第10話   身 請 け

 筆書処・一心庵の武藤雄策から呼び出しの文が届いたのは、川水が凍える前にと、小規模の護岸工事をしていた十一月のかかりだった。

文を届けに来た十歳ばかりの子供に、駄賃と蕎麦とどっちがいいかと聞くと、蕎麦がいいと言うので小僧蕎麦名物、牛蒡の掻揚げ天入りの蕎麦を食わせてやると、

「喜市の兄ちゃん、おいら浩太です」

と名乗った。

「浩太って、え?お圭の背中でぴいぴい泣いてたあの浩太か?」

一心庵からこの現場まで、子供の足で半刻[1時間]はかかるだろう。

「そうか、浩太か。でかくなりやがって」

つい蕎麦だけでなく駄賃もやってしまった。


予感はあった。そろそろ四十両、たまったかもしれない。


一心庵は丸ごと暖かい湯気に包まれていた。

昔、水屋しかなかった土間に竈が二つ据えられ、一方には大きな羽釜がかけられ、もう一方には大鍋に具だくさんの味噌汁が、これも湯気をあげている。

庭では、一心庵名物の七輪が三つ。一つは大きな鍋で湯が、残る二つで、魚が焼かれているらしく香ばしい香りがしている。

「飯、吹き上がってましたよ」

喜市が声をかけると、あっと声がして、少女が走って行った。十二、三歳だろうか、どことなくお圭に似ていると思った。

「喜の字組の喜市さん?」

こちらでは、落ち着いた女性の声。振り向くと、これが噂の朋絵様か、きりりとしたお武家の奥様風の女性が片襷に姉さんかぶりで小腰をかがめていた。

「へい、朋絵様でいらっしゃいますね。お噂はかねがね・・」

「あらまあ、お噂はお互い様・・」

「女先生、焦げちゃうよ」

袖を引くのは、さっき使いに来た浩太だ。

あらまあ・・おっとりと魚を裏返した朋絵様は少し焦げたのを見て、眉をしかめる。

「ちいっとくらい焦げたって、死にゃしません。焦げたところはな、浩太、胃の腑の薬になるんだぜ。さあ女先生、ここはあっしが代わりやしょう。」

朋絵様から菜箸を取り上げると、七輪の前にしゃがみこみ、器用に魚を裏返し始めた。

そこへ戻ってきた武藤、朋絵様の横でしばらく喜市を眺めていたが、ふと呟いた。

「喜の字組の小頭、魚を焼く之図か。なるほど、絵になるね」

朋絵様が、ほんに・・と笑った・


宗助は暗くなってから、提灯を片手にやってきた。この秋、正式に四番番頭に昇格したと聞いている。

「宗助さん、遅いよ。お腹へっちやった」

浩太は誰にも物怖じしないようだ。

「ああ、ごめんごめん。先生、朋絵様、御無沙汰しておりました。これ、後で召し上がってください」

如才なく、手土産を差し出したりする。

「あっ、おいらも何か持ってくるんだった」

喜市が肩をすくめると、

「じゃあ、これ二人からってことで」

宗助がわざわざ喜市のそばへ行ってから、土産を差し出す。

「・・ってぇことで」

喜市が頭を下げると、大笑いになった。


朋絵様の手料理で楽しく夕餉を終え、宗助の手土産でお茶の時間になると、そろそろ浩太が眠くなる。

「浩太、も少し我慢しろ。さて、皆に集まってもらったのは他でもない。お圭の身請けの金が整った。宗助も喜市もよく頑張ったが、お圭のお父っつあんや、ここにいるお糸、忠太も守銭奴になったんだ。浩太もほら、今日の駄賃だろ、お前さんにもらった・・」

と、四文銭を出して見せる。

「宗助や喜市が稼ぐ金に比べたら、ほんの僅かだ、しかし、一家のために身を売ったお圭を救いたいのは同じ。なあ、浩太もお糸もよく頑張った」

えへへ。と浩太が照れ笑いをし、お糸が恥ずかしそうに俯いた。

そこへ朋絵様が酒肴を運んできて。

「さあさあ、後は大人のお話。二人とも寝巻は持ってきたかしら。私と一緒に寝ましょうね」

と、子供たちを別棟へ連れ出してくれた・


「宗助にな、信用できる両替屋を紹介してもろうてな、何しろビタ銭が多くて、重うて重うて、難儀したぞ」

と、武藤は棚の手文庫から、切り餅と称される小判の包みを一つ{二十五両}と、五枚づつ紙封で巻いた小判が三つ、二人の前に並べて見せ、布袋に浩太から預かった四文銭を入れて横に置いた。

「余りは品川までの路銀だな」

しばらく三人はその金の山を見つめていた。

「よく貯めたね」

ぽつりと宗助が言う。

「そうだな」

喜市はぼんやり答える。

「で、いつ行く?」

「品川へか?おいらは行かねえ」

えっ・・宗助は息を呑んだ。

「なんで?お圭を迎えに行くんだよ。どうして行かないんだい」

「普請場を離れるわけにゃあいかねえ」

「いつ、いつ終わるんだい、普請」

喜市は一つ大きく息をつき、宗助の方に膝を向けた。

「あのな、宗助。身請けってなぁ女を妾にするのか女房にするのか知らねえが、とにかく手前ぇのもんにするために女を買いに行くことなんだぜ」

「そ・・それは・・」

「二人で買いに行ってみな、お圭は一人だ。どっちの男のもんになればいいか、困っちまうだろうよ。あ、そうか、近頃安囲いとかって、何人もで一人の妾を囲うのが流行ってるそうだ、それにするか?」

宗助が喜市の胸を突いてきた。

予想していた喜市は宗助の肩を押さえて、にやりと笑った。

「宗ちゃんの突っ張りは食わねえよ」

「一人でなんか行けないよ。どんな顔してお圭に会えばいいんだ」

「じゃ、放っとくか、女郎上がりの女なんか近江屋の番頭さんの女房にはなれないか」

「近江屋はやめたっていい。その覚悟はあるんだ。でも、でも・・」

「怖いんだな。お圭が変わってしまってたらと、怖いんだろ?」

「もしかして、喜市っちゃんも?」

喜市は鼻の頭に皴を寄せ、まぁなと呟いた

胸も裾も露わに着物をだらしなく着崩した女郎、悪ずれして開き直ったような女も見ている。二人とも若いのだ。岡場所にも行く。

「武藤先生」

庭から、りんと鈴が鳴ったように声がした。

朋絵様だった。冷えてきたのか、羽織を羽織っていた。

「私もお相伴にあずかろうかと来てみたのですけれど」

いいながら縁側から上がってくる。

「はからずもお話、聞かせていただきました」

そして、武藤の前にぴたりと座ると、

「ここは先生が身請けとやらに行くべきです」

はあ?と武藤は頓狂な声を出す。

「身請けの交渉はお若い方には無理です。お圭さんは十七で今が売り時。もっと高い値を付けてくるかもしれません」

朋絵様は、湯飲みを取ってくると宗助の前に突き出した。

「あ、あの・・」

狼狽える宗助に代わって。喜市が酒を注いでやる。それをぐいと一飲み。

「生々しい話をして慌てさせ、値を吊りあげる。有りそうなことと思われませんか」

「う・・うむ、確かに」

「だからここは、ジジ様の出番なのです」

「ジジ様はひどいなぁ、いや、年から言えばそんなものか」

武藤が渋々納得した。

朋絵様は飲み干した湯飲みを再び突き出す。

今度は過たず、宗助が酒を注いだ。

「でも、武藤先生に行ってもらうについては条件があります。」

今度は宗助と喜市の方に向き直った。

はい、と思わず声がそろう。

「あなたたち二人のお土産が必要です」

おみやげ・・と若い二人が顔を見合わせる。

「お圭さんの身になって考えてみましょう。約束通りまっとうに稼いで身請けの金はこしらえてくれた。でも迎えには来ない。さあ、お圭さんはどう思うでしょう」

「あ・あ。ええ。三年たって嫌われたんじゃないかって、そう」

「さすが、神童宗助、御明算」

三杯目を空けた朋絵様、少し酔っているようだった。

「なるほど、だから、待っているという印のお土産がいる、か」

武藤が口を挟む。こちらも呂律が怪しい。

「お圭さんを一旦実家のお父様やお糸ちゃんの処に送り届けて。湯屋に行って、髪も結いなおして、そうそう、私の若いころの着物があります。それを着て、明神様の境内から、もう一度始めてはどうでしょうね」

朋絵様の言葉に、宗助が一膝下がって平べったくなるほど深いお辞儀をした。

「有難うございます、お願いいたします」

喜市も黙って頭をさげた。


それから四人でしたたか飲んだ。

宗助と武藤が酔いつぶれ、朋絵様も膝こそ崩しておられないが、柱に頭を預けて目を閉じておられる。

喜市は皆を起こさないよう、そっと庭に下りた。霜月の月は、冴え冴えと青い。

四つ{午後十時}をかなり過ぎているだろう、町は闇に沈んで、静かだった。

衣擦れの音に見返ると、朋絵様だった。

「すみません、起こしちまいました」

「あれほどのお酒、何と言うこともありませんよ」

朋絵様は手早く武藤と宗助に壊巻を掛け、火鉢の炭を整えてから、そっと襖を閉めて庭に下りてきた。湯飲みを二つ持っている。

「まだ呑む・・」

「いいえ、お水ですよ」

一つを喜市に手渡すと、朋絵様はおいしそうに水を飲んだ。喜市も口を付ける。

「さっき、お圭さんが悪ずれしてるかもしれないから怖いって、だから迎えには行かないと言いましたね」

「・・・はい」

「違うのではありませんか」

しばらく俯いていた喜市は大きく長い息を吐いた。

「お見通しですか、かなわねえなあ、女先生には」

それから膝を揃えて座りなおすと、

「悪ずれなんて、お圭はしません。それは分ってるんです。おいらが怖かったのは、お圭が三年前の藪入りの時みたいに、宗助の出した手を取ること・・でした」

ええ、と朋絵様は小さく応える。

「宗助はお店者だ、女房もらって別に家を構えるまで、あと四。五年はかかる。お圭だってまだ子供だ。そう、年ごろになるまでの二年もありゃあ、おいらの方をふり向かせることができる。その自信はあったんです。手応えもあった。それなのに・・」

「身売りしてしまった」

喜市は溜息を吐いて、小さく頷いた。

「宗助と手をつないで歩くお圭を、ずっと見てきました。けど、今度は・・」

襖の向こうで宗助の声がした。寝言かもしれないが、朋絵様は口を押える。

しばらくして、喜市は残った湯飲みの水を飲み干した。

「それにしても朋絵様の酒、強えなんてもんじゃない。おいらたちの少なくとも倍はのんでますよね」

ふふ、と朋絵様は小さく笑った。

「今度からウワバミ先生って呼んでいいっすか」

「ウワバミは酷いわね、許しません」

襖の奥でまた宗助の声がした。


翌日、近所の小間物屋が開くのを待って、宗助と喜市はお圭への土産を買った。

宗助は、黒漆だが黒地が見えないほど重なり合った紅白の梅の花が描かれた櫛。喜市は、ちょっと歪で、尖がった赤い玉飾りのついた簪を選んだ。

「お圭っていやあこれだろうよ」

「なるほど、唐辛子だ」

それを真新しい赤い手拭に包んで、武藤に預ける、

「よろしくお願いします」

二人揃って頭を下げれば、手習い子の昔に戻ったような気がした。 



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