第5話 魅了されること

 トトフィガロはメイドである。

 頭を撫でられるのが好きなメイドである。


 多くの竜は小柄なトトフィガロを気軽に撫でる。しかし、トトフィガロは仲の良くない相手に撫でられることに拒否感を覚えていた。


「さて、少し遊び過ぎました。起きたのが久々だったものですから。詫びとして、トト、私に何かして欲しいことはありませんか」


 散々揶揄って遊んで満足したのか、ラルコンドゥがトトフィガロに問い掛ける。トトフィガロははたきの柄を顎に当てながら、天井を仰ぐ。考える時に上を向くのが癖だった。


「して欲しいことですか。して欲しいこと」

「別に今でなくとも構いませんが」

「では、これを」


 トトフィガロは飾られた絵画を指差す。森の手前でこちらに背を向ける女性の絵だ。

 質素な木の額縁に入れられたそれは、この部屋で唯一色のあるものだ。物がほぼ何もない殺風景な部屋で、これだけが飾られているとなれば、誰でも気になる所であろう。


「どうしてこれを飾っているのか、理由を訊いても?」

「嗚呼、それですか。ふむ」

「いつも気になっていたのです。この女性は誰だろうと」


 塗料がふんだんに塗りたくられたそれは、絵ではあるが、表面が凸凹としていて、立体的な部分もあり、筆の流れが見えるようであった。大胆なようで、緻密な描き込みもあり、最も細かく描かれているのが、少しだけ見える女性の丸みを帯びた頬やうなじ、また、その周辺の髪であった。これを油絵と呼ぶことをトトフィガロは知らないが、ケットロイの部屋に飾ってある物に匂いが似ていると感じていた。


「彼女の名前はメアリー・ヒューズ。私達の世界の裏側で生まれ、そして、死んでいった女性です」

「裏側?」

「ええ、裏側です。世界をぺろりと捲った場所にあります。世界の層を貫通する穴でも開ければ辿り着けます。そこのとある島国で彼女は生まれました。そして、そこで育ち、そこで結婚し、そこで子を産み、そこで死にました」

「結婚というと、思い合っている二人が、こう、一緒に暮らすような。あれ、でも、一緒に暮らすなんて私達では当たり前のことですね。あ、でも、女王陛下は一緒じゃないですね。えーと」


 竜宮城において夫婦とは、女王陛下とその番である閉蹉へいさの二人を指す。殆どの竜はパートナーを持たないからだ。

 強く長い生命であるが故に、子孫を残す必要性がないということもあるが、一匹だけでも彼らは満ち足りていることが多く、他人を求めることが少ない。寂寥も孤独も、彼らを打ち負かすには足りないのだ。何も感じない訳ではないが、それを飲み込み、間延びした微睡みに溶かすことも出来たのだ。それはあまりにも強大な命の強みでもあり、同時に、人ほどそれを感じず、触れる機会が少ないからこそ、寂しさは時に本人達を当惑させる未知の感情のままであった。


 女王陛下が何故、伴侶を求めたのかは分からない。海そのものである彼女に、トトフィガロと同じように心があるのかも分からない。

 相手である閉蹉も、海ではなく天を翔ける竜であるから、竜宮城には殆ど滞在せず、その巨躯を棚引かせるように広き空を泳いでいる。だから、二人が一緒にいる所を見るのは実に稀なことで、尚更、トトフィガロの結婚という事項に対する認識を曖昧にさせていた。


 トトフィガロが結婚という制度を知っているのは、主に書物からの知識である。娯楽の少ない竜宮城ではあるが、本だけは沢山あるのだ。

 それはアインス・ドルフルト・ガズライズという、文字書きの竜の手による功績だった。

 彼女は極度の文字好きで、常に何かしらを美しく書きたいという願望に囚われている。だから、いつも何かしらを書き写している。その部屋は魔力で生成した紙とインクに囲まれ、独特の匂いが満ちている。


 彼女が写書する以上、元となる本が存在する。竜宮城の地下にある石櫃せきひつには、この世の全ての知識を有するという、規格外の竜の遺骸が眠っている。その竜はこの世の全てを見たと言われている。土地や人、森といったそこにあるものだけでなく、天を覆う天網も、世界を構成する真理さえも見たというのだ。そのため、遺骸には、この世の全ての情報を有するという属性が付与されている。

 そして、現在では、その属性を利用して、知りたいものを検索するための装置と化している。アインス・ドルフルト・ガズライズは、ここで手に入れた情報を部屋に持ち帰り、書き写しているのだ。

 彼女は内容に特に拘りがなく、長ければ長いほどよいと考えているから、多くの場合、外の世界における小説を選んでいる。その書き写した後のものは、特に興味がないので、誰でも持って行ってよいと札の下がった箱に置いていく。箱は食堂に置かれているので、立ち寄った竜達が暇潰しに持って行っていくのだ。最近では、食堂へ行く竜が増えたので、本の減る速度が上がったとか。


 それらが読み終わった後は、持って行った竜の部屋の本棚に並ぶか、これまた地下にある図書室へと寄贈される。


 トトフィガロもそういった経緯で、本を何冊か読んでいたのだ。

 だから、描写される人界における夫婦という存在は知っていた。だが、その夫婦であるはずの女王陛下と閉蹉がこうなので、齟齬があり、一言で言い表せられるほどの納得がトトフィガロの中にはなかった。


「そちらの世界では、婚姻関係を結ぶことを結婚と呼ぶようです。竜宮城は同じ屋根の下に皆、暮らしていますが、それぞれの部屋で関わりなく暮らしていますね。でも、ピップルラッピリは同じ場所に暮らしています。彼らは双子で家族だからです。私やトトは他人同士です。婚姻関係とは、他人と他人が家族になるための制度なのです」

「女王陛下はどうなのですか?」

「勿論、ご結婚されています。夫婦というのは、家族になるという契約を交わした二人を指すもので、それには、同じ場所で暮らすという条件は無関係なのです。まあ、これはメアリー・ヒューズの住んでいた場所のルールですが。でも、夫婦になると、同じ家で過ごすことが殆どのようですから、トトの認識は正解ではありませんが、全くの外れという訳でもないでしょう」


 ラルコンドゥの説明に、トトフィガロは精一杯、脳を回転させる。

 頭の中でぐるぐると考えるよりも、言葉に出した方が、トトフィガロにとっては理解の助けになる。だから、集中すると無意識に口から言葉が漏れてしまうのだ。


「一緒に暮らすことが結婚なのではなくて、家族になる契約をすることが結婚。そして、多くの場合、夫婦は一緒に暮らすが、暮らさない方達もいらっしゃる」

「ええ、その通りです。その解答には花丸をあげましょう」


 聞き慣れない単語に、トトフィガロは首を傾げる。


「花丸?」

「よく出来ましたと褒めるためのマークがあるのですよ。きっと王女殿下もご存知のはずですから、今度訊いてみるとよいでしょう」


 よく分からないが、褒められたのだろうと考え、トトフィガロは少し得意げな気持ちになった。


「えーと、それで、そのメアリー・ヒューズさんはどうなったのですか?」

「どうもなりません。大事件も大発見もなく、彼女の人生は静かに幕を閉じます」

「じゃあ、何で彼女は描かれたのですか?」

「美しかったからでしょう」


 ラルコンドゥが何処かに思いを馳せるように、絵の方へ顔を向けた。


「ラルから見ても美しいと思うのですか?」

「どうでしょうね。この絵自体が特別卓越している訳ではないのです。拙さも目立ちます。嗚呼、でも、やはり、美しいから惹かれるのかもしれません。私は彼女の顔を見たことがありません。絵は後ろ姿ですし、本人はおろか、この世には彼女の顔を覚えている人はもういないのです。だから、彼女の顔を見ることを、私は諦めているのですよ」

「顔が見たかったのですか」

「見たいような、見たくないような、いえ、見たくありませんね」


 珍しく歯切れが悪く、ラルコンドゥが訥々と語る。


「雨夜の月という言葉が、海の上にはあると言います。雨雲に隠れた月というものは、見えないですから、想像の中にしかないのです。きっと、彼女もそうなのです。私の想像の中にしか存在しないから、この世の何よりも美しいのです。だから、こんなにも心を掴まれるのです」


 こういうことを、魅了されたと言うのだろう。





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