十二年目の始まり
夜が明けて、俺の副官生活は十二年目に突入した。
秋津豊島の何処でも、新年の一日目というのは特別で、家族や恋人と過ごすもの。
紅緒様も新年の挨拶に王城に行きはしたものの、例年の如く王宮に一目王族の方々に挨拶しようと集まった民草に手を振って早々にご帰宅されることに。
これなぁ、紅緒様こういう儀式は本当は苦手なんだよ。終わるたびに「臣籍降下したい」って死んだ魚みたいな目で仰る。
でも時は戦乱。何があるか分からないから、落ち着くまで王位継承権は完全に破棄できない。
そんな時俺はいつも紅緒様を斑鳩で遠くにお連れするのだ。
新年の一日目は大体皆仕事は休み。店も開いてない所がほとんどだし、道にも人っ子一人いない。
ただ斑鳩の走る音だけが俺と紅緒様の間にあって、ゆったりとした時の流れを感じさせる。
目的地は特に思いつかないけど、走るだけ走って家に帰るだけでも、かなりの気分転換になるから、今日はそうしようか。
そう思っていると、前方に大きな森のようなものが見えて。
近くまで行って斑鳩を止めてみると、そこには大きな社と小さな茶屋があった。
秋津豊島は多神教で、国々で違う神を『社』という建物を建てて崇めていたて、瑞穂の国は豊穣の神を崇めている。他国を征服しても、決して瑞穂の国の信仰を押し付けず、その地の神には敬意を払った。被征服国の宗教施設や儀式にも礼を払ったし、自国の宗教も大事にする。
目の前の社も大事にされているようで、人は見かけないきちんと掃除されていて綺麗だ。
なので紅緒様にも斑鳩から降りてもらって、社を散歩させてもらう事に。
気候も穏やかで、森の空気が澄んでいるから、いい気分転換になるのだろう。おまけに森にはリスやウサギが棲んでいるのか、時折木々の隙間から顔を出すから、動物好きの紅緒様はその度に顔を輝かせていた。
どれくらい森を歩いたろうか。少し足に疲れを感じだした頃、社の本殿へとたどり着く。
木造の小さな神殿へと続く石畳を、小さな少女が箒で掃き清めていたが、俺と紅緒様に目を止めると「よくお参りくださいました」と声をかけて来た。
「ここは……どの神様の社だろう?」
「ここですか? ここは名無しの神様の社です」
「名無し?」
どういうことかと俺が首を捻ると、紅緒様が「ああ」と声を出される。首を捻ると、ちょっと口角を上げた。
「遥か昔、戦乱でお社が何度も破壊されて、そのうちにこの社に祀られている神様がどなたなのか伝える人がいなくなって、解らなくなってしまったお社のことだよ」
「そうなんです。でも神様は神様ですし、こちらでお祭りさせていただいてます」
「そうなんすか、お名前が解るといいっすね」
「はい。いつか文献とか手がかりが見つかればいいなって思ってます」
そういうと少女はにっかり笑う。そして持っていた箒を片付けると、神殿の横に設置された社務所の中に入って行って、出て来た時には手に何やら鈴が沢山ついている棒のようなものを持っていて。
「どうでしょう? 記念に御神楽を舞いますので……」
差し出されたお品書きみたいなそれを見ると、ご祈祷と御神楽の初穂料などと共に、お守りや絵馬なんかの料金もあった。
それに苦笑すると、紅緒様が一番お高いやつと絵馬や御御籤やらお守りを指差す。
「お社の名前が見つかるまで、守らないといけないのだろうから」
「なるほど。じゃあ、無病息災とかお祈りしましょうか」
「ああ」
紅緒様はこういう古い建物や由来あるものが好きだから、たとえ僅かでも手助けしてやりたいのだろう。
そんな訳で、二人で神殿でご祈祷を受けて、女の子の見事な舞を堪能して、御御籤を引いて。
「お、幸福は傍にある、離すなですって」
「私も同じ文言だった」
「そうっすか。じゃあ俺は益々紅緒様のお傍にいさせてもらわねぇと。俺の幸せは紅緒様と一緒にいられることっすから」
「今更だな」
紅緒様がふいっと俺から眼を逸らすけど、耳が赤くなっておられるからこれは照れ故だ。
絵馬にも願い事を書いてって言っても、俺の願いなんか紅緒様のお傍にいられることしかない。紅緒様も何かを熱心に書いておられたけど、そういうのは見るものじゃないから、お互い別の場所に括りつけると、今度は揃いでお守りを選ぶ。
そうこうしていると、少女がつんつんと俺の袖を引いた。
「お兄さん、この社に来る前にお茶屋さんがあったでしょ?」
「うん? ああ、あったな」
「あそこの善哉、凄く美味しいですよ」
「そうか、ありがとう」
「はい、頑張ってくださいね?」
「お? おお……」
何を応援されたのか分からないが、良い事を聞いた。
神殿を後にして、来た道を戻る。途中機嫌のいい紅緒様が楽しそうにリスを追いかけて横道に入りかけもしたけれど、森を抜けるとやっぱり小ぢんまりした茶屋が緋色の大傘に、赤い敷物の敷かれたベンチが趣を感じさせる。
「紅緒様、あの茶屋善哉が旨いんですって。さっきの女の子が言ってました」
「そうなのか。寄ろうか?」
「はい、喉乾きましたしね」
敷物の敷いてあるベンチに座って店員を呼べば、出てきたのは小さい婆ちゃんで、人の良さげな笑みを浮かべていた。
その人にほうじ茶二つと善哉を二つを頼むと、しばらくしてそれが出て来る。しかし、頼んでいない三色団子が二串ついてきた。
驚いていると、婆ちゃんが「ほほ」と笑う。
「新年早々別嬪さんと男前でお似合いだから、おまけしとくよぉ」
そう言って「ごゆっくり」と婆ちゃんはさってしまった。
「……お似合いだって」
「すげぇ光栄です」
「うん。私も出穂だからいい」
「嬉しいです」
俺が笑うと、紅緒様は耳を真っ赤にして善哉を食べながら俯く。
俺も食ってみたがたしかに甘さがくどくなくサラッとした味わいで、とても旨い。団子にしても上品な甘さで、紅緒様も気に入ったのか、口元がふにゃふにゃして雰囲気がとても柔らかかった。
静かに穏やかな空気に包まれて、俺と紅緒様はしばしリラックスしたのだった。
そして次の日、何でか俺は宰相閣下に捕まって、玉座の間へと連行された。
そこには陛下だけでなく、青洲様や常盤様まで難しい顔で雁首揃えていて。
何となくロクな用事じゃない事を察して黙っていると、陛下が「挨拶がなかったように思うが?」と俺に告げた。
「挨拶っすか? 俺、拝謁権限ないっすけど?」
「ではなく! 昨日紅緒と二人で、その、社にいったそうではないか!?」
「あ?」
何で知ってやがんだ、この親兄弟様は。つか、付けてやがったのか。
色々と思う事はあるが、陰で護衛が付いてるなんてのは貴人のあるあるだ。だから一々文句を言う気はないが、それと俺の機嫌がよくなるか悪くなるかは別問題だ。
ムカッと来て陛下と睨み合っていると、常盤様が不機嫌そうに俺ににじり寄る。
「テメェ……二人きりなんて許されると思ってんのかよ!? 兄貴はこの国の第二王位継承者だぞ!」
「は? だからなんすか? 紅緒様にはそんくらいの自由も無いと?」
「自由とかそんな問題ではなく……、せめて俺達三人は呼ぶべきだったと言ってるんだ」
「は? それこそなんで関係の悪い親兄弟を呼ばなきゃなんねぇんです?」
常盤様とは違って抑えめだけど、明らかに不満そうに青洲様も迫ってくるから、本当の事を言えば三人が「ぐっ」と呻いていたそうな顔をした。
大体紅緒様のストレスの元になってやがる奴等を何で気分転換の初詣に呼ばなきゃならんのだ。
そうつらつらと説明してやると、親兄弟がキョトンと目を見開く。
「え? だって二人で本殿に上がったんじゃろ?」
「上がりましたよ。安全祈願やら無病息災やらご祈祷して神楽も見せてもらったっす」
「し、式じゃなく?」
「式? え? 何の?」
「式って言えば、式じゃないか!?」
「いや、だから、なんの式だよ?」
相も変わらずこの人たちとは意志の疎通が出来ない。
俺は新年早々、そう思うのだった。
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