第2話   黒  子

 観音屋の若い衆が身なりの良い小柄な中年男を一心庵に案内してきたのは、木枯らしが吹き荒れた翌日。

広いとは言えない一心堂の庭が落ち葉で埋まってしまったので、手習い子たちにも手伝わせて井戸の脇に落ち葉の山を作ったところだった。

「棒手降りの八百屋が来たら呼び止めろ。芋を山ほど買って、焼き芋をな・・」

「せんせーい」

「おう、来たか、野菜売り」

「ちがうよ、お客さん・・」

で、顔を出したのが観音屋の半纏を着た顔見知りの、確か源次という名の若い衆だった。

「御無沙汰しておりやす、今日はちょいと道案内を・・:」

と。後ろから物珍しげに入ってきた中年男の後ろに回る。

「これは浜屋の旦那ではござらぬか。その節は宗助や喜市ともども馳走にあいなった」

「はは、まぁまあ。宗助さんに土下座までされて頼まれたのに、なしのつぶてで怒っておいでかもしれんと、恐る恐る出てまいりましたよ」

「いや、勝手なお願いをしたのはこちらで」

「武藤先生、立ち話も何でございますから、あがっていただいては」

朋絵殿が寄ってきて、浜屋と源次に挨拶する。

「おっ、こちらが噂のおなご先生でいらっしゃる。へい、源次と申しやす。先生、子供らと焼き芋はあっしが引き受けましたから、ごゆっくり」

さすがに香具師の仕切りに慣れた源次は手際がいい。野菜売りを見つけて芋を買ってくる組、焚火を囲んで火のついた落ち葉が散らないように置く石を集める組、火事にならぬよう水を汲む組などと、子供たちを分け、動かしていく。

見惚れていた朋絵殿が「あ、お茶を・・」などと口ばしって勝手に向かう間に、武藤と浜屋は教場脇の座敷に腰を据えた。

「それで、早速だがお圭は元気にしておりましょうかな」

「それが、あなた・・」

浜屋は口元を押さえて何とも言えぬ笑いを浮かべた。

「女郎の売り口上?」

頓狂な声で聴き返した武藤に、

「武藤先生、子供たちが・・」

朋絵殿が声が大きいと咎める。まして、女郎などと。

浜屋も声を潜めた。

何でもきっかけは仲良くなった『小豆さん』という姉さん女郎が、黒子が多いために客がつかず、もっと格下の安女郎屋に売られそうになったことらしい。

「客がつかないことを、お茶を挽く、と言うらしいですな。一日お茶を挽いた女郎は飯抜きだそうでしてね」

まあと朋絵殿が顔を顰める。

「飯抜きで痩せ細った上に黒子ですからな」

主が売り払おうと思うのも無理はなかった。

「そこへ土筆が・・ああ、土筆というのが店でのお圭さんの名前ですが、乗り込みましてね、売るのを五日待ってくれと・・」

三日目のお昼を過ぎた時分、お圭は、いや土筆は店表に立った。頭は姉さんかぶり、赤い襷をしていた。店表には妓夫(ぎゆう)と呼ばれる客引き兼用心棒がいる。その客引きを尻目に、あのちょいと掠れたよく響く低音を発したのだ。

『さあお立ち合い。美人ぞろいで有名な於福屋だ。まず売れっ妓は○○さん。色白もち肌でこリや文句なし。次にこの品川沖で捕れる魚みたいにぴちぴち生きのいいのが××さん、まだ乳離れできてないお兄さんには△△さんだ。甘えさせてくれるよ』

物珍しさにたちまち人だかりができたのは言うまでもない。で、最後に言ったね。

『最後はお客さんとあたい達との勝負だ。この小豆さん、顔にも首筋にも黒子があるだろう?何と体中黒子だらけなんだよ。昨日と一昨日、二日かけて仲間で黒子を数えたね』

とここで懐から折畳んだ紙を取り出す。

「間違いの無いよう、四度も数えなおしたんだ。その数がここに書いてある。お客さんが数えて、ここに書いてある数とぴたり一緒ならお代はいらない上に百文さしあげようじゃないか。どうだい?やってみるかい?」

「そんなの、合ってても間違いだって言えばズルできるよな、という声には、たまたま通りかかった宿の顔役さんに数を書いた紙を預かってもらうことになりました」

「ほう、まさに香具師の手口ですな」

「さようさよう。これが当たりました。我も我もと男が押しかけ、小豆さんはお茶を挽くどころか、お茶を飲む暇もないほどに売れたのでございますよ」

「なるほど・・」

「土筆の口上は昼八つ過ぎ。それを目当てにやってくる客も増えましてな。私もわざわざ見に行きましたよ。あの子の上手いのは、毎日口上が少しずつ変わることです。小豆を売るための勝負ですが、毎日だと飽きてくる。すると、今日は特別・・なんぞと言って、他のお人には内緒だよ、小豆さんの左の耳の穴のすぐ横に、楊枝の先で突いたほどの黒子があるのさ、なんて秘密めかして言うのですよ。おかげで於福屋は笑いが止まらないそうです」

「赤い襷がけで・・頑張っておりましたか」

「いくら教え子でも先生のようなお武家といい若い者が二人、身売り先まで追いかけてくるなんぞ、どんな娘だと思っておりましたが、いやいや、面白い。面白くていっそ愉快だ。私も惚れてしまいそうです」

「あ、いやそれは・・」

「わかっております。喜市に言われました。きっと二人で金を稼いで身請けしにくる。それまで、誰のものにもならないよう、見張っていてくれ、とね」

「しかし、そんな目立ったことをすれば・・」

「今のところは大丈夫でしょう。今や土筆は於福屋の看板です。いや、土筆のおかげで品川宿全体が活気づいてるんです。まあ、商売敵の店にとっては、邪魔者でしょうが、この私が目配りしておりますのでご心配なく」

武藤は一膝下がると、深々と頭を下げた。

「あの二人のためにもよしなに、この通り」

庭から芋の焼ける香ばしい匂いがしてきて。子供たちの嬉しげな声が聞こえてきた。

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