第41話 その想いは重くのしかかる
こうして、私がこの世界でのアレフと姉と弟としての深い姉弟愛を育んでからしばらくの時が過ぎた。アレフは素直で可愛くて、まるで生まれたてのひよこのように私の後をついてきて「ぼく、大きくなったらねーさまと結婚する!」と言ってくれたときに嬉しくて思わず涙が滲んだ。これは前回のループの世界でも聞いた言葉だったが、同じ言葉を聞いてこんなに嬉しかったのは初めてかもしれない。こんなに可愛い義弟とまた出会えて幸せだと思った。……そう、アレフとこの関係を築けただけでも幸せだ。
それと同時に私は〈5回目の世界〉を忘れられないでいると思い知らされる。
これまでのループの中で、1番楽しかった世界。でもあれは最後のループなら全ての力を出し切ろうと頑張った世界でもあった。もう一度あの世界を再現するつもりなのかと問われれば、そんな気力は残っていない。それにたぶん、何度も奇跡なんか起こるはずがないから……。
あぁ、そう言えばもうすぐヴィンセント殿下の婚約者選びの日がやってくるな。と、これまでのループ世界での出来事を思い出す。私が賢者だと知らないこの世界のヴィンセント殿下は、やはり爵位だけで私を選ぶのだろうか?賢者であることを知らせたあの5回目だけは頑なに婚約を拒否され続けたが、もしこの世界の殿下がすんなり婚約を結ぼうとするならーーーー。
「お前を婚約者に選んでやってもいいぞ」
これまでのループと同じく、ヴィンセント殿下の婚約者として数人の令嬢たちと共にお見合いという名の選別会に参加していた。そして6回目の世界でも相変わらず美少年なヴィンセント殿下は……私を指差したのだ。
「…………」
私は自分に向けられるその指先をへし折ってやりたいのをひたすら我慢する。やはり予想通りだったと落胆もしていた。
そして、頬を赤らめながら偉そうにふんぞり返るヴィンセント殿下の顔を確認してからにっこりと微笑んでやった。
今回の私は賢者であることをバラしていないし、もちろん聖女を探し出してもいない。そして……これまでの世界のような気持ちにもなれないでいた。
「……私を殿下の婚約者に?」
私が首を傾げてそう聞くと殿下は「あぁ、そうだ!これはとっても栄誉なことなんだぞ!嬉しいだろ?!」と、えっへん!と張った胸を拳でポンと叩いた。
あぁ、懐かしいな。確かに4回目までの殿下はこんなだった。私を婚約者にすることで自分がどんな運命を歩むことになるのかも知らずに毎回夢邪気に偉そうにしていたっけ。そんな殿下がなんだか可哀想になって、そのひたむきな聖女への愛を応援したくなったんだった。つまりは絆されたわけだ。いつの間にかヴィンセント殿下を幸せにすることが自分の使命のような気がして、5回目の世界では殿下に全てを打ち明けて何もかも上手くいくように頑張ろうとしていたのに……。
「お断りします」
「え?」
極上の笑顔でそう告げたら、殿下はぽかんとした顔で間抜けな声を出した。なにせこの場にいる令嬢たちはみんな殿下の婚約者に選ばれるためにここにいるわけだから断られるなんて思いもしなかったのだろう。でも、今の私には到底受け入れられない要望だった。
「な、なんで……?!」
想定外だったらしい私の返答に慌てる殿下の姿に少しだけ可笑しくなる。なんでって、そんなの決まってるじゃないか……!
「……私があんなに婚約して欲しいってお願いした時は、“お前みたいな女とは絶対に婚約しない”っておっしゃっていたじゃないですか……」
ボソッと小声で呟くが殿下には聞き取れなかったらしく間抜けな顔をしたまま狼狽えている。
「ど、どうしたんだ?せっかく俺が選んでやったのに……。お前はその為にこの場にいるんだろう……?!」
「そのつもりでしたが……その栄誉は私には身に余りすぎますので、他のご令嬢にお譲りいたしたいと思います」
こうして私は、みっともなく狼狽えるヴィンセント殿下と色んな意味でざわめく周りの人間たちに10歳ではあり得ないような完璧な淑女の礼を披露してその場を後にしたのだった。
私を止めようとする殿下の声を完全に無視し、かなり不敬な発言だった事は自覚している。私が殿下の婚約者に選ばれる事を期待していた両親には悪いとも思っている。だが、あんなになりたかったその婚約者に、今はなりたいと欠片も思えないでいたのだ。まぁ、それなりに怒られるだろうが今なら子供のしたことで許されるはずだ。なにせこの場には私以外にも婚約者候補はたくさんいるのだから。
ーーーーあんなに婚約して欲しいってお願いした時は頑なに拒否していたのに。賢者だと打ち明けた時だけ婚約してくれなくって、何もしないでいたら簡単に婚約者にしようとするなんて……それって“賢者”である私を嫌がっていたということよね?でも私の本質は“賢者”なのだ。そして殿下の為に婚約したかったのも“賢者”の私なのに。つまりそれは、ヴィンセント殿下を幸せにしたくて頑張っていた私の存在を否定するということなのだ。
そりゃ別に頼まれたわけじゃないし、私が勝手にヴィンセント殿下を幸せにしたいって思っただけだったし。殿下からしたらありがた迷惑な感情かもしれなかったけれど……。
私の脳裏に浮かぶのは5回目の世界でひたすら私を拒否するヴィンセント殿下の姿。なぜ私はあんなに殿下の幸せを願っていたのだろうか?それが自分の幸せなんだって勘違いしてしまったのは何故なんだろうか?元々愛していたわけではないし、ただ幸せになってくるのを見守りたかっただけの存在だもの。母親目線というか、賢者として守ってあげないといけない感覚だっただけなのだと思い知る。
5回目の世界を再現したいわけじゃない。それにどんなに再現したってあの世界のみんなは存在しない。でも、私は心の何処かで期待していたのかもしれない。もしもヴィンセント殿下が5回目の世界の何かに影響されたら、少しは違う行動をしてくれるかも。と。だが、これは殿下からしたら理不尽な怒りだろう。
「……私って、こんなにわがままだったのね」
勝手に期待して、勝手に失望して。この世界のヴィンセント殿下には迷惑でしかない。それでも私は殿下の口からあの言葉を聞きたかったのだ。
“お前みたいな女とは絶対に婚約しない”
心の奥底で、そうすればあの世界がまた繰り返せるかもしれない。そう願っていたのだと今更知り……自分勝手な悲しみに落ち込んでいた。やっぱり私はわがままだ。私は、アレフのこともヴィンセント殿下のことも私の望みのために利用しようとしただけだった。だって、ループの開始から約1年。私はずっと同じことだけを想っていたのだから。
「ーーーーアンバー、会いたいよぉ……!」
その夜、私は屋敷に帰ってからも部屋に閉じ籠もりひとり泣いているしかなかったのだった。
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