弟 弐

 俺の本当に困惑した視線に、常盤様も年配の副官も困惑したようで。

 視線だけで副官に退出を促して、彼が出て行ったあと、改めて俺に向き直った。


「改めるが、常盤だ。お前は兄・紅緒の副官・出穂に間違いないな?」

「左様です」

「では、再度聞くが、本当にお前は兄貴のただの副官なんだな?」

「はい」

「毎日、昼飯も夕飯も一緒に取っていると聞くが?」

「はい。ちゃんと見張っとかないと、仕事に夢中になったら食事も取られないもので。それに独りで飯食うのつまんないみたいだし、俺も楽しいからご一緒してます」

「毎日退勤後、兄貴を部屋まで送っているというのは?」

「紅緒様、止めないと寝ないで仕事されるんで。身体壊すから、日付が変わるまでに寝る約束して、その確認と護衛のために送り届けさせてもらってます」

「休みの日も、兄貴と一緒にいると言うのは?」

「ああ、魔導錬金術研究に興味がありまして。そう言ったら、紅緒様が研究室の視察についてきても良いと仰ったので。偶々その日が休みだっただけです。後は蔵書をお借りして読ませていただいたり?」

「え? 逆にそこまでしてるのに、ただの副官なのか?」

「副官ですよ。紅緒様も許してくださってますし」


 別におかしなことは何もない。

 というか、特別な副官って何なんだよ? 解んねぇなと首を捻ると、同じく常盤様も首を捻る。それどころか何かブツブツ呟いていて気持ち悪い。

 瑞穂の国も王家の方々は、紅緒様以外ちょっとおかしいんじゃなかろうか? 青洲様や陛下の時も思ったけど、変な奴には「近付かんとこ」だ。

 俺はにげかえる隙を狙って出口を窺うが、部屋には扉が一つきり。窓もない。唯一の扉の前には常盤様が仁王立ちだ。

 読売なんかの記事では常盤様を若木のようなしなやかさなんて書いているけれど、実際相対してみると大木の雄々しさとかに感じる。

 早く戻りたい。紅緒様が待ってる。

 そもそも常盤様はいったい何の用で俺に声をかけたのかすら、聞かされていない。何なんだ?

 むすっとすると、常盤様が気まずそうに口を開いた。


「俺は、ここ五年くらい兄貴と飯食ってない」

「はぁ……、そうなんですか?」


 忙しいからだろう。なんせ瑞穂の国は珍しく王族も前線に立つ。

 駐屯地だって進軍地域だってバラバラで、今回のように合流することもあれば何か月も、どことも合流しないなんて珍しくもない。

 でも常盤様は俺の考えを読んだのか「忙しいからじゃない」と口にする。


「たしかに忙しくはある。だけど今回みたいに同じ駐屯地にいれば、飯くらい一緒に食う」

「そうなんですか」

「ああ。でも兄貴は誘わせてもくれない。最低限の会話しかしてくれない」

「時間は有限だから、ですね」

「あ? なんで兄貴の言葉をお前が知ってるんだ?」


 常盤様が殺気をにじませて俺を睨む。何と言うか紅緒様も陛下も青洲様もだけど、皆目力が強い。

 俺は肩を竦めた。


「ご本人からお聞きしたからです」

「!?」


 誰にも平等に時間は有限、親兄弟だからと言って面白くも楽しくもない話に付き合わなくてもいい。それは寧ろ紅緒様の本心で、まったくの善意だ。ただし、当の親兄弟の意思は聞く気がないんだけど。

 人間は嘘もつけば、社交辞令もいうのだから、親兄弟がいくら紅緒様と過ごす時間や、あのお方との会話を「無駄じゃない」って言ったって、本気にしなくてもおかしなことじゃない。そしてそんな紅緒様を、俺はまったく否定する気がない。寧ろ「そうだよな」って思うくらいだ。

 それをあの方のご家族に説明する気もない。

 かつて踏みにじってしまった紅緒様への罪悪感を抱えて、そのまま彼の方に優しい存在であってくれたらいいとさえ思う。

 常盤様は若木の葉っぱのような色の目を見開いて、それから肩を落として俯いた。


「母上がお元気だった頃から言われてたんだ。『自分の話を聞いてほしかったら、きちんと相手の話も聞きなさい』って。でも俺はせっかちで、自分勝手なガキンチョだったから、ゆったりとした兄貴の話を聞くのが煩わしかったんだ。だから『兄貴の話はつまんねぇ、おもしろくねぇ』って何度も言って、何も聞こうとしなかった」

「青洲様から聞いてます」

「そうか。父上や兄上とは会ったんだったか。だったら俺らと兄貴が上手くいってないの知ってるだろ?」

「はい。控えめにって皆様クソ野郎どもだなって思ってます」

「クソや……!? いや、そうだな。クソだよ、俺ら。大事なもんが壊れてても、手遅れになるまで気づきもしてなかったんだから」


 常盤様が紅緒様の抱える何かに気が付いたのは、俺と紅緒様が出会った戦の後だったそうな。

 砦に奇襲があった時、紅緒様は兵士を逃がすために囮として戦場に踏みとどまった。本来なら逆で、兵士たちは紅緒様を逃がすための囮にならなければいけないのに。

 それどころか逃がされた兵士の証言を聞くと、紅緒様は敵を殺しながらたった一人共を連れただけでわざと砦の奥へ奥へと進んでいったと、誰もが口にする。

 或いは捕虜にした砦を襲った敵兵からも、紅緒様が「私が死んでも代りはいるのに」と呟いていたとの証言もあった。

 更に言えば紅緒様は、ご次男。言い方は悪いが次男は長男のスペアだ。長男が戦に出るなら次男は基本的に家に居させる。だから紅緒様の初陣は別段遅くても良かったのに、やはり十二の年になって、翻ってご三男様の常盤様の初陣が通例より半年遅れたのは、そのように紅緒様が望んだからだそうで。


「宰相から聞いた。兄貴の初陣が予定より早かったのは『子どもが三人もいれば、私一人死んでもどうという事もなかろうよ』と言ったからで、俺の初陣が遅れたのは『兄上に何かあったら常盤の方がその後には相応しいだろうから、その基礎教育を終わらせてからだ』と兄貴が望んだからだ、と」

「……」


 苦虫を嚙み潰したような顔で、常盤様は唸る。

 俺はと言えば、その懺悔のような、いや懺悔なんだろう言葉を冷ややかに聞いていた。

 つまりこいつらクソ野郎どもは、紅緒様にそこまで思わせるような扱いをしたって事で。

 俺の冷たい視線に気づいたのか、気まずそうに常盤様は目を伏せた。


「兄貴には俺の言葉は届かない。だけど、珍しく兄貴が四年半も傍に置いてるお前からの言葉なら……。お前、何かずっと兄貴の傍にいて、付き合ってるっぽいし」


 常盤様から縋るような目を向けられた俺だったけど、一つ聞き捨てならない事があった。


「ちょっと待ってください。俺が紅緒様に付き合ってるんじゃなくて、俺に紅緒様が付き合ってくださったんすよ。大型魔導二輪の操縦練習の遠乗りやら、魔導錬金術研究所の見学に」

「付き合うってそういう事じゃな……いや、もういいんだけど、とにかくお前なら……」

「無理っす」

「なんで!?」

「俺は紅緒様の味方なんで」


 なんでって当たり前じゃねぇか。

 俺は愕然とする常盤様に、もう一度肩を竦めて見せた。

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