副官四年目、男の沽券とは?

 それからまた二年ほど経っても、俺は紅緒様の副官だった。

 戦線は北上を続け、俺と紅緒様の駐屯地はクソ寒いけれど、街の近くのにぎやかな場所だ。

 この街は、瑞穂の国の軍に制圧されるまで、自国の兵達に略奪の限りを尽くされていたせいか、敵側だったというのに瑞穂の国の兵隊を歓迎してくれている。

 進軍してきた紅緒様の、うちの部隊が最初にやったことが、略奪をした敵国の兵士を全員捕まえて処刑したことと、街の住人に炊き出しと医療支援をしたことだったから猶更か。

 前線であっても最高水準の医療と過不足ない食事が提供出来るのは、紅緒様の計算能力や戦略眼と、それを支える幕僚たちや魔導錬金術の技術のお蔭なんだけど。

 そう言うことが勝利を重ねるごとに、自軍の兵士や国民たちにも伝わっていって、俺はとても複雑だった。

 だって紅緒様、ちっとも嬉しそうじゃねぇんだもん。

 魔導錬金術は今や国民の誰もが知る技術になった。でもその使われ方は、本来の使われ方とは真逆。

 あんまり好き嫌いのない紅緒様が、わりと出てきたら喜ぶ月餅を食ってても、しおしお萎びてるくらいだ。

 それに評判が上がるとしたくないことも増える。

 最近じゃ友好国や属国のお偉いさんが、魔導錬金術の技術提供を求めて、紅緒様に会見を申し込んでくる。これがどうも紅緒様は好かないようだ。俺も嫌だけど。

 だって奴ら、魔導錬金術の重要さとかが世に広く知られる前は、お世継ぎの青洲様は兎も角武勇に優れて名高い常盤様に面会を求めることはあっても、紅緒様の事は素無視を決め込んでやがったのに。


「仕方のないことだと思うよ。誰にも時間は平等に有限。その限りある資源を無駄に使うことはできない。至極合理的じゃないか」

「俺は紅緒様のお話を聞くのが無駄な時間なんて思わないっす」

「うん。でも価値観は人それぞれだから」


 だからお前が憤る事なんて何もないんだよ、と静かな声が俺の耳を討つ。

 憤ってるのとは少し違うんだけどなと、俺は思った。

 ただ、誰にも時間が有限ならそれは紅緒様の時間だってそうで、紅緒様はもう随分やりたくないことをやってきているのだから、これ以上外野に煩わしい事を増やしてもらいたくない。

 俺がそう口にすると、紅緒様はへにょりと眉を落とす。

 出会った頃からもう四年も経った。俺も紅緒様も少しは変わった。

 例えば俺と紅緒様は似たような背丈だったのが、頭一つ分くらい俺のが高くなったし、俺の方が幅も厚みもある。

 それでも紅緒様は俺の好きな、子どもみたいな笑い方のままだ。

 紅緒様が机でパラパラと書類をめくってサインする。それを受け取れば、俺はファイルして別部署に流すように準備。

 毎日毎日同じことをしているけれど、全く飽きない。

 そのうちに、ぽーんと執務室の柱にかけてあった時計がなった。珍しく紅緒様が手を止めた。


「出穂、時間だよ」

「え? ああ、そうっすね」

「今日は午後から半休なのだろう?」

「そうっすね」


 はっと俺の口から短いため息が出る。

 今日は俺の誕生日で、同僚というか同じ部隊になった連中が、それを祝ってくれるらしい。


「正直、あんまり気が進まないっす」

「せっかく祝ってくれるのに?」

「だってあいつ等、俺の誕生日にかこつけて騒ぎただけで……」

「いいじゃないか、これを機に親交を深めてみても」

「いや、でも、連れていかれるのって娼館っすよ?」

「……!?」


 紅緒様の紅の目が軽く見開かれる。そして唇が僅かに戦慄いて「娼館?」と小さく呟かれた。

 もしかして紅緒様はその手の話が苦手なのかも。そう言えばこんな男の生理現象的な話は、今までしたことがなかったなと思い当たって、俺は恥ずかしまぎれに頬を描いた。


「っす。その……初体験も未だだって知られちまって……知らずにいるのは、人生損だって」

「そ、そう……。うん、そうか。この街にもそういうのあるんだね。いや、兵士達のその生理的欲求を発散させるために、そういった施設に協力をお願いしてるのは知ってたんだ。でも、近場にあるなんて意識したことなかったから」

「俺も知らんかったっす。お世話になる事なかったんで」


 俺の一日は紅緒様の出勤に合わせて出勤し、紅緒様がきちんとお部屋に戻って休まれるのを確認してから割り当てられた部屋に戻るの繰り返しで、紅緒様がお出かけにならない限りは外に出ない。

 休暇だって暇があれば魔導錬金術の研究所に行くか、槍の稽古、さもなくば紅緒様から勧められた本を読むくらいだ。そこに娼館が入る余地はない。それで十分なのに、世の中ってやつは何で男の未経験者には経験させてなんぼみたいな雰囲気があるんだ。解せぬ。

 もう一度俺はため息を吐く。心底から嬉しくないのが滲み出たのか、紅緒様が「いっておいで」と吐息で囁いた。


「半日とはいえ休暇なんだ。ゆっくりしておいで?」

「……はい」


 どうやら紅緒様は引き止めてくれないらしい。ちょっとだけ胸がちくっとした。

 俺は言いつけ通り、誕生日をゆっくり過ごすために、紅緒様に挨拶をして執務室を後にした。

 そして時刻は夕方。

 妓楼に灯りがともって、前線だというのにそんな物騒さを感じさせない賑やかさが夜を満たしていた。

 用意された一室で同僚たちと娼妓たち、太鼓持ちや楽器弾きなんかががやがやとやっていたが、俺はちっとも楽しくなく戸惑うばかりだ。酒もそんなに嗜む方じゃないし、娼妓と気の利いた会話をすることも出来ない。

 どうすりゃいいんだ、こんなもん。

 いや、オネエサン達はそれが仕事で、こちらをいい気分にさせようとしてくれてる。それは解る。解るけど俺は戯れに色恋の駆け引きをするよりも、紅緒様と読んだ本の感想を言い合ってる方が性に合う。

 それにさっきから酒とオネエサン連中の化粧の匂いが混ざって、違和感がどうしてもぬぐえない。俺の日常にある香りは石鹸か、さもなきゃインクだ。そう言えば紅緒様と俺は同じ石鹸を使っている筈なのに、あの方のお手からは凄くいい香りがする。

 飲み方の解らない酒を注がれて、少しずつ飲んでいれば「ぐっといけ!」とか「一気にいけ!」とか囃されるのもたまらない。

 帰りたくなっている俺に気が付いたのか、オネエサンの一人がこそっとこの誕生会を主催した、一番年嵩の同僚に何かを耳打ちして。

 すると同僚がにやっと笑った。


「さて、夜も更けて来たし出穂はお楽しみの時間だ。頑張れよ?」

「え!? ちょっ!」


 突然の言葉に狼狽えているうちに、オネエサンの一人を置いて、同僚たちはどこかに行ってしまった。

 残された俺があわあわとしていると、オネエサンが奥の部屋の襖を開ける。そこには布団が敷いてあって、枕が一つ。

 オネエサンと布団の間で忙しなく視線を行ったり来たりさせていると、彼女が赤い唇を引き上げた。


「お客さん、初めてって聞きましたけど……」

「は、あ、ええっと……」

「大丈夫、任せてくださいましな」


 いや、なんも大丈夫じゃねぇよ……!

 漂う不穏な雰囲気に俺が固くなったのを察してか、オネエサンは盃に酒を満たす。彼女から見る俺の横顔はがちがちだったのか、オネエサンがうっそりと笑った。

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