第7話 甘味を作ること
トトフィガロはメイドである。
時に勤勉で、時に怠惰なメイドである。
今は城の西側の通路を掃除していた。
西側は住居ブロックとなっている。此処、竜宮國の城は執務の場というよりかは、生活空間となっている。というのも、この国は海底に存在し、領土とはこの星を満たす海全てという規模でありながら、建物は竜宮城のみであるので、暮らすとなるとこの城以外に場所がないのだ。
トトフィガロはちりとりに埃を集めると、ふうと一息吐いた。
「キリがないなあ」
白い石で作られた通路は薄暗く、何処が汚れているのかは判別がつきづらい。なので、トトフィガロは端から端まで綺麗に箒で掃くしかなかった。
通路の両サイドには一定間隔で扉が備え付けられている。扉の色は緑色で、重厚感があり、なかなか開けるのを躊躇う。その奥ではこの国に暮らす竜達が各々の時間を過ごしている。
通路は幅が五メートル程あり、長さは一キロメートル以上はある。往復するのも億劫と思えるほどで、それを隅々まで掃除するとなると、掛かる時間は計り知れない。
それでも、トトフィガロは毎日こつこつと掃除している。
王女殿下の頼みであるから、逆らう気どころか、寧ろ、こんな自分に仕事を与えてくれることに感謝していた。しかし、それはそれとして際限のない作業が続くと、途方のなさに少し現実逃避をしたくなるものである。
例に漏れず、トトフィガロも手を止めて、無意味に天井などを仰いでいる。
モザイクタイルは幾何学模様を描いている。それを目で追いながら、壁に寄り掛かった。
「よろしくない。よろしくないなあ」
一人呟きながら、トトフィガロはとうとう床に腰を下ろした。地面に着いたスカートの裾が、ふわりと広がるのを手で抑えながら、トトフィガロは眉を寄せた。
今日はよくない日だった。やる気が出ず、気分が塞ぐ。
こんな日にはあれがあるとよいと聞いたことがあった。
「お菓子が必要だ」
そう言って、トトフィガロは勢いよく立ち上がる。
食堂へ向かうのだ。
食堂は西側ブロックの一角にある。現在地からは北に向かい、角を右に曲がって、真っ直ぐに進めば突き当たりにある。
箒とちりとりを持って、編み上げブーツの踵を鳴らしながら、足早に通路を歩いて行く。
トトフィガロは思い描く。
何を食べようか。柔らかいもの、硬いもの、焼いてあるもの、冷やしてあるもの。それを考えていると、くさくさとした気分が、上向くように思えた。
竜宮城には食物を育成する地帯はなく、また、竜は食事を必要としない。だから、本来なら料理というものは成立し得ない土壌である。しかし、大昔に外の国から食事の文化がやって来た時に、娯楽として定着したため、今も本を読むのと同じように楽しむものとして存在している。
材料がない以上作りようもないのだが、数百年前に女王陛下が魔力を元に指定した味、食感のものを生成する調理器具を作成し、当時、唯の広間として使われていた一角を食堂へと変え、そこに設置した。
その調理器具の名前は、自動クッキングマシーンである。分かりやすさを全面に押し出したネーミングは、女王陛下の分かりやすく分け隔てないスタイルに合っていた。
食事を必要としない以上、それを必須とし、更にそこに喜びを見出すために味や見た目の追求をしていた人間よりも、料理に対する意欲は低く、また、外国との交流も完全に絶えて久しいので、レパートリーは少なかったが、王女殿下が江露の国より戻られてからは、様々な調理方法が自動クッキングマシーンに追加されたため、此処数年程は食堂に行けば誰かに会えるというくらい、人気の出ているものとなった。トトフィガロもまだ試したことのない料理が幾つもあって、楽しみにしている。
しかし、トトフィガロが今食べたい味は、未知のものではなく、既知の、それもよく親しんでいるものだ。
竜という生き物は高純度の魔力を有するので、一人分の料理を準備する程度なら、小指ほどの魔力も必要ない。しかし、トトフィガロは竜の中では魔力の保有量が少なく、あまりに複雑であったり、量が多いものを作成すると、頭がふらふらとしてしまうので、的確に自分の求めるものを作らなくてはならない。
そう考えている内に、食堂へと辿り着く。
トトフィガロが入口の傍にちりとりと箒を立て掛けて中に入ると、一人の女性が自動クッキングマシーンを悩ましい顔で眺めていた。
背が高く、すらりとした動きやすく、尚且つ格調も感じられる服を着ている。
竜宮國で一般的な服装とは、前開きのワンピースに、腰当てと呼ばれる長方形の厚手の布地を腰に巻き、その上に帯を巻いたものだ。
ワンピースは長さに指定はなく、また、柄が入っている物もあるし、刺繍が施されている物もある。襟元はやや硬く立っていて、ボタンで留められるようになっているのが一般的だが、これに関しても各々の好みがある。角があるので、被って着るような形の物は見ない。
腰当ても同じように、様々な色、模様、形があるが、厚さはどれもそう変わらないように見えた。硬めの材質であることが多く、帯をしっかりと結べば、体との隙間に物が入れられた。
帯は紐のようなものから、大判の布を巻き付けたものもある。帯に袋を吊るし、日用品を持ち歩くようなスタイルの者もいる。
ワンピースの下には、ズボンを履いたり、スカートを履いたりと、各々の好みに任せられる。特に性別で服装の指定はなく、好きな格好をしてよいことになっていた。
その中で、トトフィガロだけ一人変わった服装をしていることになるが、竜達にとってはもう見慣れたもので溶け込んでいる。トトフィガロ本人も王女殿下から頂いた物を着られるのが嬉しいので、人と違うことを気にしたりしない。
食堂にいる女性は、ワンピースの丈は短く、下にズボンを履いている。また、ハリのある材質で体のラインに沿って作られているので、きっちりしている印象を受ける。
彫りの深い小さな顔を囲む豊かな赤紫色の髪は、ゆるやかで大きなウェーブを描いている。その表情は硬く、真面目さが見て取れた。
「カインレ。何を作っているのですか」
入って来たことは眼中になかったらしく、トトフィガロからの呼び掛けに一瞬、女性は驚いた様子だったが、直ぐに表情を硬くした。
「トトフィガロか。あまり脅かすな」
「すみません。随分と集中されていたようですが」
カインレは身の丈ほどある巨大なクッキングマシーンを前に腕を組む。
彼女も竜である。
規律を重んじ、原則に従って動く性格で、一言で言い表すなら融通がきかない。しかし、そうしているのは秩序を守るためで、そして、秩序を守ることがひいては竜宮國を守ることにも繋がるのだ。前例はあれど、法らしい法もなく、自由そのものである国ではあるが、その実、各々のバランスが保たれているからこそ、自由は成立しているのであり、無法ではあるが、無秩序ではないのだ。そして、秩序の中には見えずとも規則があるものだ。裁かれるほどではなくとも、塵をその辺に捨てて行くべきではないとか、無闇に他者の悪口を言わないといった程度のものだ。
そんな中で彼女は、そのバランスの調整役を買って出ることが多い。滅多にないが、喧嘩の仲裁などもしているようだ。
巨大で強力な竜の喧嘩など、トトフィガロは仕事でも関わりたくないと思う。なので、そこに進んで入って、丸く収めてしまう彼女ことは、素直に格好がいい印象を持っていた。
「何かを作りたいが何を作ればよいのか分からんのだ」
「奇遇ですね。トトも何を作ろうか決めずに来たのです」
「何、お前もか」
「甘いもの、ということは決まっているのですが、温かいものか冷えたものか、悩ましいのです」
「甘いものか……そう言われると、甘いものがよいような気もしてくる」
「プリン……この舌はプリンを求めているような」
「確か、鶏卵を使った菓子であったか。私は食べたことがない」
カインレが腕を解く。
「よし、トトフィガロ、プリンを作れ。食べたことがあるということは、作ったことがあるということ。この自動クッキングマシーンに失敗はないが、経験者が作る方が美味しくなるという。だから、お前が作るがいい」
「任せてください」
任されるとはりきるのがトトフィガロのよい所であり、困った所でもあった。つい、無理をして頑張ってしまうのだ。
そんなトトフィガロを見て、カインレは密かに笑みを浮かべていた。
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