第7話:驚愕!実はシスコンだった俺!?
1人ぽつんと残される。
耳を澄まさねば遥か遠くからの喧騒も拾えぬほど自室は不気味なほど静謐だった。
これから自分は、さてどうしていけばいいのやら……失意のままに、景信は力なくベッドにどすんと倒れ込んだ。ふわふわとした心地良い感触と花の香り……恐らくは桜だろう。甘い香りが景信から少しだけ乱れた心に平穏を取り戻させる。
何もかも、この先には不安しかない。
ポジティブに考えれば、これほど刺激的はことは早々ないだろう。
下手をすれば一生を費やしても体験すらできない、寧ろそれが当たり前だ。
景信の記憶を構築する世界では幻想に対する否定者が極めて多かった。
ドラゴンも魔法も、妖怪や伝説も所詮は人の想像によって創造された産物にすぎないのだ。科学こそが絶対であり、非現実的な物を信じる者は極めて愚かであるとさえも豪語する輩が少なからずいた。
彼らの言い分について、景信は特に否定はしなかった。
神仏や悪魔などの類は全部、科学的に解明されていなかった時代だからこそ誕生している。
現代のほとんどの事情は科学でなんでも説明がつく。
しかし、それらすべて否定してしまうのも夢がない話で退屈極まりないのではないか、少しぐらいロマンをもって生きるのも悪くないのではないか――これが
村八分までとはいかなくとも、蔑視されるのは明白でありわざわざ自ら住みにくくする気も景信にはない。
逆にネガティブに考えるなら――きっと
呆気なく、何も成せないまま無様に殺されるのがオチだ。この世界でも市民という立場であればまだ、生存確率はあったかもしれないが……。
「俺は、これからどうしたらいいんだろう……」
広場では死ぬことについて、なんら恐怖もなかったのにいざ思い返せば想像を絶する恐怖だと知った身体がぶるりと打ち震えるのを、景信は自分の意志ではどうすることもできなかった。
今は死ぬことがとても恐ろしい……我ながらなんとも情けない話だ。景信は自嘲気味に小さく笑った。
その時だった。
「な、なんだ?」
どどど、と荒々しい足音が遠くから聞こえてきた。
しかもその音は徐々に大きくなりつつある。
景信が、この部屋に音の主が近付いていると察した次の瞬間には、目の前の扉は勢いよく開放された。壊れるのではないか、と本気で心配する景信の前にはあの三姉妹がいる――全員何故かぜぇぜぇと激しく息切れをしていて、服装や髪もやや乱れている。
まさかここまでくるのに喧嘩でもしてきたのだろうか……よもやそんなことはないだろう、いくらなんでもたかが自分のことで暴力沙汰に発展するなんて自意識過剰にも程がある。そう自意識過剰な思考に景信も思わず自らを呆れたが、次に発せられた虎美の第一声にそうでないと景信は知ることとなる。
呼吸を無理矢理整えた虎美が、我先にと口を開く。
「ねぇ景信ちゃん! お夕飯までまだ時間があるからお姉ちゃんと2人っきりで一緒にすごしましょ!」
「え?」
「だからなんで虎美姉だけなのさ! ウチだってノブとイチャイチャしたいし!」
「こんな時だけ年功序列を出すなんて卑怯ですわよ虎美姉さま!」
「あ、あの……」
「いいじゃない! お姉ちゃんだって景信ちゃんといたいんだもん!」
「そりゃウチだってそうだから!」
「虎美姉さまいい加減にしないと斬りますよ?」
「ちょ、本当に落ち着いて……!」
一聞するとどこにもでもありそうな、姉妹喧嘩にしか聞こえないだろう。
彼女らの場合、腰に差された刀の柄に右手を添えるので一般的にある
とりあえず、景信はこの場を仲裁する義務がある。
姉妹同士で血の争いをするのはもちろんのこと、自室を彼女らの血で真っ赤に染めたくはない。
「あの! とりあえず喧嘩はしないでください!」
「もう景信ちゃん! そんな他人行儀みたいな言い方はやめて! 前みたいに虎美お姉ちゃんって呼んで!」
「ノブ、ウチは朱音姉ってちゃんと呼んでよ?」
「景信、わたくしは清華姉さんって呼んでくださいね」
「そ、そんな……急にそんなこと言われても……!」
実の姉という実感がまだない景信は、彼女らを異性として認識している。
要するに赤の他人としての認識が強くある景信は、姉としていきなり慕うことは当然無理は話しであるし、しかしそんな彼の態度に姉妹達が不服を露わにした。
「……無理ですよ、俺には。昔はそうだったかもしれませんけど、今の俺にはあなたたちに関する記憶や思い出が1つもないんですから」
「……だけど私達が憶えてるわ景信ちゃん」
「そうそう。ノブとの時間はめっちゃ楽しいことばっかだったし、それにこうして起きてくれたんだからまた新しく作っていけるじゃん?」
「景信……わたくし達はあなたの姉です。どんなことがあろうと、絶対にこれだけは変わりません」
「…………」
「景信ちゃん……」
「え?」
それはあまりにも突然に訪れた。
顔全体が柔らかな感触と甘い香りに包まれる。
それが虎美の胸だと気付いたのは、あっと叫ぶ朱音と清華の声だった。
姉でも異性の胸を顔面に押し付けられる――男にとって景信が現在進行形で体感している行為はご褒美でもあり、また憧れでもある。その当事者である景信はというと、自分が置かれている状況をようやく理解して顔を赤々とした。
姉と言えど異性の胸を押し付けられて恥ずかしくないわけがなく、しかし逃れようとする彼を後頭部に回された細くてきれいな両腕が景信をがっしりとホールドする。
「ちょ、ちょっと虎美姉さっきから自分ばっかズルくない!?」
「いい加減にしてください虎美姉さま! わたくしだって景信をぎゅってしたいんですよ!」
「今はお姉ちゃんだけの景信ちゃんだから駄目! それに……んっ、景信ちゃん胸の中で暴れないで。お姉ちゃん気持ちよくて感じちゃうから……」
「んんー! んー!」
ホールドを受けたことでわずかにあった隙間さえも埋められた景信は、必死になって虎美の胸中でもがいだ。密着したことで酸素を確保することも極めて困難となった今、酸欠を訴えた肺の苦しさが気持ちよさよりも上回った。生命の危機に瀕すれば胸の柔らかさなど二の次となる。
女性の胸中で死ぬことを本望とするのなら、それもまた1つの結末であるし願望だろう……その輩に後悔などきっとあるまい。
だが景信は違う。こんな形で死にたくないと必死に虎美の拘束から逃れようとした。
「ちょっと虎美姉抱き締めすぎだから! ノブ窒息しちゃうって!」
「虎美姉さま加減してください!」
「あ、ごめんね景信ちゃん」
「ぶはぁ……! し、死ぬかと思った……」
「でも、景信ちゃんこうやっていっつも私達に抱き締められると喜んでたのよ?」
「は?」
虎美の思わぬ発言に、景信はつい間の抜けた声をもらしてしまった。
それはいったいどういう意味なのか……にわかに信じ難い事実に酷く自己嫌悪と否定をする景信だが、彼を他所に三姉妹は当人の前で思い出話に浸り始めた。
「後、ノブってばたまにさみしいから添い寝してほしいとか言ってきて超かわいいし!」
「そ、添い寝!?」
「それならお風呂でもそうでしょう。未だに頭がうまく洗えないからと……ふふっ、かわいい」
「おおお、お風呂ォ!?」
「そうよ景信ちゃん。景信ちゃんが病院に入院する前日だって一緒に入ったんだから」
「さりげなく姉ちゃんのおっぱい触ろうとしてきて……今からでもウチの揉む?」
「も、揉みませんよ何言ってるんですか!!」
記憶がないことを喜ぶべきか、不幸と捉えるべきか。
虎美らの口から次々と語られる、かつての
自分のことだから、呆れよりも絶望が景信の心を支配した。
かつての己はこんなにも情けなく、だらしなくてシスコンな男だったのか……ある種、
「後は、あ~んして食べる時が本当にかわいいのよねぇ景信ちゃんは」
「そうそう、いつも姉ちゃん姉ちゃんっていって後ろついてくるトコとかめっちゃ好き!」
「それから――景信? どうかしたのですか?」
「……なんでもないです。ちょっと軽く死にたくなっただけです」
虎美らが強烈なブラコンだ、と認識していたばかりに真実は
彼女達のブラコンも、そんな自分のシスコンっぷりがそうさせてしまったのかもしれない……認めたくはない、認めたくはないが可能性は皆無でないとも言い切れずにいる。
(……シスコンとか最悪じゃんか、俺)
せめてシスコンっぷりがこの屋敷以外で晒していないことを、景信は切々と祈るしかなかった。
それと同時にここで、景信は己に絶対不動の誓いを立てる。
今後一切3人のお姉ちゃんには甘えない。彼女らが知る
「んぐっ!」
大きくて弾力と柔らかさ両方を兼ね備えた二つの山が飛んできた。
先程とは若干異なる感触と、決定的に違う匂い――不快感はこれが驚くほどなくて、いつまでも嗅いでいたいという気さえ景信に起こした。今度は次女……朱音から抱擁を受けたのである。
「へへ~。な~に難しそうな顔してんのさノブぅ」
「ちょ、まっ……!」
「アンタはな~んも考えず、ウチらに甘えてればいいの。わかった?」
「ちょっと朱音ちゃんズルい!」
「いやいや虎美姉にだけは言われたくないわぁ……」
「朱音姉さま早くわたくしに景信をよこしてください!」
「は? アンタは後回しに決まってんじゃん」
「はぁ!?」
「ちょ、落ち着いて……痛い痛い! そ、そんなに強く引っ張らないでくださいってば!」
「――、みんなご飯ができたからいい加減にしなさい」
「お、お母さん……!」
私のためにどうか争わないで、と作中劇でしか聞いたことがない台詞を口走りそうになったところで、優しい母の声が景信を窮地から救った。
ぎゃあぎゃあと言い争う三姉妹も、母の手前粗相をすることが如何に愚かしいかをよくわかっているらしく、渋々とながらも素直に身を引いた。ようやく朱音から解放された景信は、やれやれと大きな溜息を吐く。
(……こんな時にでも、腹は減るんだな)
食事という言葉に反応したのか、くぅくぅと鳴く腹の虫に景信はそっと視線を落として、先に退室した紫苑の後を追った。
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