貴方が望むなら

 休暇はとても有意義だった。

 保養所近くに流れる清流で紅緒様が山魚を釣って、それを俺が焼いて、二人して食べたり、山菜を取っては夕飯に出してもらったり。

 外湯巡りの続きもしたし、一日どこにも出かけないで、二人でまったり本を読んで過ごした日もあった。

 穏やかに流れていく時間の中で、紅緒様はよく表情を変えて、にこにこしている時もあれば、唇を尖らせることもあり、はたまたちょっと拗ねたり、でも笑っている事が格段に多かった。

 ただよく解らないのは、布団が毎晩並べて敷いてあった事だけれど、それも帰るとなるといい思い出になった。

 紅緒様は実は気配に敏感だから、人がいるところではあまりお眠りにならない。軍事行動中の野営なんかだと、凄く眠りが浅くて普段より早く起きておられるのを俺は知っている。

 だけどこの休暇中、ずっと俺が隣の布団にいても、気配に目を覚ますことはなかったらしく、よく寝られたとも仰ってたし。

 そうやって英気を養って帰ると、さっそく紅緒様は首都に呼び出されることになった。勿論俺は紅緒様の行くところにはどこにでも付いて行く。

 用件は捕虜交換式の開催に伴う事務手続きを開始せよというもので。

 瑞穂の国が大きくなっていく過程で屈服した国もあれば、他国からの侵略を受けるくらいならばと、同盟国が庇護を求め属国になったりするなかでも、まだ抵抗を止めない国がいくつかある。

 今回はその中でも三番目に大きな国との間で一応の和平が結ばれる事になり、お互いが抱えた捕虜を交換しようという事になったのだ。

 その三番目に大きな国は、瑞穂の国以外にも敵を抱えている。そしてその敵国が背後を脅かそうとしている気配を察知して、返す刀をそちらに向けようというのだろう。

 捕虜に余計な時間と物資を持っていかれたくない。返せるあてがあるなら返してしまえ。そういう事なんだろう。

 我が国にしても他国の虜囚を食わせるより、自国民にその分を回してやりたい。こちらは以前から露骨に敵国には「うちの民を殺したら万倍の復讐をするぞ」と脅しをかけているし、捕虜が出たらしつこく取り返そうとするようなところがあった。これは半分本心で、半分が政治的パフォーマンスというやつなんだけど、陛下も青洲様も常盤様も、勿論紅緒様も敵には厳しいが自国民には篤く情けをかけているから、国民もそれを信じている。

 特に紅緒様が戦が終われば敵味方の区別なくの兵士とてきちんと手当をしてやるのを、今では内外に広く知れ渡っているから、王家に対する信仰に似た忠誠は鰻登りだ。

 手当に関しては批判も多いが、そのお蔭で他国の虜囚になった捕虜が手厚い看護を受けたという事例もあったからか、その声も段々と小さくなっている。

 話が逸れた。

 紅緒様は陛下からこの度の捕虜交換式の準備を、直接言い渡されるために首都に呼ばれた訳で。

 国が大きくなり、地位も高くなると、こういった事にも儀式めいたやり取りが必要になる。面倒な事だと思いながら式を終えると、俺は陛下の従事から交換式の資料を渡すという名目で呼ばれた。

 でも実際にいたのは従事でなく陛下だった。解せぬ。

 不愛想なツラをしている俺を見て、陛下も少しむっとしていた。


「よう来たな」

「此度の捕虜交換の資料をとのことでしたが?」

「うむ、それは用意してある故、あとで渡す。が、今は儂の質問に答えよ」

「はぁ?」

「……お主、紅緒に何か不満があるのか?」

「あ?」


 思い切り腹の底から地の底を這うような声が出た。

 紅緒様に不満なんかある筈がない。なんでそんな妙な因縁を付けられるのかと、イラついて睨み返すと、陛下が首を捻った。


「お主……旅行の時に紅緒と……横並びの布団でただ寝るだけだったというではないか」

「はあ……いや、次の日の予定とか話し会いましたけど?」

「そうでなくて! こう、もっと、組んず解れつだなぁ!?」


 なんのこっちゃ?

 そう思って俺は、旅行中の自身の行動を思いかえす。そしてポンッと手を打った。


「ああ! そういや、紅緒様枕投げしたいって仰ってたんすけど、紅緒様に枕ぶつけるとか無理っすよ!」

「は……? そうなのか?」

「そうっす。いや、陛下、紅緒様に枕投げられます!?」

「や、それは……無理じゃな」

「でしょ!? そりゃ、俺だって紅緒様の望みは全てかなえて差し上げたいっすけど、無理なもんは無理っす」


 警備責任者は「陛下や青洲様からは紅緒様の良いようにと仰せつかった」と言っていたから、紅緒様の願いが叶わなかった事を陛下に報告したんだろう。

 でも俺が断った内容もきちんと聞けや。

 ぶすっとすると陛下が「それは……正直すまんかったな」と仰った。ので、この件はお終い。

 俺は従僕から資料を受け取ると、控えの間にいらした紅緒様と駐屯地に帰ることに。

 行きしなにも見えたけど、首都から駐屯地に帰るまでには浜辺があった。

 斑鳩は何度もブラッシュアップされて、その度に性能が良くなっていたから、試しに砂浜を走ってみたいと言えば、後ろに座っている紅緒様は「いいぞ」と仰った。

 誰もいない砂浜を、魔導二輪が滑らかに駆ける。砂埃はあまり立たない。

 走り心地に感心している間に、青かった空は少しずつ茜色に染まっていく。

 その物淋しさに斑鳩を止めると、紅緒様が後ろの座席から静かに降りた。


「海が綺麗だ」

「っすね」


 ひたすらに寄せては返す波に、海鳥の鳴き声。俺と紅緒様の間に、ただそれだけの音しかない。

 黙りこくっていると、紅緒様が悪戯を思いついた子どものように笑った。


「出穂、水遊びしようか?」

「へ?」


 驚いていると、紅緒様はブーツを脱いでスラックスをふくらはぎ辺りまで上げてしまって、打ち寄せる波に足を浸す。そしてそのまま飛沫を俺の方に蹴った。


「お!? やりましたね、紅緒様!」

「やり返せばいいだろう?」

「いいんすね? うりゃ!」


 俺も素早くブーツを脱いで、スラックスをふくらはぎまで上げると、波のよせる場所に駆けた。

 両手の平で波を救い上げると、それを紅緒様に勢いよく被せる。

 距離があったから紅緒様に届く前に水は海に消えたけど、飛沫がかかったのか紅緒様が大きな声で笑った。

 楽しそうな声と共に、水飛沫が帰って来たから、俺も応戦する。

 結構な時間そうして遊んでいたのか、気づいた時には二人とも汗や海水でドロドロで、それもまたおかしくて紅緒様と顔を見合わせて笑った。

 夕日が海へと沈んでいく。

 海から二人してでると、足や濡れた軍服のジャケットを乾かすために近くの岩場に座って


「……帰りたくない、な」

「え? 紅緒様?」

「……このまま出穂とずっとここにいられたらいいのに」


 俯く紅緒様の言葉に、一瞬喉が詰まる。

 そんな俺をどう思ったのか、紅緒様が眉を八の字に曲げて苦く笑った。


「……なんて。そんな事出来るわけないのにな」


 小さな呟きに俺は紅緒様をじっと見つめた。


「解りました。逃げましょう」

「え?」

「紅緒様がもう軍なんか辞めて、ここで静かに暮らしたいと仰るなら、俺がそれを叶えます。俺が紅緒様を攫います」


 この方が望むのであれば、俺は何でも出来る。

 紅緒様がもう軍を離れて静かに生きていきたいと思われるのであれば、俺は何をおいてもそれを優先したい。

 そう告げると、紅緒様が緋色の目を大きく見開いて、それからへにょりと眉を下げた。


「嘘だよ。お前に甘えてみただけだ」

「お、マジっすか!? もっと甘えてくださっていいんすよ! 俺は紅緒様に甘えられるの嬉しいんすから」

「変わったやつだなぁ」

「俺は通常運転です」


 俺がにかっと笑えば、つられたように紅緒様も淡く微笑んだ。

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