第12話 王都・ウルツで

 心地よいフカフカの寝具に包まれているようだ。みなみの部屋のベッドとはずいぶん違うな、とクレアは思う。


 目を開けると、ぼやけた風景が映る。次第に景色がはっきりしてくると、どうやらここはリンデル島内のホテルだということが分かった。


 視界にリュイが現れて、クレアは目を瞬いた。


「気分はどう?」

「ええ、大丈夫。でも、私……」

「さっき、クレアは海岸で突然気を失ってしまったんだ。それで、ヴィーク達とホテルに運んできた。眠っていた時間は1時間ほどかな」


「そんな……ご迷惑をかけて、申し訳ありません」

「気にしないで。洗礼のように、神や精霊から大きな力を受けた後は体がその力に耐えきれずに気を失ってしまうことはよくあるよ」

「洗礼……?」


 全く身に覚えがないことに、クレアは戸惑いを隠せない。


「クレアが倒れる前、海岸でオーロラのような光が降りてきたのを覚えてる?」

「ええ、なんとなくだけれど」

「恐らく、あれは洗礼によるものだと思う。魔力の色は分からないけれど、白や銀よりもさらに強いもののような気がする」

「洗礼」


 思いがけない言葉に、心臓が跳ねた。


「あの海岸は、もとはリンデル国の教会があった場所だということは教えたよね? 教会がなくなってしまっても、あのビーチはずっと聖泉でありつづける。理論上は、洗礼を受けることができるんだよ。……母親がリンデル国生まれの貴族がいればの話だけどね」


 夢の中で璃子が言っていた言葉がリフレインする。


『婚約者クレアの母親の生まれが旧リンデル国ってことしか覚えてないなぁ』


「……!」

 

 どうやら、クレアはゲームの世界で生きている人間のようだ。そして最初の夢で聞いた璃子の言葉通りに洗礼を受けてしまったらしい。


 それを頭では理解したものの、受け入れるのにはまだ時間がかかりそうだった。


「私、15歳で淡いピンク色の魔力を授かっていて……洗礼なんて、信じられないわ」

「ノストン国の王都で洗礼を受けたのだよね? 普通なら、母親に縁のない場所で洗礼を受けたとしても、ごく弱い魔力しか授かれない。それなのに、淡いピンクを授かったということは、それだけ精霊の加護が強かったということなんだろうね」


 リュイが温かいお茶にはちみつをいれて手渡してくれる。クレアはカップを受け取ると、ふるふると頭を振る。たくさんのことが立て続けに起こりすぎて、今は何もかも信じられなかった。


「まぁ、お茶でも飲んでゆっくりして。ヴィークが死にそうな顔で心配していたから、少ししたら呼んでくるね」

「リュイ、本当にありがとうございます」





 


 翌朝の朝早くにリンデル島を出発した一行は、数日間の旅を経てパフィート国の王都・ウルツに到着した。


 道中、パフィート国に入ってからのヴィークは、ずっとストールで顔を隠していた。立ち寄った宿屋やレストランでは顔が特に広いドニが女性たちから声をかけられることはあったが、大きなトラブルに遭遇することなくここまで来られた。


 クレアと言えば、ウルツの街に降り立って夢見心地である。


「すごいわ……。ノストン国の王都・ティラードとは比べ物にならない」


 ノストン国では城以外ではほとんど見られない石造りの高層建築が立ち並び、その合間にたくさんの商業施設や美しい公園がある。馬車が何台も余裕をもってすれ違えるほどに広い道には樹が植えられ、鑑賞目的の小川まで造られていた。


 すっかり感激しているクレアに、ヴィークが得意げに聞いてくる。


「どうだ、ウルツの城下町は」

「ええ、とっても気に入ったわ。本当に素敵!」

「後でまた来るといい。城までは街を迂回してもう少しだ」

 

 皆に目配せをして馬を走らせようとしたその時。


「待っていただけますか」


 クレアはリュイの助けを借りて馬から下り、これまでずっと考えていたことを告げる。


「ここまで、ご一緒させていただいてありがとうございました」


 深々と頭を下げるクレアに、ヴィークは困惑の色を浮かべた。


「どういうことだ? 道中、何度も話しただろう。慣れるまでは城で保護すると……ただの保護が嫌なら、王宮の魔術師はどうだ?」

「本当にありがたいお話ですが、殿下の計らいで生活を助けていただくことは、パフィート王家の醜聞や思わぬ摩擦を招きかねません」

「しかし」


 食い下がろうとするヴィークを視線で制止し、クレアは続ける。


「私は……勝手かもしれませんが、皆さんをとても大切なお友達だと思っています。お互いの立場を気にせず、1人の人間として接することができたのは初めてでした。……それに、大切な友人であるヴィークのことを殿下とお呼びしたくはありませんし」

「……!」


 一瞬の静寂の後。


「……ぷはっ」


 神妙な顔で聞いていたキースが噴き出し、ヴィークが複雑そうに側近を睨みつける。


「クレアお嬢様はこういうお方だよね」

「もういい加減に諦めたらどう、ヴィーク。窮屈な籠から自由になった鳥を再度囲い込むなんて無粋だよ」


 ドニは茶化しながらクレアに同意し、リュイも呆れている。どうやら、二人はクレアの味方らしい。全員の意志を何となく察したヴィークは、諦めたように表情を緩めた。


「……クレア、本当に大丈夫なのか」

「ええ、多分。数日はきちんとしたホテルに泊まって、職を探しますから。私、新しい生活がすごく楽しみなの! ……でも、本当に困った時は助けてくださいね」


「わかった。……では、通行証代わりにとりあえずこれを渡しておく。これがあれば、俺への取次ができるはずだ」

「!?」


 クレアは、突然手渡されたにひどく驚いた。鈍い光を放つフォルムに、ずしりとした重み。規則正しく刻まれる音。


 それは、ヴィークがたった今まで身に着けていた懐中時計だったからである。


 顔を引き攣らせて『通行証』を確認したクレアは慌てて訪ねる。


「ええと……。もっといろいろな意味で軽いものはないのでしょうか」

「俺のピアスでもいいが」

「い、いえ! こちらにするわ」


 不敵なヴィークの答えに、クレアはそう答えるしかなかった。

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