第一章第二話 「未知へ踏み入る者達」

 翌日の午前十時。

 上陸初日は喧騒けんそうの渦と共に始まった。


 「はい、どいてどいてー機材通るよー!」「一号船カンビュセスと三号船トロリーは人員の下船後、島周辺の巡航探査サーベイルートに向かって下さい」「第五分隊編成完了。各員持ち場に着け!」「なぁ、誰か私のメガネ見なかった?」


 小熊は大型調査船カルネアデスのタラップから新島の入り江、エーリング湾と名付けられた上陸地点に降りる。その頃には三隻の調査船団から百余名の調査団メンバーが上陸して島は急速に賑わい出していた。


『珪素7g、鉄0.5g、アルミニウム0.4g。おっと、窒素濃度が通常より低いな。やはりこの島の地質は海底の――』


 土壌どじょうサンプルに測定器を突き刺して議論を交わす地質学者達の横を通り過ぎ、小熊は神秘の島にレンズを向けていく。


 海岸線には上陸用の黒いゴムボートが並び、軍人達は規則正しく動いて各地で調査の準備に取り掛かる。生物系の研究者達は円形に捻じれたヤシ風の植物から組織片を採取していた。


 この新島は巨人の両手にも似た椀型わんがたで、大半が断崖絶壁に囲まれている。大規模な上陸が容易なのはこの細長い三日月形のエーリング湾だけだ。入り江に停泊して調査拠点の造営を行うのはこの一隻カルネアデスのみ。

 他二隻はソナーやダイバーを投入して、海中の地形探査や外周から島の様子などを記録するスケジュールとなっていた。


 もっとも、島のサイズは約十一キロ平方メートルとさほど広くない。

 第三次大戦前夜などという政治的な配慮がなければ大型調査船三隻と二百人というのは多すぎる。


 人海戦術とドローン。赤外線探査に集音マイク。

 精鋭メンバーと最新機材を駆使すれば大した時間はかからない。


 国際政治上厄介な陸地で、学術的には興味深い新発見。ただし鍛えられた軍人たちにとっては退屈なフィールドワークに過ぎない。誰もがそう思っていた。


 だが。


               ▽▲▽▲▽▲


「ドローンが帰って来ない?」

「ええ、もう二機も」


 参りましたよ、と取材中の小熊の前で肩を落とすのは十代後半とは思えない褐色の貴公子である。


 ウルセン・サティム。

 ハイブランドのパーカーをシルバーアクセと共に着こなしているが、UAEから派遣された世界大会二連覇の凄腕ドローン操縦士オペレーターという話だった。


「この『He-182ホークアイ』は観測専用のドローンで、だいぶ高価なんです。超音波レーダーや高精度のレンズを積んでいますから。それを早々に二機もロストさせたので上司の視線が痛いですよ」


 サティムは秀麗な目尻を悩ましそうに下げる。


 設営が終わった二十基のテントモジュールのうち、サティムと小熊がいるのはドローン関連専用に割り当てられたテントだ。用途別のドローン最新機種が十数機ほどラックに収まり、メンテナンス用の工具も置かれている。軽量デスクには最高水準ハイエンドのノートPCも三台配備されていた。


 小熊は大自然の中にテクノロジーの集約された光景に何度かシャッター切ってから、サティムが手で示すPCの画面を覗き込む。


「これは、空撮映像ですか?」


「今朝、二機目が撮ったものです。通信が途切れる寸前までのものですが」


 動画サイトで見慣れた画面下のシークバーを動かし、サティムが再生ボタンをクリックする。半ばほどから始まった動画は滞空するドローンの空撮映像である。

 ただし二つのディスプレイに、この島の樹海と空がそれぞれ歪んで映っている。


「魚眼レンズを使った全方位カメラを上下に取りつけて、死角を失くしています。一機目は下だけを撮影していたので、大型の鳥にでも壊されたのかと。……ここからです。二十七分五十四秒」


 その瞬間。風にも煽られない安定性を誇る最新型の観測用ドローンの画面が、殴られたように大きくブレた。


 そこから即座に立て直し、ドローン自体が急速に下降、上昇、旋回ととてつもない高機動を繰り返す。映像はプロボクサーのグローブにカメラを付けたような激しさになる。小熊は眩暈を覚えた。


「僕にだってオペレーターとしてプライドがあります。八枚羽根の構造上、このドローンはヘリや戦闘機の何倍も自由に飛べる。鷹だろうと軍用無人機だろうと逃げ切ってみせるつもりでした。だけど」


 サティムが悔しそうに呟いた直後、映像がもう一度大きく揺れ、ノイズが走った。

 直後に二つのディスプレイが暗転して記録は終わる。


 ここでドローンが破壊されたか、少なくとも通信が途絶えたらしい。

 サティムがマウスを操作するとドローンが最後に捉えたが映し出された。


に攻撃された瞬間の映像を分析しました。でも、細長い影がわずかに映るだけです。ハイスピードカメラではなくとも、降る雨の水滴ぐらいなら綺麗に撮れるのに。そもそもこの時『He-182ホークアイ』は最高時速の七十キロで飛んでいたんです」


「つまり、この何かは」


「シャッター速度の限界を超えた、例えば銃弾並みの速度で襲ってきたことになる。――お願いです記者さん! このUMAユーマの正体を誰かが突き止めてくれないと、操縦ミスで二機も落としたなんて噂が立ったら僕は廃業するしかない!!」


 顔を歪めたサティムは小熊の両肩を掴んで必死に縋る。世界トップクラスの精鋭だからこそ、自らの分野で失態を晒した動揺は計り知れないのだろう。


 哀れなサティムの力になってやりたいとは思う。だがそれ以上に小熊はドローンが最後に映した細長い影のことが気になった。


 コマ送りの静止画像は色さえも判然としない。その不吉な靄のような何かが映るディスプレイに、小熊はもう一度シャッターを切っておく。


               ▽▲▽▲▽▲


 上陸から三時間後、午後一時。

 ドローン空撮失敗の件は伝えられたが、当初のスケジュールに変更はない。


 元々百名以上の職業軍人を投入しての調査計画だ。人を遊ばせておくわけにもいかないと、『島』の大部分を占める森林地帯は地図上で分割したブロックごとに隊を分けて踏破、記録されていく手筈になっている。


 小熊がカメラを回す前では第一次先遣隊せんけんたいの二十名が装備の点検を行っていた。


 とはいえ今回は様子見程度で、日が沈む前に帰投する予定だ。ピクニック前に欠伸を嚙み殺す兵士がいないのは、ひとえに他国のライバルに間抜けな姿を晒したくないという対抗心のお陰だろう。


 彼らの中には船上で新たに友人となったアンジェリカの姿もあった。一応は彼女も小熊の取材対象だが、五日間の船旅を経て二百人のメンバーでは最も気安く話せる間柄である。


 背に鋸刃のこばの付いたサバイバルナイフを太陽にかざして刃こぼれを確かめていたアンジェリカが、再会した小熊の頼みに首を傾げた。


「観測用ドローン?」


「ああ。オペレーターが二機も通信途絶して嘆いてたんだ。もし墜落してたら回収してやってくれないか?」


「いいけど、墜落ってなんで? 雷でも落ちたとか?」


 アンジェリカは指先だけで腰のホルダーへと大型ナイフを滑り込ませる。船旅の間は陽気でお喋りな少女めいた印象だったが、武器の扱いに手慣れた様子は女性軍人としての風格がにじむ。


 赤い髪が夏の潮風に舞う様子につい見惚れながら、小熊はサティムの話を伝える。


「オペレーターはUMAユーマだって言ってたよ。観測用カメラにまともに映らないスピードで襲ってくるらしい。映像も見た」


「うわ、オカルト! 配信番組の懐かし都市伝説特集で見たことある! スカイフィッシュだっけ?」


「結局レンズを横切るハエだったってヤツな。まぁ墜落がただの猛禽類もうきんるいとか乱気流のせいだとしても、警戒するに越したことはないし。気をつけて」


 気軽な調子で小熊が片手を挙げると、アンジェリカは心底びっくりしたような顔で両目を瞬かせた。


「え。オグマ、もしかして心配してくれる? 私を?」


「そりゃまぁ。折角できた友達が遭難して行方不明とかは御免だろ」


 妙なところを掘り下げられ、照れくさくなって頬を掻く。

 自分の命は撮影機材の一つぐらいに考えているからと言って、友人の安否にまで関心がないわけではないのだ。


ㅤ何故かアンジェリカはしばらくぽかんと口を開けて固まっていた。それからゆっくりとささやかな笑顔に変わっていく。彼女の瞳にはどうしてか、子供のように純粋な喜びが浮かんでいた。


「ふふ。そんなこと言われたの、小さい頃以来かも。ありがと、オグマ!」


「そ、そうか?」


 からかう様子でもない予想外の反応に小熊が困惑こんわくしていると、第一次先遣隊の部隊長が集合を呼び掛けた。


 いよいよ『島』の本格的な探索調査が始まる。


 第三次大戦前夜。

 そんな噂を払拭し、国際社会に不安定ではあれど元の均衡を取り戻すための協同作戦。誰も血を流さない未来を選ぶための挑戦にアンジェリカ達は挑むことになる。

 それを世界に伝えるのが小熊の仕事だ。


 煙草を肺に流し込むだけの気怠い日々に、ジャーナリストとしての夢はいつの間にか自暴自棄の言い訳にすり換わっていたのかもしれない。だが今は、目の前にある彼女達の奮闘を世に伝えたいと素直に思えた。

 

 一眼レフを握る手に力がこもる小熊に、部隊の下へ走り去りかけたアンジェリカが何かを思い出したように振り返る。


「そうそう。この島の名前、決まったみたいだよ。投票の結果も出たし、国連事務総長さんも世界的な民意みんいを尊重するってさ」


 ポケットから取り出した米軍仕様の頑強なスマートフォン。

 国際投票サイトの結果発表ページには、一つの名前が映し出されていた。


「『ニューミッドウェー島』。それが、私達が調べる島の名前なんだって!」


               ▽▲▽▲▽▲


 ――そして。

 第一次先遣隊は樹海へと発った。

 どれだけ待っても、彼らがエーリング湾に戻ることはなかった。


 夜が訪れる。

 ニューミッドウェー島。

 そう名付けられた世界の中心、「はじまり」の地で。


 真の地獄が産声うぶごえを上げる。

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