交渉決裂です

 セネカとお父さんのトールはにらみ合ったままだった。私とティアナ、アスカとヒミカ、トールの部下である獣人たちも、固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。私は自分の心臓がドクドクと鳴り響くのを自覚した。私はとても不安で緊張していた。ただ一つ私に分かる事は、セネカとヒミカをあの小屋から連れ出してはいけなかったという事だ。お母さんのアスカが、子供たちを獣人と人間の争いに巻き込まないために隠していたのに、私はあろう事かセネカとヒミカを戦争の真っ只中に連れて来てしまったのだ。


 何とかセネカを戦いに巻き込まないすべはないだろうか?私は必死に考えるが、いい案は浮かばなかった。長かったこの沈黙を破ったのは、背後からのいさかいの声だった。獣人たちが大声で何かを叫んでいる。何者だ!出て行け!など、誰かを追い払おうとしているようだ。私は気になって後ろを振り返る。そこには、見知った顔があった。トーランド国騎士団長リュートと、トーランド国王の第二王子ユーリだ。二人は、獣人たちの制止にも関わらず、ズンズンと進んで私たちの側まで来た。私は思わず叫んだ。


「リュート!ユーリ!どうしてここにいるの?」


 私の質問にリュートは笑顔で答える。


「はい、もみじさまがポケットに入れていた魔法具の鏡で獣人の自治区まで着く事ができました。この森は迷路のようで土地勘のない者は迷ってしまうのです。もみじさまたちが自治区に入る事が出来たので、我々も到着する事ができました」


 私はハァッとため息をついた。どうやらリュートは私たちに獣人の自治区に潜入して、場所を教えて欲しかったようだ。いいようにリュートに利用されてしまったみたいだ。リュートは私に会釈をしてから、今度はアスカの側に歩いていった。アスカは驚いたように叫んだ。


「リュート?!」


 どうやらアスカはリュートの事を以前から知っているようだ。リュートはヒミカを抱きしめたアスカに向き直ると、うやうやしく黙礼をして言った。


「お久しぶりですアスカさま」


 アスカはリュートを見て、その横に立っているユーリを見た。そして目を大きく見開いて言った。


「ユーリ?」


 ユーリは知らない女性、ヒミカを抱きしめているからセネカとヒミカの母親だと見当をつけているであろう女性から名前を呼ばれて驚いたようだ。ユーリはどうしたらよいのか分からず、リュートの顔を仰ぎ見た。リュートは困った顔をして笑い、一つ息を吐いてから答えた。


「ご推察の通りですアスカさま。このお方は、貴女がトーランド国王との間にもうけた子、ユーリ王子です。ユーリさま、ユーリさまのお母上ですよ」


 ユーリは驚き過ぎたのかヒュッと息を飲んでいた。アスカはブルブルと震えながらユーリの頬に手を伸ばした。アスカの顔は驚きの表情から、涙に歪んだ表情になった。


「ユーリ、ああユーリ生きていたのね?今まで貴方の事、片時も忘れた事は無かったわ」

「お母さん?お母さんは僕が生きていて嬉しと思ってくれてるの?」

「当たり前でしょ、ああ、私のユーリ」


 アスカは、感極まったように自分と同じくらいの身長のユーリを強く抱きしめた。アスカの側にいたヒミカは、状況がよく飲み込めないのか、目を白黒させていた。アスカはユーリを抱きしめながら、横に立っていたリュートをキッとにらんで言った。


「リュートだましたわね!ユーリが死んだなんて嘘をついて。ユーリが生きていたなら城から逃げたりしなかったわ!」


 どうやらアスカもユーリも、リュートから互いに死んだと教えられていたようだ。リュートはハァッと面倒臭そうにため息をついてからアスカに言った。


「あの時アスカさまに、ユーリさまが死んだと言わなければ、死に物狂いでユーリさまを助けだそうとしたでしょう?獣人の力を封じる拘束首輪をされ、牢屋に入れられていた貴女にできるわけがない。ユーリさまが死んだと嘘をついたから貴女は今ユーリさまに会えているのですよ」

「お母さん、リュートの言う通りだよ。リュートは僕にもお母さんが生きているなんで、今の今まで言わなかった。もしお母さんが生きていると知ったら、僕は会いたくて会いたくて、勝手に城を抜け出そうとしてたと思う。だからあの時のリュートの判断は正しかったんだ」


 アスカは我が子にたしなめられて、不満げに口をつぐんだ。口惜しいのかキッとリュートをにらむ。そんなアスカとリュートの間に割り込んできた者がいた。アスカの夫、トールだ。トールはギロリとリュートににらみをきかせるが、リュートはどこ吹く風だ。リュートはいんぎんにトールにあいさつをする。


「お初にお目にかかります、獣人の王よ。私はトーランド国の騎士団長をしているリュートと申します。時間が無いので手短に申します。我ら半獣人の側と共に人間と戦っていただきたい」


 トールはニヤニヤとリュートを眺め、卑下したような笑みを浮かべた。そしてリュートの問いには答えず、横にいたユーリを見て言った。


「お前が種違いのアスカの息子か。半分は誇り高い獣人だが、半分は卑しい人間だ。獣人の俺たちが半獣人と手を組むなどあり得ぬ。今回だけは見逃してやる、即刻この場を立ち去れ。次に会った時は命が無いと思え!」


 可哀想に、ユーリは怯えてしまっている。アスカは怖がるユーリを抱きしめトールをにらむ。リュートは怒りの表情になり、トールに言いつのる。


「半獣人である事はユーリさまの責任ではない!やはり獣人は頭が悪いようだな話にならない」


 リュートの挑発に、トールは顔をしかめる。トールはギリリと歯を噛みしめ、憎憎しげにリュートに言葉を返す。


「半獣人ごときがナメた事を!貴様など一瞬で斬り刻んでくれるわ」

「試してみるか畜生が!」


 トールとリュートはいがみ合い、一触触発の状態だ。危険を察知したユーリはアスカとヒミカを抱き寄せ、自身の背に隠した。トールは目にも止まらぬ速さで、背中に背負っていた自身の身長と同じくらいの巨大な剣を抜き、リュートに斬りかかった。私は恐怖のあまり目をつぶってしまった。だけどいくら待っても、リュートの悲鳴は聞こえなかった。恐る恐る目を開けてみると、驚いた事にトールの剣は、リュートを斬る事は無く、リュートの手前で止まっていた。トールの腕の筋肉は隆々と盛り上がり、強い力を込めている事が分かった。まるでリュートの前に、目に見えない空気の壁ができているようだ。これはリュートの魔法なのだろうか。リュートは不敵にニヤリと笑った。ノヴァが言っていた、リュートは竜族の半獣人だと。リュートには強大な魔力があるのかもしれない。リュートはあざけるようにトールに言い放った。


「ここで貴様を斬り刻むのは簡単だ。だが貴様は、世話になったセネカとヒミカの父親でもある。命までは取らないでやろう。そしてもう一つせんべつだ、この獣人の自治区の近くに、人間の軍が大軍で集まっている。貴様ら獣人を根絶やしにするためだ。精々蹴散らされないように策を練るのだな」


 リュートは興味を無くしたように、憎憎しげリュートをにらむトールから視線を外し、アスカに声をかけた。


「アスカさま、先ほど申しました通りここは危険です。子供たちと一緒にこの場を離れましょう」


 アスカはリュートとトールを交互に見て、そして意を決したようにユーリとヒミカの手を握った。そして離れた場所にいるセネカを呼んだ。


「セネカ。ここを離れるわよ、こっちに来なさい」


 セネカはピクリと反応する。私は先ほどまで詰めていた息をほぉっとはいた。獣人と人間の戦争がこれから起こってしまう事は心配だけど、それよりもセネカを巻き込まないで済む安堵感の方が強かった。セネカはゆっくりとアスカの方に歩いて行く。私もティアナの手を取ってリュートたちの側に行こうとした。その時、トールがセネカに向かって急に叫んだ。


「セネカ!逃げるのか?!臆病者め!!」


 セネカはハッとしてトールに振り向くと、怒りの表情で答えた。


「二度と俺を卑怯者なんて呼ぶな」


 セネカの言葉の意味を理解した母親のアスカが叫ぶ。


「ダメよセネカ!貴方はまだ小さいんだから、戦争なんかに行かせるわけにはいかないわ!」

「そうよセネカ!貴方は私たちと一緒に行くのよ!」


 アスカの言葉に私も続く。ここで引いては絶対にいけない。セネカを連れてここを離れなければ。セネカはニッコリ笑うと私に言った。


「心配するな、もみじ。もみじとティアナを奴隷なんかには絶対にさせない。いっすんぼうしだって小さいのに英雄ヒーローになっただろ?俺だって英雄ヒーローになってやる。いくさが終わったら必ずもみじたちを迎えに行く、だから母ちゃんたちとここを離れてくれ。リュート、ユーリ、皆の事頼む」


 それだけ言うとセネカはきびすを返して森の奥に行ってしまった。私はひどく後悔した、一寸法師のお話なんてするんじゃなかった。私たちはなおもセネカを引き止めようと声をかけたが、周りにいた獣人たちに出て行けと追い立てられてしまった。仕方なく私たちは獣人の自治区を出る事にした、セネカを残して。

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