五年目のタンデム
常盤様と謎のやり取りがあってから季節は、巡って春になった。
副官も五年ともなれば、もうだいぶん勝手が解って来て、大概の公務に連れ歩いて貰えるように。
紅緒様と親兄弟の心の距離は近付かず、代りに陛下や青洲様、常盤様が俺に手紙を寄越すようになっていた。
が、俺は三回に一回くらいしか返事を返さない。
公務の物なら絶対返すけど、私的なものに返信の義務はないし、俺からあの人達に言える事なんてほぼほぼないからだ。だから「きちんと飯は食っておられます。多少肉が食えるようになられました」とか「饅頭より月餅の方がお好きみたいだけど、カステラはもっとお好きです」とか、その程度の事だけを手紙に書いている。
戦線は少しばかり停滞していた。いや、わざと進軍を止めているのだから停滞とは言わないのかもしれない。
敵方の国内にやたらきな臭い動きがある。
徹底抗戦を謳う王家と、国力の低下や臣民の疲弊を訴える貴族との間に、決定的な亀裂が入ったらしい。
いや、まあ、らしいというか、楔を打ち込んだのは紅緒様なのだけど。
紅緒様は敵国の使者に「降伏するのであれば、王族の命と安全は保障する。それでだけでなく、そちらで不足している医薬品を提供するなどの医療支援を大々的に行う用意がある」と囁いてやったのだ。
勿論嘘ではない。
元々この国は王族や貴族の搾取によって疲弊していた。それに輪をかけて近年戦争のお蔭で傭兵や商人が集団で国から国、地域から地域に渡るようになって、病の種類が増えた。西の果てでしか罹らなかったはずの病が、南の小国で見つかったり、北の風土病が東で流行ったりもあった。
当然我が国でもそういうことはある。けれど、そうなることを予期していた紅緒様が魔導錬金術研究所に於いてあらゆる病のデータを採取・蓄積していたお蔭で、医薬品や医療品、更には衣料品・日用品の需要増大に応えられるような生産機械やシステムをいち早く組上げられていたため、被害は最小限度に抑えられていたし、他国に回せるだけの余裕すら生み出せていた。
天才は一人で百年の時を飛び越えられる。まさに紅緒様はそんな存在だった。
閑話休題。
敵国が内戦必至の状況に陥った以上、こちらは特に物理的な手出しをする必要はない。相争わせて自滅させるも、貴族方に手を貸してやるも、どちらでも特に損はないだろう。そもそももう軍事的には押し潰せるところまで来ていたのだから。
ただ、こちらが軍事的に押し潰すよりは、あちら側で内乱でも革命でも起こしてもらった方が、こちらとしては自国の兵を損ねなくて済む。そのくらいか。
そんな訳で、俺と紅緒様は敵国の首都市街から目と鼻の先の丘に来ていた。
戦線が膠着して睨み合っていると言うか、降伏の使者を送ってその返事待ち。
情報によれば、敵国の都は非常事態宣言とやらが出ていてろくすっぽ買い物にも行けないそうだ。その癖食料や衣料品、日常品の支給は滞りがち。
「水を入れ過ぎた水風船のようだな……」
「ああ、たしかに。今にも破裂しそうな感じっすね」
「うん。解っててああした訳だけど、民間人にあまり被害が出ないといいな」
「っすね。その為に使者に来た反王家派の貴族に吹き込んだんでしょ? 都の中心の城から外に出て逃げられる通路があること」
「外に出られるなら、外から侵入することも出来るからね」
斑鳩のデカいボディに跨って運転席に座る俺は、後ろの紅緒様を振り返った。紅緒様は双眼鏡で敵地を見ていたけれど、やがて双眼鏡を下ろして肩を竦めた。
「動きは今のところなさそうだ」
「っすか」
「うん」
何もしなくていい状態と言っても、うちの部隊も本当に何もしていない訳ではない。敵都市への物資の搬入を妨げ、流通を締め上げて、所謂兵糧攻めのような事はしている。
だからこのまま睨み合いが続くならば、都市の住人は干上がるだけだ。さて、それを王族や貴族連中は解っているのか……?
そもそも解っていたら民を搾取なんぞしないか。
俺が溜息を吐いたのと同時に、紅緒様もため息を吐いた。
「思うようにはならないな」
「っすね。早いとこ降伏すりゃいいものを……」
「信念とか矜持とか、生きるのに邪魔なら捨ててしまっても構わない物なのにね」
「そうっすね。でも俺は命がかかってても、捨てらんねぇものがあるのも解るっす」
「捨てられない物?」
「っす」
例えば紅緒様を。
この方が自身を捨てろと仰ったとしても、俺はそれくらいなら死んだ方がいい。まあ、言われるような状況になる前に紅緒様を連れてとっとと逃げるけど。
じっと緋色の瞳が俺を見つめる。俺の「捨てられない物」の事が気になっている目だけど、俺はあえてそれに気づかないふりをして。小鳥のように首を傾げる紅緒様に、俺は懐から食堂のおやっさんに持たされたものを差し出した。
「食堂のおやっさんが、今度出そうと思ってる新メニューってやつだそうっす」
小さな笹の包みに入れられたそれを俺から受け取ると、紅緒様が包みを開く。そこにあったのは──
「桜色……?」
「っす。桜餅っていったかな?」
「餅……甘いの?」
「アンコ入ってるんですって」
俺の言葉に紅緒様の頬が少し緩んで、口の端が僅かに上がる。嬉しい時の紅緒様の仕草だ。五年も一緒に居れば間違えない。
「食べてちゃってくださいよ」と声をかけた俺に「ん」と、紅緒様が餅を一つ俺の口に押し当てた。
「ん、って」
「二つある。出穂も食べたらいい」
「え? や、自分で……」
「どうやって? お前はハンドルを握ってて食べられないじゃないか」
「う、じゃ、じゃあ遠慮なく」
唇にふにっと当たる餅に噛り付けば、紅緒様が穏やかに目を細める。柔い餅をかみちぎると、残った半分を紅緒様が自らの口に入れてしまった。
むぐむぐと口の中の餅を咀嚼しながら、俺は紅緒様の桜色の唇が小さく動くのから目が離せず。ごくりと飲み込んだのが何なのかも解らずに、ただ舌の上に残るアンコの甘さに黙っていると、もう一度「ん」と紅緒様のお手からまた餅を口に入れられた。残った半分はやっぱり紅緒様のお口の中へと消えていく。
「……甘い」
「……っす」
さらりと紅緒様の横に結った唐紅の髪が揺れる。
何故か目を逸らせないでいると、紅緒様が「そろそろ」と小さく呟く。
「戻りましょうか。奴らも動くかもしれませんし」
「ああ。それが降伏だって構わないんだ。寧ろそっちの方がいい」
「っすね」
紅緒様の言葉に頷いて、俺はハンドルを握りこむ。そしてそこから駆動部部分に魔力を送り込むと、虫の羽音のような低い音を立てて斑鳩が起動した。
ぎゅりっと車輪が回ると、凄まじい速さで斑鳩が地を駆ける。景色が飛ぶように変わるって行くけど、地面の凹凸を避けて出来るだけ平地を選んで走っていると、後ろから忍び笑う雰囲気があった。
「丁寧に走る」
「当たり前っす。紅緒様を乗せてるんすから」
「私はそんなに軟じゃないよ」
「知ってるっす。俺が丁寧にしたいだけっす」
「……変わったやつだなぁ」
「これが俺の通常運転です」
メットの下では、紅緒様はいつもと同じく眉をへにょりと下げて笑っているんだろう。
五年目も俺はその笑みを見られるところに居られて幸せだった。
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