第28話 すれ違い

 そのころ、王宮では4人がキースの私室でお酒を飲みながらカードゲームに興じていた。


 4人はいつも、仕事に行き詰った時にこうして息抜きをしつつ突破口を探すのだが、今日の話題は当然クレアのことだった。


「……おっ。あがり~! ……で、どうするの、ヴィークのクイーンは」


 ドニがカードをパッと投げ、どすっ、ベッドに倒れこむ。


「国王陛下から許可は出ている。クレアにも招待状を渡したいとは思っているが……」


 先日の国王への謁見の場で、クレアは国王陛下から甚く気に入られたようだった。


 元々、ヴィークの妃探しを目的とした夜会は開催される予定ではあった。ただ、招待できるのは高位貴族で構成される元老院の意向を汲んで、貴族令嬢だけのはずだった。


 しかし、あの場で人選をヴィークに一任したということは、クレアを招待してもいいという国王陛下の意思に他ならない。


(国王陛下は何でもお見通しだからな……)


 それを思い出すと、ヴィークは面白くなかった。しかし、反抗しようにも今回だけは譲れないのもまた悔しいところである。


「それにしても、国王陛下が何の後ろ盾もないクレアを認めるとはなー! 側近として、心配事が一つ減ったぞ」


 立場を考えた妃選びを、と口を酸っぱくして言ってきたキースだったが、身分という壁がなければヴィークの側にクレアを置きたいと思っているのは皆同じことだ。


「でも、ヴィークはまだクレアに気持ちを伝えていないんでしょ」

「ブッ」


 ヴィークはお酒を噴き出す。そして、余計なことを言うな、という顔でリュイを睨んだ。


「えーマジで? ていうか、呼ばれた本人ですらわかる本命を、告白もせずにいきなり夜会に呼ぶってどうなの? しーんーじーらーれーなーいー!」


 カードだらけのベッドに横になっていたドニが、体をバタバタさせて叫ぶ。


「クレアなら、招待自体あっさり断るかもしれないな」

「ありうる。そもそも、僕の遊び仲間の令嬢たちは招待状を心待ちにしているみたいだけど。まともなご令嬢であるクレアはねえ」


 ヴィークをからかおうとするキースとドニの会話に、本人は複雑そうな表情を浮かべた。


「あのな……そもそも、今まではキースが牽制してきたんだろう? ……しかし、クレアはノストン国を追われる前の婚約者が第一王子のアスベルト殿下だと言っていた。権力を手にしたい者たちの醜い面をたくさん見てきたのだろう。……爵位を固辞していることや王宮勤めを嫌がるのもそのせいだとしたら、俺の申し出などあっさり断るだろうな」


 そう言うと、いつもより強いお酒をぐいっと喉に流し込む。


 クレアが貴族令嬢に敷かれたレールから脱落して、のびのび過ごしていることはヴィークもよく理解していた。幸せを願って手放してやりたい相手なのか、幸せを取り上げてまで側に置きたい相手なのか。


 ヴィークは、それがまだわからずにいた。


 開け放たれた窓からは、王宮の庭園に植えられたくちなしの芳香が漂う。


 初夏を思わせるその甘い香りは、ただ楽しかった春の終わりを告げていた。




 次の休日。


 クレアは、リュイからの誘いを受けて街に出ていた。


(リュイがお休みの日に誘ってくれるなんて、めずらしいわ)

 

 クレアがうきうきしながら待っていると、待ち合わせ場所に現れたのはヴィークだった。


「……ヴィーク? なぜここに……というか、どうしたの、その髪の色」


 クレアは驚く。それもそのはずだ。ヴィークの日の光に透ける金髪は、リュイと同じ漆黒に染められていたのだ。


 特徴的な瞳の色と雰囲気でクレアにはすぐに分かったが、一般市民には到底見抜けない変装だ。


「よく一目でわかったな。リュイに魔法で細工してもらった」

「さすがリュイね。国外にお出かけのときも、そうすればいいのに」

「いろいろ準備が必要らしいぞ。……今日は特別、だ」


 ヴィークは、少し間を取ってから言う。


「夜の訪問ではすぐに追い返されるからな。今日はリュイにお願いして譲ってもらった。……不服か?」

「そんなこと。うれしいわ」


(……あ)


 一瞬心から喜んだクレアだったが、一月後のヴィークには婚約者がいるということを思い出す。その事実は想像以上にクレアの心を深く締め付けた。


「いえ。私も、時間を気にせずにおしゃべりしてみたいと思っていたの」


(……お妃候補が決まったら、こうして会うことは出来なくなるのね)


 クレアは沈んだ心の内を隠して微笑んだのだった。




 その日、2人は1日かけてデートを楽しんだ。


 最初に行ったのは、ヴィークが子供の頃にお忍びで足繁く通ったというおもちゃ屋だった。


 棚に並ぶおもちゃを見て懐かしそうにするヴィーク。クレアも、それを見て兄たちと遊んだことを思い出して、笑いあった。


 ヴィークが王宮の庭でキースやリュイたちと剣の稽古をしていた頃、クレアも屋敷の庭で上の兄オスカーと下の兄レオの剣の稽古に混ぜてもらい、擦り傷を負っていたことを知った。


 2人とも忙しい父親に会える機会はあまりなく、久しぶりに会える時に褒めてもらいたいという思いで勉強や作法の時間を頑張ってきたこともぴったり同じだった。


 良いお天気だったので、ランチはベーカリーでサンドイッチを買い、外で食べた。クレアはサーモン&チーズ、ヴィークはパストラミサンド。


 乳母が作る、シンプルなチェダーチーズのサンドイッチが一番の好物だとヴィークは言う。クレアは、魚介メニューやメープルシロップをたっぷり練りこんだホットケーキを挙げてみたが、最終的には好きな食べ物が多すぎて選べないという答えに落ち着いた。


 2人は本当によく話し、本当によく笑った。


 楽しかった一日の終わり。


 とっておきの場所があると言ってヴィークがクレアを連れてきたのは、ウルツの街や王城が見渡せる高台だった。


「わぁ……すごい。なんてキレイなの」


 夕暮れの街には、既にぽつぽつと灯りが灯り始めている。


 夜の訪れを思わせる深い色と、日が沈んだばかりの空のきわのオレンジ色が幻想的で美しい。


 石畳を挟んで立ち並ぶお店や家のあちこちから、夕食の支度の煙が上がっていた。


「なんだか、こうしていると全てが夢みたいね」

「夢?」

「ええ。少し前は、こんなに幸せな日々が待っているだなんて思いもしなかったわ。こうして今一緒にいることも」


「……聞いてもいいか」

「ええ、何でも」


 少し間を置いてから、ヴィークは聞いてくる。


「ノストン国で、アスベルト殿下と婚約をしていたと聞いたが」

「私、飲みすぎた時に話してしまったのかしら? 恥ずかしいわ。……そうよ。権力争いの真っ只中で育ってきたもの。私の中ではとっくに昔のことだけれどね。」


 クレアは、ゆっくりと言葉を選んで続ける。


「私、この国にきて本当によかったわ。国王陛下への回答をあなたは優等生だと言って笑ったけれど、本当に嘘なんてこれっぽっちもなかったの。リュイにキース、ドニ……皆の優しさと、主君への想いに感動したし、生きる勇気をもらっているの。だから、竜巻からみんなの笑顔を守れて本当にうれしかった。……いつか、私も皆の助けになりたいと思う」

「……っ」


 ヴィークが、躊躇いがちに言葉を発そうとしたことに気が付かなかったクレアは、さらに続けた。


「知ってる? 私が家庭教師をしているイザベラ様に、来月の夜会の招待状が届いたの。どんな形で皆のことをサポートできるかは分からないけれど、私でも出来ることを少しずつ積み重ねていくわ。まずは、イザベラ様の夜会出席の成功よ。ノーブルで素敵なお嬢様なのに、とても不安そうにしていて心配なの。……殿下、会場で見つけたら、優しくしてあげてくださいね?」


 それはクレアにとっては精一杯の強がり。それ以上、どう話したらいいのかわからなかった。だから、努めて落ち着いて、何でもないことのように告げる。


 しかし、悪戯っぽくキラキラした笑顔を向けてくるクレアを見て、ヴィークがそれを察せるはずもなかった。


「……ああ」


 ヴィークは、すっかり暗くなってしまった空を仰いでいつものように微笑む。




 ――彼が懐に秘めていた淡いグリーンの封筒が、クレアに渡されることはなかった。


 


 その頃、レーヌ家には贔屓にしている仕立屋が来ていた。


「イザベラお嬢様、来月の夜会にはピンク色のドレスをオーダーしていただき、ただいま製作中ですが……。生地見本が欲しいとは、まさか別のドレスになさるおつもりですか?」


 青ざめた表情でびくびくしながら聞く仕立屋に、イザベラが無邪気な笑顔で答える。


「いいえ。そんな意地悪はいいませんから、ご安心くださいな。……もう一枚、夜会用のドレスを特急でオーダーしたくて。私より背が高くて、透明感があって、洗練された美しさの方に着ていただくのですが。どんな色がいいかしら」

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