元、落ちこぼれ公爵令嬢です。

一分咲🌸3/15無能才女③発売

第一章

第1話 婚約破棄

 夕日が差し込む生徒会室。そこに、距離を置いたふたつの影があった。


 公爵令嬢、クレア・マルティーノは、諦めの感情を隠せない。


 クレアを軽蔑するように見下ろす、漆黒の髪に淡いグレーの瞳。アスベルト・ルチア・ノッティダムは、このノストン国の第一王子であるとともに、クレアの婚約者でもある。


「クレア。明日の卒業パーティーの君のエスコートは、サロモンに頼むがよいな?」

「……」


 この事態は、クレアがとっくに予想していたことだった。そのはずなのに、いざとなると言葉が詰まって出てこない。


 窓から差し込む夕日が、クレアの手をじりじりと照らしている。熱いはずなのに指先は冷たくて動かず、喉も凍ってしまったみたいに何の言葉も発せなかった。


 過去、何度この場面をシミュレーションしたことだろう。予定では、醜態を晒したくないと強がってみせるつもりだったが、現実は全く違った。


 発そうとした言葉は声にならず、カラカラに乾いた喉が、きゅっと鳴った。


「私はシャーロットをエスコートすることにした。マルティーノ家に失礼がないよう、君にはサロモンを付ける。もし君に針の筵に座る覚悟があるなら、の話だが」


 温かさが微塵も感じられない、冷たい瞳。侮蔑の表情さえ見て取れる、彼の淡いグレーの瞳にはクレアは映っていなかった。


「アスベルト様……」

「用件は以上だ。シャーロットが待っているので失礼する」


 クレアがようやく絞り出した呼びかける言葉を、彼は承諾と受け取ったようだった。話し終わらないうちにアスベルトは踵を返し、勢いよくドアを開けて出て行ってしまった。


 躊躇いなど微塵も感じさせない元婚約者の背中を見送ったクレアは、ひとり力なくぽすんとソファに腰を下ろす。


「……ついに、来たのね、この日が」



 明日は、この王立貴族学院の卒業式。


 卒業式後には、卒業生・在学生の学校関係者に加え、国王や貴族たちが集まる盛大な「卒業パーティー」が催される。


 卒業生にとってはもちろん大切なイベントだが、そうではない貴族の子弟にとっても社交界での立場を確認し、内外に知らしめる重要な会だ。


 クレアは、たった今婚約者であるこの国の第一王子、アスベルトにエスコートを断られた。つまり、それは正式ではないが、明日をもって婚約を対外的に白紙に戻すという宣言そのものだった。


 幼少の頃から共に育ち、仲睦まじい関係だったアスベルトとクレア。


 しかし、いつしかその関係は冷めたものに変わっていた。特に、ここ数か月の2人の関係は冷めきった酷いものだった。


 クレアを無視し、他の貴族令嬢と行動を共にするアスベルト。アスベルトに従い、クレアの存在を軽視するようになった側近たち。


 遅かれ早かれ、こうなることはとっくに分かり切っていた。前日に前もってエスコートを断り、しかも代わりの貴族令息を手配してくれたことが紳士的に思えるほどだ。


 自尊心が消えてなくなってしまわないように、クレアは現状を受け入れようと繰り返し呟く。


「仕方のないこと。私では力不足だった、それだけのことよ」


 クレアも、の方が第一王子であるアスベルトにふさわしいことはよく分かっていたから。



 クレアは16年前、ノストン国の王家の傍流である名門・マルティーノ家の長女として生まれた。


 母親はクレアが幼いころに事故で亡くなっていたが、優しい父親と兄が2人、そして妹が1人いたため、寂しくはなかった。……1年前までは。


 1年前、クレアは運命の洗礼式を迎えていた。


 この国では15歳を迎えると精霊と契約し、魔法が使えるようになる。


 もちろん、誰でも魔法を手にできるわけではなく、元々、血統や個人の資質に応じて備わっている魔力が洗礼を受けることではじめて表に出るのだ。


 クレアが生まれたマルティーノ家は女傑の血統だ。マルティーノ家に生まれた女児は非常に高い魔力を持ち、国のために生きていくことが生まれながらにして決まっている。


 特に長女ほど魔力が強く、歴史を振り返るとそのほとんどは特別な地位に就き、宰相の座に昇りつめたものもいた。


 学業の面だけで言えば兄たちもそれなりに優秀だが、クレアに寄せられる期待はその比ではない。


 クレアはノストン国の第一王子と一歳違いで生まれたため、母親のお腹の中にいるときからアスベルトと結婚する運命に決まっていた。


 自由が許されない自分の立場をどうこう考えたことなど一度もない。


 それぐらい、クレアが歩んでいく道はあたりまえの運命で、余所見をすることが許されないほど、当然の道だった。


 そして、迎えた洗礼式。国王や貴族たちが見守る中、クレアは洗礼の泉に足を踏み入れた。残っている記録の限りでは、洗礼が完了すると泉の色が魔力の強さに応じで白か銀色に輝く。


(アンおば様のときは白、フローレンスおばあ様のときは銀色だったと聞いたわ。私は……?)


 ドキドキしながらその時を待った。視界が淡いピンク色に染まっていく。


 これは……?


 魔力の色は、銀・白・青・淡い青・淡いピンク・赤・オレンジ・黄色の順で強い。


 クレアが受けた魔力の色は淡いピンクだった。


 淡いピンクというのは、マルティーノ家からしか出たことのない特別な色である銀や白を除いては、上から三番目の色だ。


 兄たちも含め、多くのものがオレンジや黄色の魔力しか持たないことを考えると決して悪くはないが、クレアに大きな期待をかけてきた国王や家族を失望させるには十分な色だった。


 洗礼式の後、クレアの周囲は驚くほど変わってしまった。


 クレアに優しかった上の兄オスカーはクレアに厳しくなり、クレアに優しくも、出世街道を行く上ではライバルと公言してきた下の兄レオはなぜか不自然に優しくなった。


 特に、クレアがショックだったのは父親ベンジャミンの変わりようだった。


 クレアを社交の場や街へ連れていくことを拒み、存在を隠すようになってしまったのだ。


 父親譲りの優秀な血統に育ち母親譲りの美貌を持つクレアは、確かにベンジャミンの誇りだったはずだ。


 しかし、その娘が女傑マルティーノ家の出来損ないとして好奇の目にさらされるのは耐えられなかったのだろう。


 結果として、父親の思慮が足りなさすぎる思いやりは、“マルティーノ家の落ちこぼれ”としてクレアの立場をさらに悪くさせることとなった。


 小さい頃からクレアは、父親に付き従い街に出て、兄たちと観劇に親しみ妹と髪飾りを選ぶのが楽しみだった。




「洗礼式の前は、洗礼式後の夜会用に特別なドレスを仕立ててもらったっけ」


 15歳になるまでの回想を終えたクレアは、生徒会室の窓の外に目をやる。


 沈みかけていた夕日は完全に落ち、薄暗闇が広がり始める中を、アスベルトが取り巻きの貴族たちとともに寄宿舎へ帰って行く背中が見えた。


(シャーロット……)


 その集団の中でふわふわのロングヘアをなびかせる、ひときわ小さい華奢な背中が輝いて見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る