできない。あるいは同じようなヘマを何度もやらかしている気もするから本当にただの言い訳なのかもしれないが、私にはどっちでもよかった。もちろん基本的に勝ちまくっている坊主頭の少年は気持ちがいいし、私だってたまに勝った時の事を思い出してうれしくなれる。それでいいじゃないか。
でも今回ばかりはそうも行きそうにはない。先ほど口にしたあのお菓子の味を思い出すだけで、またあの味で口の中を一杯にしたいと言う気持ちが込み上げて来る。いつも本気でやっているつもりだが、今回はもっとその上の本気で行きたいと言う気持ちで一杯になれている。
「よし、じゃあまずは」
私と坊主頭の少年がリングに上げられた。それじゃ開始と言う伯父さんの声と共にカーンと言う甲高い音が鳴り響き、その途端に坊主頭の少年が私にパンチをして来た。
「おいどうした」
彼の言う通り、私はカーンと言う音が試合の始まりの合図だと思わずついその音のした方向を向いてしまった。私の事を殴ろうとしている相手を目の前にしてそんな事をすればどうなるか、答えは簡単だ。坊主頭の少年が放ったパンチを私は左の肩にもろに受けてしまい、元々よそ見をしていた事もあって体勢を崩してしまった。
「ルール違反じゃないんですか」
「開始って言ったんだろ、そういう事だ」
メガネの少年は坊主頭の少年のやり方をダメだと言ったが、私は全く気にしていない。と言うか、肩を殴られて体勢を崩した所から立て直すのに必死でありそんな事を聞いているひまはなかった。坊主頭の少年はここぞとばかりに次々にパンチを打ち込んで来る、まあ私が彼でもそうする。
こうなった場合どうするか、いつものケンカの事を思い出した。そういう時は一度逃げて、有利な状態になってから戦う。わざわざ不利な状態で戦う必要はどこにもない。だから逃げる事にしたが、このリングと言うのは予想外に狭い。路地裏やら空き地やらでやる時はいくらでも逃げようがあったがこうなってみるときつい。どこに回ってもパンチが迫って来そうでこわくて仕方がない。
しかしそれでもなんとか逃げて体制を立て直すと、連続パンチで少しハアハア言っていた坊主頭の少年のほっぺたにパンチを叩き込んでやった。やったなと言いながら坊主頭の少年が反撃してくるが、これまで疲れていた分だけパンチが遅い。とは言ってもこっちだってさんざん逃げ回って来たわけだから疲れているのは同じでありなかなかうまく当たらない。やがてカーンと言う音が鳴った。
「おいもう3分かよ!」
「その通り、じゃあグローブの色と同じところに座って休んでね」
自分としては20分ぐらいのつもりだったのに、3分しか経っていないと言う。これから同じ事があと2回も続くと思うと少し不安になるが、それでもやはりあのお菓子は食べたい。だから全力でかかってやろうと思った。
「絶対オレがあの砂糖玉を食べてやるからな」
坊主頭の少年と私の気持ちは同じだった。同じだからこそぶつかり合う、いつものじゃれ合いとは違う、まじめな勝負。再びカーンと言う音が鳴ると同時に、私と坊主頭の少年は何も考える事なく殴り合った。
グローブ越しでも、坊主頭の少年の強いこぶしがどんどん飛んで来るのがわかる。そして私のパンチが、彼のそれほど強力でない事もわかる。だからこうしてまともに殴り合うのは正しい答えではなかったのだろうけど、それでも私は殴り合った。あのお菓子が欲しかったし、そして向こうが正面から来ているのに自分だけひるんでいる必要もないと思ったからである。
しかしそういう間違いをやってしまったらどうなるか、その答えは案外簡単に出てしまった。体力が同じならば強いパンチをたくさん喰らっているこっちの方が先にやられるのは当たり前の理屈。坊主頭の少年が少しフラフラしているなと思うと同時に、私の体はあお向けに倒れ込んでいた。
「ああっ」
「ワン、ツー…しぶといねえ」
伯父さんがテレビで見たようなカウントを取って私の負けだと決め付けようとする前に私は立ち上がった。メガネの少年はもうダメと女の子のような悲鳴を出していたが私としてはまだ戦えない訳でもないと思っていた。でもやはり正面からやり合っては勝てない、逃げ回りつつすきを付くしかないと思った。だから逃げた。
「おい逃げるのかよ、あの砂糖玉喰いたくないのか」
食べたいからこそこうしている。もちろんその事は向こうだって知っているだろうし、私が逃げ回っているのと同じように私を正面から殴り掛からせようとするやり方の1つなのだろう。私はお菓子が食べたいから、あくまで逃げ回り続けた。だがその結果、次にカーンと言う音が鳴るまで大したパンチは打てなかった。
正面から行くか、それとも逃げ続けるか。逃げ続けてうまく当てれば勝てるかもしれない。しかしそれは正面から言っても同じだ。少しだけ迷ったが、結局これまでと同じように逃げ回る事にした。
「ファイナルラウンドだよ」
私は逃げた。坊主頭の少年のすきを探し求めた。極端な話、一発もパンチを受けなければ私の勝ちのはずだ。だから逃げて、すきを見つけてはパンチを打ちにかかった。確かに当たった、でも当たればいいと思って殴りに行ったせいかこれまでにもまして利いていない。何発叩いても坊主頭の少年は平然としている。でも他に勝つ方法が思いつかない。そうである以上、やるしかなかった。
だが結局、坊主頭の少年が1度も倒れない内にまたあの音が鳴った。
「いやさ、お前もお前のやり方でやったんだろ?それで負けたんだからあきらめろって」
私は一度倒れた、坊主頭の少年は一度も倒れなかった。伯父さんが私の負けだと言う判定を下したのは当たり前の話だ。
「砂糖玉は全ての試合が終わった後だってよ、まあそうだよな。で、次の試合は」
「どっちかにもう1回続けてやってもらう事になるけど」
坊主頭の少年に負けた事は納得しているが、それでもお菓子は欲しい。どうしても欲しかった、勝ちたかった。疲れているのはわかるが、気分はまだ戦う気で一杯だった。だから私は手を上げて戦いたいと言った。
「元気だねえ、じゃあ第2試合もリングに上がってもらうよ。それで」
言うまでもなく対戦相手はメガネの少年である。しかしさすがにメガネをかけたまま殴り合うのは危険と言う事で伯父さんの手に持ってもらう事になったが、そうなると正直向こうは不利かもしれない。それにしてもメガネがないとなるとまるで別人のように見えて来るから不思議だ。
「それじゃ始めていいかな」
気分は乗っているが体は疲れている、再びリングの上に登ってみると急に落ち着いて来てその事がわかってしまった。でも今さらちょっと待ってくださいだなんて事が言える訳もないし言い出す気もなかったから伯父さんの言葉にうなずくと、再びカーンと言う音が鳴り響いた。そうなった以上、やる事は1つしかない。
メガネの少年がどれだけ強いのかわからないが、こっちは疲れていて向こうは疲れていない。となるとさっきのようなことはできない。少し強引でもいいから押すしかない、そう思って私は強引にパンチを放った。相手も同じようにパンチを放ってくる。
「おいどうした!」
坊主頭の少年はそう叫んだ。先ほどのメガネの少年の叫び声とは違う、なんかもっとおそろしい物を見た感じの叫び声だ。
「ワン、ツー、スリー」
伯父さんの声がやけに遠く聞こえる。なぜこうなったんだろう。自分でも全然わからない。やってしまったかもしれないと思った。
「テン!勝負あり!」
「まじめにやれよ!」
そう、その一発で終わってしまったのだから。
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